宮崎に青島、佐土原城跡、宮崎神宮を訪ねる

 九州宮崎滞在2日目、本日の用事は16時開始で、時間的には余裕があるが、電車やバス、徒歩では動ける範囲が限られる。市内メインの通りと宮崎神宮位かなと考えていたが、昨日の夕食時、今回アレンジしてくれたTさんが、午前中車で案内してくれると言ってくれ、ご厚意に甘えることにした。宮崎は3度目で、いずれも仕事であるが、その中でも、そこそこ名所等は訪ねている。

 青島一周 宮崎は南国で、駅前大通は椰子の木並木である。本日、それ程暖かいわけではなく、東京と変わりはない。Tさんの車で、青島へ向かう途中、左手に宮崎野球場が見えた。現在ジャイアンツ三軍がキャンプ中だが、本日練習休みと知った。青島手前の植物園に駐車し、園内には、既にポピー類が咲き揃い温暖地を誇示しているよう。橋を渡って島内へ。本日好天で、海は穏やかで展望も良い。青島神社に参拝。Tさん、奉納絵馬へ案内してくれた。ジャイアンツのメンバーが揃って祈願してありサイン入り。前回訪問時、ファンのOさんが持ち帰りたいと言ったのを思い出した。亜熱帯植物林中から海岸縁へ出て島を一周。鬼の洗濯岩は見覚えがあり、見事なもの(写真上) 帰りに、植物園大温室で、皇后様の名が付いた洋ランの花を鑑賞した。

佐土原城跡は山の中 Tさん午後一番の仕事で郊外の佐土原へ行くので、城跡はどうかと誘われ、二つ返事でお願いした。処が、到着すると本日再建御殿は閉館日とある。横に本丸跡への案内を見付け、山城跡へ進入。大手口の筈だが溝のような崖の間の坂道を上がる。山道を行き堀切を過ぎると本丸跡であったが、小さな削平台のみ。
佐土原城は、戦国前期は伊東義祐が城主であった。彼は曽我兄弟に討たれた工藤祐経の末裔。一時は日向国一帯に勢力を張ったが島津氏に敗れ、薩摩島津氏の支配が当地まで及び明治に至ったという。1625(寛永2)年に、麓に御殿を設け山城を下りている。最近の調査で、南九州には珍しい天守閣があったことが分かったとある。
 道を挟んだ向かいの道の駅で資料を貰い、市内へ戻る交通を教えて貰うも、JR佐土原駅は遠く、駅へのバス停も一本先の通りだと知った。ウロウロしたが1時間30分後のバスしかなく、待っていたら、携帯が振動しTさんからで、仕事を終え寄ってくれるという。渡りに船で、遠慮なくまた乗せて貰った。

宮崎神宮に参拝 宮崎神宮に寄ってとお願いする。この神社の存在は知っていて、多分ジャイアンツのキャンプの際、優勝祈願をする選手達をテレビで観ていたからだと思う。実は二度目の筈だが、初めての風景のよう。広い境内は林に覆われ、直線の参道は長く続くが、参拝者はなく我々だけ(写真下)。静かな中、私はいつもの喫緊のお願いをした。ご祭神が神武天皇とあり、意外であった。
ホテルへ戻り、休憩しながら仕事に備えた。(2018/03/15 K.K. 1168/1200)

□日時 2018/2/23 □天候 晴 □資料 宮崎市教育委員会「佐土原城ガイド」2017、宮崎神宮社務所「略記宮崎神宮」 □歩行距離 13km 18,000歩
「通過時間等」ホテル8:25-植物園8:50=青島9:10=植物園9:50-佐土原城跡11:15=本丸跡11:30=同城跡前13:10=宮崎神宮13:50/14:05-ホテル14:20

県都大分に府内城跡から市内を巡る

 宮崎へ出掛ける用事が出来た。併せて九州に残る未訪県都を巡りたい。前日大分へ入り、用事を済ませた翌日は鹿児島へ出ようと考え、スケジュールを検討したら可能で、航空券やホテルを手配した。用事で使用する資料はデータで送り、法令集は薄く軽いものとし、大きめのザックで洋服等も持参した。

 駅前繁華街から城跡へ 大分空港から乗ったバスを大分駅前に降り、案内所で市内マップを入手。駅前に建つ大友宗麟(写真上)、フランシスコ・ザビエルの像を見て市内へ入った。駅前からのアーケード街は大きな繁華街で、シャッターを閉めた店舗はなく、平日なのに人通りもあり、県都である。右手に赤煉瓦が見え、近付くと大分銀行赤煉瓦館、東京駅を設計した辰野金吾作で重文とある。赤色が目立ち、最近改装したのだろうか。カメラに収め、県庁隣の府内城跡へ。大通りから右折左折を繰り返すと前方に寺らしき建物が見えたと思ったら、府内城跡の西之丸櫓であった。

再訪の府内城を一回り 濠端を行き正面へ回り、大手口から城内へ。本丸跡だが、現在天守閣建築工事中とある。廊下橋は渡れず、一旦城跡を出て、松栄神社前から濠外を回る。神社は家康の出身地上州縁の社とあった。当城は再訪だ(93.12.5)が、見覚えあるのは濠のみで、記憶よりは広い内濠である(写真下)。四方の櫓は復元だろう。
宗麟時代は館で、近世の城と城主は、手許の資料では、約400年前石田三成の妹婿福原直高12万石として築城が始まり、その後城主が目まぐるしく代わり、17世紀中頃松平忠明が城主となり明治まで続いたとある。大手門口へ戻ると左手が県庁であった。

 西洋文明伝来の地 県庁前遊歩公園からまちなかの彫刻群を巡る。伊東マンショ像や当地に伝来した西洋医術や同療養所、同演劇の発祥の地関係彫刻が続いた。キリシタン大名となった宗麟庇護の下、ザビエル後も多くの宣教師達が渡来し、西洋文明が伝わったらしい。最後に滝廉太郎像があった。明治期西洋に留学したが病気で帰国し、この近くが終焉の地とある。以前、竹田城跡で見た像を思い出させ、93年は豊肥本線で豊後竹田から大分であった。駅へ戻り、日豊本線特急に乗車した。

 途中下車し延岡城跡へ 県境を越え宮崎に入り、最初の停車駅延岡駅に途中下車し、延岡城跡を往復。駅前通りから五ヶ瀬川に掛かる橋を渡り右折した市役所先の小山が城跡であった。大回りしたが大手門から坂を上がると、有名な千人殺しという石垣。石垣の一部を外すと全体が崩れるというその仕掛けのネーミングらしい。高く立派な石垣にアングルを探した。坂を上がり続け、本丸跡、天守台跡へ。最後の藩主内藤政挙の像が建ち、鐘楼もあった。眼下に川が見え、先程渡った川と方向が違うと思ったら、当城は両側川に挟まれ、自然の要害としていたようだ。若山牧水の歌碑を見て、市役所前へ出るとバス停があり、折良く直ぐバスが来て駅へ戻り、宮崎空港行きに乗った。(2018/03/11 K.K. 1167/1200 

□日時 2018/2/22 □天候 晴 □資料 (株)ゼンリン「大分市センターマップ」2018 □歩行距離 12km 16,000歩
「通過時間等」自宅6:05-都営三田駅7:01-羽田空港8:00-大分空港10:00-JR大分駅前11:00=大分銀行赤煉瓦館11:15=府内城跡11:30=県庁前遊歩公園11:50=JR大分駅13:04=同延岡駅15:10=延岡城跡15:40/16:07=JR延岡駅16:31-同宮崎駅18:10-ホテル18:20

印西滞在の白鳥に感謝し、成田山参拝へ

 印西本埜の白鳥の郷を思い出した。多々良沼の余韻かもしれない。10年前千葉印西に白鳥を訪ねたが空振りであった(08.2.11)。今回はとネットで調べると約800羽飛来しわが国2番目の数とある。友人のSさんに白鳥の話をしたら興味を示してくれ、車を出して戴くことになった。JR成田線小林駅から徒歩の飛来地は車が至便で、有り難く、近くの成田山新勝寺参拝も加えた。Sさんは成田山は初めてという。

 居残り白鳥に感謝 都内を抜け千葉に入った車は、成田線と利根川の間を走った。農村地帯を進み見覚えのある風景になり、田圃の中にある小学校の先が飛来地である。僅かだが車が停まり、人影も見える。果たして白鳥に会えるかと、期待と不安が半々で車を降り池へ近付いた。いたいた僅かだが池中央付近に浮いている。30羽程度だろうか(写真上)。感謝しながらシャッターを切った。案内の方によれば、891羽いたが2月になって大半はシベリアへ帰ってしまったという。今朝、目の前の30羽も空へ舞い上がり帰ろうとしたが戻ったと話してくれた。気流の方向が悪かったらしい。我々はラッキーとしか言いようがなく、それで30羽に会えたのだ。Sさんもカメラを出している。私は、白鳥達に感謝し、募金箱へ私にしては多目を投入した。無事シベリア帰還を願いつつ白鳥の郷を離れた。 

 新勝寺に参拝し公園を巡る 印西から成田山は近かった。30分程で駐車場が見付かり、2人で境内へ。私は再訪だ(11.1.22)が、広く豪華な伽藍や本堂寺院に改めて驚くほどの新勝寺である。先ずは本堂に参拝。横綱達による節分の豆まき風景でお馴染みの場所である。裏手の公園を巡る。二度目の私は、Sさんを案内したが、広大な園内は殆どの初めてのよう。芭蕉や虚子の句碑があったが記憶にない。池へ出ると大きな池が二つあり、沢から清水が注いでいる。池の間を通って梅林へ。梅の花もちらちらと咲き始め、本日梅祭り初日で、野点も行われていて覗いた。先の右手高台に大きな平和塔があるが初めて見るようでカメラに収めた。瀧を案内し、坂を上がって境内へ戻るも、何処へ出たか一時不明だったが、本堂の左手先であった。途中の売店で、瓜の鉄砲漬けを求め、商標事件にもなったとSさんに説明した。

 甚兵衛渡し場跡再訪 印旛沼方向へ戻って貰った。先程成田山への途中、印旛沼に近い老松のある甚兵衛渡し場跡(写真下)傍を通り、以前家内やかぼちゃ会メンバーと歩いたこと(98.5.3)を思い出した。関東ふれあいの道千葉県コースであった。義民佐倉宗吾が将軍直訴を決断し江戸へ出る時、佐倉藩の妨害を排し舟頭甚兵衛が舟を出してくれた印旛沼渡し場跡と知った。そんな話しをSさんにし、近くで昼食にした。車は速く、常磐高速で13時過ぎには高島平であった。Sさん今回も有り難うございました。御礼を申し上げます。2018/03/05 K.K. 1166/1200

□日時 2018/2/17 □天候 晴 □資料 新ハイキング社「白鳥の郷と八十八大師巡り」604号59頁 □歩行距離 5km 7,000歩
「通過時間等」自宅7:30-印西白鳥の郷9:00/9:25-成田山新勝寺・同公園9:55/10:40-甚兵衛渡し場跡(昼食)11:05/11:45-自宅13:15

コース誤るも枡形山から東高根森林公園へ

 途中からコースを誤ったことに気付いて、府中街道のどの辺へ出るか気になった。多分手前だろうが次の東高根森林公園への遠近が問題。林を抜け住宅街を過ぎ府中街道だったが、先程渡った稲生橋の少し下流の本村橋で、目指す長尾橋の大分手前であった。またやってしまった。いつもの山勘がまた裏目に出た。 

 枡形山、民家園は再訪だが 本日は、川崎の小田急向ヶ丘遊園駅から枡形山、ばら苑付近を通って東高根森林公園を巡りJR南武線久地駅へゴールの予定で、待ち合わせた弟とスタート。駅正面の大通りを真っ直ぐに進み、二叉路を右へ採ると生田緑地東口で、ビジターセンターがありパンフなど情報を得た。枡形山へと丘に取り付きハイキングらしくなったが、直ぐ山頂広場。弟は簡単過ぎるコースと不満のよう。展望台へ上がったが周囲は見えるが雲で遠望はない。西方の眼下に長孫が通う校舎が見えた。高島平から遠く大変かなと思っていたが、元気に通い3年目になる。今朝向ヶ丘遊園駅迄は1時間ちょっとで意外に近かった。当頂は城跡で再訪の筈だが(98.6.21)記憶にない。城跡石碑をカメラに収めた。

 コースを誤る 葉を落とした木々が並ぶ尾根道は春待ち風で、好みのアングル(写真上)。シャッターを切った。下って民家園だが此処も見覚えがない。生田緑地を出てばら苑を目指す。ばら苑は住宅街の奥に見付かったが当然閉園中。正門で案内板をチェックすると、右方向は生田緑地への表示。それでは左だろうと気安くばら苑柵沿いに進むが、次第に道は細り林へ入って荒れ出した。この辺りから違うなと感じ始め、地図を眺めると府中街道へは出られると分かり、冒頭のようにそのまま進むと府中街道本村橋であった。街道を川崎方向へ行き藤子不二夫ミュージアム前を過ぎると、前方に高速道路が見えだし、方向は間違いない。弟も少し遅れながらも付いて来ている。長尾橋に至り右折すべきか迷ったが、右は大通りがそのまま先へ続きハイキングコースのある雰囲気はない。東名高速の下を右折しようとしたが道はないようだ。

 親切な案内で東高根森林公園へ そろそろ森林公園が近いと思い、右の土手に近付き上がり口を探すが探せず、地元の方に尋ねると住宅裏通路まで案内してくれた。お礼を言い土手上へ上がり、高速道路迄戻った格好で回り込むと森林公園北口があった。大きな望遠レンズ付きカメラを抱えた高齢者達が屯している。珍しい野鳥レンジャクが撮れるらしい。谷戸に広がる公園の中には、紅梅が咲き、弟は福寿草を見付け声を上げた(写真下)。私も携帯にも写した。福寿草は子供の頃生家の庭にも咲いて、弟も覚えていた。正面の南口にはバス停があるかもと半周し、正面のパークセンターで聞くと、近くのバス停を教えてくれた。山勘が時々当たるが頼りすぎると失敗する。本日は双方経験。向ヶ丘遊園駅へ戻り、駅前で昼食後、下り電車の弟と別れて帰宅した。(2018/03/01 K.K. 1165/1200                                           

