埼京線戸田公園駅から新大宮バイパスへ歩く

 埼京線で赤羽駅、大宮駅間を往来する度戸田公園駅を通過する。駅近くにそんな公園はあるのかと訝っていたら、戸田ボート場のことと知った。しかし、荒川傍で、駅からは大分離れていて、違和感は解消しない。それなら戸田公園駅から戸田ボート場へ歩いてみようと思う。これまで同駅での乗降はない。最近都内巡りが多く、時には埼玉も良いだろう。

 埼京線戸田公園駅 バスで埼京線浮間舟渡駅へ出た。次が戸田公園駅。我が家から1時間弱で着いた。高架のホームからも戸田ボート場は見えなかった。駅西口からボート場を目指す。商店街とも住宅街とも言えない中のオリンピック通りを行く。駅から10分程要した。長さ3000m幅107mのボート競技場で、1964年はオリンピック競技の地。私の思いは当たっていたが、駅名の決まりはないのだろう。左手に小公園があり、戸田橋の親柱が保存してあった。

 戸田公園はボート場 ボート場の北側を行く。この辺りは企業や大学の艇庫が並び水面は見えない。艇庫へ入りボート場を覗くと、2,3艘のボートが練習中のよう。艇庫内はボートを保管中(写真上)。早大艇庫の先からボート場柵沿いの路となるが、柵が邪魔し水面は見えにくい。反対側は町工場が多い。公園大橋へ至り、北側から南側へ渡る。ボート場は左が漕艇場で、右が競艇場。本日競艇開催日のようで、少し人出が始まっている。私は、ボート場を出て荒川土手へ上がる。正面は笹目橋で(写真中)、川面は左手下で流れも見える。

 笹目川から新大宮バイパスへ 土手を下りて、笹目川へ。競艇場入口の前から回り込み川へ出て、富士見大橋とある。ここで私の誤りに気付く。笹目川は新大宮バイパスに面した笹目神社辺りから流れる小川と思っていたが、それは笹目川の支流と知った。
 今回の終点は支流に架かる聖橋。支流沿いを遡上すると一羽白い鳥がいて(写真下)シャッターを切った。鷺か。早瀬でバイパスを歩道橋で渡り、聖橋バス停を探す。最後はバスで三田線西高島平駅へと想定していた。

 笹目橋上で埼玉から東京へ 処が時刻表では朝夕のみの通勤用で、中間はないバスダイア。埼京線方面も30分後。笹目神社に参拝して休憩し、笹目橋を渡り西高島平駅へ歩くことを決意。30分程だろう。徒歩で花見に来たことがある(12.4.12)。
 またバイパスを渡り、笹目橋への坂となる。左手に先ほどのボート場が見えた。600mを越す長い笹目橋で埼玉から東京へ入り、三田線西高島平駅へ歩いた。本日昼過ぎから雨の予報で早めに家を出たが、もう昼前だが天候は悪くなる気配はない。(2022/10/6 K.K. 1475/1500)

◇日時 2022/09/22 ◇天候 曇 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図・戸田市」46頁 ◇歩行距離等 16,000歩 12㎞ 「通過時間等」自宅7:55-埼京線浮間舟渡駅8:40-同戸田公園駅8:50=戸田ボート場東端9:05=戸田公園大橋9:40=富士見大橋10:00=聖橋バス停10:15=笹目神社10:30=笹目橋10:45=三田線西高島平駅11:06-同新高島平駅11:10-自宅11:15

列車を乗り継いで石巻線沿線の涌谷城跡を訪ねる

 大人の休日俱楽部パスの最終日、宮城県の奥仙北地方にある涌谷城跡を訪ねることにした。最近城跡紀行を整理し始めて、未訪の城跡を巡っている。前々日も羽越本線で秋田に本荘城跡を訪ねた。本日は、涌谷城跡の後、白石城跡をも予定。しかし、宮城県も広く、順調に列車を乗り継いでも16時前後になる予定だが、体力も心配である。

 小牛田から涌谷へ 涌谷城は、一国一城令下、仙台藩の要害となった仙北涌谷にある平山城である。城主は亘理氏で伊達氏の分家ではないが、後に伊達氏を名乗ることを許された涌谷伊達氏。手許の資料に紹介されそれなりの格式のある城だろう(「城郭と城下町1北海道・東北」130頁)。今朝新幹線で仙台駅に着いて東北本線に乗り、小牛田駅で石巻線に乗り換え二つ目の涌谷駅に下車し、小牛田を含め初めての地。水田地帯のよう。駅前通りを行き、町役場前から商店街を進むと橋へ出て、左手先に櫓が見えた。

 涌谷城跡を見学 涌谷城は丘陵高台にあり江合川を天然の要害としている。もともと当地方の豪族大崎氏の重臣涌谷氏が城主であったが、小田原征伐に参陣しなかったため秀吉の奥州仕置きで没収され、伊達領となり、伊達氏の家臣亘理氏の居城になった。2代宗重は、1671(寛文11)年伊達騒動の当事者となり、大老の酒井邸で尋問中、伊達藩奉行(家老)で一関藩主宗勝の腹心原田甲斐宗輔に殺された(伊達騒動)。大老邸での事件もあったのに伊達藩はお咎めなしとなり、一方の一関藩の宗勝は改易となった。涌谷の宗重は宗家を護った功労者だろう。江合川に架かる涌谷大橋を渡り左折し、櫓を正面にし、川沿いに遡ると石垣の上に櫓が見えた(写真上)。現存城跡は細長い本丸跡で、唯一の遺構は太鼓櫓のみ(写真下)。模擬天守風の建物は史料館だが本日は閉館日。奥の涌谷神社に挨拶。境内右手に宗重像があった。

 石巻線、仙石線、東北本線 涌谷駅に戻り、また石巻線に乗った。石巻駅に着き仙石線で仙台駅へと思っていたら、なんと途中で東北本線へ乗り入れた。しかし遅れて白石行にはギリギリとなり仙台駅は広く諦めた。

 久しぶりの呑み鉄 帰りの新幹線は地酒一ノ蔵とホヤで呑み鉄になった。本日通過した小牛田出身の旧同僚や少し先の気仙沼出身の後輩がいて、呑み友でもありホヤを教えて貰った。2人は年下であったが早世され、生前を思い出しながら小さなコップを傾け、三陸産ホヤを嚙み締めた。当初ホヤは苦手であったが慣れて珍味となった。白石蔵王駅を通過した際、白石城跡は訪ねたことがあり(94.9.5)、メモが残ると思い出した。(2022/10/2 K.K. 1474/1500)

◇日時 2022/09/14 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料小学館「「城郭と城下町1北海道・東北」130頁 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 
「通過時間等」自宅7:30-JR上野駅8:46-同仙台駅10:44-同小牛田駅11:36-同涌谷駅11:45=涌谷城跡11:55/12:25=JR涌谷駅12:52-同石巻駅13:55-同仙台駅15:23-同上野駅17:25-三田線巣鴨駅17:42-自宅18:15

羽越本線を乗り切り、途中の本莊城跡へ寄る

 秋田での二日目、本日は羽越本線で新潟行である。これまで、新潟駅、酒田駅間は数回乗ったが秋田駅からや秋田駅迄はない。日本海沿いの長い路線だが、直通特急が走っている。今回は、羽後本荘駅で途中下車し、本荘城跡を訪ねたい。最近調べて、山形の最上義光が戦国末期頃手を伸ばしたと知り興味を惹いた。

 秋田駅から羽後亀田駅を通過 9時過ぎ秋田発酒田行きの鈍行(写真上)で、羽後本荘駅へ向かった。新屋駅を過ぎると右手に海が見え始め、昨日訪ねた男鹿半島が見える。羽後亀田駅に着く。この駅は松本清張の“砂の器”で知った。被害者と犯人の会話がズーズーの東北弁で、その中にカメダの地名があったと刑事が情報を得て、当地かなと捜査に訪れたのであった。木造の小さな田舎駅だが、小説の実際は、鳥取木次線の亀嵩駅であったのだ。10時前に羽後本荘駅に着いた。

 鳥海山を眺めた本荘城跡 由利本荘市役所隣の高台に城跡公園があり(写真中)、本丸跡が遺っていた。本荘城は、別名は鶴舞城、尾崎城。
 山形の最上義光は東の関ケ原戦、慶長出羽合戦で勝利し羽後由利郡を手に入れ、慶長8年(1603年)尾崎山に本荘城を築き重臣楯岡満茂を配置した。最上氏が改易されると老中も務めた宇都宮藩主本多正純が左遷され移封されたが、1年後正純は横手城に幽閉された。その後横手の豪族であった常陸府中藩主六郷政乗が2万2千石で入封し明治維新まで続いた。本荘神社に参拝し、裏側から鳥海山を眺める(写真下)。出羽富士の山容は偉大も美しい。一時的にせよ山形の最上義光は鳥海山を越した遥か先まで支配していたのだ。本丸跡を出て、帯曲輪のような地を通って、濠跡を見下ろした。はっきりした遺構はなかった。

 象潟駅から庄内へ 羽後本荘駅へ戻り、新潟行特急いなほに乗車。左手に鳥海山が見え隠れする。陸の松島と呼ばれる九十九島の中に、蚶満寺が見えて、象潟駅に停車。奥の細道で芭蕉が訪ねて、境内に像も建つ。私も追っ掛けて来た(18.7.3)が、この時秋田へ出る予定が乗り遅れ新潟行となり、ここからは羽越本線は初めてではない。鳥海山も山裾で、海上には飛島が見え、吹浦駅を過ぎ酒田駅に着いた。庄内平野は稔の秋色であった。余目、鶴岡、三瀬、小波渡の各駅は中高時代から海水浴や部活の遠征で少しは知っている。初めて海水浴をした由良海岸は再訪したいが実現していない。

 羽越本線は? 新潟へ入り、岩稜海岸笹川流れを右に見て、村上駅を通過。一年前新潟駅迄は乗車したばかり(21.9.7)。新発田駅を越し、羽越本線は新津駅が終点で、新潟駅へは白新線と知った。(2022/9/29 K.K. 1473/1500)

◇日時 2022/09/12 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 「由利本荘市観光ガイドマップ」 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」宿泊先8:40=JR秋田駅9:07-同羽後本荘駅10:00=本荘城跡10:15/10:35=JR羽後本荘駅11:07-同新潟駅14:23-同上野駅16:33-三田線巣鴨駅16:55-自宅17:30

JR男鹿線・なまはげラインで男鹿半島を往復する

 今回のJR東日本大人の休日俱楽部パスの行く先は決めていた。秋田新幹線で秋田駅へ行き、初日は男鹿線乗車である。なまはげライン男鹿線は初乗車。二日目は秋田駅から新潟行特急に乗り、羽越本線を乗り切りたい。秋田駅前にホテルを予約した。秋田行きは7年振り。

 なまはげラインに乗車 秋田駅で昼食を取り、男鹿線に乗った。3両編成の列車は市内から郊外向け走った。秋田市は駅の西、海側が発展した地方都市らしい。追分駅に着いて思い出した。ここまでは奥羽本線と並行して、五能線乗り鉄の際乗ったことがある(16.09.02)。羽州街道の追分の地点かなとネットで調べたが不明。
 我が男鹿線は男鹿半島へと左手へと走り続けた。海を眺めながらの海岸線の路線と想定していたが、海岸より大分内側でその間には松原や住宅も見える。一定間隔で高い風車が並び発電用で、強い風が吹く証だろう。天王駅付近で鉄橋を渡った時左手先に海が望めた。500m程先だろうか。

 寒風山を遠望 右側の車窓を眺めていたら、小高い山が見え、山頂に建物があり寒風山(355m)だろう(写真上)。
 日本海の展望台がある男鹿半島の名所で、一度訪ねている。盛岡出張の際秋田へ足を延ばし、当地に赴任していた友人夫妻が車で案内してくれた。山頂周辺は樹木がなく芝生の山で、風が強いからと思われる。調べると30年前であった。
 今回も一応寒風山やなまはげ館を調べたがアクセスが悪く、諦めた。車窓から寒風山へ向けシャッターを切ってみた。
 終点男鹿駅に着き(写真中)、折り返し迄約1時間あり、波止場から道の駅を巡った。船川港と言って、寡って貨物鉄道線もあった港と知る。現在の波止場には一隻の船もなかった。今晩ホテルでの晩酌用地酒と僅かな肴を求め、列車に戻った。待合室に飾ってあったなまはげをカメラに収めた(写真下)。17時にはチェックイン出来た

