福島に文知摺観音を訪ねる

 故郷滞在の最終日、庄内鶴岡を歩き羽越本線に乗り新潟経由で、帰京の予定であった。朝の天気予報に庄内地方は雨、それも強い雨とあり、断念。山形新幹線で帰ることにし、途中の福島で、おくのほそ道コース文知摺観音に立ち寄ることにした。先月飯坂温泉に泊まった時、少し調べ情報はある。今回の帰郷は雨に振り回されている。

 文知摺観音を往復 福島駅に降りると雨は落ちて無く、案内所で文知摺観音へのバス時間を尋ねると1時間後という。途中の岡部迄は10分後にあり、歩けば3km程度だろうといつもの山勘で、保原行きに乗車。市内を出て阿武隈川を渡り岡部バス停に下車し、バスは左折したが私は、相馬への国道を直進し続ける。
 文知摺観音迄はバス停4つだから遠くはない筈と、郊外も田園地帯を歩く。正面の里山の山麓辺りと見当を付け、大きく右へカーブし集落を越すと、小学校前に文知摺観音への参道の案内があった。
 入口に着き、境内へ入ると芭蕉像が出迎えてくれた。直ぐ、鏡石とも呼ばれる文知摺石があり(写真上)、芭蕉句碑は隣の岩の上にあった。当地には、京から下った役人と長者の娘との悲恋伝説があり、役人が詠んだ”みちのくの忍もちずり誰故に乱れ染めにし我ならなくに”が小倉百人一首という。歌枕の地として知られ、5月2日(陽暦6月18日)に芭蕉も訪ね、”早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺”と詠んだ。正岡子規や小川芋銭も来訪し句を残してその碑も建っている。
 当地は、嘗てこの地にある綾形石の紋を模様にしたもちずり絹を産し、それを文知摺石は伝えていたが、芭蕉来訪後土中に埋まり、明治になって掘り起こしたらしい。一回りし、観音様に詣で、入口で芭蕉像を振り返り、またバス停岡部迄歩いた。今回は、首尾良くおくのほそ道ポイントを一つ加えることが出来、満足し福島駅で新幹線を待った。

 天童で句碑を案内して貰う 前日、天童に同級生で読者のAさん宅を訪問。歌人のS先生も来ておられ、1200紀行本発行のお祝いをして戴いた。食事懇談後、舞鶴山麓にある芭蕉句碑への案内をお願いする。昨年12月、山寺から歩いた時(18.12.2)、夕方探したが見付からなかった。多分日が短く、暗かったからだろうと思っていた。
 車で案内して貰い、Aさんのアドバイスで、近くの旧東村山郡役所史料館の受付で教えて戴き、句碑等は隣の念仏寺跡広場の奥にあった。翁塚と句碑があり、”行末は 誰肌にふれむ 紅の花”の句(写真下)。天童在に住むS先生も初めてと喜んでくれた。92歳のご高齢だが、我々と一緒に公園を歩き回って戴いた。
 これで、昨年末探し損ねた天童の句碑も確かめ、山寺天童間のおくのほそ道行は一応完結した。Aさん、S先生有り難うございました。(2019/07/23 K.K. 1270/1300)

◇日時 2019/6/29 ◇天候 曇り ◇交通費 JR東日本大人の休日倶楽部パス、600円 ◇資料 文知摺観音・普門院「信夫文知摺」 ◇歩数等 11,000歩 8km
「通過時間等」実家9:20-JRさくらんぽ東根駅9:45-同福島駅11:45-バス停岡部12:05=文知摺観音12:30/12:50=バス停岡部13:26-JR福島駅14:16-同上野駅15:50-三田線巣鴨駅16:05-自宅16:35