□日時 2018/2/11  天候 晴 □交通費 730円 □資料 新ハイキング社「さあ、ハイキング!枡形山-東高根森林公園」平成27年、115 □歩行距離 16km 22,000

「通過時間等」自宅8:40-三田線神保町9:22-小田急新宿駅9:41-同向ヶ丘遊園地駅10:05=生田緑地入口10:20=枡形山10:30=民家園10:45=ばら苑11:05=本村橋11:20=長尾橋11:40=土手上12:05=東高根森林公園12:20=同バス停13:00-小田急向ヶ丘遊園駅(昼食)13:15/13:40-都営新宿線新宿駅14:25-三田線神保町駅14:40-自宅15:20

都心駒込、田端界隈を歩く

 都内を歩こうとして、”東京2時間ウォーキング・山の手編”を思い出し、本棚から引っ張り出した。私がハイキングを続けていると知った旧同僚からのプレゼントであった。以前は節目の記念ハイクには同行してくれたが、最近はご無沙汰である。今回は、約10コース掲載の中から未踏のコースを選び、”田端辺り”にした。スタート駅はJR駒込駅である。本日、天気良くハイキング日和。

 田端銀座へ 三田線を巣鴨駅に降り、山手線沿いに駒込駅を目指した。そう距離はなく高架橋を渡って山手線内へ入り、駒込駅前を通過しコースになった。駅先で右折し、最初のポイント田端銀座へ歩く。都心といっても北区のこの辺りはビル群はなく、低い住宅街が続く。田端銀座入口へ至り、下町の商店街で何故か懐かしく、八百屋や食肉店が両側に連なる間を通り(写真上)、カメラに収めた。八幡坂から八幡神社が次のポイントだが先へ歩くも見当たらない。あったお社は小さな湯殿山神社。道端にある地図を見ると通り越したらしい。銀座入口で左折であった。街角ウォークは時々これがあるから怖く、苦手である。

 上田端神社、日枝神社 近道で修正し、八幡坂を見付け緩やかな坂を上がると左手に神社があり、上田端八幡神社。細長い境内に古木が聳え、田舎の村社のような神社(写真下)。軽く参拝し、坂を上がり切り大通りへ出て右折。板谷波山(陶芸家)旧居跡からポプラ坂を下り日枝神社を探す。戦前ポプラ倶楽部という文士達のテニスコートとクラブあったという。今度は山勘が利いて、住宅間の奥に社が見付かり石段を上がって手を合わせた。

 芥川邸跡に出会う 赤紙仁王通りを田端駅方向へ歩き、東覚寺前へ出て赤紙を貼った仁王様に会い、ここは再訪(08.1.19)と気付いた。自己の身体の痛い部分と仁王様の同じ所に赤紙を貼り治癒を祈願するという。隣が田端八幡神社だが最近建て替えた社のようで省略し、駅前通りを横断して、与楽寺坂へ向かう。想定した先に坂があり、坂途中の大きな寺が与楽寺であった。寺裏へ回り、また山勘でゴールJR田端駅へ狭い通りを右往左往していると、芥川龍之介の邸宅跡の案内板に出会う。300坪の邸宅に大正時代から自殺するまで14年間暮らしたとあるが、現在では小さな住宅が密集するだけ。龍之介は田端文士村の中心であったらしい。切通の駅前通りへ出て階段を降りると、 JR田端駅は直ぐであった。未踏のコースの筈であったが、赤紙仁王は二度目で、近くでは、全く新規なコースを歩くことは、難しくなった。2018/02/27 K.K.1164/1200                         

□日時 2018/2/8  天候 晴 □交通費 130円 □資料 薮野 健「東京2時間ウォーキング・山の手編」2002年、75 □歩行距離 7km 10,800

「通過時間等」自宅10:20-三田線巣鴨駅10:55JR駒込駅前11:15=田端銀座11:25=上田端八幡神社11:40=日枝神社11:55=赤紙仁王様12:00=与楽寺坂12:05=芥川邸跡12:20JR田端駅12:27-三田線巣鴨駅12:40-自宅13:10

 故郷の読者S先生・歌人のお便りからです。“演技終え右足首に感謝するとひざまづきたり羽生選手は”有り難うございました。

白鳥を眺めた館林多々良沼

 ハイキングガイドの中から、未訪の「多々良沼」が見付かった(東武鉄道「みちしるべ」平成15年、141頁)。白鳥が渡来する沼とあり、グッドタイミング。東武伊勢崎線で館林駅の一つ先多々良駅起点のコースである。伊勢崎線も奥の赤城と日光線分岐の中間にあり、見逃していたのであろう。ネットでも、現在滞在白鳥の数が70羽とある。天気予報も調べ、暖かい日を選んだ。

 多々良沼白鳥見学へ JR宇都宮線を久喜駅で東武伊勢崎線に乗り換えた。途中昨夏の甲子園優勝校のある花咲駅を通過。館林駅の次多々良駅に降りると、予報通り快晴無風の良い天気。駅前案内板で多々良沼を確かめ歩き出す。駅前から田舎街通りを右折すると田園地帯。広い関東平野のど真ん中で、南西の山々は奥武蔵から外秩父の低山か。県立美術館方向へ歩き、多々良川に架かる日向橋から川沿いに下ると沼が見えだし、意外に大きい沼。案内所があり、込み合う中、パンフを得て、白鳥の居場所を教えて貰う。ガバ沼と弁天神社先の2箇所にいるという。右手先のガバ沼へ向かう。距離があるが、前方の見物者達の動きから沼の位置と距離が分かる。葦原に囲まれた沼端には、既に大勢の見物客やカメラマンがいて、小さな沼を眺めている。

 目の前を泳ぐ白鳥達 白鳥達は、反対側奥に横長に浮き、泳いでいる(写真上)。目算で3040羽位だろうか。餌取りに飛び立たないで日中もいてくれ感謝である。私は望遠にしてシャッターを切ったがどうだろう。鴨達も多数いて、沼を出て傍迄来て餌を強請っている様子。白鳥観察の際に良く見る風景で、宮城県伊豆沼で同様であった。白鳥達を目とカメラにしっかりと収めて、次の弁天神社へ多々良沼畔を行く。こちらは人出はなく、静かな遊歩道。前方の山は筑波山かと間違えたが、両毛線沿いにある栃木の山だろう。弁天様に、孫達のことを祈願し、ベンチでこれからのコースを検討。多々良駅へ戻るか、それとも小泉線成島駅へ出ようか迷ったが、スマホで電車時間を調べ成島駅へとする。

 再び白鳥を見る 直ぐ近くに鶉古城跡があった。林中に小さな土塁跡が遺り、戦国前期のもののようで、カメラに収めた。成島駅への分岐を探しながら沼端を進むと、遠くに白鳥達が見える。近付いて正面へ回ると、藪中に沼岸への進入路が切られていて、見学者もいる。私も岸へ出て白鳥を見物。こちらは20羽弱か。広い池をグループで悠々と泳ぎ、遊んでいる。またカメラを向けた。顔を上げると池越しの北の高峰は山容から日光の男体山のようだ。岸辺の野道にはイヌノフグリが咲き始め、こう寒くても、やはり春は来るのだろう。コースマップで、成島駅へのコースを確かめ、田舎道を右折左往して、駅を見付けた。1時間に一本の電車に、15分前駅到着を想定していたが、25分前に着き、小さな駅舎で1人電車を待った。2018/02/18 K.K.1163/1200                                           

□日時 2018/2/4 □天候 晴 □交通費 2,230円 □資料 東武鉄道「みちしるべ」平成15年、141頁 □歩行距離 16km 22,500歩
「通過時間等」自宅8:12-JR板橋駅8:45-同赤羽駅8:57-東武久喜駅9:44-同多々良駅10:40=日向橋11:00=多々良沼11:15=ガバ沼11:25/11:40=弁天神社11:55=鶉古城跡12:10=弁天神社先白鳥遊泳地岸12:45=東武小泉線成島駅13:38-同館林駅13:58-JR久喜駅14:30-同赤羽駅15:11-三田線新板橋駅15:25-自宅15:50

水仙の花は遅かった内房江月水仙ロード

 冬から初春の花は水仙である。この時期に咲く花は少なく水仙が唯一と言っても良い。これまでも水仙の花を求め巡り歩いたが、中々盛花には出会えない。昨年訪ねた城ヶ島も、遅かった(17/1/22)。本年は、内房保田の江月水仙ロードをチェックしていたが、厳しい寒さの日々が続き、暖かい日を選んで出掛けた。

 遠い内房保田 千葉の内房保田は遠い。東京駅から京葉線に乗り、内房線蘇我駅、木更津駅で乗り換え保田駅に降りた時は11時を過ぎていた。一週間前都内は大雪が降り我が家周辺はどっさり残っているが、京葉線の車窓からはビルの陰にも雪は見えなかった。
保田駅前案内所で尋ねると、水仙はもう遅く奥へ行けば残っているとのこと。出鼻を挫かれたが、スタートし保田神社に挨拶して、保田川を権現橋で渡り三叉路を、山側へ左折すると水仙ロードに入ったようである。当地は天候は良く、風もなく、寒さは感じない。流石温暖の内房の先である。

 遅かった水仙の花 やはり水仙はポツリポツリと各家の入口周辺あるが元気がないように見える。栽培ではなくて自生のよう。そんな水仙を眺めながらも奥へと進む。菜の花畑があり、こちらの方が見応えがあり、カメラを向けた。左手の山裾一面に水仙が咲いているが、お終いの時期で今一の模様(写真上)。道端には僅かだが、首上げて咲いている花もあり(写真中)、選んではシャッターを切る。ご夫婦の鑑賞者も見受けられ前後になりながら、水仙ロードを行く。山の斜面には茎が揃って倒れている水仙もあり、先日の雪の所為のようだ。坂道に掛かり、右手下の土手一面に水仙の花はあるが、白い花は終わりに近く皆下を向いている。
水仙広場があり直売所が出ている。帰りに寄ろうと奥へ進み、山間の二叉の道を左へ採とるとまあまあの水仙に出会い、ここからかと思ったら私有地で通行禁止とあった。広場へ戻って、テント内で休憩。売店の話しでは、見頃は今年は速く今月10日頃であり、雪は降ったが翌日に消えたという。パンと甘酒で昼食とし、土産にポンカンを求めるとザックが重くなった。帰りに見た道沿いに咲く水仙は、少し元気を得ているよう。太陽が真上に来て暖かくなったからか。

 原岡桟橋を往復 保田駅へ戻り、内房線下りに乗って富浦駅へ向かう。先日テレビで、原岡桟橋が紹介され興味を惹いた。富浦駅から海岸は近く10分程で浜へ出ると左手が桟橋で、見物者がいる。私もザックを浜に置いて桟橋を渡る。木製の桟橋が売りと思ったが長い桟橋のほんの一部が木製(写真下)。低く狭い桟橋で海水がすれすれ迄あり、怖い位。100m弱の桟橋往復し、景色を眺めたが、変哲のない小湾。海水浴に適しているようには見える。朝夕の富士のビューポイントとして有名になった桟橋と再認識し、富浦駅へ歩いた。2018/02/10 K.K. 1162/1200

 □日時 2018/1/29  天候 晴 □交通費 3,430円 □資料 鈴木一雄「江月水仙ロードから笑笑の湯」新ハイキング651109頁 □歩行距離 14km 19,000

「通過時間等」自宅7:45JR東京駅8:52-同蘇我駅9:46-同木更津駅10:28-同保田駅11:10=保田神社11:20=江月水仙ロード11:30=水仙ひろば12:10/12:20JR保田駅13:16-同富浦駅13:30=原岡桟橋13:40/14:00JR富浦駅14:46-同千葉駅16:42-同錦糸町駅17:32-大手町18:0019:50-自宅20:30

箱根旧街道を歩き杉並木へ

 箱根宿泊の会合へ参加し、私はハイキングも予定。天候が気になりネットで調べると、翌日は良くない予報。最近の予報は当たるから、前日歩くことにした。夕方以降がメインの会合だから、17時迄チェックインすれば良い。小田急線車中で地図を広げ、箱根旧街道を甘酒茶屋から元箱根へ出て杉並木を歩くコースにした。

  甘酒茶屋をスタート 箱根湯本駅に降り昼食を済ませ、旧街道を走るバスに乗車。大分前だが、湯本から旧街道を歩き旗宿は越したが七曲り坂で難渋しリタイアしてバスを待ったことがあった(04.12.13)。研究会メンバーのMさんと一緒であった。今回は、その残りを歩きたい。バスは旗宿を過ぎ曲がりくねる急坂を上がり、甘酒茶屋前に下車した。茶屋は、江戸初期創業で13代続くという。
茅葺きの薄暗い茶屋を覗いて、バス通りをスタート。裏に旧道がある筈ではと林へ近づいたが見付けられなかった。舗道を行くと直ぐ旧街道入口があり石畳の道へ入る(写真上)。石畳は歩きにくく、平らな側溝の部分の方が歩きやすい位。結構な上り坂でゆっくりと上がり続ける。真冬なのに寒くはなく、上下するグループと行き交う。歩きながら、一度反対側から越したことを思い出した。帰宅後調べると駅伝往路6区応援の帰り(09.1.3)と分かった。