 ホテルで一人晩酌 この度秋田新幹線を利用した。二度目と思う。上野駅から盛岡駅迄は2時間強、処がそこから秋田駅迄約1時間半も要した。在来線利用の新幹線だから已むを得ないだろうが、遅いと感じた。途中の駅では臨時停車し二度も上り列車を待った。単線の故か。
 時々同じ在来線利用の山形新幹線にも乗るがそう遅いと感じたことはない。慣れの差だろうか。そんなことを考えながら、先ほど男鹿の道の駅で求めた地酒と海産物で、一人晩酌をした。(2022/9/24 K.K. 1472/1500)

◇日時 2022/09/11 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 男鹿市観光課「男鹿半島」 ◇歩行距離等 7,000歩 5㎞ 
「通過時間等」自宅8:00-JR上野駅9:14-同秋田駅13:46-同男鹿駅14:35/15:38-同秋田駅16:40=宿泊先16:50

旧江戸川乱歩邸を見学し、池袋駅周辺を歩く

 旧江戸川乱歩邸が池袋の立教大学キャンパス傍にあると知った(22.4.11讀賣)。1万冊以上の蔵書もあるという。私には、江戸川乱歩と言えば、怪人二十面相や少年探偵団、明智小五郎を思い出させる。中学1年の頃校内図書館に揃い、借りては貪り読んだと思う。司書さんに校内一の借り手と言われたことがあった。旧江戸川乱歩邸は月曜日、金曜日の11時からの公開で、開館の日時に合わせた。

 立教大学、旧乱歩邸 池袋駅西口から立教大学へ歩いた。少し距離があり立教通りへ左折し、正門前へ(写真上)。大学キャンパスらしい校舎が両側に並ぶが、今時都心なのに高層でもなく伝統を感じさせる。ミスターが有名だが、少なくない高校同級生や知人がこの大学で学んでいる。
 右折した先の郵便局前が旧江戸川乱歩邸であった。受付もなく、玄関へ入ったら屋内へ上がることは出来ないとある。建物外側からガラス越しに立派な応接間を覗く。推理作家仲間との社交場であったという。隣の和室が執筆室だったようで、本日管理人らしい方がおられた。その裏の土蔵を入口から覗くと、蔵書が1、2階にびっしり並んでいた(写真中)。

 若き日、少年探偵団等を読んで知った“弓手(ゆんで・左手のこと)”の語があった。少年探偵団の小林少年が犯人を洞窟へ追跡し、その時の謎解きのキーワードだったと思う。そんなこと思い出しながら、旧邸を外側から眺め邸外へ出た。

 美久仁小路を歩く 先日テレビで徳光アナの路線バスの旅を観ていたら、池袋駅前繁華街に“美久仁小路”が映し出され、青江三奈が唄う“池袋の夜”にも唄われていると徳さんが紹介した。彼は立教出で、当地は詳しいと本人の言。

 確かめようと、東口から歩く。途中の案内図に見付け、探し当てた。両側に飲み屋が並ぶ小さな飲食街通りで(写真下)、昭和の夜の街。この時間開いている店はない。カメラに収めて、近くの栄町通りから駅東口へ戻った。

 梟像に再会 池袋駅には梟の像があった筈と、駅構内へ入ると偶然像が正面にあった。何年振りの再会だろうか。記憶では狭い通路にあったと思うが、コンコース風の通路内である。梟さんへ向けシャッターを切った。傍にいた方は動いてくれ、頭を下げた。
 池袋は久しぶりで、今回は板橋区役所前からバスに乗り池袋駅西口に降りた。そして、旧乱歩邸開館時間に合わせて、駅前の銀行に寄り用事を済ませ、駅前を歩いた。
 帰宅後、青江の“池袋の夜”を聴くと件の小路はあった。(2022/9/20 K.K. 1471/1500)

しながわ花海道から旧東海道を歩く

 キバナコスモスが咲いたとの新聞情報を見付けた(22.8.22朝日)。場所はしながわ花海道で、昨年普通のコスモスを鑑賞した地(21.10.16)。キバナコスモスは数年前、木場公園で出会って以来、大好きな花となった。黄色も濃く橙色のコスモスで、一群で咲き揃う花畑は美しくも品があり、魅せられてしまった。
 京急鮫洲駅からしながわ花海道、そして区民中央公園へ歩こうと思う。

 鮫洲駅から歩く 三田駅で、都営三田線から京急線に乗り換えた。品川駅を過ぎると鮫洲駅は近く、降りて八幡神社を探した。昨年見逃し今回は挨拶しようと思う。駅近くの小路奥にあり、手を合わせコロナ退散をお願いした。境内には、池を前に厳島神社、漁呉玉神社の小社が並んでいた。
 キバナコスモス花海道 参道からしながわ花海道へ向けと歩くと、手前に小公園がありキバナコスモスが咲き出迎えてくれた。直ぐ勝島運河で、見覚えのある小港風景。運河土手に花壇が細長く続き、キバナコスモスがほぼ満開。カメラを構えながら花壇の上下を歩く。花の色の濃さや咲き具合も同じではないと気付いた。花壇は各商店街や各町内会が整備、運営しているようで、花の咲き具合は一様でない。私は濃い目のキバナコスモスが好きで(写真上)、探してはシャッターを切った。立会川が近くになって、花海道も終わりとなり、土手を下りて商店街を歩いた。

 区民公園は工事中 競馬場通りへ左折し、しながわ区民公園だが工事中で閉鎖中。海岸通りへ入ると左手は大井競馬場。存在は知っていたが縁はなく、羽田空港行き東京モノレール線の車窓から眺めた程度。
 区民公園への入口があり入園。園内には、遊園地やバーベキュー広場がある。広い公園で、道路高架下を抜けると和風庭園のような風景。私は、緑地高台の木陰の径へ上がり、僅かながらハイキング気分を味わう。暑さも感じない。公園南端のしながわ水族館の外側を回って、第一京浜国道へ至った。

 旧東海道を歩く ここで、鈴ヶ森から旧東海道を歩くことにする。直ぐ刑場跡で(写真中)、昨年も寄ったので素通りし、旧街道を上る。以前に品川宿から当地まで歩いたことがあるが、品川宿辺りは宿場町の面影を遺していたが、ここらは普通の街道筋。立会川に架かる浜川橋を渡る。なみだ橋との案内があり(写真下)、鈴ヶ森処刑場への罪人を送って来た家族達が、涙ながらに別れた場所との説明。
 旧東海道を離れ京急立会川駅へ向かうと、途中に坂本龍馬像があった。昨年掛けていたマスクは外していた。(2022/9/16 K.K. 1470/1500)

◇日時 2022/08/29 ◇天候 晴れ ◇交通費 320円 ◇資料 「キバナコスモス秋の風情を感じて」22.8.22朝日 ◇歩行距離等 13,000歩 10㎞ 
「通過時間等」自宅8:15-京急三田駅9:12-同鮫洲駅9:40=八幡神社9:45=しながわ花海道9:50=大井競馬場横10:15=しながわ区民公園10:20=鈴ヶ森10:45=京急立会川駅11:12-三田線三田駅11:33-自宅12:25

JR烏山線を宇都宮から乗り鉄して往復する

 鬼怒川温泉宿泊の翌日は、JR宇都宮駅へ出て烏山線乗り鉄とした。烏山線は二度目で、烏山城跡を訪ねた際に乗車している(06/5/3)。烏山は、小さな山峡の街並であったと思う。朝、東武鬼怒川線下今市駅からJR今市駅へ歩いて日光線で宇都宮駅に着き、烏山行きに乗った。そう待つことなく、予定通り各線に乗り換えることが出来た。

 田圃は初秋か 定刻通り宇都宮駅を発車。女性運転手である。最初の二駅は東北本線で、宝積寺駅から分岐したのが烏山線と知る。烏山駅以外は全駅名忘れていた。既に列車は水田地帯を走り、良く見ると黄ばんでいる田圃もある。未だ9月前で、早生種かなと想像した。進行右手先に筑波山山姿を遠望し、関東平野の北端を走っているようだ。平日のローカル線は乗客が少ない中、仁井田駅では高校生らしき男女数人が下車して行った。近くに学校があるのだろうが、駅付近には見えなかった。

 2度目の烏山 列車の両側に林や里山が迫り、大金駅付近ではトンネルを抜け、滝駅を通過し、思い出した。烏山城跡見学の後、持参したガイドマップ(駅からハイキング「歴史の街・烏山散策」2003年96頁)に沿い、市街から龍門の滝へ歩き滝下へ出て、高さ20m、幅65mの大滝を眺め驚いたのであった。車窓から確かめ、復路で江川の流れに滝上の横直線が見えた。那珂川の支流で、那珂川でアユ釣りをしている友人は、今年は雨の増水で二度だけと嘆いていた。
 50分程で終点烏山駅に到着(写真上、中)。駅舎は建て替えられて前回とは違い、駅前風景も記憶から飛んでいた。城跡は右奥の山麓であったと思う。調べると那須烏山市で、北の山裏は那須黒羽、東側先は茨城である。
 Uターン列車に乗り、宇都宮駅へ。烏山線7駅には七福神が割り当てられて、それぞれ駅名と七福神キャラが共に付されている(写真下)。復路は列車スピードが速く感じ、私は山からの下りだからと思ったが、実際の所要時間はそう違いはなかった。

 宇都宮線快速利用 宇都宮線を往復した。久しぶりである。快速に乗り、車窓風景を眺めて、これまで歩いた山歩き里歩きが浮かんだ。小山駅は、水戸線や両毛線のターミナルでもあり、沿線には城跡や史跡も多い。また小山付近は、首都圏自然歩道“関東ふれあいのみち”栃木県コースの要所で何回も乗降した。古河もその例で、野木にはひまわり畑があった。今では、宇都宮線は便利になり、11時半過ぎ烏山駅から乗り宇都宮駅経由で、赤羽駅着は14時であった。(2022/9/3 K.K. 1469/1700)

◇日時 2022/08/22 ◇天候 晴れ ◇交通費 3,530円 ◇資料 JTB時刻表拡大図(関東・甲信越地方)◇歩行距離等 5,000歩 4㎞ 
「通過時間等」 鬼怒川宿泊先8:35-東武ワールドスクウェア駅8:49-JR今市駅9:46-同宇都宮駅10:33-同烏山駅11:39-同宇都宮駅12:35-同赤羽駅14:06-三田線新板橋駅14:23-自宅14:50

JR日光線に乗り杉並木を歩く

 長男家族から鬼怒川温泉行の誘いがあった。孫達の夏休み旅行で、何年か振りである。数年前までは裏磐梯高原や那須野に泊まり山形の兄達も一緒に楽しんでいた。長男の車ではなく、私は、一人電車と伝えた。最近里歩きに代え近郊の乗り鉄をしているが、日光線や烏山線の乗り鉄も考えていた。馴染みの薄い路線であり、宇都宮から左右に北関東を走り、日帰り可能である。

 宇都宮駅から日光線 JR板橋駅から赤羽駅へ出て、宇都宮行き快速へ乗車。1時間30分弱で着き、日光線に乗り換えた。日光線ホームへ下りると広い上に、独自の待合室もあり、日光線の歴史を感じさせる。駅構内から直ぐ宇都宮市内となり住宅街を走った。日光線は宇都宮駅と日光駅を結ぶ40.5㎞、7駅の単線である(写真上)。初めての乗車ではないが、乗り切りは一度位だろう。鶴田駅の次は鹿沼駅だが、郊外へ出て田園地帯というよりは山間に近い風景の中に、屋敷森や竹林も見える。しかも、大分距離があり、ようやく鹿沼駅に着いた。鹿沼市には、東武鉄道新鹿沼駅もあり、こちらが表玄関であろうが、小さな駅舎。右手に見える低山は宇都宮アルプスと呼ばれる山々であろう。歩こうと一度は検討したが、アクセスが悪かったと記憶している。

 鹿沼駅、日光駅 次は文挟駅で、左手に例幣使街道杉並木が見え始めた。昨年末歩いて大失敗した地だ。杉並木を抜けて東武北鹿沼駅を探し損ね、地元の親切な方に車で東武新鹿沼駅へ送って貰ったのだ。長い杉並木を見ながら文挟駅を過ぎた。下野大沢駅、今市駅、今度は杉並木を右に見て、日光駅であった。駅舎は洋風の二階建てのモダンなもので、大正ロマンという(写真中)。寡って日光に御用邸がありそのためか、貴賓室も遺っている。

