大富士を眺めながら富士山東口に浅間神社を訪ねる

 昨秋河口湖周辺に浅間神社三社を巡った。これで富士山麓山梨側の浅間神社はほぼ訪ねたと思う。これに反し、静岡側の同社は、富士宮の大社のみである(12.8.13)。箱根行きがあり、地図を眺めていたら、須走口にも浅間神社があって、興味を惹いた。バスの便が良く、御殿場へ出て訪ねることにした。

 大富士の麓須走口へ 箱根仙石バス停からJR御殿場駅へとバスに乗車。乙女峠のトンネルを抜け下りに入ったら前方に富士も、大富士が迫った。車内から歓声が上がった。私も初めて見る富士山の雄姿である。
 御殿場駅で、河口湖行きバスに乗り換える。観光路線のようで、外国人客も多い。御殿場市街を出ると、また大富士が見え出し、カメラを向けた。山麓に広がる山里を走って、30分程で神社前に降車。富士山東口本宮冨士浅間神社とあり、門前には土産店や旅館もちらほらする寡っての門前町のよう。

 東口本宮冨士浅間神社 由緒書きによれば、平安時代の802(延暦21)年、富士山東側が噴火し、当時の国司達は、鎮火の祈願を行うべく当地須走の地に斎場を設け鎮火祭を行い、その後鎮火して、当社を祀ったという。河口浅間神社の由緒に似ているが、こちらが早く歴史がある。
 細長い境内で、参道を進み本殿で(写真中)、参拝。孫の大学進学を報告し更なるご加護をお願いした。境内は杉林に囲まれ、富士を眺めるため、裏参道を出ると正面に大富士が広がった(写真上)。何も妨げるものはなく、全容が独り聳え立ち、圧巻である。シャッターを切り続けた。河口湖側とは円錐形が少しなだらかと思う。境内巡る小路は新緑に包まれ季節は確実に移ろっている。清水が滾々と沸き、富士の伏流水。隣が小さな護国神社で、桜が満開(写真下)。両社の間の道は鎌倉往還とあり、いざ鎌倉への甲斐から籠坂峠越えの歴史の道とある。

 御殿場線で帰途へ バス時間を確かめ、近くのコンビニで昼食を求めた。処が所定の時刻が過ぎてもバスは来ない。見逃したのかなと、次のバスを待っていると、時刻表にないバスが来た。どうやら約25分遅れのよう。御殿場駅に着くと、上り電車がホームで待っていた。
 御殿場線は久しぶりで、足柄、駿河小山、谷峨、山北の各駅を通過。僅か数回だが、大野山や 洒水の滝等丹沢系の山歩きの際乗降したことのある駅。酒匂川の急流沿いに走り、岸の黄色い花は山吹だろう。松田駅に降り小田急新松田駅へ歩き、新宿駅行きを待った。(2023/4/25 K.K.1504)

◇日時 2023/4/3 ◇天候 晴れ ◇資料 山と高原地図「富士・富士五湖」2000年版 ◇交通費3,360円 ◇歩行距離等 8,000歩 5㎞ 
「通過時間等」箱根宿泊先8:30-バス停8:55-御殿場駅前バス停10:30-須走浅間神社前バス停11:00/11:50-JR御殿場駅12:27-小田急新松田駅13:17-都営新宿線新宿駅14:57-三田線神保町駅15:09-自宅15:50

埼玉見沼田んぼを歩き花見ハイキングを楽しむ

 今年の開花は速く、我が家周辺の桜は散り始めた。桜花の下を歩く先として、埼玉の見沼田んぼが浮かんだ。購読資料“見沼田んぼ桜回廊”(「ジパング倶楽部」22.3)が手許にあった。見沼田んぼは、これまでも5回以上歩いている。さいたま市東の広い田園地帯で、東縁と西縁の農業用水が流れている。四季の野の花が咲き、神社が点在し私の好みの里歩きのエリアで、通船堀から東縁へも一度歩いたことがある(98.4.25)。