 箱根馬子唄の碑 峠を上がり切り、緩やかな下りになる。箱根旧街道の最高地点は、当地ではなく先の箱根峠で(846m)、三島へ下り始める峠である。直ぐ右手の小さな広場に石碑があり、箱根馬子唄の碑。”箱根八里は馬でも越せるが・・・”は私も知っている。右手背後には二子山が迫っている。石畳の旧道は、大通りと交差したが、そのまま石畳の権現坂を下る。前方に芦ノ湖の湖面がちらつき始め、江戸時代の旅人達も、難所の峠を越したとホッとした地とある。私は初めての道で、反対側から歩いた時は大通りから旧道へ入ったのであったろう。

 杉並木を歩く 石畳道が終わり歩道橋を渡ると杉並木があった。杉並木は数回歩いているが、当地は初めてで、杉の太さは変わらないが道は狭い(写真下)。杉並木は先へ続くも右折の指示があり、現街道へ出てしまった。住宅街が迫り旧道は寸断されているらしい。
少し歩いて元箱根港、美術館前を過ぎ、また旧道の杉並木が始まった。これまで数回歩いた有名な旧道杉並木で、先程より道幅はある。”箱根八里”の唱歌を歌いながら歩いたのは従姉妹達とであったろうか。かぼちゃ会メンバーとであったろうか。
杉並木を抜け恩賜公園から関所跡、そして箱根駅伝記念碑へと歩いた。昨夏、北海道の孫達と訪ねたばかり。今回も、駅伝ゴールポールを確かめ、バスターミナルで、宮の下へのバスを待った。翌日午後は大雪になり、予報は大当たりであった。             (2018/02/02 K.K. 1161/1200)                                                  

□ 日時 2018/1/21 □天候 晴 □交通費 3,810円 □資料 昭文社「山と高原地図19 箱根」1994年8月 □歩行距離 14km 19,000歩
「通過時間等」自宅9:20-小田急新宿駅10:20-同湯本駅(昼食)12:40-甘酒茶屋13:07=箱根旧道入口13:20=箱根馬子唄碑13:40=杉並木入口13:50=杉並木14:10=バスターミナルバス停15:35-宮の下バス停16:26-仙石案内所バス停16:50-宿泊先16:55

さいたま東浦和に三社を訪ねる

正月を迎え、初詣先を思い巡らしていたら、さいたま見沼が浮かんだ。東浦和に代用水東縁や西縁があり、大分前だが数回歩き(99.4.25外)、その途中に氷川神社が二社あり、その先には大宮氷川神社もある。我が家から近く、駅から歩き出せるコース。本日15日は小正月で、遅くなったが神様は許してくれるだろう。孫達のこともお願いしたい。

 氷川女体神社へ スタート地JR武蔵野線東浦和駅は、板橋駅から武蔵浦和駅経由で1時間15分程で近い。構内案内図でも見沼代用水西縁の位置を確かめ歩き出し、予定通り西縁へ出て、遡上。冬の用水は渇水期で流れは少ない。道は時々舗装が切れ砂利道になる。行き交う人は稀である。
大牧小学校の裏手に神社境内らしき風景を見付け、踏み入ると目指す氷川神社であった。二度目の筈だが見覚えがない。しかも女体神社で、次の女体社の姫神社とある。参拝し孫達ことをお願いし、カメラに収めた。
また西縁へ戻り、用水沿いに歩く。右手に見えた林の奥が次の氷川女体神社で、うねった用水土手を下り公園を抜けると境内で(写真上)、こちらは僅かだが記憶にあった。チラホラの参拝者に混じり、手を合わせた。休憩し、持参した熱いウーロン茶を飲んだ。

 山勘が裏目に 三社の内二社に祈願をし、最後は大宮氷川神社へと当初は考えていたが徒歩では距離があり過ぎ、手許のマップ(「見沼たんぼ全域マップ」)から、中間に中山神社を見付けた。元は中氷川神社というから丁度良いと、そちらへ向かうことにした。
西縁から離れ水田地帯の中を行き、30分過ぎだが風景に変わりはない。川で遊ぶ白い鳥を見付けデジカメを構える。白鷺らしい(写真中)。大通りへ出て、北宿橋で芝川を渡り、左折し中山神社を探す。右手に神社森らしき森があり、いつもの山勘で近付いたが違っていた。ここで混乱し、この近くが中山神社と思い込み20分、30分ウロウロし、通行人にも尋ねたが不知との返事。携帯ナビでも1km以内と出たから混乱を増した。いつもの山勘頼りが裏目になってしまった。

中山神社を探す 誤り始めた地点へ戻り、2人の方に教えて貰い、最後の方は近くまで案内してくれ、住宅街に聳える林を指さしてくれた。私は、一本手前の通り付近を探していた。表参道へ回り、小さな村社といった社殿前に進み詣でる(写真下)。裏に歴史ある旧社殿が保存されていて、桃山期建築と推定されるとある。これで何とか三社を巡ることが出来、長い参道を後にした。
帰路はJRさいたま都心駅迄歩く予定であったが、疲れてバス停を探す。直ぐJR北浦和駅行きのバスが来て、北浦和駅から赤羽駅経由で帰宅した。         (2018/01/28 K.K. 1160/1200)

□日時 2018/1/15  □天候 晴 □交通費 810円 □資料 JR東日本駅からハイキング「東浦和見沼田んぼ散策」2006年8月 □歩行距離 17km 23,000歩
「通過時間等」自宅9:30-JR板橋駅10:07-同武蔵浦和駅10:32-同東浦和駅10:47=見沼代用水西縁10:55=大牧氷川神社11:08=氷川女体神社11:43=北宿橋12:30=中山神社13:35=富士見ヶ丘バス停13:52-JR北浦和駅14:20-三田線新板橋駅15:03-自宅15:30

2018年ハイク始めに三浦富士、武山を歩く

2018年歩き始めは、三浦富士から武山にした。最近三浦半島はご無沙汰で、また武山不動尊があり序でに、初詣も出来る。一度歩いて(99.3.13)、私には手頃なコースの記憶があり、海が眺められる。新年早々より弟から誘いがありこのコースを提案し、オーケーを貰った。久しぶりで事前に調べると、複数の手許ガイドに紹介してあり(散歩の達人「らくらく日帰り山さんぽ」交通新聞社74頁)、人気のコースのようである。

 三浦富士へ 三田駅で京浜急行特急に乗り三浦半島に入って鈍行に乗り換えると弟が乗っていた。長沢駅に降りスタート。少し歩いた公園脇に三浦富士コースの上り口が見付かり、緩やかな上りの広葉常緑樹の林の中を行く。亜熱帯系で楠やタブの木だろう。アップダウンを繰り返しながら僅かながら高度を上げている。赤い実を付けた灌木があり、ユズリハかなと思ったが柊らしい。時々右手の木立の間に家並みが見える。急坂下にベンチがあり、急登に備え2人は休憩。目の前の急坂を上り切ると二つの石の祠があった。記憶が蘇り、三浦富士の頂(183m)かなと思ったらやはり山頂で、数人のハイカーが休憩中。僅かな賽銭で手を合わせた。カメラを構えていた弟が”富士山”と言うので、振り向くと丹沢の山々越しに遠望出来て(写真上)、私もデジカメを出した。

  大島を眺める 一旦里道へ下りると、10人以上のグループが追い越して行った。今盛んなトレラン(山岳ラン)の訓練のようで、弟は、先程長沢駅に集合していた面々と言った。展望台があり、三浦半島の先迄望める。先端の島は城ヶ島かと思ったら、大島と気付いた。意外に近く大きく見える。里道の儘で砲台山(204m)へ着く。山頂にはアンテナ施設が建ち、その手前に丸い穴があり、先の大戦時に設けた砲台跡のようだ。前回この辺りで滑って転んだことを思い出した。

 武山からキャベツ畑を下る 次の武山(200m)へは、また一旦下るが今度は直ぐ長い階段の上りになる。ここで弟が離れてしまった。私は、先に上がり武山不動尊に参拝し遅い初詣で、孫達の成長や念願成就をお願いした。人出があり、こちらは車でも可能で、バス停も近いようだ。
境内で昼食後、展望塔へ上がる。東京湾が一望で、対岸には房総半島が広がる。小さな双耳峰は内房岩井の富山だろう。館山の房の大山はもっと先端部の筈。広葉樹林帯の中の長い直線的な山道を下る。本日、ストック二本持参し、一本は弟が使っている。賃料は肴と伝えた。
農道へ出て集落内を下ると、左手に三浦富士が見えた。全貌を捉えたが富士とは似付かない山容だ(写真下)が、カメラに収めた。周囲は一面キャベツ畑。途中の販売所でみかんを求めた。苺やサツマイモも特産とある。津久井浜駅から帰途に就き、弟とは横浜駅で別れ、また柿ピーとお茶を貰ってしまった。        (2018/01/23 K.K. 1159/1200)

□日時 2018/1/7 □天候 晴 □交通費 1,710円 □資料 山と渓谷社「首都圏ハイキング2000秋冬 三浦半島・三浦富士」 □歩行距離 12km 17,000歩
「通過時間等」自宅7:40-京急三田駅8:31-同長沢駅9:45=急坂下・休憩10:20=三浦富士10:30=展望台11:00=砲台山11:05=武山(昼食)11:25/11:55=京急津久井浜駅13:01-三田線三田駅14:15-自宅15:05

記憶と違っていた奥武蔵金勝山、官ノ倉山

今年の歩き納めはホームグランド奥武蔵の官ノ倉山とし、ハイク友Kさんに同行をお願いした。官ノ倉山は、コースは違うが数度歩き、コースに変化もある。我が家から近く、それに駅から歩き出せるのが良い。これまで家内とも登った(96.4.21)し、後輩Mさんとも歩いた(05.3.20)ことがあり、コースは記憶にあるが、調べると12年振りである。

 金勝山へ Kさんと、東上線川越駅に待ち合わせ終点小川駅で乗り換え東武竹沢駅に降り、先ずは金勝山へ向かう。線路沿いから山へ左折し、ハイキング道に入る。池には薄い氷が見える。次第に狭い山道となり急坂も混じる。Mさんと歩いたコースだろうが記憶と違いやや険しい。上がり切って、山頂(263m)で休憩(写真上)。右手先の大きな建物は、最近出来たH技研の寄居工場らしい。隣の少年自然の家のある尾根へ上り返し、舗道を下る。これからの難路に備え楽に下りたい。予定より大回りし正門から大通りを歩き八高線沿いへ出た。

 記憶と違うポイントの神社 JR竹沢駅前を通過し山側へと踏切を渡り、官ノ倉山への上がり口を探す。神社がある筈だが見付からない。地元の方にもっと先と教えられ、先程来私の記憶は当てにならないようだ。山村集落内を大分歩いた三叉路に三光神社があった。この神社には思い出がある。初孫が生まれた直後も歩き(97.12.27)、無事成長をお願いしたのが当社であった。その孫が無事20歳を迎えたことを報告し、お礼を申し上げた。直ぐ天王沼。泥沼の印象であったがそうでもない。いよいよ本日一番の難所、急坂に掛かる。傾斜に加え、崩れ跡や溝が出来ていて荒れている。夏場の大雨の所為だろう。数回ジグザグを繰り返し、峠へ上がって、休憩、昼食。

 鎖場に苦戦 直ぐ上が官ノ倉山頂だが、急登な上にガレ場状。Kさんは普通に前を行くが、私はまた苦戦し、少し遅れて山頂(344m)へ上がった。東北側の木々が伐採されていて展望があり、先の山は筑波山だろう。ベンチで高年男性が1人絵を描いていた。また急斜面を下り、上り返すと石尊山で、祠があり手を合わせた。Kさんに、これからは下りの鎖場と伝えるも、彼は難なく先行するが、私はそうはいかず、落ち葉の中に足場を探し、鎖に掴まり一歩一歩下る。家内とは上りだったが良く歩いたなと思う程の難所(写真下)。しかも記憶よりは大分長い急坂。当時は未だ若かったのだ。Kさん、下り切って待っていてくれた。また荒れた狭い山道で、出口の北向観音迄は距離があった。

また東武竹沢駅 山を出て、里道を小川駅へ向かう。途中から標識を失い、また尋ねて駅方向を教えて貰ったが、小川駅近辺の風景ではないと気付く。何と出発駅の東武竹沢駅への道であった。
私のリードミスで、余計な時間が掛かり、駅前で懇親する時間がなくなってしまった。でも、Kさんと歩きながら翌年の山歩き先を相談出来た。新年もよろしくお願いします。(2018/01/17 K.K. 1158/1200)

◇日時 2017/12/29 ◇天候 晴 ◇交通費 1,920円 ◇資料 東武鉄道(株)「金勝山官ノ倉山コース」 ◇歩行距離 18km 25,000歩
「通過時間等」自宅8:20-東武成増駅9:00-同小川町駅10:18-同東武竹沢駅10:25=金勝山10:55=少年自然の家正門11:30=JR竹沢駅前11:55=三光神社12:20=官ノ倉峠13:00=官ノ倉山13:15=石尊山13:25=北向観音14:05=東武竹沢駅14:40-JR北朝霞駅15:53-同武蔵浦和駅16:00・・・・・自宅18:40

七沢温泉から登った再訪の見城山

春に弟と登った厚木奥の見城山(ミジョウヤマ)では下山コースを誤り、難渋した上に予定の七沢温泉へ下山出来なかった苦い山歩きをした。弟にリベンジしようと言われていたが、私もそのつもりで、その時が来て、今度はコースを間違えないよう下山地であった七沢温泉口から上がることにし、弟に了解を取り付けた。

七沢温泉から上る 本厚木駅前から乗ったバスを七沢温泉入口で下車。同温泉街へ入ると福元館の反対側に登り口が見付かったが、狭い急階段で、その先のコースを暗示していた。マップにも急とある。雑木林の中の薄い山道を落ち葉を踏みながら歩く。次第に傾斜を増して急坂になり一歩一歩ゆっくり上る外はない。階段もあるが歩幅が合わず楽にはならず、弟も苦戦しているようだ。鞍部へ着いて一息付く。広沢寺温泉からのコースとの合流地でもあり、そちらから勢いよく上がってきた中年グループに先行してもらった。