 日光杉並木を歩く 私は、東武日光駅へ急ぐ。次の東武上今市駅で降り、杉並木へ向けスタート。東武線路沿いに戻り水車園。様々な形状の水車が設置されているが、一部が壊れている。最近の洪水の影響だろう。古民家江連家を眺めて、日光街道杉並木の中へ入り、歩き出す。杉の古木達は健在で、時々は大木を見上げながら薄暗い街道を一人行く(写真下)。三度目だろうが何時以来か。歴史遺産に、先人の偉業に感謝である。出口にある瀧尾神社に挨拶して、孫達が待つ鬼怒川温泉へと市内に東武下今市駅を探すが簡単ではなかった。最後は地元の方に詳しく教えて貰い、駅へ着いた。反対側も道のない駅裏側へと迷っていた。
 久しぶりの孫達との夕食はブッフェスタイルで、互いに取り合い交換し、様々な料理を頂いた。私と長男はアルコールも楽しんだ。(2022/9/1 K.K. 1468/1500)

◇日時 2022/08/21 ◇天候 曇り ◇交通費 2,270円 ◇資料 JTB時刻表拡大図(関東・甲信越地方)◇歩行距離等 13,000歩 10㎞ 
「通過時間等」自宅10:20-JR板橋駅10:56-同赤羽駅11:25-同宇都宮駅13:07-同日光駅13:50=東武日光駅13:55-同上今市駅14:10=日光杉並木14:20=瀧尾神社14:40=東武下今市駅15:50-同ワールドスクウェア駅16:20=宿泊先16:25

森林が繁る港区の自然教育園を巡る

 一時の猛暑は緩んだが暑いことには変わりはない。暑さを避ける里歩きも難しい。そんな中、森林公園を歩き。せめて太陽を遮るコースにしたい。都内やその近郊では、林試の森公園や自然教育園、そして武蔵丘陵森林公園が浮かんだ。いずれも訪ねたことがあり、森や林内のルートを巡る。先ずは近くの港区白金台にある自然教育園から歩こうと思う。隣には都立庭園美術館がある。

 白金台駅から自然教育園へ 最寄り駅白金台駅は、我が家から三田線で一本である。処が乗った電車が手前の高輪白金駅止まりで、乗換えた。白金台駅構内は広く上下のエスカレータがあり、私には好都合。
 地上へ出て、自然教育園の方向を確かめスタート。目黒通りで、左の目黒方向へ歩き、交差点を渡ると前方に高い樹々が見え始めた。園に着いて入園するが、私のような高齢者は無料であった。園は広く20万坪とある。

 樹々が覆い繁る園 路傍植物園を行くとクヌギやコナラ、スダジイの広葉樹の古木が覆い薄暗い位。とても都内の中心とは思えない樹林が繁る(写真上)。足元にはコバギボウシの花が咲き、歓迎しているよう。土塁跡が遺り、室町期には白金御殿という館があったという。
 水鳥の沼へ左折。沼は綺麗ではない。隣のいもりの池も同様で、自然の儘のよう。池端の遊歩道は私一人で、山中のハイク気分。倒れた儘の松の木は“おろちの松”とある。道端には、先程のコバギボウシが咲いている(写真中)。

 牛蛙の聲を聞く 武蔵野植物園へ入る。木立と夏草が覆い繁っている。隣の高速道路がなければ、寡っての武蔵野を歩いている感じだろう。こちらは家族連れと交差する。広場を過ぎて小径を進むとまた人影はない。水生植物園とあり、この時期は湿地帯。Uターンして、入口へ戻ろうとしたら、案内が違う。知らず知らずに水生植物園を半周していた。それでも、半信半疑で反対側へ進む。池で鳴く独特の聲は牛蛙と気付いた。久しぶりに聞く聲である。ひょうたん池先にある松は“物語の松”(写真下)とあり、当園が江戸期高松藩松平家下屋敷の名残とある。
 先ほど沼へ左折した地点に至り、路傍植物園内を戻った。管理棟の隅で、シャツを着替える。暑さは感じなかったが、汗は滲んでいた。昼食の約束があり、少し遅れるとメールし、園を出て、目黒通りを白金台駅へ歩いた。昨夜台風8号の接近情報があったが、反れたようだ。(2022/8/26 K.K. 1467/1500)

◇日時 2022/08/14 ◇天候 曇 ◇資料 国立科学博物館「自然教育園」2021.12版 ◇歩行距離等 9,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅9:10-三田線白金台駅10:15=自然教育園10:30=武蔵野植物園10:45=水生植物園10:55=自然教育園11:15=三田線白金台駅11:26・・・自宅13:45

上野不忍の蓮池から本郷へ歩く

 本記録の読者から上野不忍池に蓮の花が咲いたとメールを貰った。私の蓮の見学予定先に不忍池はなく、ネットで調べるとその通りで、ある日出掛けようと天気を調べると台東区には雷のマークがあり断念した。その後8月になってしまったが、未だ間に合うとの情報に接した。上野不忍池は近い。池之端の無縁坂から本郷給水所公苑へ歩くことにした。

 不忍池は蓮池 いつもの通り春日駅で大江戸線に乗り換え、上野御徒町駅に降りて広小路へ出て歩くと鈴本演芸場前を通る。落語の常設館はここかと思いながら、上野公園手前で左折すると、直ぐ不忍池。

 目の前の池には一面蓮の葉が覆っている。花はポツリポツリで探さないとお目に掛れない程度。でも、ピンクの花は美しい。もっと花が目立つ池端はないかとカメラを構えながら池沿いに進む。似たような蓮池風景であるが、花を見付けてはシャッターを切る(写真上)。それにしても、蓮の葉の勢いは半端ではない。上野動物園が不忍池迄広がってあり、池には近付けないと知った。池中にある弁天堂に参拝し、裏へ出たが池の風景はそう変わらない。池中の遊歩道を池之端方面へ戻る。水路に白い鳥を見たが鷺だろうか。

 無縁坂 東天紅ビル先の交差点を渡って、無縁坂へ向かう。左手奥にある旧岩崎邸の入口を過ぎると同邸のレンガ塀が続き、無縁坂となる。塀に沿い緩い坂が上方に続いている(写真中)。嘗て森鴎外の散歩コースで、作品にも登場した坂と案内にあった。坂上にあった無縁寺の由来らしい。

 本郷給水所公苑 東大病院から麟祥院先で春日通りへ上がり、警察署前で本郷へと左折する。初めて歩く通りだが都内の風景はそう変わりはない。正面の高いビルは順天堂大か。本郷通り・旧中山道とクロスし信号を待って横断して、右手の小路へ入る。山勘通り本郷給水所公苑で、入苑。明治からあった配水池上に造った緑地公苑で、樹林と花壇のある緑地帯だが、この時期咲く花はない。神田上水溝遺構の一部が展示してあった(写真下)。
 昨年訪ねた芭蕉句碑のある昌清寺は近い筈とウロウロしたが至らず、高校裏の坂を下ると外濠通りと神田川。そして、三田線水道橋駅へは直ぐであった。(2022/8/19 .K. 466/1500)

◇日時 2022/08/06 ◇天候 曇 ◇資料 昭文社「東京都市図35本郷」20004.4版 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅8:15-大江戸線春日駅8:55-同上野御徒町駅9:05=不忍池9:15=弁天堂9:25=無縁坂下9:45=春日通り10:00=本郷給水所公苑10:15=三田線水道橋駅10:41-自宅11:20

大宮から船橋へ東武野田線を乗り鉄する

 東武野田線は、里歩きなどで乗ったことがあるが、大宮駅から船橋駅までは乗ったことがない。当初柏駅までと思っていたが、その先の船橋駅まで東武野田線と知り、この際乗ることにした。35駅、62.7㎞で、東武アーバンパークラインとも呼ばれる。本日、友人の墓参があり、東武野田線川間駅に仲間が集合し、その前後の乗り鉄である。

 大宮駅から東武野田線 私はバスでJR埼京線浮間舟渡駅へ出て、大宮駅から東武野田線に乗った。久しぶりの乗車で、車窓の景色も馴染みがない。
 七里駅、岩槻駅、そして春日部駅。岩槻は城跡が遺る歴史の街で二度訪ねているが、10年も前だろう。春日部駅は東武伊勢崎線と交差し大きな駅である。奥の細道第一夜宿泊の地だが足跡はなかった。川を渡って川間駅で下車。川は江戸川であった。
 友人の墓参は、50年来の仲間10人集まり、昨夏旅立ったAさんを偲び、早めの旅立ちを悔みながら手を合わせた。奥様の案内で、昼食して追悼し、また仲間達の健在をも確かめあった。

 柏駅で乗換え 清水公園駅(写真上)から東武野田線に再乗車。野田市内を走り、右手は大手醤油会社の工場群。一緒のHさん夫妻に紹介した。運河駅を通過し、江戸時代利根川と江戸川を繋いだ運河が今も遺る。柏駅で茨城へ帰るHさん夫妻に挨拶して別れる。
 船橋駅、本八幡駅 私は、船橋行急行に乗る。途中まで一度位は乗ったと思うがほぼ初乗車。通過する駅名も未知のものばかり。周囲は住宅街が多く、ベットタウンだろうか。急行は速く20分程度で、船橋駅に着いた。ここからは京成船橋駅(写真中)へ歩いて、都営本八幡駅へと先ほど車内で思い付いた。船橋での乗換えは駅が離れ、JR総武線船橋駅もあり少し戸惑ったが、その後はスムーズに済み、三田線神保町駅へ向かった。

 我が仲間とAさん 本日の墓参は、かぼちゃ会で行った。メンバーは8家族16人であったが、2人早世してしまった。先ほど通過した北大宮駅傍に勤務先の独身寮があり、その時一緒に暮らした仲間である。皆地方出で、夜学に通っていた。麻雀もやり情報交換して親交が深まった。結婚後家族で年一回温泉旅行を恒例とした。子供達が独り立ちしてからは、夫婦連れの集まりとなったが、ここ2年間はない。
 Aさんは勉強家で麻雀をやりながらも、都の上級試験を通り幹部になられた。私は、一緒に尾瀬を歩き、槍から穂高を縦走し(写真下)、その後はゴルフも楽しんだ。数年前病魔に襲われてしまった。残念至極である。墓参が叶い、安らかな眠りを祈るばかりである。(2022/8/11 K.K. 1465/1500)

◇日時 2022/07/25 ◇天候 晴れ ◇交通費 1,310円 ◇資料 JTB時刻表拡大図(東京付近)◇歩行距離等 7,000歩 5㎞ 「通過時間等」自宅9:00-JR浮間舟渡駅9:40-東武野田線大宮駅10:15-同川前駅11:00・・・東武野田線清水公園駅13:06-同柏駅13:42-京成船橋駅14:13-都営新宿線本八幡駅14:33-三田線神保町駅15:08-自宅15:50

山形本場の紅花畑から天童舞鶴山を訪ねる

 友人Sさんから車で山形行きのメールがあり、飛び付いた。天童へサッカー観戦で、便乗をお願いし、OKを貰った。この時期山形では紅花が咲く頃で、ネットで調べると紅花の里高瀬でお祭り開催中と知り、グッドタイミング。それから天童の舞鶴山を歩きたい。人間将棋で有名だが、小学4年時の遠足先であった。

 山形高瀬紅花の里 高島平を5時過ぎに出発し、山形北ICを降りたのは9時頃であった。山形市郊外の高瀬地区は、私は初めての地で、カーナビは正確で高瀬地区に入り、紅花祭りの幟が見付かった。駐車場を出て、紅花畑を巡る。畑4枚程に紅花は咲いている。黄色の中に濃い橙色の紅花色が混じる(写真上、中)。私はSさんに先行し、畑端の野良道を出入りして、紅花の間を巡り歩く。
 しかし、少し物足りない。本場山形も高瀬の紅花の里としては、栽培の花が少ないのではなかろうか。アングルを探してはシャッターを切った。周囲一面咲き誇る紅花風景は、期待しすぎだろうか。祭りが始まり、紅花娘より紅花の束を貰った。後に、奥に高沢会場もあると知り、そちらが広い紅花畑らしい。