 西縁から通船堀へ 武蔵野線東浦和駅が起点で、我が家からバスで浮間舟渡駅へ出て、埼京線に乗り武蔵浦和駅で武蔵野線に乗り換えると約1時間後にスタート出来た。
 西縁用水路は直ぐで、桜は満開だが散り始めている。東縁と繋いだ通船堀へ左折するが、水はない。土手にはハナダイコンの薄紫の花が咲いている。好きな花で眺めるのは久しぶり。高齢者グループを追い越し、通船堀を渡り街道へ出て、鈴木家住宅を探す。

 江戸期通船堀を差配していた家で、大きな古民家があり、現在もお住まいのよう。中間の芝川八丁へ出て、また通船堀沿いを行くと木造の閘門式運河があり(写真中)、カメラに収めた。東西で高低差の激しい水路の水位を調整し船の通過を可能とした1731(享保16)年作の運河施設で国指定の史跡。江戸と当地で農産物や肥料等を運搬したという。堀沿いにも桜並木があるが少し遅め。東縁用水路に着き、少し回り道し木曽路の富士塚へ登る。急な上、道が悪く何とか上がった。1800(寛政2)年造で県内最古の塚とある。農家の間を通り、東縁へ戻った。

 東縁の桜は満開 武蔵野線高架を抜けると桜並木が続く(写真上)。満開もジャスト見頃。カメラを向けながら花の下を進む。東縁用水路は右手へ大きくうねり、ショートカットして川口自然公園を横切り、また東縁へ出ると東沼神社裏参道で、境内に入り参拝。孫の大学合格を報告し御礼を申し上げた。

 また東縁を歩く。青空の下桜並木が続き美しい(写真下)。花見客もチラホラ。下には菜の花が咲きこちらも見頃。近くに見沼自然の家があり覗くも見るべきものがなく、また用水路沿いに歩き大通りへ出た。東縁は更に北上するが歩き疲れ、バス停を教えて貰う。10分強でバスが来て浦和駅へ出て、京浜東北線に乗り帰途に就いた。(2023/4/14 K.K.1503)

◇日時 2023/3/29 ◇天候 晴れ ◇資料 「見沼たんぼ全域マップ」 ◇交通費760円 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞
「通過時間等」自宅8:00-JR浮間舟渡駅8:40-同武蔵浦和駅8:55-同東浦和駅9:10=西縁9:15=鈴木家住宅前9:30=通船堀運河9:40=木曽路富士塚9:50=武蔵野線高架下10:10=川口自然公園10:40=東沼神社10:50=学校前バス停11:15-JR浦和駅11:45-同赤羽駅12:06-三田線新板橋駅12:22-自宅12:35

ゆりかもめ線で東京湾お台場公園へ

 ハイキング仲間と東京湾のお台場公園を歩くことにした。旧職場の同僚達で、皆後輩であるがOB、OGとなって、古希過ぎも多い。私が喜寿超えだから当然。そんな仲間用に安近短ならぬ安近楽コースとし、私が選んだ。事前にガイド資料「ぶらりぶらりお台場」(22.6.14朝日)をメールで送付した。

 レインボーブリッジを渡る 10時30分にゆりかもめ線新橋駅に集合し一行7人は出発。本日日曜日で車内は込んでいるが皆席は確保したよう。電車は竹芝から東京湾沿いに走りレインボーブリッジを渡った筈だが皆話に夢中で、海を眺めた者はいないようだ。
 お台場公園に着き、全員下車。私は、お台場公園の方向を確かめ、駅ビルを出て海側の松林の公園へ歩く。海岸へ至ると目の前に白い砂浜が続き、その先が史跡お台場。湾内は静かで波はなく、砂浜の砂は伊豆七島神津島のものとある。小さな湾を回り込み、お台場へ上がる。

 史跡お台場 お台場は、幕末、黒船来航に備え韮山代官江川太郎左衛門の献策で、1853(嘉永6)年幕府が急遽設置した洋式砲台6基中、今も遺る第三台場の砲台跡である。海上に設けられた四角形の台場で、東南側に三台の砲台があり、底部の中心には陣屋があったという。このお陰で再来のペリーは横浜上陸となったようだ。我々は解説版を読んで、お台場を時計回りに歩く。砲台跡があり(写真上)カメラに写す。北側から眺めるレインボーブリッジが美しい(写真中)。近くに第六台場跡が見えた。一旦底部に降りてまた上がりお台場を離れて、海岸ベンチで休憩。対岸先のビル群の一つはフジテレビ。