 急登、急登また急登 休憩後、また急坂に取り付く。ロープがあり縋り付くようにし坂を上がる(写真上)。展望のない山道は辛さを紛らわせない。弟を待ちながらも先へ先へと歩を進める。時々足は止まるが息が上がる程ではない。日頃歩き続けているからだろうか。小さな鞍部へ上がり、また小憩し弟を待つ。時間的には山頂は未だ先だ。
三度目の急傾斜の坂へ挑戦すると距離は短く、直ぐまた鞍部であった。先程先行したグループも休憩中。右手の先を見ると山頂のようで、近い。最後も急な山道が続き、山頂手前で、前回通った七曲り峠からの道に合流。前回は山頂からこの地点へ戻って、七沢温泉へ下るべきであったのだ。どうして誤ったか、標識は?と見回すと、案内板は外れて藪原に落ちていた。それで、頂へ直進したため見逃していたと結論付けたいがどうだろう。
 見城山頂(360m)には、数人休憩中。弟も遅れて上がって来て、前回の間違いの訳を伝えた。今朝本厚木駅で求めたパンで軽食。ご夫婦ハイカーが温泉への下り口を尋ねて来て、教えて上げたが、やはり分かり難いのだ。

七曲り峠を下る 下山だが、今回は上りで苦労したため、上り返す日向山へ行かずに七曲り峠から七沢温泉へ下ることで、弟と一致。前回とは逆に峠へ下りると、荒れた急な坂の道。峠で左折し、杉林の中を下るが、意外に急でロングな道。先程上がった道に見合う傾斜と距離だからと納得し、下り切って林道へ出た。日向薬師からの七沢温泉への道で、関東ふれあいの道の一部であり一度歩いたことがある(01.10.13)。七沢温泉(写真下)ではバスは出たばかりで、同温泉入口でバスを待った。本厚木駅で昼食をし、弟に別れ、鈍行で席を確保し帰途に就く。今回はリベンジなったがコース採りが利いたのだろうと思う。(2018/01/10 K.K. 1157/1200)

◇日時 2017/12/23 ◇天候 晴 ◇交通費 1,660円 ◇資料 厚木市観光振興課「厚木大山ハイカーズガイド」平成29年11月 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅7:20-都営新宿線神保町駅8:05-小田急新宿駅8:31-本厚木駅前9:40-七沢温泉入口10:10=七沢温泉登り口10:25=広沢寺温泉分岐10:50=見城山11:25/11:50七曲り峠12:00=林道12:20=七沢温泉12:30=同入口バス停13:08-小田急本厚木駅(昼食)13:45/14:24-都営新宿線新宿駅15:55-三田線神保町駅16:09-自宅16:50

和歌山市に紀三井寺から城跡を訪ねる

大阪泊の翌朝、県都和歌山市を訪ねる。和歌山市は二度目で、和歌山城跡は再訪である(91.12.9)。その後紀伊田辺から熊野那智大社へ行く途中、紀勢本線で和歌山駅を素通りしていた(06.9.8)。この程度で、和歌山には縁がなく、今回は紀三井寺も訪ねて、しっかりと巡り歩き、記録したい。

 紀三井寺参拝 JR天王寺駅から阪和線快速に乗車。堺、岸和田から日根野で、関西空港への乗り換え駅と知る。和歌山に近付くに連れ、山間を走り平野へ出ると和歌山駅であった。先に紀三井寺参拝へと、紀勢本線に乗り継ぎ二つ目の駅から歩き出す。左手の山麓に大きな塔や寺院が見え始め、770(宝亀元)年開基の大古刹紀三井寺。入口と思ったら裏門で、坂を上がって境内へ入り松下講堂から本堂前へ出て、参拝。また孫達の成長と受験のお願いをする。人出も少ない中、開山堂や重文多宝塔を巡り、目を海側へ転じると和歌の浦が広がり(写真上)、中々の眺め。正面の石段は急で、慎重に下る。当寺には三霊泉が湧き、寺名とも結び付き知られているが、石段途中に案内があるも、二つの井戸は木製蓋で覆われ泉は見えない。下の吉祥水だけ湧き水が落水していて、カメラに収めた。重文の楼門から紀三井寺駅へ戻った。

 広い和歌山城跡を巡る 和歌山駅案内所で、マップを入手した際、ご当地ラーメンを薦められ、近くの人気店で並び昼食にする。支那そば風とのことではあったがやや現代風。三年坂通りから県庁手前が城跡で、濠端に立ち眺めると濠は広く、天守も大分奥で、記憶とは違い広大な規模の城郭(写真下)。徳川御三家55万石の居城であったから当然と思い直す。1585(天正13)年羽柴秀長が築城し、1601(慶長6)年から城主の淺野幸長が改修して、1619(元和5)年頼宣が入城した。
岡口門から登城し表坂を上がり、本丸御殿跡から天守閣下に着く。昭和20年の空襲で焼け復元天守とある。先程歩いた三年坂通りが意外に広く、やはり当市も空襲を受けていたのだ。端に鞠と殿様の歌碑があり、殿様が紀州公とは知っていた。天守閣へ向けシャッターを切り、反対側へ降りる。この辺りが僅かに記憶に残るが一致しない。現存追回門を出入りし、鶴の渓から紅葉渓庭園へ。御廊下橋を渡り二の丸で小径。当城のシンボル伏虎像を見ると、傍に石垣の説明があり野面積み、打込ハギ、切込ハギと築城歴史を示しているとあり、私も確かめた。大楠下から大手門、一の橋を渡り下城した。
市内に、昨日会った友人が紹介してくれた老舗を訪ねる。思ったより距離があったが見付かり、入店し休憩。連絡があったと店長以下に丁寧に遇して貰い、教えて戴いたバス停から和歌山駅へ出た。天王寺行き快速に乗り、今回の県都巡りは予定通りに歩き終え、伊丹空港へ向かった。(2018/01/05 K.K. 1156/1200)

◇日時 2017/12/16 ◇天候 曇り ◇交通費現地 3,160円 ◇資料 和歌山市観光協会「和歌山市観光案内マップ」平成29年6月 ◇歩行距離 15km 21,000歩
「通過時間等」ホテル8:00-JR天王寺駅8:34-同紀三井寺駅10:25=紀三井寺本堂10:40=JR紀三井寺駅11:28-同和歌山駅(昼食)11:40/12:10=和歌山城跡岡口門12:30=天守閣下12:40=二の丸跡13:15=市内老舗13:45=バス停14:00-JR和歌山駅14:19-阿部野橋バス停16:00-伊丹空港18:30-羽田空港20:00-三田線三田駅20:24-自宅21:10

古都奈良を歩き県都巡りに加える

私の県都巡りは第4コーナーに差し掛かり、先日岐阜と津を加えて、残り僅かになった。年末に至りJALマイレージの利用期限もあり、航空便で大阪へ行き、奈良と和歌山を訪ね、一挙に2県都を巡ることにした。伊丹空港からのアクセスにやや不安があるが、関西は私鉄が発達し、一泊すれば時間も出来、何とかなるだろう。

伊丹空港から奈良へ 伊丹空港に着き、阿部野橋行きバスに乗車。渋滞気味の高速を走り、18年前も同じルートで大阪に入りノロノロしたバスを思い出した。10分程遅れ阿部野橋に着き、JR天王寺駅から関西本線で奈良を目指す。二度ほど乗ったことがあり駅名や車窓風景も記憶にあるものもある。意外に近く奈良駅に下車し、市内マップを入手して歩き始める。県都巡りではあるがハイキングのつもりで、若草山は外せない。その前後に、数ある寺社から春日大社と東大寺、そして復路途中に法隆寺見学も予定している。
広い春日大社境内 駅正面の大通り商店街・土産店街を行く。流石観光都市奈良は外人も含め人出は多い。間もなく右手に猿沢池が見えた。奈良は3度目で、最初は約50年前家内と、次は91年の出張であった。その時汚れた池を見たと思うが、今回はそんな感じはなく普通の池。左手が興福寺で五重塔が建つ。そろそろ奈良公園で、春日大社の境内参道に入ったようで、松林の中の真っ直ぐな道となり、鹿が現れ出した。大社へは距離があり、40分程歩いて参拝し、近くの売店で昼食。関西風うどんはあっさりし、美味である。
登れない若草山 店内で、若草山への道筋を尋ねると、多分閉鎖中で登れないとの返答。本当?と訝りながらも、修学旅行生達と行き交い山下へ着く(写真上)と、やはりケートは閉門中。奈良のシンボルのような若草山がダメでは今回訪ねた意味がないようなもの。しかし、奈良は有名寺院が目白押しで、学生達に付いて二月堂を目指す。三月堂、四月堂もあると知ったが二月堂に詣で、舞台から眺めると眼下の太堂は東大寺大仏殿だろう。二月堂は私も知るほどで、お水取りで有名だ。
大仏様に再会 坂を下ると自然に東大寺境内へ。正面の横から寺内へ進み、大仏様に再会。家内との時も、観光バスに乗り拝仏したと思う。正式名は盧遮那とあるのを見て、その事が高校時代歴史の試験に出て、答えられなかったことを思い出した。
また園内で遊ぶ鹿達に出会い南大門下を通り(写真下)、駅へと戻る。先程来、脚に疲れが出始めている。今週日曜日北茨城を歩き中四日で、いつもより間隔が短いことは確かだ。奈良駅へ戻ったが、法隆寺見学は断念。また来れるだろうといつもの楽観主義で、若草山のリベンジもある。
JR天王寺駅へ戻り、ホテルの位置を見誤り探すのに時間を喰ったが、4時前に着き休憩。友人のMさんとの夕食時間まで、部屋でゆっくりとした。(2017/12/31 K.K. 1155/1200)

勿来の関から県境を越え高萩松岡城跡へ

毎年恒例の事務所の総会が、今年は北茨城開催であった。翌日、福島いわきの勿来の関は直ぐ決まったが、常磐線沿線でもう一箇所歩きたい。手許の「城郭と城下町2 関東編」(小学館)から茨城に、”松岡城”を探し当てたが、名を知っている程度で、所在地を調べると茨城高萩とありコースとしては、勿来からの帰途の途中で、丁度良い。

 歌碑が並ぶ勿来の関 朝、ホテルから常磐線勿来駅送迎バスに乗車。途中で降ろして貰うつもりであったが、運転手さんの好意で、駅からの帰り勿来の関まで送って貰った。私は二度目だ(98.11.13)が、前回は夕方立ち寄っただけで、殆ど記憶にない。
9時前で、関所を模したような建物や歴史館があるが未だ開館前。仕方なく、1人彷徨き、中央の小径を戻ると右手の丘上が詩歌の古道で、少し記憶が蘇った。遊歩道の両側に、関を詠んだ歌碑が並んでいる。和泉式部や小野小町は前回知ったと思うが、斎藤茂吉の歌碑もある。長塚節の死を悼み当地を訪ねた時に詠んだとある。有名なのが、源義家が奥州遠征の際詠んだ”吹く風を なこその関と思へども 道もせにちる山桜かな”で、義家の騎馬像も建つ(写真上)。カメラに収め駅へ戻るがコースは前回とは違え、海岸通りへ下る。先程バスで通過する際確かめた分岐点へ出て、海を眺めながら勿来駅へと歩いた。
今回ネットで調べると、勿来の関は所在地の外、存在自体にも疑いがあり、古書には歌枕としてのみ見当たるとあった。”勿来”は禁止の意味で、読み方としても、来るなかれであり、少なくとも、蝦夷の南下を抑えたい当時の都の意思表示であったろうか。

武家屋敷が遺る松岡城跡 常磐線鈍行で、福島から茨城へ入り高萩駅下車。初めての地で、案内所はなく、頭にあるアバウトな地図とルートで、城跡にある松岡小学校へ向けスタート。途中からコースに乗ったようで、下手綱地区に至り、大通りから関根川沿いに行くと小学校前で、城跡案内があった。
 松岡城は、江戸の初期、関ヶ原後、佐竹氏の秋田左遷と交代的に戸沢氏が出羽角館から封じられて築城、改名したという。その戸沢氏は最上新庄へ転封となり、私は、新庄城跡見学で松岡城を知った。その後、水戸徳川領になり、付け家老中山氏支配の地になったとある。
確かに、小学校の外周は土塁跡のよう。校門脇には、中山家土蔵が遺っていた。校門から正面の橋を渡ってびっくり。大手口のお屋敷通りで、今も両側に武家屋敷があり(写真下)、江戸末期から明治時代の儘のよう。立派な藁葺き長屋門が連なるが、崩壊寸前で工事中のテント貼りの門も見受けられる。カメラに収めながら、現在の大通りへ出ると、街中でまた同じような長屋門に出会う。当地は交通の要衝から外れ開発の波を受けなかったからであろう。そんな感想を抱きながら、駅へ戻ったが、途中のバス停で時間を見て、バスを待った。(2017/12/27 K.K. 1154/1200)

◇日時 2017/12/10 ◇天候 晴 ◇交通費現地分 600円 ◇資料 いわき市勿来関文学歴史館「歴史浪漫への誘い」、小学館「城郭と城下町2関東編」158頁 ◇歩行距離 17km 23,000歩
「通過時間等」ホテル8:00-勿来の関8:25/8:55=海岸通り分岐9:05=JR勿来駅9:45-同高萩駅10:10=松岡城跡10:55=バス停11:52-JR高萩駅12:31-同上野駅14:40-三田線巣鴨駅14:54-自宅15:20