 天童舞鶴山 車は便利で、未だ雪を被る月山を確かめながら。高瀬から天童、東根を通り、村山富並の蕎麦屋で昼食を取る。店主の同級生は、元気に接客してくれた。病気上がりと聞いて心配していた。
 天童道の駅に下ろして貰い、舞鶴山へ向け歩き出す。舞鶴山は天童市内にある弧峰の里山で、公園である。東山裾の愛宕池へ上がり半周。近くに当地出身佐藤千夜子の顕彰碑があった。わが国最初のレコード歌手で有名。
 坂を上がり、ジグザク階段から峰へ出た。舞鶴山は約70年振りか。東根から遠足で来て、将棋駒作りを見た後、天童温泉千人風呂に入ったと思う。往復約20㎞徒歩であった。

 山頂の神社は時間なく諦め下る。今春は当地で人間将棋があり藤井聡太五冠が指したと知ったが、私は建勲神社へ向かう。芭蕉句碑があり、西山裾の翁塚は訪ねたが未訪であった。神社に参拝。信長が祭神で、幕末の天童織田藩主が祀ったという。句碑“原中や物にもつかづ鳴く雲雀”(写真下)が隣にあった。旧13号羽州街道へ出て、天童駅へ歩いた。途中は芭蕉達が歩いた奥の細道で、“行く末は誰肌にふれむ紅の花”の句碑や曾良日記を刻んだ碑もあった。
 天童駅の次の乱川駅に近い同級生で読者のAさん宅に寄る。美容の仕事の合間に缶ビールを冷やし待っていてくれた。郷土料理でビールを戴きながら、友人達の消息等を交換した。21時過ぎ天童南駅で、Sさんに拾って貰い帰途に就いた。Sさん、同級生の皆さんお世話様でした。感謝です。(2022/7/30 K.K. 1464/1500)

◇日時 2022/07/10 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR分340円 ◇資料 「第37回紅花まつり」 ◇歩行距離等 16,000歩 12㎞ 「通過時間等」自宅高島平5:10-高瀬紅花の里9:40/10:10-富並そばの陣11:25/12:30-天童道の駅13:30=佐藤千夜子彰碑14:00=舞鶴山14:20=建勲神社14:40=JR天童駅15:09-Sさん宅15:25/18:30-JR南天童21:30-自宅01:30

りんかい線からゆりかもめ線へ乗り鉄を楽しむ

 梅雨、そして猛暑日に至り里歩きも容易ではない。こんな時期は、乗り鉄はどうか。車内は雨も凌げ、冷房が効いている。先日のJR鶴見線のように、近場でも未乗車の路線はある。東京湾を横断するりんかい線がそうで、手前を走るゆりかもめ線へ乗り継げば、それなりの乗り鉄を楽しめよう。りんかい線は1996年開業で8駅、12.2㎞と知る。

 りんかい線は地下か りんかい線は大崎駅から新木場駅迄走り、山手線目黒駅から大崎駅へ出て、新木場行きりんかい線に乗車(写真上)。通勤時間が過ぎたと思うが車内には立っている人も多い。
 大井町駅、品川シーサイド駅を通過したが地下を走り、予想と違い東京湾は望めない。天王洲アイル駅を過ぎても依然として地下。国際展示場駅先から地上へ出て、ビル群の間を走った。先頭車両へ出ると運転手はおらず、走っている(写真中)。そして新木場駅へ滑り込んだ。見覚えのあるホームから改札口で、有楽町線と同じホームのようだ。

 ゆりかもめ線へ乗り換え 新木場駅から国際展示場駅(写真下)へ戻り、ゆりかもめ線16駅14.7㎞へ乗り換える。ゆりかもめ線有明駅をようやく探し当てた。両線間の乗換は想定外のようで、案内は半端で簡単ではなかった。
 豊洲行きに乗り、両側は都の市場で、大分整備されたようで、大型市場ビルが開業しているよう。以前乗った時の風景は、移転計画段階で未整備の海浜の如くであったと思う。ゆりかもめ線は孫達と乗り、東京湾を眺めたことがあった。

 レインボーブリッジを渡る 新橋行きに乗って戻る。有明駅を過ぎ、眼下に風景を眺めて、色々思い出した。南極観測船宗谷を展示している埠頭がある筈だが、確認できない。台場駅付近で、チラッと自由の女神像が見えた。何故此処に、である。
 お台場公園は有名であり、幕末の江戸湾防御遺跡で、訪ねたことがある。そしていよいよレインボーブリッジ。東京湾お台場地区に架かる800mの吊り橋。ゆりかもめ線や車道の外、遊歩道もあり徒歩で渡ったこと(16.3.17)もある。
 芝浦、日の出、竹芝各駅から汐留駅、新橋駅であった。新橋は久しぶりで、JR新橋駅前広場で機関車を確かめて、飲食街を抜け、三田線内幸町駅へ歩いた。(2022/7/21 K.K. 1463/1500)

◇日時 2022/07/04 ◇天候 小雨後曇り ◇交通費 860円 ◇資料 JTB時刻表拡大図(東京付近) ◇歩行距離等 5,000歩 4㎞ 
「通過時間等」自宅8:50-JR目黒駅10:00-りんかい線大崎駅10:05-同新木場駅10:33-ゆりかもめ線有明駅10:48-同豊洲駅10:58-同新橋駅11:35=三田線内幸駅11:45-自宅12:30

茨城に酒列磯前神社、大洗磯前神社を巡る

 テレビの旅番組であったと思うが、数年前常陸三名社巡りを観て、酒列(サカツライ)磯前神社、大洗磯前神社を知り、そのうちに参拝したいと思っていた。茨城県阿字ヶ浦町と大洗町にあり太平洋寄りで、アクセスが良くなく、後回しになっていた。御岩神社は、偶々少し前に訪ねていた(17.12.9)。

 樹木のトンネル参道酒列磯前神社 常磐線特急を水戸駅の次の勝田駅に降り、ひたちなか海浜鉄道に乗り換え、最寄り駅磯前駅へ向かう。子供達が幼い頃、阿字ヶ浦へ海水浴に来た時乗ったと思う。工場地帯から田園地区を走り、磯前駅に下車。案内はなく一度尋ね、集落内で左折した先が参道口であった。参道は亜熱帯樹林に覆われたトンネル(写真上)。樹齢300年の椿やタブノキ、スダジイ等の下を行く。 

 最奥に本殿、拝殿が鎮座し(写真中)、静かな中参拝。856(斉衡3)年創建の古社。変わった社名は、醸造の神、酒の神とあるが由来はない。私の節酒や禁酒には関与しないようだ。奉納された地酒の樽を並べた社殿があり、“白鹿”が目に付いた。灘ではなく当地石岡のもので、商標が被っていることを思い出した。また、社叢のトンネルを戻った。途中の裏参道に海の見える鳥居があり寄ると、阿字ヶ浦港が覗けた。

 参拝者が多い大洗磯前神社 ひたちなか海浜鉄道磯前駅から那珂湊駅へ出て、タクシーで大洗磯前神社を目指すが、運転手は道路が混んで行けないとの返事。大回りして貰うことになり、那珂川上流の橋を渡り迂回して大洗へ入り、神社下に降りた。当社は土産店等もあり参拝客も多く、大社のよう。先ずは海岸へ出て、神磯の鳥居を眺める。意外に小さい鳥居だがカメラに収めた。

 大鳥居から高くて広い石段を上がって(写真下)、大洗磯前神社拝殿前に進み、他の参拝者に交じって手を合わせる。酒列磯前神社と創建時を同じくする兄弟社のようだが、規模、否格違いにも見える。黄門様も崇拝し、“あらいその岩にくだけて散る月を一つになしてかへる月かな”と詠んだとある。
 参拝者用バスも往復する裏参道の坂を下り、バス停でバスを待つ。通りは相変わらず混んでいて、バスは来きそうもない。反対側のバス運転手が声を掛けてくれ水戸駅行きで、乗車。お陰で、早めにJR水戸駅に着き、弁当と地酒を求めたが、石岡白鹿はないと言われた。品川行き特急に乗り、呑み鉄を開始した。(2022/7/14 K.K. 1463/1500)

◇日時 2022/06/26 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス+列車、バス、タクシー代3280円 ◇資料 大洗磯前神社へのアクセスマップ外 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅7:40-JR上野駅9:00-ひたちなか海浜鉄道勝田駅10:43-同磯前駅11:07=酒列磯前神社11:25/11:50=磯前駅12:07-那珂湊駅12:20-大洗磯前神社12:40/13:20-JR水戸駅14:27-同上野駅15:38-三田線巣鴨駅16:00-自宅16:30

JR大船渡線を乗り切り、花巻へ

 大人の休日俱楽部パス2日目、本日はJR大船渡線乗り鉄から釜石経由で花巻へ出て、城跡見学の予定。大船渡線の気仙沼駅から先は初めての乗車で、何故か一度は乗ってみたく、また訪ねたい地である。宿泊地一ノ関は北東北の玄関口で、新幹線も停まり便利な地。駅前のホテルには一度泊ったことがあった。

 大船渡線今はバス 朝7時気仙沼行きに乗った。ここからJR大船渡線であるが、気仙沼駅、一ノ関駅間は一度乗った。気仙沼駅に着いてバスへ。BRT路線、震災後はバス路線だが、最初と最後は線路跡のよう。途中では高速のような道路も走った。やっぱり列車旅の雰囲気はない。陸前高田付近は、未だ整備中のような地域で建物も少ない。そんな中奇跡の一本松が見えた。現在では枯れてモニュメントと報道された。碁石海岸駅を過ぎた大船渡付近は、右手海側は漁港や水産会社が並んでいる。私には縁はなく、有名なバトミントン選手と結婚した演歌歌手の出身地位の知識だ。終点盛駅(写真上)に着いて、三陸鉄道乗換だが駅が違い戸惑った。

 三陸線で釜石へ 三陸線を釜石駅迄乗る。盛駅から三陸線は左へ走ると思ったが、途中までは大船渡線と並行し途中から左へ大きくカーブした。三陸線はリアス式海岸を走った。山間を過ぎ小さな入江が見えると駅で、これを繰り返した。恋し浜駅では長めの停車で(写真中)、入江景色を眺める時間があった。釜石駅で、JR釜石線へ乗り継ぎ花巻駅へ向かう。途中遠野を通過、当地以外は山中を走って、JR花巻駅に着いた。

 花巻城跡を見学 花巻城跡は、JR東北本線花巻駅から奥州街道を10分程度歩いた先の丘上にあった。戦国期は鳥谷ヶ崎城と呼ばれ、当地の豪族稗貫氏の城であったが、秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため、1590(天正18)年の奥州仕置きで領地が没収されてしまった。和賀氏と稗貫氏が一揆を起こし、鳥谷ヶ崎城を含め稗貫氏の旧領も一時は和賀・稗貫勢の手に渡ったが、翌1591(天正19)年、再仕置軍の侵攻により一揆は鎮圧された。そして稗貫郡は南部領と決められ、南部信直の代官北秀愛が城代として入り、城の改修が行われ、花巻城と改められたという。
 高台の城跡は、現鳥屋ヶ崎公園で、本丸跡が遺り、西御門が復元されていた(写真下)。中は広い平地で一回り。本丸井戸跡や台所門跡がある。当方の土塁越しの先は北上川だろうが、町家が密集し見えない。本丸跡を出て二の丸跡から濠を覗くと、今も水を湛え深そう。駅へ戻り、東北本線で北上駅へ出て、新幹線で帰京した。(2022/7/8 K.K. 1461/1500)

◇日時 2022/06/24 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 花巻市教育委員会「花巻城」 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」宿泊先7:00-JR一関駅7:19-同気仙沼駅9:04-三陸線盛駅11:08-JR釜石駅12:11-同花巻駅14:10=花巻城跡14:20/14:35=JR花巻駅15:06-同北上駅15:30-同上野駅18:10-三田線巣鴨駅18:20-自宅18:50

福島に猪苗代城跡、棚倉城跡を訪ねる

 JR東日本大人の休日俱楽部のパス利用期間になり、今回の行く先はほぼ決まっていた。東北中心で、初日は城跡巡りとし猪苗代城跡と磐城棚倉城跡。東北新幹線郡山駅を挟んで、左右に位置するが、一時間程度の距離である。未訪の城跡で、水郡線沿線にある棚倉城跡はアクセスが良くなく路線検索をし、猪苗代城跡を先にした。