 自由の女神像 お台場ビーチ沿いに、次のポイント自由の女神像を目指す。途中に海上バスの船着き場があり、丁度大きな船が係留され、乗船中。隅田川を遡上する航路であろうか。
 直ぐ右手に自由の女神像が見え出した。階段から通路を渡って近づくと多くの人がカメラ片手にアングルを探している(写真下)。何故当地にと調べると、日本とフランスの友好関係の記念として1998年に建てられたとある。アメリカの像もフランスに由来すると知る。Oさんはアメリカ滞在中ニューヨークの像を訪ね内部も見学したと話してくれた。当地の像の大きさはアメリカの1/7という。
 昼時になり、近くのビル内のレストランで昼食を取る。私と飲兵衛組は、麦酒を飲みながら懇談。情報交換から最後は仲間達の消息になった。旧同僚の集まりの定番だろうか。また歩こうと約して、ゆりかもめ線に乗ったが、Tさんは海上バスに乗りたいと一人船着き場へ向かった。皆さんお疲れ様でした。楽しかったです。(2023/4/6 K.K.1502)

◇日時 2023/3/19 ◇天候 晴れ ◇資料 「ぶらりぶらりお台場」(22.6.14朝日) ◇交通費650円 ◇歩行距離等 13,000歩 9㎞
「通過時間等」自宅9:10-ゆりかもめ線新橋駅10:40-同お台場公園駅10:50=お台場公園海岸11:10=お台場跡11:25=自由の女神像12:00=昼食12:20/13:25=ゆりかもめ線お台場駅13:36-同新橋駅13:50-三田線内幸町駅14:26-自宅15:05

都内江東小名木川から砂町銀座へ歩く

 本日18時過ぎ大手町開催の会合の誘いがあり、その前に都内近郊を歩くことにした。手許に、“我が町再発見 東京北砂編”(2.2,2.9讀賣夕刊)があり、丁度良い。北砂は、親戚のお宅があった地で僅かに土地勘が残り懐かしい。現在では都営新宿線が走り、アクセスも良い。夕方会合参加を想定し、午後家を出た。

 猿江神社、小名木川 神保町駅で都営新宿線に乗り換え、住吉町駅に降りた。今回前半は小名木川の河畔を歩く。江戸時代開削された隅田川と中川を繋いだ運河という。駅構内の案内図で小名木川を探し、その手前の猿江神社を目指す。初めての地だがわかり易い町割りのようで、境内へ行き着き、本殿前で手を合わせ、孫の合格を報告し御礼を申し上げた。案内に寄れば、奥州遠征の際、源頼義、義家家臣で武将の1人が当地で力尽きてしまい、その武将猿藤太を祀る社という。
 境内を出て、通りを一本越すと小名木川。堤内の遊歩道を歩く。運河と言いながら川幅は広い(写真上)。堤内から出て、クローバー橋を渡る。ここで、同じく運河横十間川とクロスしている。橋を降りまた反対側の小名木川遊歩道へ入る。

 石田波郷句碑に出会う 北砂緑道公園が川沿いに続き、JR貨物線高架下を抜けると、大きな石碑があった。戦後当地に住んだ俳人石田波郷の“小名木川駅 春の上げ潮 曇るなり”の句碑で、貨物駅があったらしい。私は波郷の名を知るだけ。明治通りに架かる進開橋で右折し、明治通りから砂町銀座へ。左手に銀座商店街を探すが大分先であった。

 下町銀座砂町商店街 狭い通りの両側に小さな商店180店舗が軒を連ね、食品店が多い。いかにも下町銀座だが記憶にはない。前掲夕刊に紹介された忍者パスタ店を見て行き、途中の店頭先に並ぶ赤カブ漬けが目に付いた。故郷温海の名産で今年は味わっていない。思わず求めてしまった。肴にも良い。670m続く銀座も出口で(写真中)、丸八通りであった。北上し小名木川を渡り、新宿線西大島駅へ歩く。途中大島稲荷神社が在り、寄って芭蕉句碑を眺めた。