東川口にさざんかの花観賞に出掛ける

ラジオだったと思うが、川口の植物センターにさざんかが見頃になったと聴いた。さざんかは冬期の花だとは知っているが、花自体は定かではない。細長の葉に赤い実を付けた花かな、違うかな程度で、ネットで調べると椿の仲間とある。我が団地の生け垣に咲いている花がそのようだ。少し引けたが、最近遠出が続いたので、近くの東川口は丁度良い。

 西福寺三重塔へ 最寄り駅は、地下鉄南北線からの埼玉高速鉄道戸塚安行駅と分かった。JR巣鴨駅から山手線に乗り隣の駒込駅で、南北線に乗り換えた。この線に乗ることは少なく、特に赤羽の先からは初めてだと思う。戸塚安行駅に着き地上へ出て、持参マップと方向を確かめた。さざんかだけでは物足りなく、近くにある西福寺を目指す。古刹で、三重塔があるという。途中から寺の案内があり、難なく三重塔と寺院へと辿り着いた。高さ23mの塔(写真上)を見上げカメラに収めた。将軍家光の娘千代姫が奉建したとある。

遅めの紅葉に包まれた田舎道を抜け南下し、外環高速下となる。迷わず、最初の交差点を右折したが植物センターが現れない。左手の筈だが、また交差点へ至り見覚えのある風景。赤山日枝神社があり、赤山城跡を訪ねた時(02.11.17)、寄ったと思う。通り一本間違えたと気付いて左折し東方へ行き、そろそろかと途中から植木園のような畑地へ進入したが、植物センターではない。マップにある安行氷川神社があったが、センターの方向が不明。尋ねてようやくセンターの通りへ出たが、先にある興善院前であった。紅葉で有名で、本日も人出がある。15時半になりセンターの閉園時間を気にし、紅葉に覆われた参道を覗きシャッターを切っただけで、左手に見え始めたセンターへと急ぐ。

期待しすぎのさざんかの花 植物センターへ入園すると、さざんかはあったがやや遅めの感じ。赤やピンクの花を付けたさざんかは椿似だ(写真下)。カメラを向けながら、広くはないセンター内を一回り。季節の花観賞では時々思うことだが、ラジオで宣伝する程の花園かなと疑問が生じ、特に量的に少ないことが多い。今回も、さざんかの木は、他の樹木に混じり、ぽつりぽつりあるだけ。私の先入観が誤りか、それとも期待感が強すぎるのだろうか。満足するには至らず確かめた程度で、駅へ戻る。管理事務所でパンフしようと思ったが、本日は閉まっていた。
川口安行は植木の街らしく、栽培している植木屋さんの並ぶ通りから戸塚安行駅を探して、地下ホームへと降りた。途中王子駅から寄り道して巣鴨駅へ出て帰宅した。(2017/12/24 K.K. 1153/1200)

◇日時 2017/12/3 ◇天候 晴 ◇交通費 1,420円 ◇資料 昭文社「埼玉県道路地図」◇歩行距離 9km 13,000歩
「通過時間等」自宅13:40-JR巣鴨駅14:13-南北線駒込駅14:20-戸塚安行駅14:50=西福寺15:00=赤山日枝神社15:15=興善寺15:30=川口緑と花振興センター15:35/15:50=戸塚安行駅16:16-王子駅16:40-三田線巣鴨駅17:25-自宅18:00

先日の1146昭和の森編について、故郷の読者で歌人のS先生から、句を戴きました。
“トンネルの白さが語る未知の里”です。有り難うございました。

中山道奈良井宿から鳥居峠を越す

中山道の宿場と言えば馬籠や妻籠だが、これらの宿場を歩いた後、奈良井宿も馬籠などに引けを取らない宿場街が遺ると知った。資料を眺めその内にと考えていた。そうしたら長野の家内実家からいとこ会の案内が届き、上田の鹿教湯温泉開催とある。この機会にと調べると、奈良井からは松本、長野を経由すれば集合時間ギリギリのようである。

 奈良井宿にびっくり 新宿発8時丁度のあずさ2号を塩尻駅に降りると寒い。想定していたがその通りで、用意した防寒対策をし中央西線に乗り換えた。木曽峡谷の隘路を走って奈良井駅に着き、11時15分スタート。奈良井宿、鳥居峠、藪原宿へと歩き、藪原駅から木曽福島駅へ行き15時の特急長野行きに乗車する。
駅の左手直ぐが奈良井宿場街。江戸期の宿場が山中に忽然と現れたような街で、木造の古い商家や宿屋、個人宅が狭い通り両側に並んでいる(写真上)。それが隣り合い密集して宿場街を形成し、約1km続くという。土産店や食堂、旅籠の外、漆器店が木曽路らしい。驚きながら、眺め、シャッターを切り続け、先へと急ぐ。途中の観光案内所で、薮原迄は徒歩3時間と聞いた。事前調べと同じ。

鳥居峠を越す 宿場街も終わり、高札場、鎮神社前から坂道となり、いよいよ中山道の難所鳥居峠に掛かる。石畳の道から展望台下、葬り沢、そして中の茶屋跡を過ぎると本格的な峠の上り。当地は紅葉は終わっている。先程来会う人もないが本日は平日であった。小さなジグザグをこなし、一里塚を過ぎるが標柱の路程表示が区々で、峠への距離が読めない。道路へ上がった地点で、外人一行と擦れ違い挨拶。休憩舎が峠の茶屋跡らしく、切通を抜けると、鳥居峠の頂(1197m)で、約1時間であった。正面に雪を被った高峰が見え、御嶽山か。小憩し、ここからは藪原駅へ直行し1時間前の電車を捕まえようと、予定変更を決断。神社や史跡は省略し、薮原への坂道を急ぐ。落ち葉を踏みながら下り切って石畳の道となり、薮原は近いと分かり、予定より1時間前の電車乗車を確信し始める。林を抜け大通りを横断し、天降神社、原町清水を眺め、集落内の坂を下って尾張藩御鷹匠役所跡、飛騨街道追分跡を過ぎ、中央西線高架下を出ると薮原宿であった。

黄楊の櫛屋さん 奈良井宿とは違い、昭和の街並みに古い町屋が点在する程度。その中に黄楊の木櫛屋さんを見付け(写真下)、またビックリ。私の好きな原田悠里が唱う”木曽路の女”の2番にも出て来て、木曽の特産品である。思わずカメラに収めた。しかし、藪原駅は宿場の外れで、また中央西線地下道を上がるとようやく駅で13時25分着、近道したからであるが、奈良井駅から2時間10分であった。
木曽福島駅発14時25分発長野行き特急に乗れ、長野駅から新幹線で上田駅に降りると、義弟夫婦や家内の従姉妹達と一緒になり、鹿教湯へ向かった。(2017/12/20 K.K. 1152/1200)

◇日時 2017/11/28 ◇天候 晴 ◇交通費 12,600円 ◇資料 奈良井宿観光協会「奈良井宿ご案内図」、「中山道鳥居峠越えコースガイド」 ◇歩行距離 13km 18,000歩
「通過時間等」自宅6:55-JR新宿駅8:00-同塩尻駅10:50-同奈良井駅11:15=鎮神社11:35=一里塚12:10=鳥居峠12:20=同峠口12:50=原町清水13:00=尾張御鷹匠役所跡13:10=JR藪原駅13:38-同木曽福島駅14:25-同長野駅16:18-同上田駅16:30-鹿教湯温泉ホテル18:00

白河に城跡、南湖公園、関跡を訪ねる

昨年末から友人Sさんの車で、アクセスの悪い深山幽谷や辺境の地へ送迎して貰い歩き、そんな記録が二桁になろうとしている。感謝であるが、私が歩いている間はSさんに車の中で到着を待って貰うことになり、忍びない。一緒に城跡や関跡を巡るコースを考えた。彼も史跡巡りは付き合ってくれるだろうと期待した。

 雨上がり小峰城櫓見学 車は東北自動車道を走った。本日、午前中は小雨だが午後は上がるとの予報。そのとおり、福島白河へ近付くに連れ小降りになっている。高速を降り、白河市内へと進み小峰城へと向かう。小峰城は、14世紀中頃結城親朝の築城に始まり、江戸時代会津領を経て、初代白河藩主丹羽氏から榊氏、本多氏、松平氏、阿部氏と親藩等が続き、奥州玄関口を固めていた。3度目の私は、JR東北線白河駅裏へと回って貰い、公園駐車場に着いた。傘を指さずに城内へ。前回弟訪ねた時は東日本震災被害に遭い工事中で、入れなかった(14.8.24)。一部工事しているが、天守閣相当の三重櫓は見学可能で、二の丸跡から濠を渡り、高い石垣の間の石段を上がると広い本丸跡で、そして櫓であった。戊辰戦争で焼失したが平成3年復元するも木造三階であるため(写真上)、建築基準法の許可はないらしい。そのためか、入場料もなく、階上へは3人ずつと見学制限がある。Sさんと私は、別々に梯子段を上がり見学。木造櫓内は明るく美しい位。城内周辺も散策し、次の南湖公園へ。

 紅葉が残る南湖 白河市内を抜け、東南にある南湖公園へ走って貰う。車は速く、直ぐ湖畔に到着。前回は新白河駅から弟と歩いた。1801(享和元年)年白河藩主松平定信が造ったわが国最古の公園と言われる。大きな池中心に、定信は17の景勝地を選び名を付け大名達が詠んだ和歌や漢書の石碑を配している風流の地でもある。私は、歩き残している北側の湖畔を往復。落ち葉を踏み少し山腹へ上がると紅葉が残り、晩秋の彩りである(写真中)。思わずシャッターを切った。Sさんと昼食後、定信を祀る南湖神社へ参拝し、隣の翠楽園を歩く。典型的な日本式庭園で、瀧と紅葉のコラボは流れに映え美しい。同じく散策中のSさんに追い付いた。

 二度目の白河の関 最後は白河の関跡。南湖公園から距離があり、途中から奥州街道だろう。Sさんとナビは正確で、関跡の前へ駐車。私は20数年振りだが、僅かに見覚えのある風景(94.9.14、写真下)。正面から続く参道石段を上がり、白河神社に詣で、関跡を彷徨く。能因法師外の古歌を刻んだ碑を眺め、隣は濠跡、土塁があり中世の館跡のよう。右奥の地に江戸時代の関所があると知り、そちらへ。白河の関は奈良、平安時代の国境の関であったがその後廃され、江戸時代は別に関所が設けられたと知った。そのためか、芭蕉と曾良の像は、江戸期の関所に近い方に建っていた。関所の建物は平屋の番所風で、確かに箱根にある関所の建物に近いように思えた。2人は、一応一回りし、帰途に就く。西の空を見上げると晴れていた。
私は、山中の集落を縫う狭い奥州街道を通り栃木県黒羽へ入って貰った。Sさん、またまた有り難うございました。(2017/12/18 K.K.1151/1200)

◇日時 2017/11/23 ◇天候 小雨、曇り、晴 ◇資料 白河観光協会「歴史のまち白河ガイド・マップ」 ◇歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」自宅7:55-白河小峰城跡10:25/11:05-南湖公園(昼食)11:15=南湖神社12:15=翠楽園12:30-白河の関跡12:45=江戸時代関所13:15-自宅17:00

ワンゲル部ハイクに参加し宝登山に登る

勤務先ワンゲル部ハイキングに参加を申し込んでいた。秩父長瀞宝登山(497m)で低山だが、遠ざかっている山歩きへの足慣らしである。一週間前2泊3日の所内旅行があり疲れが取れず、今一気が乗らないがロープウェイもあり、早朝出発の船下りはパスしハイキングのみにして貰った。下山後はバーヴェキュー付である。

 四度目は紅葉の宝登山 私が、東武東上線から秩父鉄道へ乗り換え長瀞駅に着いたら、メンバーは駅前で待っていてくれた。若者8人と一緒に、宝登山神社参道から先ずは麓の神社に参拝し、安全をお願いする。境内の紅葉は見頃で美しい。参道は頂上の奥宮へ続き次第に傾斜を増して行く。約50分と確かめ、林の中の坂道をゆっくりと上がる。久しぶりの山坂でペースが掴めず、前になり後になりながら歩き続ける。くねりはあるが林道のような広い道で歩き易い(写真上)。皆さん元気で会話は途切れない。時々は紅葉が現れ、眺め、カメラに収める。 私は、当山は三度歩き、今回のコースは最初の時上がった(97.3.29)が、20年前のことで記憶はゼロ。左手をロープウェイが走り、木立の間からゴンドラが見えた。時間的に中間点を過ぎたろう辺りで、関東ふれあいの道分岐点があり、そちらへ入ると狭い山道となる。そして、ロープウェイ山頂駅脇へ出た。直ぐ上がロウバイ園で、花友と観賞したことがある(11.2.27)。園内を抜け最後の急登を上がると小さな山頂で、標柱にタッチし休憩。山頂の裏側は直登の長い階段で、長瀞アルプスを縦走した二度目の時(09.3.21)、難渋したのを思い出した。右手奥には両神山、正面には武甲山が聳える。眼下の秩父市は山峡の街だ。メンバーに紹介したら、石灰岩採掘で異様な山容になっている武甲山には興味を示してくれた。軽食とワインを楽しんでいると、汽笛が聞こえてきた。土日のみだと思うが、秩父鉄道は蒸気機関車が走っている。

 バーヴェキューを楽しむ 休憩を終え奥宮に詣で、ロウバイ園を通りロープウェイ山頂駅から乗車。車窓から見えた白い花は冬桜と教えて貰った。折良くシャトルバスがあり駅へ戻る。私は歩きはお終いと思っていたら、バーヴェキュー迄は時間があり、長瀞岩畳へ寄るという。後に付いて土産店街から荒川渓谷へ出た。皆さん元気で大岩へ上がったが、私は入口で休憩。更にバーヴェキュー会場は遠くタクシーを期待していたが徒歩。20分以上歩いて、宝登山とは反対側の山裾の会場に着いた。途中荒川を渡る橋付近は紅葉に覆われ(写真下)、紅葉に彩られた正面の里山は元飼い猫タマの背中を思い出させた。本格的なバーヴェキューで、若者達の旺盛な食欲に煽られ、私は一年分の肉を食べてしまった。大勢での山歩きも楽しいものと再認識した。ワンゲル部の皆さんお世話様でした。(2017/12/12 K.K. 1150/1200)