 戦国期からの猪苗代城 郡山駅で新幹線から磐越西線に乗り換え、1時間弱で猪苗代城駅に着いた。折よくバスがある。乗客3人のバスは病院を回り市街地中心に入って、亀ヶ城口で下車。徒歩でも駅から30分だがこの時期歩くのは辛い。左手の奥だろうと入ると学校先に緑地帯の高台が見え、稲荷神社の並びが城の入口であった。
 石垣と土塁で桝形の面影があり(写真上)、案内もある。緩い坂を上がり、二の丸跡から本丸跡。現在では何もないが土塁に囲まれた郭跡が遺っている。

 猪苗代城は、戦国期会津黒川城主芦名氏を主家とする一族で、猪苗代氏を名乗っていた盛国が拠っていた。伊達政宗の調略を受け、主家を捨てて政宗の味方となり、1589(天正17)年の摺上原の一戦では激戦の末政宗が勝利し、芦名氏は会津から常陸へ落ちた。その後は会津若松城の支城として、一国一城令下でも例外として存置されたという。会津鶴ヶ城から本城は亀ヶ城というらしい。摺上原は磐梯山の山麓で、当城より西側と知る。
 本丸跡から二の丸跡を出て空堀跡を通って、隣の亀ヶ城稲荷神社に挨拶し、バス停へ戻った。城内に野口英世の像があった。彼は猪苗代の出身で、街中には通った学校跡もあった。

 江戸期築城の棚倉城 郡山駅へ戻り、水郡線で磐城棚倉駅へ向かう。水郡線は2度目で水田、里山、そして山間を進む。約1時間乗車し、磐城棚倉駅。磐城山地の小盆地で、駅前案内で位置を確かめ、街の中心を通り城跡を探す。なんとか現公園に辿り着いて、濠を渡って登城(写真中)。現在も四方内堀に囲まれている。中心は本丸跡で、現在も高い土塁が巡っている。こちらも亀ヶ城とある。当地は常陸から奥州への関門で、1622(寛永元年)年幕府命令で初代藩主5万石の丹羽長重が築城開始し次の内藤氏の時完成した近世の城。天守閣はない。戊辰戦争では、官軍の来襲を受け最後の藩主阿部氏は、城に火を放って壊走したのが知られる。
 土塁上から濠を覗き(写真下)、また濠端を歩き、城の往時を忍んで下城し、時の鐘を眺め秋葉神社に寄り、駅へ戻った。水郡線、新幹線で宿泊先一関へ向かう。棚倉と郡山で呑み鉄用地酒小瓶を求めた。(2022/7/5 K.K. 1460/1500)

◇日時 2022/06/23 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス+バス代400円 ◇資料秋田書店歴史と旅「日本城郭事典」上95頁、下91頁 ◇歩行距離等 18,000歩 13㎞ 「通過時間等」自宅6:40-JR上野駅7:46-同郡山駅9:15-同猪苗代駅10:15-亀ヶ城口バス停10:25=猪苗代城跡10:35/11:05=亀ヶ城稲荷神社11:10=亀ヶ城口バス停11:25-JR猪苗代駅11:58-同郡山駅13:43-同磐城棚倉駅14:50=棚倉城跡15:05=時の鐘15:40=JR磐城棚倉駅16:21-同郡山駅17:50-同一関駅19:05=宿泊先19:10

紫陽花を探し北の丸公園から大手門へ歩く

 6月も半ばになり、紫陽花情報も目に付く季節になった。待っていましたとばかりにネットから見頃の紫陽花園を探し、千代田区北の丸公園に辿り着いた。江戸城の一画で、現在は武道館が建つが、大半は池を中心に草木の植栽地のある公園。そして、皇居東御苑へ巡れば、自然の中に花を楽しめるだろう。

 北の丸公園と紫陽花 今回は、都営新宿線九段下駅をスタート。いつもは神保町駅からだが、九段下駅からが近いとわかった。駅を出ると靖国通りで、濠が目の前。左手濠端に九段会館が見える(写真上)。昔懐かしい会館が建っている。中学時の修学旅行で二泊した思い出の地で、カメラに収めた。
 田安門を潜って北の丸公園へ。武道館前で公園へ入り紫陽花を探し、池の周りだろうと回り込むが花はない。あってもポツリポツリで、紫陽花の咲く公園とは言えない。もっと先だろうと行くが同じ程度。池端に至り、周囲を眺めまわすが咲いている様子は見えない。

 東御苑は閉園の日 東御苑に期待しようと公園を出て、北桔橋門だが出入り不可で、平川門へ歩く。内濠は広く、流石江戸城。毎日新聞社前を通るのも久しぶり。石碑が建ち、太田道灌築城550年記念とある。当城跡は徳川ばかりが目立つが、道灌がルーツであった。
 平川門への橋口が閉鎖されている。なんと本日金曜日は東御苑閉園の日とある。えっ!である。まさかと疑ったが遅い。そのまま濠端を大手門へ歩く。先ほど来皇居一周ランナーと交差する。少なくない人数で、若い方もいる。平日も午前中、東京は多種多彩な職業の方が多いのだろう。大手門を離れた位置でカメラに写し、地下鉄大手町駅へ向かった。

 文京区あじさいまつり 3日前の14日、Sさんを案内し、文京区にある白山神社を訪ねた。紫陽花の都内の名所である。三田線白山駅を降りると人出は始まっていた。文京区あじさいまつり開催中で、多くの人が短い参道を行き交っている。
 境内へ入ると、紫陽花が咲き、満開に近く見ごろのよう(写真下)。我々は、花を眺めながら広くはない境内を巡る。濃紫や藍、そして白と様々な花が咲き誇り、カメラに収める。社殿前には長い行列が出来ていて、私は列外から目礼をした。裏に聳えるビルは東洋大学で、孫が通っている筈。校内での授業は、今年は順調のようだ。私はほぼ紫陽花に充たされて、三田線で帰宅した。Sさんもそうと思うがどうだろうか。(2022/6/30 K.K. 1459/1500)

◇日時 2022/06/17 ◇天候 曇 ◇資料 昭文社「東京都市図39神田」20004.4版 ◇歩行距離等 7,000歩 5㎞ 「通過時間等」 自宅8:40-三田線神保町駅9:20-新宿線九段下駅9:30=北の丸公園9:40=平川門口10:00=大手門口10:20=三田線大手町駅10:38-自宅11:05

多摩川台公園から六郷用水沿いを下る

 紫陽花の咲く時期になり、都内大田区の多摩川台公園を思い出し、ガイド誌を引っ張り出した。東横線多摩川駅スタートで、神奈川県境に近く、久しぶりに平塚に住む弟を誘った。梅雨の時期で天気予報にも注意し、日時を決め弟へメール。私は、三田線に武蔵小杉行き急行があり、約1時間と分かった。多摩川台公園は再訪である。

 紫陽花咲く公園 多摩川駅に着くと、弟が待っていた。公園は直ぐ駅前で、駅を出たら紫陽花が目に入って来た。紫陽花を眺めながら坂をゆっくり上がる。花は満開直前のよう。弟も、カメラを構えながら付いてくる。鑑賞客もあり、殆どが高齢者夫婦。私は、紫陽花は好みの花で、特に赤紫の花が好きで(写真上)、選びながら進むが、藍色系の花が多い。
 多摩川台公園には、古墳がありその展示室もあって、2人で入館。輪切り状の古墳の内部が再現されて、様々な副葬品等が展示されている。一回りし、また園内遊歩道へ戻る。最先の古墳でuターン。

 園内には 鬱蒼と大木が繁り、公園故の存在古木だろう。多摩川越しに見える高層ビル群は武蔵小杉。また紫陽花を眺めなおし、公園を出て東横線高架下を過ぎると多摩川浅間神社。急な石段に躊躇ったが上がり切り、参拝。800年前創建の古社で、北條政子に纏わる史話も遺るらしい。展望台で、多摩川を眺めた(写真中)。

 六郷用水を下る 東急多摩川線踏切を渡り、六郷用水へ至る。狭いが水路一杯に流れている。江戸期に開発された用水で、狛江付近の多摩川が水源という。現在は鯉達が泳ぐ水路(写真下)で、亀も見かけた。弟は外来種という。新幹線下を抜け用水沿いに下る。東光院、密蔵院、観蔵院と古刹があり、街並みも古そう。観蔵院手前の樹林に囲まれた建物は寺院かと思ったら個人の邸宅。大田区の御屋敷街のよう。コースを間違えたらしく環八通りへ出た先の神社は八幡神社ではなく、白山神社。手を合わせて境内で休憩。
 ここで、東急多摩川線鵜の木駅へ向かうと決意し、弟をリードして、ほぼ直線的に駅に着き、丁度入線した電車に乗って、多摩川駅に戻った。
 正午前だが、駅前中華店で昼食。弟は私の好物をお中元として渡してくれ、私は故郷からの到来品をお裾分けし、弟は下りホーム、私は上りホームで電車を待った。(2022/6/20 K.K. 1458/1500)

◇日時 2022/06/10 ◇天候 曇 ◇交通費 530円 ◇資料 新ハイキング社編「さあ、ハイキング! 多摩川台古墳と六郷用水」226頁 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 
「通過時間等」自宅8:10-東急多摩川駅9:30=多摩川台公園9:35/10:00=浅間神社10:10=六郷用水10:25=東光院10:35=観蔵院10:55=白山神社11:05=東急鵜の木駅11:24-同多摩川駅(昼食)11:30/11:58-自宅13:10

JR川崎駅から鶴見線を往復する

 ここ数年乗り鉄も楽しんでいるが、JR鶴見線を知り興味がわいた。丁度良い資料“ JR鶴見線全線に乗る”(新ハイキング692号116頁)も見付かった。鶴見線は、鶴見駅から扇町駅の本線と海芝浦駅、大川駅への二支線を持つ10㎞足らずの短い鉄路、盲腸線。梅雨の季節は乗り鉄が良いだろうと、下見的に出掛けた。我が家から鶴見線は、三田線と京急線を利用すれば遠くはない。

 JR鶴見駅発 三田駅で乗った京急線を川崎駅でJR線へ歩いて乗換え鶴見線始発駅の鶴見駅に着く。鶴見線ホームへ上がり、改めて過疎なダイアを知る。10時台は僅か3本。それも終点扇町駅行きでない電車があり、停車中の電車は本線だが途中の浜川崎駅行き。全線を乗るには行きつ戻りつが必要で、時間はありなんとかなるだろう。
 10時10分発浜川崎駅行きに乗車。通勤時間帯から離れ乗客は少ない。高架線で、第一京浜国道を越し国道駅を通過。今年の3月芭蕉麦の別れの地から生麦へ歩いた時気付いた珍しい駅名。左右とも密集した住宅街、そして工場地帯に入り、右手先が東京湾である。海芝浦駅への分岐駅浅野駅、大川駅への安善駅を過ぎるが、乗降者は僅か。本電車の終点浜川崎駅に着いたが僅か15分足らず。当駅はJR南武線乗換駅とある。

 海芝浦駅へ 私は上りの鶴見駅行きを待って乗車し、浅野駅へ戻り海芝浦駅行きを待つ。浅野駅は古めかしい駅で、田舎駅のよう(写真上)。1926(大正15)年鶴見臨港鉄道を創設した一人浅野セメント創業者を冠した駅名で、他の駅名も殆どそうらしい。踏切警報音が鳴り列車音が響いて接近が分かる。浅野駅、新芝浦駅、そして支線の終点海芝浦駅で、左手に運河を見て走った。東芝社員の通勤用駅で、その時間外は、改札口は閉鎖中。海を眺める外はない(写真中)。いしだあゆみが唄った“街の灯りがとてもきれいな横浜 ブルーライト横浜”の灯りは、横浜港から眺めたこの辺りの灯りという話がある。対岸の大工場は、日本鋼管、現JFEスチールだろうか。