 ミモザ、桜満開の蔵前神社 今回は、もう一つ新情報があり、蔵前神社に咲くミモザと早咲き桜が見ごろと知り、森下駅で都営大江戸線へ乗り換え、蔵前駅に下車。駅前右先に神社を見付け、参拝後花を見上げる。ミモザは黄色な小さな多数の花が木を包んでいる。オーストラリア原産のアカシアの一種と知る。隣は濃いピンクの桜、河津桜は満開状態(写真下)。私と同様、新聞情報からか花見客で混んでいる。カメラに収め、浅草線蔵前駅へ向かった。(2023/3/27 K.K. 1501)

◇日時 2023/3/8 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図41亀戸」 ◇交通費 シルバーパス ◇歩行距離等 14,000歩 11㎞
「通過時間等」 自宅14:25-新宿線神保町駅15:05-同住吉町駅15:20=猿江神社15:30=小名木川クローバー橋15:45=石田波郷句碑15:55=進開橋16:00=砂町銀座宮16:20=大島稲荷神社16:35=新宿線西大島駅17:02-大江戸線森下駅17:10-同蔵前駅17:15=蔵前神社17:25=浅草線蔵前駅17:35-大手町18:20・・・自宅21:05

<1500回記念> 私の山歩き里歩き1500への足跡

第1回 94/02/26,27 三ツ峠山
第100回 98/06/07 関東ふれあいのみち東京都04「歴史のみち」
第200回 00/10/14 高尾山
第300回 03/09/13 小仏峠、城山
第400回 05/12/11 奥武蔵武川岳
第500回 08/04/26 石老山
第600回 10/02/21 大山南尾根高取山
第700回 11/07/05 善光寺、古寺巡り
第800回 12/12/31 愛宕山、穴守稲荷神社
第900回 14/05/25 奥武蔵仙元山
第1000回 15/10/10,25 奥武蔵大高取山
第1100回 17/04/06 蓮田元荒川観桜
第1200回 18/07/15 富士山5合目奥庭、御庭
第1300回 19/11/25 小浅間山
第1400回 21/06/20 八景島、野島
第1500回 23/02/24 宝登山、長瀞岩畳

 本サイトへの最初の搭載は、第1050回2016年7月28日の「大和泉の森、ふれあいの森」からです。
喜寿も過ぎた現在では結びの章ですが、今後は、時々は結びを紐解きながら体力、気力に相応した山歩き里歩きに、乗り鉄や列車旅も楽しみたいと思います。
2023.4.10 工藤 莞司

 

秩父宝登山で山岳展望を楽しみ1500回へ

 私が山歩き里歩きにのめり込んで久しいが、最初は29年前の三つ峠山で(94.2.26)、それ以来歩いて歩いて1500回を迎えた。そろそろ体力的にも気力的にも結びの章で、それに相応しい山里として、秩父長瀞の宝登山にした。私のホームグランド奥武蔵の先で、秩父鉄道沿線の山々も度々歩いて、宝登山も数回登っている。この時期は蝋梅の名所でもある。友人Sさんに車で送迎して貰った。

 蠟梅園から宝登山へ 関越高速を花園ICで下りて、秩父へと走って貰った。寄居を過ぎると両側に山が迫り、山峡の街を行く。右手の山に花園城跡を訪ねたことを思い出し、当地の地名から花園ICなのだろうか。左下を流れる荒川が見え隠れする中、長瀞に入り大鳥居で山側へ右折すると宝登山ロープウェイ山麓駅であった。ロープウェイ利用が宝登山とした理由の一つで、無理なく山頂下へ上がることが出来る。

 山岳展望を楽しむ 二人は山頂駅へ上がり、目の前が蝋梅園で、見頃な花が咲き広がっている。黄色の花々は意外と小ぶりだ。私は展望台端から山岳展望を楽しむ。百名山両神山は独特の山姿である。登ったのは山歩きを始めた頃(95.4.30)であった。奥秩父も長野県境の甲武信ヶ岳も見える。蠟梅園内を巡りながら山頂へと歩く。鑑賞者も出始めている。一歩きで山頂(497m)へ上がった。
 宝登山に最初に登ったのは、関東ふれあいの道埼玉県コース上にあったからで、その後も長瀞アルプスを歩いた時は裏側から登った。Sさんも着いて、山頂標識を入れて記念写真を撮って貰った(写真中)。2人で正面の秩父盆地から武甲山を眺め、石灰岩の採掘で著しく変貌している山容(写真上)を指さした。宝登山神社奥社に参拝し、コロナの退散と孫の合格を祈願。境内の小さな売店はコロナ下でも営業中で、何故かホッとした。旧勤務先ワンゲル部と一緒に登ったのが5年前(18.11.18)で、その時は皆で利用した。