◇日時 2017/11/18 ◇天候 晴 ◇交通費 2,490円 ◇資料 「宝登山散策マップ」◇歩行距離 15km 21,000歩
「通過時間等」自宅7:55-東武成増駅8:25-秩父鉄道寄居駅10:04-同長瀞駅10:35=宝登山神社10:55=宝登山11:55/12:20=宝登山神社奥宮12:25=ロープウェイ山頂駅12:50-長瀞駅前13:00=長瀞岩畳13:20=バーヴェキュー会場古沢園14:00/15:50=秩父鉄道野上駅16:31-東武寄居駅17:00-同成増駅18:25-自宅18:45

所内旅行3日目道後温泉、松山城を巡る

道後温泉泊の翌日・最終日は今治城跡か大洲城跡見学を考えていたが、松山空港集合時間が13時過ぎで、戻れないかもしれない。急遽幹事設定コース、松山城見学に変更してもらう。昨夜は2班、3班と一緒になり大宴会を楽しんだ。本日は10時出発で、朝もゆっくりで余裕がある。

 朝は温泉地区散策 朝食後散策に出掛ける。坂道を下り温泉街を抜け、アーケードの商店街。この時間シャッター通りだが、ちらちらと土産店が開店準備をしている。駅前へ出て、道後温泉駅の駅舎は板張りの木造。ぼっちゃん先生からの歴史を感じさせる。その前に、当時走っていた坊ちゃん列車が展示中。反対側にからくり時計があり(写真上)、初めて見る。道後温泉本館100周年記念とし平成6年に制作、設置したとある。小説ぼっちゃん登場人物の人形が飛び出すらしいが、時間が合わずそのチャンスはない。また商店街を通り、開店した土産店で、坊ちゃん団子を求めた。
坂道を道後温泉本館前へ上がると、もう入浴客が列を作っている。昨日夕方も混んでいて宿泊先の温泉にした。朝湯も考えたが、南国なのに朝は寒く湯後の冷えを避け、今回はパス。これまで三度入っている。直ぐ側に、”玉の石”がありパワースポットのようだ。孫達の健康と成長をお願いし、宿泊先へ戻った。

現存する松山城郭 10時松山城へバスで出発。直ぐ城山下に着き、ロープウェイに乗る。同僚のNさん、城に興味があるようで話しかけて来た。松山城は江戸期から現存する12城の一つで、多くは天守閣のみ遺るが、本城は天守のみならず連結する櫓や多くの門も遺る貴重な遺産である。姫路城や松本城もそうだが、化粧直ししけばけばしい姫路城とは違い、本城は歴史や風格さえ感じさせる。本城の外、丸亀城や宇和島城、高知城と四国に遺るのは空襲被害がなかったらしいなどと話した。昨日、今治を通過した際、同地出身のNさんに色々と教えて貰い、そのお返しのつもりである。

乾門へ 城内への途中ガイドさん、高い石垣を指さし、”はらみ石垣”と紹介してくれたが、初めて聞く石垣形状。通常は内側に反るのが特徴だが、その反対の形状に疑問が生じ、帰宅後資料やネットを見たが見当たらない。門を3箇所潜り入城し本丸前へ出て、皆天守内へ入ったが、私は一人裏へ回り、乾門へ。初めての門で、搦め手側の門だが高く大きい立派な門(写真下)をカメラに収めた。更に裏へ下り本丸外側の石垣下を回る。見学者はなく、寂しい位。ようやく出口付近で、外人カップルと擦れ違い挨拶。ロープウェイ上駅に着くと我がメンバーがいて一緒に、下りはリフトに乗る。最初の見学もリフトだった(94.2.18)と思い出した。松山市内で、Nさん推薦の宇和島鯛飯、鯛そーめんで昼食後、松山空港へ向かった。     (2017/12/06 K.K. 1149/1200)

◇日時 2017/11/12 ◇天候 晴 ◇資料 IYOTETSU「松山城ロープウェイ・リフト」 ◇歩行距離 7km 10,000歩
「通過時間等」ホテル・散策800-8:40/10:05-ロープウェイ下駅10:15-松山城口10:30=乾門11:05=ロープウェイ上駅11:30-同下駅11:50-松山市(昼食)12:05/13:00-松山空港14:50-羽田空港16:20-自宅18:00

尾道を歩き、能島城跡を眺め四国へ

所内旅行2日目、私は幹事設定コースに参加した。尾道観光が入っていたからである。尾道の地名は子供の頃から知っていた。父が、祖父の姉・伯母を迎えに、東北の片田舎から尾道を往復したことがあり、確か私が小学1年生、昭和26年のことであったと思う。片道3泊4日程の大旅行で、その後数ヶ月は尾道の話が続き、私にもインプットされた。

 父も眺めた尾道港 広島のホテルを朝8時にバスで出発し山陽自動車道を走り、約1時間30分で尾道に着いた。丁度尾道港駅前桟橋付近で、私はバスを降り、港へ出て埠頭に立ち海を眺めた(写真上)。意外に狭い港湾で、60数年前、父が眺めた風景と同じだろうか。携帯に収めた。当時の父の話では、埠頭で煙草を吸っていたら、先行していた本家の主人が、伯母と一緒に船で着いたという。私にとっての大伯母は瀬戸内の小島に住んでいたらしい。そんな話を思い出した。
因島まで自転車で走る所長以下10名程と別れ、我々はロープウェイで千光寺山(144m)へ上がった。

尾道の坂を下る 振り向くと瀬戸内海である。小島が多いが、目の前の向島は大きい。尾道の定番風景を眺め楽しみ、坂道を下る。文学のこみちと名付けられた岩の間を巡る下りの険しそうな小径。車中ガイドさんは林芙美子を紹介してくれ、彼女の記念の径かなと思ったが、文学者の碑が次々と現れる。芙美子以外で知っているのは蘇峰や子規、直哉位で、芭蕉碑もあるから当地に来た者だけではないようだ。千光寺本堂に着き参拝。また下り、三重塔へ至り、この辺りが猫のみちらしいが、塔の下に2,3匹いるだけ。バスに戻り、因島へ。因島のレストランで、自転車組を待って昼食。期待した海鮮料理ではなく洋食。洋食音痴の私にも美味であった。

  能島城跡を眺める 大島の宮窪瀬戸で、能島水軍潮流体験船に乗る。屋根付きの客席と船外機だけの小さな船。客は皆救命ジャケットを着けた。意外にも波静かで、船に弱い私は一安心。芸予諸島の一部で、大小の島々が浮かぶ間を船は巡った。その一つの能島は、村上水軍の城跡という。小島だがいかにも城跡らしい地形(写真下)。海の豪族として栄え海賊として恐れられた伊予水軍村上氏の拠城があった島という(歴史と旅「日本城郭事典下」198頁)。私は海賊を文字通りに理解していたが、村上氏は、戦国期前から警固料を徴収し、潮流が激しい瀬戸内を通過する船の水路案内をし、安全を確保していたという。舟折り瀬戸はその名の通り、海水が大きく上下に蠢いていた。
バスはしまなみ海道を走り今治へ。来島海峡大橋の半分程は今春徒歩で渡った(17.5.28)。先程の多々羅大橋も、私は広島から歩いて愛媛へ入り、今年二度目のしまなみ海道となった。今治へ出て、今夜の宿泊先道後温泉へ向かった。    (2017/12/02 K.K. 1148/1200)

◇日時 2017/11/11 ◇天候 晴 ◇資料 「尾道市街地観光案内図」、「能島水軍潮流体験線」 ◇歩行距離 5km 6,000歩
「通過時間等」ホテル8:05-尾道港9:35-千光寺山ロープウェイ下駅9:55-同上駅10:05=千光寺10:20=三重塔10:30=ロープウェイ下駅11:10-因島(昼食)11:50/14:00-大島・乗船15:00/15:40-ホテル17:50

西の京山口市を訪ねる

所内旅行先が広島と決まり、私は迷わず、初日は自由行動を選び県都山口市を訪ねることにした。本州最西の山口は遠くこれまで訪ねる機会はなく、僅か萩と岩国へ行ったことがあるだけ。広島県の隣が山口県であり、新幹線利用で1時間30分位のようだ。そして、県都巡りに山口を加えたい。

 静かな県都山口市 広島空港からJR広島駅へ出た。結構時間が掛かったが新幹線こだまに乗車し、新山口駅で山口線へ乗り換え山口駅へ向かう。単線のローカル線で車窓も田園風景が続く。13時少し前山口駅に降り、案内所で情報収集。瑠璃光寺五重塔は徒歩約40分という。先日、山口県出身の友人Sさんが五重塔見学がよいと教えてくれた。復路はバスにしても、歩くには丁度良い距離とスタート。駅前は商店街だがビルも見当たらない静かな街路樹のある通り。それも直ぐ終わり、津和野へ通じる県道を渡り市役所前へ。周囲は木々が覆う亀田公園が広がり、道路の両側も紅葉が美しい(写真上)。先程教えて貰った道路百選のパークロードのよう。その中に博物館や図書館、美術館があり緑と文化の街である。
そして、地下道から県庁前へ上がり、重文指定の県庁旧庁舎を門外から眺めカメラに収めた。重厚だが品も感じさせる大正時代建築の庁舎である。役所街と思うが香田公園内の静かな地域で商店もない。一の坂川側にコンビニがあり軽食品を求め、川沿いに遡上すると左手に五重塔の屋根が見え、瑠璃光寺境内へと左折した。

 大内氏繁栄のシンボル五重塔 当地山口は、室町時代から大内氏が支配して繁栄し西の京と呼ばれたという。応永の乱(1399年)で戦死した25代義弘を弔うため、弟の26代盛見が五重塔建築を計画し1442年に完成した。国宝で、日本三名塔の一つととある。近付いて見上げ、アングルを探した。高いが重々しさはなく、すっきりした姿と思う。大内氏栄華を今にも示すシンボルだろう。瑠璃光寺が我が家と同じ浄土真宗の寺と知り参拝。帰り際、庭園の池越しに塔を入れシャッターを切った(写真下)。駅へのバス時間を調べたが合わずまた歩く。門前土産店で外郎を見付けた。お菓子の外郎は中国から山口へ伝来し、小田原や名古屋へ広がったと、以前扱った商標事件から知った。試食させて貰うと餡入り和菓子風で、名古屋のものとは違っていた。

新山口から広島へ 往路を山口駅へ戻り、広島への途中錦帯橋へと新岩国駅下車を予定。新山口駅迄は予定通りであったが、新岩国駅停車はこだまだけで、一時間半後。山陽線も時間が掛かり過ぎ、夕方集合時間に間に合わない。錦帯橋は一度渡った(96.3.1)からと諦め、広島駅へ戻った。市電でホテルに着いたら17時で、我がメンバーは誰も到着していなかった。(2017/11/25 K.K. 1147/1200)

◇日時 2017/11/10 ◇天候 晴 ◇交通費・現地分 8,940円 ◇資料 山口市「西の京やまぐち」1994年388頁 ◇歩行距離 12km 16,000歩
「通過時間等」自宅6:00-三田駅6:48-羽田空港8:40-広島空港10:25-JR広島駅11:31-同新山口駅12:25-同山口駅12:55=山口県庁前13:20=瑠璃光寺境内13:35/14:00=JR山口駅14:44-同新山口駅15:51-同広島駅16:35-ホテル17:00

「昭和の森を訪ねるみち」を歩き通す

最近千葉県内を歩いていないと思い込み、外房や内房のコースを検討したが遠い。そんな中、房総手前にある関東ふれあいの道のコースを誤りゴールしていない「昭和の森を訪ねるみち」(11.5.27)を思い出し、チャンレンジした。起点外房線土気駅へ向かう車中で気付いたが、今年の6月総武線横芝駅から坂田城跡を巡り千葉は歩いていた。

 熊野神社前分岐を左折 11時50分、前回道標を見過ごした分岐点に着く。周囲の風景も見覚えがあった。道標はあり左折を指示している(写真上)。その一方、前方にある熊野神社をコースポイントとし、200m先への直進も指示している。前回、神社に寄りそのまま直進を続けてしまった。やや新しめで斜めになった道標をカメラに収め、左折し坂を上がると小さなトンネルがあり(写真下)、間違いないと確信した。

土気駅、昭池和の森、小中池 土気駅を10時スタートし昭和の森、小中池、矢口明神を経たが、2,3躓きがあった。昭和の森への途中ふれあいの道道標に出会いそちらへ行きかけたが前コースへのものと気付き道なりに進み昭和の森を横断し、雑木林の中の坂道を下り小中池へ出た。池土手を下る地点を探し奥へ進んでしまい戻って階段から田圃の間の道を行く。記憶にある風景で、稲刈りを終えている。突き当たりが矢口明神だがその前に圏央道高速が出来ていて、しかも高速下の通路は本日工事で閉鎖中。迂回を指示され、10分程大回りし明神様に挨拶した。ここからは順調だが、道路が整備されていてまた先程の高速道に出会うが、思い出しながら、熊野神社手前の分岐に至った。
 小さなトンネル(写真下)を抜けると砂田という山村風の集落。また田畑の地帯を抜けるとまたまた高速道下。東金インターが左手先のようだ。小さな峠を越し前方に道路沿いに商店街が見え始め大通りを渡った先に、コースポイント新治小学校があった。既にスタート以来2時間40分を経過し、ゴール本納駅へと左折。歩きながら昼食先を期待していると丁度手頃な中華店があり、遅い昼食。駅までは遠くないと教えてくれた。