 終点扇町駅を往復 発車時間となり、海を眺めていた乗客達は車内へ戻った。私は、浅野駅で、本線終点扇町駅行きを待って乗り継ぎ、浜川崎駅、昭和駅を過ぎ、そして扇町駅に着いた(写真下)。鶴見駅行きは1分後発と言われ、鉄道終点マークを確かめ、改札口でPASMOをタッチしなんとか間に合った。左右とも大企業の工場群で京浜工業地帯のコアだろう。大川駅への支線乗車はとうに諦めた。朝夕の通勤時間帯にのみ2,3本往復する支線で、乗車困難も甚だしい。鶴見川の鉄橋を渡って、鶴見駅に着いた。手前の大きな寺院は総持寺だろう。京浜東北線で、品川駅から三田駅へ向かった。(2022/6/15 K.K.1457/1500)

◇日時 2022/06/05 ◇天候 曇 ◇交通費 820円 ◇資料 祖父川精治「JR鶴見線全線に乗る」新ハイキング692号116頁 ◇歩行距離等 5,000歩 4㎞ 「通過時間等」自宅8:30-京急線三田駅9:18-JR川崎駅9:55-同鶴見駅10:10-浜川崎駅10:34-浅野駅10:58-海芝浦駅11:10/11:15-扇町駅12:10-鶴見駅12:32-田町駅12:55-三田線三田駅13:15-自宅14:05

城東行船公園、清澄庭園に菖蒲を探し巡る

 バラの次は菖蒲だろうと、鑑賞先をネット検索した。色々情報が錯綜したが江戸川区の行船公園へ辿り着く。初めて知る公園で、江戸川区も縁が薄い。バスと地下鉄を利用すれば、江東区の清澄庭園も近い。咲き具合はどうかと思いつつ、午後から晴れの予報に期待し、遅い時間に出掛けることにした。

 西葛西駅、行船公園 行船公園の最寄り駅は荒川を渡った地下鉄東西線西葛西駅で、春日駅から大江戸線に乗り門前仲町駅から東西線へ乗り継いだ。西葛西駅に降りると小雨が落ちている。バスも検討したが諦め、傘を出しスタート。初めての商店街を行くと丁字路へ着き、公園へと左折した前方に高い樹々が見え始め、間違いないだろう。大きな交差点へ至り、右手先が目指す公園であった。動物園がありその先がサービスセンターで、立ち寄ると、花菖蒲はこれからという。

 菖蒲は? 平成庭園へ入り、池を回る。遊歩路の敷石が雨で濡れあぶなかしい。躑躅は終わりで、僅かに残るに過ぎない。池への流れ口付近には菖蒲はない。一羽の鳥、鴨が毛繕いしている(写真中)。静かに接近しシャッターを切った。裏側へ出るとカメラを構えた方がいて、湿地帯で、小さな蓮の花が咲いている(写真上)。その先に花菖蒲はあったが、僅かでこれから咲く様子。やはり今年は遅いのかなと思いつつ、園を出た。銅像があり当園を寄付した方で、その屋号が行船と知った。

 清澄庭園の菖蒲 バスで都営新宿線船堀駅へ出て、森下駅で乗換え大江戸線清澄白河駅に下車。清澄庭園は駅から直ぐで、都立庭園だが、大名屋敷を三菱の岩崎家が取得し庭園を整備したもので、現在も立派な回遊式林泉庭園。中心の池を時計回りに巡る。菖蒲は右奥だろう。先ほど来雨は上がっている。
 私は再訪で、大分前だが花友と一緒で、何の花であったか忘れてしまった。池や島々、建物の風景は見覚えがある。池から離れ木々の裏へ回ったら、湿地があり菖蒲園。花はポツリポツリ状態。行船公園よりは大分増し。その先に咲き揃う薄紫の花の一画があり(写真下)、カメラに収めた。
 隣に芭蕉句碑“古池や かわづ飛び込む 水の音”があった。大石で、確か近くの深川芭蕉庵跡にあった碑を移したものと思う。
 やはり今年は花期が遅いのだろう。また探し歩き、初夏の花々を楽しみたい。特に紫陽花が好きで、都内の公園等にも咲く花である。(2022/6/12K.K.1456/1500)

◇日時 2022/05/31 ◇天候 小雨後曇 ◇交通費170円 ◇資料 昭文社「東京都市図53砂町」20004.4版 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅9:00-大江戸線春日駅9:40-東西線門前仲町駅9:50-同西葛西駅10:25=行船公園10:40/11:10-新宿線船堀駅11:25-大江戸線清澄白河駅11:55=清澄庭園12:00/12:25=大江戸線清澄白河駅12:30-三田線春日駅12:48-自宅13:20

さいたまの与野公園バラ園から別所沼へ

 5月も半ば過ぎ初夏となり、花々が咲き美しい季節で、先日は鴻巣荒川にポピーを眺め巡った。原色の花は見頃で楽しんだ。そして、紫陽花、蓮、ラベンダー、紅花と続くだろう。山歩きから遠ざかっている昨今は、これらの花も追っ掛けている。ネット情報で、さいたま市与野本町にバラ園があると知り、訪ねることにし、さいたま市で近くに住む友人Sさんを誘った。
 
 Sさんの車で高島平を出発。足の故障が長引き、車の方が都合よいという。直ぐ大宮バイパスへ出て北上し、JR武蔵野線高架を過ぎると、市内へ右折し与野公園へ着いた。しかし駐車場が満杯で苦慮。私は降りバラ園を巡っている間に、駐車場を探してくれた。

 満開の与野公園バラ園 初めての公園で、思ったより広く、バラ園はその一画。多くの鑑賞者が出ている。早速園内を巡ると、バラの種類や花の色で分けて栽培されているよう。赤色系が多い(写真上)。殆ど満開の見頃で、僅かだが咲き終わろうとしているバラもある。そんな中、シャッターを切りながら歩き回る。我が生家隣町のバラ園名のあるバラもあり、交換栽培であろうか。
 一回りし木下で休憩。塚のような小山があり、富士塚かなと上がってみたが不明。麓に石碑があり、やっぱり富士塚であった。Sさんが戻って来てバラ園へ。私は、天祖神社から隣の池にある銭洗弁天様に挨拶。鎌倉時代畠山重忠が武州から鎌倉に向かう途中、武運長久を願って太刀を洗い武勲を得たとある。駐車した市内菓子店で、僅かな買い物をし、浦和の別所沼へ向かって貰う。

 メタセコイヤが繁る別所沼 別所沼はこれまでも数回訪ね、私のお気に入りの地。市内も中心で県庁も近いが沼のある静かな公園で、メタセコイヤの並木が美しい。寡って、詩人神保光太郎が住まい、多くの文学者たちと交流し、詩碑がある。彼は山形出身で、母校の大先輩でもある。
 沼の畔でSさんと分かれ、一人、深緑のメタセコイヤの下を歩く。真っ直ぐに聳える樹木は相変わらずで、沼畔に彩りを添えている(写真下)。20本から30本ほどであろうか。散策者やジョガーの外、絵を描いている人もいる。遊歩道を往復し、弁天島に寄る。
 別所沼会館で昼食。この会館には思い出がある。2019年あるOB会を開いて、夫婦会員全員出席であった。年一回開催だが、その後は例の事情で開いていない。皆高齢になり最後になり兼ねない。そんなことを考えながら、沼からJR埼京線中浦和駅へ歩いて、帰宅した。Sさんありがとうございました。完治を願っています。(2022/6/8 K.K. 1455/1500)

◇日時 2022/05/25 ◇天候 晴れ ◇交通費 170円 ◇資料 さいたま市公園緑地協会「別所沼公園」 ◇歩行距離等 8,000歩 6㎞ 通過時間等」 自宅11:00-与野公園11:30/12:10-別所沼公園(昼食)12:25/13:15=埼京線中浦和駅13:28-同浮間舟渡駅13:52-自宅14:25

都内荒川の遊園から尾久駅を巡る

 都内唯一になった都電の荒川線は、区立あらかわ遊園前を走っている。処が長い間休園であったが、新装開園したことを知った。孫と一緒に遊ぶわけではないが、都電で前を通る度気になっていた。日暮里へ出掛けた際、確かめようと思った。前夜テレ東のアド街ック天国で、あらかわ遊園地を特集していた。

 熊野前駅から 都営舎人線で熊野前駅に降り、スタート。舎人線と都電荒川線が立体交差していて、荒川線沿いに歩くと宮ノ前駅の右手が尾久八幡神社で、立ち寄り参拝。隣の厳島神社にも軽く挨拶した。
 都電の走る通りに戻り進むと、割烹熱海があり、昨夜テレビで観た老舗料理店。小台駅を過ぎると荒川遊園前駅で、いよいよあらかわ遊園。入口通路には色とりどりのバラの花が咲き美しい。

 あらかわ遊園 遊園前には、子供連れが列をなして並び、頭上には観覧車がゆっくり動いている。ゴンドラには人影がある。私は、カメラアングルを探しながら外側を歩く。プールを過ぎ、遊園を覗くと子供を乗せたポニーが係員に引かれている。待っている子供達も多い。観覧車へ向けシャッターを切った(写真上)。

 裏側は隅田川で、川端に猫に餌をやっている若夫婦がいて、野良ではなく地区猫と教えてくれた。我が家近くの野良ちゃんは団地ネコかなと思った。
 隣の舟方神社に寄り、また荒川線へ出て、JR尾久駅を目指す。踏切で、少し待って都電の通過を眺めた(写真中)。私の上京時は23区内主要道路を縦横無尽に走り、それなりに便利で利用していた。現在はこの荒川線のみとなってしまった。道路ではなく、殆どは自前の専用敷地を走るからであろう。

 JR尾久駅で乗車 西尾久通り両側は平屋と商店街で、下町である。地名は“おぐ”だが、駅名が“おく”なのは知られた話か。尾久駅北口から駅前へ出て、正面は小さな駅舎(写真下)。当駅は、現在では宇都宮線、高崎線が停車する。それも上野駅経由の電車のみ。急遽、ここで尾久駅から上野駅へ乗車を決意。通過したことはあったが乗降したことはなく、初めての経験。ホームに上がると下り線の先は広い、広い尾久の車両基地で、多くの引っ込み線が列をなしている。山手線田端駅や京浜線上中里駅との間であろうか。到着した電車に乗車し、上野駅迄は一駅。上野駅から、大江戸線上野御徒町駅迄歩いて歩き足りない分を補った。(2022/6/3 K.K. 1454/1500)

◇日時 2022/05/22 ◇天候 晴れ ◇交通費 170円 ◇資料 都営交通「ちいさな電車でおさんぽ日和」2019.1版 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 
「通過時間等」自宅11:10・・・舎人線西日暮里駅12:50-同熊野前駅13:05=尾久八幡神社13:10=あらかわ遊園13:30=舟方神社13:40=荒川線西尾久踏切13:50=JR尾久駅14:03-同上野駅14:10=大江戸線上野御徒町駅14:27-三田線春日駅14:37-自宅15:10

赤坂氷川坂から豊川稲荷へ歩く

 港区赤坂の氷川神社の近くに勝海舟と坂本龍馬の師弟像があると知った。少し前品川立会川駅前で龍馬像を眺めて(21.10.16)、土佐以外にもあると初めて知った。確か海舟邸跡も氷川神社傍の氷川坂にあったと思う。青山通りの豊川稲荷へも寄ろうと調べていたら、鈴降稲荷神社があり、家康の伊賀越えに由来するらしい。これで都心歩きも興味が増した。

 海舟、龍馬師弟像 三田線内幸町駅からバスで六本木通りへ出ることにした。これが正解でハプニングが生じた。アークヒルズ前バス停に降り、六本木通りを渡って赤坂へ向け、商店街の坂を上がると正面に銅像らしき物が見え始め、2人の師弟像であった。探す苦労無しに出会い、想定外。海舟は座り、龍馬は隣に立ち、太平洋を向く像とある(写真上)。龍馬は、開国派の海舟斬りに訪問したが先進的な思想に惹かれ弟子入りしたとの逸話があるらしい。2016年完成し除幕式には二人の子孫も出席されたという。当地は、現在は港区の施設だが、明治期の海舟邸跡の氷川坂らしい。カメラに収めた。
 左手先が赤坂氷川神社で、高い樹々が頭を出している。石段から境内へ入ると四稲荷合祀の際、海舟がネーミングした四合(シアワセ)稲荷神社があった。銀杏の大木を眺めて、氷川神社に参拝。境内を横へ出ると本氷川坂で、幕末迄海舟邸があった地で、現在も静かな住宅街。

