横浜港で三塔を眺め、松本清張展へ

 新聞で、松本清張展が神奈川近代文学館で開かれていると知った。若い頃彼の推理小説を良く読んだ。現在も、本棚には文庫本20冊程は残っている。北九州にある清張記念館からの出張展示で、取材ノートや貴重な資料が展示されているようだ。その前に、先日整理し見付かった「横浜三塔物語」(「ザ・ファミリー」08.2.1)をガイドに、横浜港を歩くことにした。

 横浜三塔を眺める 三田線を日吉駅で乗り換え、みなとみらい線馬車道駅に降り、地上へ出た。税関や県庁、そして開港記念館のビルが塔を持つとは初めて知った。日曜日の午前10時、人出も少ないオフィス街を行き右折した先に税関があり、見上げると塔(1934年完成)があった(写真上)。最高部は薄緑の丸形でクィーンと呼ばれているという。アングルを調整しシャッターを切った。少し進んだ右側が県庁ビル。確かに塔はあるがビルが大きく塔の位置が良くない。正門前へ回ると当然ながらはっきり見え、通称キングらしい四角形2階造りの大きな塔(1928年完成)であった(写真中)。後へ下がりカメラに収めた。
 県庁を正面から右へ回り込むと、交差点角のビルに高い塔があった(写真下)。開港記念館のジャックと呼ばれる塔で、一番古く1917年完成とある。車の途切れるのを待ちシャッターチャンスにした。横浜の三塔は、ビルが少ない時代は目印になり、入港する船に安心感をもたらしたという。

 山下公園、港が見える丘 波止場へ近付き山下公園へ。童謡赤い靴の少女像を探すと見付かった。子供の頃から知っていた歌だが、”異人さん”の意味が分からず何のこと思っていたが、後に知った。少し歩くとカモメの水兵さんの歌碑、二度目だと思うが忘れていた。隣のばら園を横切り、山下公園を出た。港が見える丘公園はこちらも再訪だが、大通りから林が茂る丘へ石段を上がった。元フランス領事館があり、フランス山と呼ばれているという。関東大震災で被災し建物跡が残る。案内によると、開港当初はフランス軍も駐留したとあり、ビックリ。そんなこと許されたのは不平等条約の所為か。港が見える丘展望台から眺めたが、カメラを向ける風景はなく、奥の近代文学館へ入館。

 清張小説の思い出 松本清張と言えば、直ぐ浮かぶのは、”ゼロの焦点”や”点と線”、”砂の器”であろう。時代を背景に裏の素性や影、差別をも取り上げた社会派推理小説だったと思う。高齢者達の中、資料を眺めながら、西郷札は西南戦争時発行の紙幣だったことやゼロの焦点の舞台能登金剛を訪ねたがヤセの断崖へは辿り着けなかったこと、新聞連載の砂の器は母親も読んでいたなと思い出していたら予定の倍近くの時間を費やしていた。それでも、夕方の友人の来宅前に帰宅できた。(2019/05/27 K.K.1259/1300)

◇日時 2019/5/12  ◇天候 晴 ◇交通費 1,110円 ◇資料 「横浜三塔物語」(「ザ・ファミリー」08.2.1 ◇歩数等 11,000歩 8km

「通過時間等」自宅7:55-東横線日吉駅9:16-みなとみらい線馬車道駅9:50=横浜税関前10:00=神奈川県庁前10:10=開港記念館前10:15=山下公園10:30=港が見える丘公園10:55=神奈川県立近代文学館11:00/11:45=みなとみらい線元町中華街駅12:03-京急横浜駅12:21-三田線三田駅12:51-自宅13:40