城跡から本納駅へゴール ここで、本納城跡へ寄るべく、蓮福寺を探す。出発前城跡が遺ると知り、調べると古刹蓮福寺の裏山が城跡。室町後期1529(享禄2)年築城で、房州里見氏の支城という。旧道から寺境内へ入り簡単に詣で、墓地の間に登城口を見付けた。昨日までの雨で荒れた急坂は上り難い。直ぐ本郭跡へ至り石碑を入れシャッターを切った。急な崖に囲まれた山城はその痕跡は少ない。ほんの一時戦国ロマンに浸り、古城跡を後にした。駅までは距離があった。
最近数回リベンジを試みるもすっきりしないゴールが続いていたが、今回は首尾良く、歩き通しリベンジなった。城跡巡りの駄賃も出来、千葉行き上り電車を待った。(2017/11/21 K.K. 1146/1200)

◇日時 2017/11/4 ◇天候 晴 ◇交通費 1,800円 ◇資料 武村岳男「新版首都圏自然歩道・昭和の森を訪ねるみち」1994年388頁 ◇歩行距離 20km 28,000歩
「通過時間等」自宅7:50-新宿線神保町駅8:41-JR馬喰町駅8:50-同土気駅9:55=昭和の森10:25=小中池10:50=矢口明神社11:20=熊野神社手前分岐11:50=トンネル11:55=新治小学校12:40=(昼食13:00/13:20)=蓮福寺13:30=本納城跡13:40=JR本納駅14:17-同千葉駅14:52-都営本八幡駅15:26-三田線神保町駅16:05-自宅16:40

伊勢神宮外宮から内宮を初めて参拝する

三重県都在津城跡巡りの翌日は、伊勢神宮参拝とした。若い頃は神社は遠ざけていたが、最近はそうでもなく、出雲神社や太宰府天満宮、宇佐神宮などを積極的に訪ねるようになった。敬遠していたのは若気の至りで、古希も過ぎその気分が薄らいだのであろう。数回参拝したという友人と伊勢市駅で待ち合わせ、型どおり外宮から案内して貰う。伊勢神宮への知識はなく、天照大神を祀ったこと位しか知らない。

外宮豊受神社から参拝 外宮は駅正面で、広い参道を行き外宮境内へ。森の中であるが意外に近く、木造橋を渡り神楽殿前を過ぎると右手に正宮があった(写真上)。本殿であろう。カメラ禁止とあり、戻って入口でシャッターを切った。多くの参拝者と一緒に手を合わせ頭を垂れた。来春受験の孫が3人いて、お願いした。隣の空き地が次の遷宮用地という。友人に連れられ土宮や風宮、多賀宮の別宮を巡る。途中に石があり亀石と教えられ、そう言われれば見えないことはないと思う。凡そ境内を半周し表参道へ出て、待っていた内宮行きバスに乗った。

広い境内を巡り内宮皇大神宮参拝 バスを降り、木造宇治橋を渡る。五十鈴川は昨日の台風の影響で急流が走っているが、清流らしさは窺える。こちらは、外宮よりはたいぶ広い感じで、森内の砂利道参道を進む。テレビで観たことのある御手洗い場だが、本日は五十鈴川増水のため閉鎖中で、手水場で清める。また森の中を行き、正宮前に至り階段を上がって参拝(写真中)。こちらでも同じお願いをし、賽銭はいつもよりは多目にする。垣根の奥に正宮が鎮座するが、特別参拝の方は、神官先導で中に入り参拝可能と、友人が教えてくれた。正装したそんな高齢夫婦が見えた。別宮荒祭宮から風日祈宮へも寄ったが、大山祇神社は省略してしまった。

門前町で郷土料理を戴く 門前商店街おはらい門前通りはテレビで観た通りで、両側に土産店が並び、参拝を終えた客が上下している。なんと言っても赤福が有名だ(写真下)が、本店を教えて貰うと、赤福餅を求める客が列を作っている。私も勧められたが、写真だけ。歩きながら、亡母が晩年お伊勢参りをしたいと言っていたが近所の仲間と参拝し願いが叶ったことを思い出した。同じような白装束の高齢者グループも見受けられる。友人が利用したことのある店で昼食。ご当地食手コネ寿司にしたが、寿司でも刺身でもなくその中間のような漬け丼風料理。窓の外は五十鈴川で、川面を眺めながらの食事も風情がある。おかげ横丁から御幸街道へ出て、伊勢市駅行きバスに乗車。バスは全日本大学駅伝最終区を通っていると知った。JR伊勢市駅から名古屋駅行き快速に乗車し、今回の津から伊勢神宮巡りを終え、案内の友人にお礼を述べた。(2017/11/17 K.K. 1145/1200)

◇日時 2017/10/30 ◇天候 晴 ◇交通費 11,300円 ◇資料 神宮司庁「豊受大神宮・外宮、皇大神宮・内宮」 ◇歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」ホテル8:10-近鉄津新町駅8:18-同伊勢市駅9:00=外宮9:10/10:00-内宮10:05/11:00=おはらい門前通り(昼食)11:05/11:51-JR伊勢市駅12:27-同名古屋駅14:27-同東京駅16:15-三田線大手町駅16:33-自宅17:15

三重県都津に津城跡を再訪する

里歩きの中で、県都をも訪ね記録を残しているが、最近47都道府県全てをと思い始め、残りが一桁になり拍車が掛かっている。三重県都津を歩こうと、名古屋での小用に便乗を企んだ。処が台風22号来襲に重なり延期も考えたが、予定日の翌日晴れの予報に接し、名古屋駅経由で津へ向かうことにした。記録はないが約20年振りの再訪である。

 名古屋から津へ 名古屋駅で友人と昼食し情報交換をした。久しぶりにご当地食みそかつだが、味を忘れていた。いよいよ津へ向かうべく快速電車に乗車。名古屋到着時は雨が落ちていなかったが、本降りの中を電車は走っている。これから台風が伊勢湾沖を通過する時間帯のようだ。桑名駅、四日市駅を通過。桑名にも城跡があり未訪で、何時か訪ねたい。津へ近付いたが高層ビルなどはない風景の中、津駅へ到着。そのまま近鉄名古屋線に乗り、風雨の中津新町駅前のホテルに入った。

陽が差し急遽城跡へ 城跡は翌日早朝にと一休み後、麦酒を飲みながら夕食までの時間、先程交換した資料を読もうと思い、ふと窓の外へ目をやったら、雨は止み西日が差し始めている。未だ17時前で、これはチャンスとマップ片手にホテルを飛び出した。雨は落ちてはいないが風がある。5分程と資料にあるが10分以上を要し、津市役所前が中央公園・津城跡であった。
 直ぐ内濠跡で、現在でも水を湛えている(写真上)。石垣間から本丸跡へ進むと藩校の朱色の入徳門があり移築もの。雨で出来た大きな水溜まりが城内遊歩道を遮り、歩き難い。薄暗い中高虎の騎馬象に再会しカメラに収めた。入口にあるのが三層櫓(写真下)だが、模擬らしい。もう城外で、32万石藤堂藩としては狭いと思うが本丸跡のみではこの程度か。Uターンし中央の石垣は天守台跡だが、外様の高虎は天守を築かなかったという。また、二の丸跡の市役所前へ出て、ホテルへ戻った。

前回の見学記録 翌日帰宅後、前回の見学メモが見付かり、走り書きだが今回と同じ印象、感想と思う。”JR紀勢線で亀山駅から津駅へ出る。意外に近い。バスで津城跡に着く。濠跡の大半は埋められて市街地となったが、未だ一部が本丸跡と共に遺っている。唯一城跡のシンボル三層櫓は再建ものか。城内に、近世城の縄張り者として知られている藤堂高虎の乗馬姿の像があった。高虎は、信長、秀吉、家康と巧く渡り歩き、明治迄藤堂家は残ったから、その生き方の賛否は別として、戦国大名としては素晴らしいと言うべきだろう。関ヶ原や大坂の陣では先陣を務めたのが藤堂家で、家康への忠誠の証しであったろう。格別特徴的な遺構もなく、一通り見学をし、バスで津駅へ戻る。津市は、山形市並みだが、唯、メインの通りが意外に広く、やはり戦災を受けたためだと知る”(96.9.13見学)。
ラッキーにも津城跡見学が叶い、ホテルで静かに夕食を取り、地酒を戴いた。
(2017/11/14 K.K. 1144/1200)

◇日時 2017/10/29 ◇天候 雨後曇り ◇交通費 7,800円 ◇資料 西ヶ谷恭弘外「城郭みどころ事典・西国編 津城」16頁 ◇歩行距離 7km 9,000歩
「通過時間等」自宅8:30-JR東京駅9:33-同名古屋駅(昼食)11:10/13:37-同津駅14:30-近鉄津駅14:47-同津新町駅14:55=ホテル15:00=津城跡17:00/17:20=ホテル17:30

道を誤り大回りし甲州街道吉野宿へ

今春甲州古道を上野原駅から相模湖駅を歩いた(17.3.17)が、吉野宿から相模湖駅へは現甲州街道を歩いてしまい、満足のいくハイキングではなかった。リベンジに、今回は相模湖駅をスタートし残りの甲州古道を歩き吉野宿を目指したが、また道を誤ってしまった。

 甲州古道へ突入 12時5分、現甲州街道と同古道の分岐を山側の古道へ入った。直ぐ古道の標識があり、進むと車止めのゲートに出会いやや不安になり、対向して来た作業車の運転手に、”吉野宿”へ出られるかと尋ねると、肯定してくれた。山中を奥へ奥へ歩き、並行する沢も狭くなり流れが急になって来た。林道も次第に細くなり、甲州古道も現在ではこんなもんかと思いながらも前進する。約30分程で林道が橋手前で行き止まりとなり、藪中の山道があるが明王峠への標識。資料を確かめると橋を渡り山道への記述に合い、そのまま山道を上がり続ける。吉野宿からも明王峠へ上がるコースがあり、その途中へ出るのだろうと想定。下る高年ハイカーに出会いまた尋ねると吉野宿へは大分下ると教えてくれた。山坂は急になりジグザグを繰り返し足を止めながらも、上がり続ける。

此処は何処 13時に上がり切ったが現在地不明。売店跡(大平小屋跡か)があり、切り株椅子で休憩し地図を睨めるが、分からない。隣で休憩中の婦人ハイカーがアドバイスしてくれ、明王峠への途中というが現在地は要領を得ない。明王峠へ向けリスタート。反対は与瀬神社とあり戻ってしまう。直ぐ、矢ノ音の標識があり、ようやく理解出来た。明王峠から吉野宿への途中で、峠寄りと思う。急斜面を喘いで矢の音のトップ。吉野宿への案内があり、一転し歩きやすい山道。一度歩いたなと思いながら、下り続ける。栃谷への分岐に至り、二度目を確信(98.11.22)。林道を下ると中央高速の騒音が聞こえ出し、集落へ出て、奈良本だろう。

 大回りし吉野宿 集落中程の左手の道路が甲州古道で、此処へ出る筈であったか。更に下り続け、中央高速の長い陸橋を渡ったが、吉野宿迄は未だ距離があった。15時にようやく現甲州街道へ至り、左手を見ると、前回覗いた吉野宿の案内所「ふじや」。その向かいが本陣跡で、カメラに収めた(写真上)。

先に与瀬神社から孫山へ 今回は最初から順調ではなく、相模湖駅を10時30分過ぎスタートして直ぐ躓いた。与瀬神社を通り越して仕舞い、戻って明治天皇休息地の碑を確かめ神社へ参拝した。その後裏山孫山(548m)へ登り、最近怠っている山歩きをしようと小山の中腹を往復。結構急坂で、足慣らしには充分以上の山歩き。山頂から眺めた相模湖は前日までの雨で、土色に濁っていた(写真下)。結果として、孫山往復は余計であった。

吉野宿ではバスを待ち、相模湖駅へ戻る。また不十分な古道歩きになってしまったが、これで吉野宿、与瀬宿間は歩いたことにしようと思う。             (2017/11/07 K.K. 1143/1200)

◇日時 2017/10/26 ◇天候 晴 ◇交通費 1,340円 ◇資料 JR東八王子支社「甲州古道ウォーキング相模湖駅→上野原駅」 ◇歩行距離 18km 25,000歩
「通過時間等」自宅8:00-新宿線神保町駅8:44-JR高尾駅10:18-同相模湖駅10:35=与瀬神社11:00=孫山11:20=与瀬神社下11:55=甲州古道分岐12:05=大平小屋跡13:00=矢ノ音13:30=奈良本14:30=吉野宿15:05/16:06-JR相模湖駅16:21-京王高尾駅16:44-三田線神保町17:55-自宅18:30

西ヶ原一里塚を確かめ王子から駒込へ歩く

駒込の古河庭園にバラが咲いたとラジオから知った。近く、気軽に行ける距離で、これまで数回訪ねバラの花も観賞した。バラだけではと、歩くコースの検討に記録のファイルから「駅から歩く散歩道」(JR東日本池袋地区)を引っ張り出した。王子駅から巣鴨駅迄のコースでその中に、「西ヶ原一里塚」を見付けた。日光御成街道の塚だが記憶にも記録にもなく、見逃していた。今回は塚の確認も含めたコースにしよう。

 王子神社、飛鳥山公園 王子駅から歩くことにし、三田線西巣鴨駅に降り新庚申塚駅へ歩き都電へ乗り換えた。先ずは王子神社へと、今回は反対側から回り込むと上り坂は権現坂。参拝し、由緒書きを眺めると、鎌倉時代の末、当地の領主豊島氏が熊野から勧請したとある。江戸時代は将軍家が祈願所とし、特に吉宗は紀州の縁から崇拝し隣の飛鳥山を寄進して桜を植え江戸庶民に開放したという。社叢の中に樹齢600年の銀杏の古木を見上げた。音無川を渡り、歩道橋で飛鳥山公園へ。現在でも花見の時期は賑わい、私も何回かは桜の下を歩いた。奥に遊園地もあり我が子の保育園遠足にも同行したことを思い出した。史料館や博物館が並ぶ一画もあり、現史料館の渋沢榮一旧邸を外から眺め、現本郷通りの御成街道へ出た。