 鈴降稲荷と由緒 坂を下り三叉路を左折して方向が不明となってしまった。TBS社前へ出るつもりであったが、交差点を渡って坂を上がり地図で確かめると同社の裏側と分かり、隣のビルは10年数年前少し仕事を手伝った会社があったビル。息を吹き返して坂を下り、一ツ木児童遊園地隣の小路奥に、鈴降稲荷神社は見付かった(写真下)。
 手を合わせ、由緒書きを読むと、本能寺の変で、家康が堺から伊賀越えの山中で難渋していた時、鈴の音を聞いて導かれ伊賀衆の助けを得て、無事三河に帰還。恩義に感じた家康は服部半蔵外の伊賀衆を江戸へ招き四谷に住まわせ、本稲荷を祀ったという(大震災後当地に遷座)。小さな社だが、朱色も鮮明で、管理が行き届いているようである。

 豊川稲荷、是清公園 豊川稲荷へと坂を上がると、山脇学園であるが武家屋敷門があった。東京駅前付近にあった老中屋敷の門で重文とある。何故ここにと思いながら通過し、青山通りへ出て、豊川稲荷神社に詣でる。こちらは参拝者が多い。隣は赤坂御所で、反対側のとらや、草月会館前から少し歩いて、高橋是清公園に寄る。奥に鎮座する是清公像に挨拶。総理大臣を務めたが若い頃、私の旧勤務先の初代所長でもあった。地下鉄青山一丁目駅迄は距離があった。(2022/6/3 K.K. 1453/1500)

◇日時 2022/05/18 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図46赤坂見附」20004.4版 ◇歩行距離等 9,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅10:10-三田線内幸町駅11:02-アークヒルズ前バス停11:13=海舟、龍馬師弟像11:20=赤坂氷川神社11:30=鈴降稲荷神社11:50=山脇学園武家屋敷門12:05=豊川稲荷神社12:10=高橋是清公園12:20=大江戸線青山一丁目駅12:34-三田線春日駅13:06-自宅13:45

埼玉行田の前玉神社から鴻巣荒川のポピー畑を巡る

 埼玉の一之宮は大宮の氷川神社だが、行田にある前玉(サキタマ)神社も、劣らない古社ではないかと思っていた。埼玉県名のルーツである。稲荷山古墳で有名なさきたま古墳群の近くにある社で、調べると古墳の上に建つという。出発前夜テレビの天気予報の中で、鴻巣の荒川河川敷にポピーが咲いたと報じた。渡りに船で、神社参拝の後回ろうと思う。

 県名のルーツ前玉神社に参拝 埼京線から高崎線で、最寄り駅吹上駅へ向かった。高崎線乗車は久しぶりで、巣ごもりハイクが続き、最近では遠出の部類。吹上駅前から待っていたバスに乗る。産業道路バス停に降りたが、初めての地で、古墳群の方向に見当を付け、酒蔵もある古い街道筋を歩き続ける。橋を二度渡って右手奥がさきたま史跡の博物館の筈。稲荷山古墳を訪ねた時見学したが記憶は薄い。前玉神社はそろそろかと右手の小路を覗くが社は見当たらない。左手に二子山古墳があった。

 三度目が参道前で、30分を過ぎていた。広くはない境内から急な石段を上がると社殿前へ出て(写真上)、参拝。ここが古墳の上なのだろう。社務所や売店はあるが、社も境内もシンプルなもので、由緒書きも見当たらない。大化の改新以前に祀られたとの情報がある。
 行田駅行きバスがあると知り、バス停を教えて貰った。

 広い河川敷一面ポピー花 鴻巣駅に降り、そう遠くはない荒川を目指す。首尾よく住宅街を過ぎると荒川左岸の堤防で、これを越し河川敷内を下流へ行く。麦畑が続き流れは見えないし右岸も大分先のよう。後に、当地の河川敷の幅は2,537mで日本一と知った。
 前方に赤の花がちらつき出し足取りを早める。橋下を過ぎるとポピー畑で、一面に咲き始めていてジャスト見頃のよう。真っ赤花が中心だが、オレンジのポピーも畑中を埋め尽くし、美しい(写真中、下)。シャッターを切りながら、遊歩道を巡る。
 一回りしテントの下で休憩。当地鴻巣馬室の花まつりは現在準備中で、貰ったチラシには14日からとある。係りの方は、テレビ放送はフライングと笑った。また花畑を半周し名残を惜しみながら、河川敷を上がりバス停を探した。        (2022/5/28 K.K. 1452/1500)

◇日時 2022/05/12 ◇天候 曇り後晴れ ◇交通費 1,910円 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図33.34」1990.1 ◇歩行距離等 16,000歩 12㎞ 「通過時間等」 自宅7:50-埼京線浮間舟渡駅8:31-高崎線大宮駅8:57―同吹上駅9:40―産業道路バス停9:50=忍川橋10:05=前玉神社10:20=同バス停10:30-高崎線行田駅10:51-同鴻巣駅11:05=荒川堤11:20=馬室ポピー畑11:30/12:15=馬室バス停12:49-高崎線鴻巣駅13:07-埼京線浮間舟渡駅14:00-自宅14:30

市谷の杜から小石川後楽園を巡る

購読紙で、“市谷の杜”を知り(22.4.25朝日夕刊)、武蔵野の面影を再現に惹かれた。武蔵野の雑木林を歩こうとこれまで、三鷹の玉川上水や朝霞の平林寺、狭山の智光山公園を訪ねて武蔵野を感じている。それが都心の市谷にもあるという。大江戸線を利用し、久しぶりに小石川後楽園にも寄ろうと思う。

 市谷の杜 大江戸線牛込柳町駅に降りて歩き出す。昨年末夏目公園を歩いた時迷い込み、少し土地勘が生じた地で、大通りから銀杏坂を上がる。新宿加賀町を進むと、右手にそれらしい木々が見え始めた。早速林内の小径へ入り、新緑の中である。大企業ビル敷地内にそれなりに樹木が続いている。都心とは思えない緑地帯風景ではあるが、木々が若く武蔵野には遠い。それでも続く林を追って右折し、少し深い林(写真上)でカメラを向ける。道路を挟んだ隣のビルの林内を歩く。

 戻って、時計台のある本と活字館ビル(写真中)前へ至ると、入館OKという。新聞には予約必要とあったが、見学する。DNP社は、1886(明治19)年印刷工場から始まったという。漢字中心の植字装置が目に付いた。昭和の時代も書籍や雑誌の印刷を行い、私の知る週刊誌も展示してあった。広辞苑もある。コーヒーを飲んで休憩し、お礼を言って、館を出た。先ほど加賀町で、柳田国男の旧居跡の案内に出会った。岩手県遠野市の案内したもので、遠野物語は有名である。大江戸線牛込神楽坂駅へ出た。途中の商店街は新宿とは思えない下町風であった。

 後楽園を巡る 春日駅から小石川後楽園を目指す。大回りし西門から入園。先ほどは一人であったが、こちらは多くの人出がある。大泉水を中心に時計回りに歩く。御三家水戸家の屋敷であった地で、庭園は、初代頼房が着手し次の光圀の時完成したとある。お屋敷全体は、広大なもので、現東京ドーム迄も含み、後楽園は四分一弱程度を占めていたようだ。現在では隣の高層ビルが覗いている。
 園内の草木は新緑を過ぎているが、湿地の菖蒲はこれからのよう。これまでも訪ねたが、記憶にはない園風景が多い。一つ松(写真下)や円月橋、梅林、九八屋などが印象に残る。最近時間を持て余している私は、テレビで再放送の水戸黄門を観ている。黄門様も西山荘に引っ込む前はこの庭園を巡ったのであろう。木曽川、寝覚滝を眺めて、東門から三田線水道橋駅へ歩いた。(2022/5/25 K.K. 1451/1500)

◇日時 2022/05/08 ◇天候 曇り ◇入園料 150円 ◇資料 「市ヶ谷の杜、本と活字館」2021.5、「小石川後楽園」2019.12 ◇歩行距離等 17,000歩 12㎞ 
「通過時間等」自宅9:20-大江戸線春日駅9:57-同牛込柳町駅10:10=市谷の杜10:20=本と活字館10:30/10:55=大江戸線牛込神楽坂駅11:10-同春日駅11:20=小石川後楽園11:30/11:55=三田線水道橋駅12:05-自宅12:40

多摩川スカイブリッジを渡り川崎へ歩く

 3月に多摩川河口に、羽田と川崎を繋ぐスカイブリッジが開通したと知った。是非訪ねて渡りたい。海を眺めながらの里歩きも楽しい。これまでもレインボーブリッジや東京湾ゲートブリッジを渡り歩いている。調べると羽田空港の近くで、京浜急行羽田空港第三ターミナル駅が最寄り駅と分かった。

 羽田からスカイブリッジへ 三田線で京急三田駅へ出て、羽田空港行きに乗車。久しぶりで蒲田駅で本線と分かれ空港へ向かった。最近北海道の孫達とも御無沙汰で、空港利用はない。第三ターミナル駅に降りスタート。多摩川を目指そうとするが方向が分からず、山勘を働かせる外はない。空港敷地外は殆ど車道で歩道は限られ、左先だろうと左折すると高架道路環八がありその先と推測。船着き場の案内があり接近すると多摩川で、スカイブリッジへ上がるエレベーターがあった。

 675mを渡橋 橋の袂で新設の橋名を確かめ、左側歩道を渡り始める(写真上)。真新しい橋は未だ通行する車は少ないが、歩道を走り、歩く男女はそこそこにいる。河口は広く、直ぐ先は東京湾で、浮かぶ船も小さく見える。シャッターを切りながら675mを渡った。川崎側へ10分程で渡り切り、右岸の多摩川堤へ上がって振り返ると、全体が見え橋は結構長いが、橋桁と橋梁だけのシンプルな形状と思う(写真中)。

 川崎大師線鈴木駅を通過 堤を降り、京浜工場地帯に川崎大師線小島新田駅を探すが見付からない。あった鉄路の左右に駅はなく、JR貨物の引き込み線らしい。偶々出会った方に教えて貰い、貨物線を横断した先が目指す駅であった。京急大師線は川崎大師を参拝した時一度乗っただけ。川崎駅行きは、途中鈴木駅を通過。旧味の素駅で、味の素の創業者鈴木家に由来する珍しい駅名。同家出身の鈴木竹雄東大名誉教授を思い出した。担当していた研究誌の創刊時に巻頭言をお願いし快く書いて頂いたことがあった(鈴木竹雄「特許法昔語り」特許研究No.4 1987)。

 稲毛神社に寄る 京急川崎駅に着いて、稲毛神社へ。この前芭蕉の麦の別れの地へ歩いた時(22.3.16)、省略してしまった。先日テレビで、徳光アナの路線バスの旅を見ていたら稲毛神社が出て来て、川崎市役所付近と知った、複雑な駅前地区に戸惑ったが最後はスマホに案内されて、大鳥居から古社に詣でる。境内の大銀杏や十二支巡り(写真下干支の申)はテレビで知ったが、正岡子規の“六郷の橋まで来たり春の風”句碑があった。裏参道から川崎駅へ歩いた。(2022/5/21 K.K. 1450/1500)

◇日時 2022/05/05 ◇天候 はれ曇り ◇交通費 700円 ◇資料 昭文社「東京都市図73川崎」2004.4版 ◇歩行距離等 17,000歩 12㎞ 
「通過時間等」自宅8:15-京急線三田駅9:07-同羽田空港第三ターミナル駅9:40=多摩川スカイブリッジ羽田側10:00=同川崎側10:10=京急小島新田駅11:08-同川崎駅11:25=稲毛神社12:00=京急川崎駅12:23-三田線三田駅12:45-自宅13:30

都電滝野川一丁目駅から山手線中里踏切へ歩く

 北区西ヶ原の本郷通りは日光への御成街道で、歴史が深く史跡等があり、これまでも歩いている。新しい情報を得て、再訪するが、新規なルートとし、駒込駅近くの中里踏切を加えたい。以前、十条地区の記録に埼京線の踏切は今時都内では珍しいと書いた(22.2.28)が、読者から山手線駒込駅付近にもある筈とご指摘があった。これを確かめたい。