遺っていた西ヶ原一里塚 直ぐ本郷通り中央分離帯に緑地が見え、近付き確かめようと道路を横断すると、”危ないよ”と声が掛かった。丁度警察前でお巡りさんから。ご免なさいと小さくなりつつ、西ヶ原一里塚の標柱入れカメラに収めた。本郷通り左手には、塚そのままが遺り(写真上)、日本橋から二里目の塚とある。以前は反対側から歩いたが素通りしていたのだ(99.1.10)。しかし、左手奥の七社神社は境内も含め記憶にあり、不思議である。参拝し、また本郷通りへ戻った。地下鉄南北線西ヶ原駅を過ぎ滝野川公園だが寄らずに、次の平塚神社へ参道を進む。平塚城の跡地であり、石神井城主豊島氏の支城だったらしい。手を合わせた後、隣の蝉坂を覗き、本郷通りの反対側にある古河庭園へ。

デジカメドボン 私同様、バラ情報からか混んでいる。入園料を支払い、広い庭園奥の池付近から巡った。ここで大失敗。心字池を写そうと石橋上でカメラを取りだそうとしたら、カメラが手をすり抜け池へドボン。ズボンを捲り上げ足を入れてみたが届かない。諦めて、バラ園を巡り花は携帯に収めた(写真下)。バラ園ではいつもそうだが、群れ咲く感や咲き盛り上がり感がなく、彩りはあるがこじんまりとした花で、満開でも、私には物足りない感が残る。帰り際、ダメ元で受付でカメラの件を話したら、係員がゴム長を履き、池に入り拾い上げてくれた。大感謝である。礼を言い、駒込駅前から山手線沿いに巣鴨駅へ歩き帰宅。タオルに包んだカメラを取り出し、操作したが本体は電源が入らない。処が、SDカードにはデータが残り、写真は助かった。まあ、デジカメは買い換え時だったからと思い直した。       (2017/11/02 K.K. 1142/1200)

日時 2017/10/18 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス ◇資料 JR東日本池袋地区「駅から歩く散歩道」 ◇歩行距離 9km 13,000歩
「通過時間等」自宅9:00-都電新庚申塚駅9:40-同都電王子駅9:45=権現坂9:55=王子神社10:00=飛鳥山公園10:15=西ヶ原一里塚10:35=七社神社10:40=平塚神社10:50=古河庭園11:00/11:30=JR駒込駅前11:50=三田線巣鴨駅12:15-自宅12:40

横浜市内にあった茅ヶ崎城跡を訪ねる

東京周辺の中世城跡巡りはほぼ一巡した。全国的には未訪の城跡は多いが簡単ではない。旅行した際当地の城跡を優先的に訪ね、昨年は越前大野城跡や多賀城跡、今年も津山城跡を見学した。そんな中、購読誌「新ハイキング」3月号に茅ヶ崎城跡を見付け、その内にとリザーブしていた。良く読まないで、茅ヶ崎市近くと思っていたが違っていた。

 駅から直ぐの茅ヶ崎城跡 最寄り駅の横浜市営地下鉄センター南駅は、東横線日吉駅乗換で、我が三田線直通先。路線検索で調べ余裕をもって出発した筈だったが、約束時間に10分程遅れ、センター南駅には同行の弟が待っていた。 城跡は近く、駅を出て正面の小山と見当を付け近づき、案内に従い正面口へ回り、城跡内へ。本日、久しぶりの晴で、近所の園児達が先生に連れられ散歩中。我々は追い越し、右の西郭から見学開始。当城の歴史は不明な点が多いが、室町時代の築城で、多田山城守行綱の館であったらしい。戦国時代は小机城の支城として、扇谷上杉氏の家宰上田氏が城主の時代もあったようだ(峰岸純夫外「関東の名城を歩く 南関東編」220頁以下)。

整然と遺る郭、土塁 小さな郭だが低い土塁に囲まれ整然と遺る。横浜市の調査、保存のお陰だろう。郭内は草は刈り払われているが、土塁の外は野草が覆っている。カメラに収めながら、東郭へ。途中に根小屋跡から東虎口跡がある。根古屋は城主が住まった館である。東郭も広くはないが少し高い地(写真上)。補助郭である腰郭の案内があり、東郭の外側を覗くが草藪で、不明。山城などの見学は、草が枯れる冬から春が良いとは知っていた。戻って土橋を渡り中郭へ入る。本丸的郭で中心にあり広い。こちらからも、隣東郭の腰郭を確かめようとしたが、良く分からない。次の北郭には井戸跡もある。全体としては、中郭を中心とした鱗郭式構造の中世城郭だろうか。そんな感じを抱き下城。茅ヶ崎というから海・相模湾に近いのではと漠然と考えていたが無縁で、JR横浜線の北側と知った。

大塚・歳勝土遺跡へ 早淵川を渡り、城跡とは反対側の森内へ。鶴見川支流で城の要害をなした川であろう。大塚・歳勝土遺跡公園で、城跡より更に古い弥生時代の遺跡とある。大塚遺跡は、環濠集落で、藁葺きの竪穴式住居が再現されている(写真下)。屋内を覗くと、竪穴式が私にも理解できた。そして、その外側を濠と柵で環状に囲んでいるが、極狭い範囲で、住居も10戸程度だろう。その中に二戸ほど高床式倉庫がある。隣の歳勝土遺跡は村人の墓地跡という。これも整然と保存されている。最後に、横浜市歴史博物館を覗き、駅前で昼食。

この記録の故里の読者で歌人S先生の生徒さんが、私の同級生の妹と知らされたが心当たりなく、弟に聞くと、彼の同級生の妹さんのようだ。私の記録にも興味を持っておられると聞こえて来た。そんな話しをして弟と別れ、帰路に就いた。            (2017.10.28 K.K. 1141/1200)

◇日時 2017/10/5  ◇天候 晴 ◇交通費 940円 ◇資料 内田栄一「茅ヶ崎城から大塚遺跡」新ハイキング737号3月 ◇歩行距離 8km 11,000歩
「通過時間等」自宅8:45-東横線日吉駅10:20-横浜営地下鉄ブルーライン南駅10:35=茅ヶ崎城跡10:45/11:20=早渕川茅ヶ崎橋11:30=大塚・歳勝土遺跡11:40/12:20=横浜市歴史博物館12:30=横浜市営地下鉄ブルーライン北駅13:02-東横線日吉駅13:18-自宅14:35

南流山から三郷を歩き江戸川グランドへ

我が事務所野球チームが業界大会で決勝進出とメールが流れて来た。初めての快挙で是非応援へと駆り立てた。これまでも孫を連れ2,3度出掛けたことがある。前夜飲み会でも話題になり、私も大分前だが関わっていたこと思い出しそんな話しをした。私の入庁時第2回目でそれ以降、毎回職場チームの一員として又は率いて参加したが、35歳前後で離れたと思う。強くはなく、毎年2,3回戦止まりであった。

 南流山、流山橋、早稲田公園 つくばエクスプレス沿線ハイキングコースを調べ、ハイク後江戸川グランドを目指すことにする。南流山駅前でマップを睨め、歩く方向を確かめるも良く分からず、いつもの山勘に頼る。右手に高い樹木が見えるのが最初のポイント中央公園と見込み、当たってコースに乗った筈であった。処が流山街道交差点が遠く、一本手前の道から入り遠回りしていた。交差点を陸橋で渡り、江戸川に架かる流山橋への坂に掛かり、一度歩いたことに気付いた。流山に菜の花街道を歩いた時、通ったのだ(15.4.12)。野球場はこの下流にある。橋を渡り千葉から埼玉へ入る(写真上)。
武蔵野線三郷駅前で右折し、早稲田公園へ。草原で遊ぶ園児達を眺め、ベンチで休憩した。公園を反対側へ出て、駅方向へ戻り武蔵野線高架下から、村社香取神社を探す。家並みの間に神社屋根が見付かり、軽く参拝。
江戸川土手を急ぐ ここからは三郷駅裏を抜け江戸川堤防へ上がり、野球場へである。問題は時間で12時試合開始だが、現在は11時。10分前到着を予定し、駅裏から土手へと上がった。若い頃、特に負け試合でこの土手を歩いたことを思い出しながら下り続ける。つくばエキスプレス線下までは20分で通過し、想定通り。河川敷グランドでは野球やサッカー試合中。右手の大きな建物は河川管理事務所らしい。三郷放水路を過ぎ、やはり右手に工場の炉が見え始めた。孫と来た時、炉から吹き出す炎を見て孫が驚いたことがあった(09.8.1)。時間が迫り急ぐが未だ先。下にグランドが見え出した時、12時となり堤上から試合開始を確認し、土手を駆け下り、一塁側応援席へ着いた。
 N投手9回完投 第54回決勝戦は3回表から動き、相手チームが先制。こちらにエラーが続いてしまった。その後は一方的な試合になってしまい、終盤2点返したが、試合終了(写真下)。この中で、こちらのN投手は9回を完投。私も中学以来軟式野球に少しは関わってきたが、これは初めての事で、N君は凄い、一人で投げ抜き大変ご苦労様である。今年は準優勝で、また来年頑張って欲しい。閉会式後、私も、慰労会に参加し、19時過ぎ武蔵野線新三郷駅から帰宅した。(2017/10/21 K.K. 1140/1200)

◇日時 2017/9/30 ◇天候 晴 ◇交通費 1050円 ◇資料 つくばエクスプレス社「06三郷中央~南流山」 ◇歩行距離 15km 21,000歩
「通過時間等」自宅8:20-春日駅9:03-つくばエクスプレス新御徒町駅9:18-同南流山駅9:45=流山橋10:15=JR三郷駅前交差点10:25=早稲田公園10:40=村社香取神社11:00=江戸川堤11:10=つくばエクスプレス線下11:30=江戸川野球場12:05/15:30-めぐみの湯15:50/19:10-武蔵野線新三郷駅19:25-同武蔵浦和駅20:01-新板橋駅20:30-自宅20:55

待ちに待った道志渓谷を歩く

道志川の渓谷美は以前から聞いていた。ハイキングを始め道志渓谷を歩きたいと数度調べたがその度諦めた。アクセスが悪く、神奈川橋本からは途中で乗り換え渓谷手前迄バスはある。山梨都留からも同様で、いずれも朝夕だけの便で、日中はない。友人の読者Sさんの車に期待し、お願いした。台風で一週間延びたが実現した。

 深い道志渓谷 高島平を出た車は都心から中央高速に入って相模湖ICに降り、一般道を一旦神奈川方向へ戻り半原で右折し、丹沢麓の山中へ。途中伏馬田を通るはずとチェックしていたが分からないまま月夜野に至り、橋本からのバス終点で近いと感じる。

道志村野原で車を止めて貰い、野原橋から舗道・道志みちをスタート。約一時間半後再会の予定だが、携帯は通じるようだ。左手が道志渓谷で、直ぐ吊り橋入口があり(写真上)、橋上から渓谷を覗くと谷は深く約20mはあろうか。道志みちへ戻り久保地区。ここにも吊り橋がある。渓流を見ながら歩けると期待していたが、この辺りは深い渓谷は木々に覆われ、道志みちからは見えない。車の往来が激しく、注意しながら左端を歩く。富士五湖方面への抜け道かもしれない。当地は長閑な山村かなと思っていたが、意外に道路沿いには商店や旅館もあり、キャンプや川遊び、釣り客用のようだ。

 水源の森口まで歩く 笹久保を過ぎ、大室指で渓谷に架かる大室橋を渡ると、谷も大分浅くなった。坂道で栗を拾い、末孫のお土産にしよう。直ぐ、七滝入口。Sさんとの待ち合わせ場所だが、未だ1時間経過しただけで速い。後に、橋の袂から旧道経由しなかったからと気付く。携帯メールで水源の森口まで歩くと伝えた。程なく水源の森口に着き、Sさんも追い付いて来た。2人で、橋から眺めた渓流は道路の直ぐ下で、激しく流れている(写真中)。 直ぐ先に村役場があり、中心地。私のハイキングは終わり、道志の湯へ。汗を流した後道の駅へ回って貰ったが、混雑し駐車場へ数珠繋ぎ中。2人は暗黙的に合意し、寄らずに直進し山伏峠を越し山中湖へ。見えるはずの富士は雲の中。

 キバナコスモス畑へ 私は、近くにある花の都公園へお願いする。Sさんカーナビで確かめ、回ってくれた。先日キバナコスモス満開の情報を得ていた。道路両側に濃い黄色の花が咲いている。期待しながら、駐車場から花畑へ。満開のキバナコスモスは花畑を埋め尽くし(写真下)、シャッターを切りながら、畑の端を巡る。Sさんも、初めて観る花のようで感心している様子。私は先週昭和記念公園では出会えなかったが、本日は一面に咲き揃うキバナコスモスへの再会に満足し、Sさんに感謝である。秋桜畑を一回りし、公園の中にあるレストランで昼食。2人ともご当地食ほうとうにした。

高速を走る車は速く、富士吉田、大月経由し約2時間で高島平であった。Sさん今回も、大変お世話様でした。 (2017/10/15 K.K. 1139/1200)

◇日時 2017/9/24  ◇天候 晴 ◇資料 旅行読売出版社「滝 湖畔 渓谷を歩く 道志渓谷」2000年90頁 ◇歩行距離 10km 13,000歩
「通過時間等」自宅7:30-野原橋9:00=同吊り橋9:05=久保吊り橋9:15=大室橋9:40=七滝口10:05=水源の森口10:30-道志温泉10:50/11:20-花の都公園(昼食)12:05/13:15-自宅15:20