 未だ遺る西ヶ原一里塚 出発駅は都電荒川線滝野川一丁目駅。西巣鴨新庚申塚駅から二つ先の駅で、初めての乗降。駅前大通りは住宅街だが、商店も点在する。西ヶ原へ向け歩き四辻で左折し、小路から本郷通りへ出ると、西ヶ原一里塚(写真上)。日本橋から二里目で、大正初期道路拡張で撤去されそうになったが、あの渋沢栄一が住民と奔走し遺ったとある(「とことこ散歩道639」21.6.18朝日)。当時渋沢邸は少し先の飛鳥山公園内にあった。一里目は東大先の本郷追分にあったが現在はない。道路を出たが、一里塚は対で、右側の塚を見逃してしまった。

 七社神社の石碑 次の七社神社は裏参道から境内へ。神殿前で参拝し、境内を見回す。左手に“枯松を祭る文の碑”があった。寡って近くに渋沢の別荘があり、庭の古松が枯れたことを嘆き悲しんだ渋沢が学者に依頼した碑文を自ら揮毫した石碑という(「とことこ散歩道640」21.6.19朝日)。カメラに収めて、境内を出た。
 社裏の狭い住宅街から高崎・宇都宮線付近へ出て、初めて崖端の線路沿いを歩く。先に上中里駅が見え始めた頃国立印刷局で右折し、坂を上がると滝野川公園。農業技術研究発祥の碑があり、明治時代農業技術試験所があったとある。

 平塚神社の歴史 隣の森内が平塚神社。後三年の役の帰途逗留した八幡太郎義家が祭神のようだ。平安時代豊島近義築城の平塚城があった。太田道灌に滅ぼされた石神井城主豊島泰経は平塚城へ逃れたと言われる。4月24日石神井城跡で、父泰経の後を追い入水した照姫のお祭りがあったと新聞で見た。

 山手線踏切 参拝後、本郷通りへ出て直ぐ左折し、聖学院を回り込んで、山手線を目指す。駒込駅、田端駅間に踏切はあった。第二中里踏切は、未だ田舎にある昔の儘のもの。電車が通過する度に警報が鳴り、左右のバーが降りる。その間を縫い買い物客が往来している(写真中、下)。思った程電車の間隔は短くはない。並行する高崎・宇都宮線は踏切下の地下通過。通過電車をカメラに収め、帰宅後件の読者に写真を送付した。(2022/05/17 K.K. 1449/1500)

◇日時 2022/05/01 ◇天候 曇り ◇交通費 160円 ◇資料 東京北区観光協会「北区観光ガイドマップ田端・滝野川エリア」 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:25-荒川線新庚申塚駅9:05-同滝野川一丁目駅9:10=西ヶ原一里塚9:25=七社神社9:35=滝野川公園9:50=平塚神社10:00=第二中里踏切10:25=JR駒込駅10:35-三田線巣鴨駅10:40-自宅11:10

都内杉並に善福寺公園、井草八幡宮社叢を再訪する

 神社境内を覆う林や森を社叢(シャソウ)と言うと知った。ハイキングの途中神社に寄ることが多く、森内に佇む神殿へ詣でて静かに手を合わせ、休憩を取る。社叢があるのは地方の神社だが、杉並区にある井草八幡宮を思い出した(01.2.25)。約20年前のことだが、深い森に包まれた鳥居や社殿が印象に残っていた。再訪することにした。

 井草森公園へ 大江戸線中井駅に降り地上へ出たら、太陽が顔を出し日が差している。本日の予報は曇りから雨模様だが、ラッキーと西武線新宿線に乗った。最近雨が多く、菜種梅雨というらしい。
 西武線新宿線中井駅から井荻駅まで乗車し、井草森公園へ寄る。環八通りを少し歩いた左先が公園であった。新緑の林の中に池があり、その先は花園やグラウンドもあって都市型の区立公園。広くはない園内を一回りした。咲いていた黄色の花はポピーの類いだろうか。井荻駅へ戻り、電車で上石神井駅へ。車窓から見えた野球場があり、若い頃井草のグラウンドで草野球を楽しんだことがあった。

 善福寺公園上池、下池 上石神井駅で、善福寺公園の案内地図を期待したがなく、青梅街道へ向け歩く。朧げな記憶だが街道へ出て、五差路へ至るとお地蔵様が立ち、江戸向き地蔵と知る。善福寺公園の案内があった。
住宅街を進み善福寺前を通り、更に進んだ左手が善福寺公園で、上の池であった。意外に広く、鯉のぼりが渡してある(写真上)。連休前の平日で僅かな散策者程度。ボート乗り場を見て、下の池へ。前回は見ていない池と思う。奥には萱類が繁りやや荒れた池。水鳥も浮きカルガモか。釣り人も見える。上下とも現在も湧水池という。

 森に囲まれた井草八幡宮 左手の住宅街に井草八幡宮を探す。それらしい高い樹々は見えるが参道へは大回りして、ようやく達した。大鳥居のある東参道から境内へ(写真中)。左右は高く深い樹々で、記憶通り鬱蒼と繁る社叢。右折し楼門から立派な社殿があり、とても都内の神社とは思えない大神宮である(写真下)。
 参拝しコロナの終息等をお願いした。平安時代の創建で、源頼朝手植えの老松(現在は枯れ死)があり、太田道灌も戦勝祈願をした歴史があるという。背後や周囲の木々を入れてシャッターを切った。青梅街道の都心寄りにある荻窪八幡へも予定していたが、暑さで疲れ、青梅街道バス停で荻窪駅行きバスを待った。(2022/05/14 K.K. 1448/1500)

◇日時 2022/04/27 ◇天候 曇り ◇交通費 470円 ◇資料 昭文社「東京都市図20石神井、31井の頭」2004.4版 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞ 「通過時間等」自宅8:55-大江戸線春日駅9:30-西武線新宿線中井駅10:02-同井荻駅10:20=井草森公園10:25=西武線新宿線井荻駅10:52-同上石神井駅11:05=善福寺公園11:25=同下池11:35=井草八幡宮12:05=青梅街道バス停12:25-JR荻窪駅12:45-大江戸線東中野駅13:19-三田線春日駅13:37-自宅14:10

板橋赤塚ニリンソウ自生地巡り2022

 ニリンソウ鑑賞を思い付いた。数日前咲いたとの情報があり、少し遅いかなと思いつつ自生地を巡ることにした。板橋区の花ニリンソウの自生地は、我が家から近く、徒歩圏内赤塚大門地区の土手である。昨年は、二輪草の歌碑のある上板橋からスタートしたが、今回は赤塚中心で、昨年見付けた赤塚5丁目の森や区立植物園も巡りたい。

 新緑の中ニリンソウは 我が家から高速道路下を抜け、赤塚大門土手下の広場に入ったら、もう新緑否、深緑が目の前に広がった。欅の大木が生い茂り新鮮で美しく、春から初夏を告げている。土手下に近づくとポツリポツリとニリンソウは咲いているが、例年より花が小さいように見える(写真上)。先へ歩くと次第に白い花は咲き広がっているが、花は小さい。遅かったのであろうか。鑑賞者もいない。シーズンなら出会うのだが。カメラ写りの良いニリンソウ群落を探しながら、土手下を進んだ。大きめの黄色い花もあり、ヤマブキソウだろう(写真中)。

 土手下を出て、高架で大通りを渡り、赤塚城跡の溜池公園へ。池では竿を出している釣り人達が見受けられる。私は、城跡下と板橋郷土資料館の間の小径へ入る。昨年当地にもニリンソウがあると知った。期待通り白い大きめのニリンソウが咲いていた。日陰だからだろうか。カメラを向け、眺めながら狭い路を歩いた。いよいよ城跡先の赤塚五丁目の森へと踏み入れたが、花は少ない。やはり遅かったのであろうか。自然や季節は我を待たないのだ。ムラサキケマンの雑草が目立っている。

 板橋植物園 森から住宅街へ坂を下り、区立植物園を目指す。いつもと違う方向から近道をして一度は袋小路であったが、裏から植物園へ入園。畑地に咲く菜の花はもう満開。そしてハナダイコンの薄紫の花も咲き美しい。
 ニリンソウ栽培地へ回ったが、こちらもポツリポツリ。カメラは目立つ大きなピンクのボタンの花へ向いてしまった(写真下)。

 赤塚氷川神社へ 植物園の裏から住宅街を抜け階段を上がると体育館通り。バス通りで見覚えがあり、赤塚氷川神社へ寄る。右折地点を一本間違えたが、乳房榎の古木から参道が続く。左手に富士塚があり、覗いたが草木で荒れている様子。境内へ入って参拝。家族の健康や孫達の成長を祈願。本殿裏には御嶽塚もあった。江戸期には武蔵の当地では、富士講の外、木曽の御嶽信仰も盛んであったようだ。帰途は初めてのルートで溜池公園へ出て、自宅へ戻った。(2022/5/9 K.K. 1447/1500)

◇日時 2022/04/21 ◇天候 晴れ ◇資料 板橋区くらしと観光課「観光いたばしガイドマップ」 ◇歩行距離等 12,000歩 9㎞
「通過時間等」自宅8:40=赤塚大門自生地8:55=溜池公園9:10=赤塚5丁目の森9:20=板橋区植物園9:40=乳房榎10:15=赤塚氷川神社10:20=自宅11:05

高崎の少林山達磨寺から観音山へ

 大人の休日俱楽部パス利用の二回目で、前日自宅で休み、本日は、軽い名所見学として、高崎の少林山達磨寺から観音山白衣観音を巡ろうとした。連日の遠出は無理な年齢となり、高崎は新幹線を利用すれば1時間弱である。そして、翌日の最終利用日は房総一周の乗り鉄を予定していた。処が目論みは大幅に狂ってしまった。

 群馬八幡駅から達磨寺へ JR高崎駅に着いて、案内所でバスルートを教えて貰い、JR信越線で群馬八幡駅へ向かった。少林山達磨寺の最寄り駅で歩き出す。高崎市も郊外で、小さな街並みを抜け左折して、碓氷川へ歩く。堤防へ上がり、鼻高橋を渡ると欄干の達磨像が迎えてくれ、川向うの高台には寺が見えた。
 緩い坂の先に少林山達磨寺があった。寺院には、達磨堂(写真上)や縁起達磨を積んだ本堂があり参拝。江戸時代、行者が流木で達磨像を彫って祀ったらしい。高崎の縁起達磨として有名だが、そのルーツは当寺なのだ。境内を一回りして大通りへ下り、バス停でバスを待った。 

 清水寺石段 予定時間になってもバスは来ない。予定変更しようかなと思い始めた頃到着した。15分遅れで、躓きの前兆であった。次の行く先白衣観音へのバス停美術館口に降りた時は20分遅れとなっていた。イラストマップで、観音山中腹清水寺の石段下に芭蕉句碑を目指す。行けども、行けども辿り着かず、戻り掛け、地元の方に尋ねたらもっと先という。ようやく着いて、句碑“観音の甍みやりつはなの雲”があった(写真下)。
 本堂境内にも句碑があり、石段を上がる。上方に見えた建物は観音堂で、また石段に挑戦。数は多いが段差が低く助かる。休み休み上がり切り、本堂への挨拶もそこそこに、句碑を探す。隣の石碑かなとカメラに写したがはっきりしない。違っていた。石段は518段と分かった。マップは略図で、これに惑わされてしまった。

 遂にタクシー 駅へのバス時間が迫り、頂上の白衣観音を諦める。石段下りを避け、右手の下り坂が女坂かと突入したが墓地への路。大回りも大迂回し石段下先へ出たが、バス時間はとっくに過ぎていた。高崎市内へと歩き始めたが、足が重い。肝心の白衣観音も拝観できず心も重い。途中で座り込み、タクシーを呼んでしまった。
 高崎駅へ戻り、遅い昼食を取り、新幹線で帰京。翌朝元気が出ず、乗り鉄は断念。体力よりは、バスの時間やイラストマップを読み損ない予定通り巡れなかったショックが尾を引いたのかもしれない。こんなこと滅多にないことで、残念。(2022/5/4 K.K. 1446/1500)

◇日時 2022/04/13 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス+タクシー代1330円 ◇資料「観音山イラストまっぷ」◇歩行距離等 16,000歩 12㎞ 
「通過時間等」自宅9:15-JR上野駅10:20-同高崎駅11:24-同群馬八幡駅11:35=鼻高橋11:50=少林山達磨寺12:00=バス停12:37-同美術館口13:10=清水寺石段下13:35=清水寺13:50=清水寺石段下バス停先14:30-JR高崎駅15:10-同上野駅15:58-三田線巣鴨駅16:20-自宅16:30