 長瀞は遊覧船 ロープウェイ山麓駅に降りて、長瀞の岩畳へ。土産店の間を通り、荒川河畔へ出た。本日も遊覧船が浮かび、こたつ船らしい。渓流は渇水期だが長瀞状である。岩上から見ていたら、園児一行が船に乗り込んでいる。船は難なく上流へ向け漕ぎ出した(写真下)。そんな風景をカメラに収めた。
 復路は関越高速を練馬北IC経由で高島平に着き、目出度く1500回を達成できた。Sさんのお陰で、感謝である。今後は結びの章へ入り、ペースダウンをしながら呑み鉄や列車旅と共に、今回のようなロープウェイ利用の山歩きもしたい。(2023/3/17 K.K.1500/1500)

◇日時 2023/2/24 ◇天候 曇 ◇資料 「宝登山散策マップ」 ◇交通費 830円 ◇歩行距離等 9,000歩 6㎞
「通過時間等」自宅7:50-宝登山ロープウェイ山麓駅 10:05-同山頂駅10:15=宝登山10:25=宝登山神社奥社10:40=宝登山ロープウェイ山頂駅11:00-同山麓駅11:20-長瀞岩畳11:30/11:45-練馬北IC12:45-自宅13:15

鎌倉亀ヶ谷坂切通、化粧坂から佐助稲荷神社へ歩く

 鎌倉のハイキング資料を貰っていた。古都鎌倉は鶴岡八幡宮を中心とし、低山だが三方山々に囲まれ、寡っては七つ口と呼ばれる切通のみで出入りをする天然の要害を備えていた。古刹と併せ、ハイキングコースが多く、これまでも歩いている。北鎌倉駅から亀ヶ谷坂切通、化粧坂、銭洗弁財天そして、佐助稲荷を巡ることにした。資料提供の鎌倉在Wさんが同行してくれることになった。

 亀ヶ谷坂、化粧坂 JR北鎌倉駅に着くとWさんが待っていてくれた。横須賀線と並行する大通りの端を鎌倉中心街へ向け、スタート。右手に葛原が岡コースの案内があったが我々は直進を続ける。上町バス停を過ぎ、長寿寺先で右折し、亀ヶ谷坂へ入った。狭く静かな坂道だが、両側に崖が迫り切通は歴然(写真上)。Wさんは初めての地という。案内があり、横須賀線高架下から住宅街の途中で左折し、化粧坂へ。一度歩いている(05.7.8)が初めて見るような風景。

 私はザックからストックを出し、坂に挑戦。石が浮き出た狭く険しい坂で(写真中)、石は馬での敵侵入阻止にワザと残置してあると歴史資料で読んだことがある。坂は短く、上がることが出来た。Wさんはすいすい付いて来た。彼女は皇居一周していたランナーであった。
 源氏山公園で休憩。頼朝像には久しぶりの再会である。私は義経贔屓で、頼朝の印象は良くない。頼朝に疎まれ追われ、平泉から八戸、竜飛崎から蝦夷へ渡ったという義経伝説が今でも残り、最後は大陸へ渡りチンギスハンになったという小説(1958年高木彬光著)も読んだことがあるとWさんに話してしまった。

 銭洗弁財天、佐助稲荷神社 坂上へ出て大仏へのコースだが直ぐ左折すると銭洗弁財天で、洞窟を潜り社殿に参拝。頼朝縁の社という。孫の合格祈願をした。左手の窟屋には清水が出ていて、笊に札を入れ本当に銭洗いをしている人がいた。
我々は境内を出て佐助稲荷へ、Wさんには山勘と言いつつ近道をする。紆余曲折したが右手に朱の連続する鳥居が見え(写真下)、長い坂の参道を上がり切ると稲荷神社。また社殿前で手を合わせた。こちらも頼朝に縁があるらしい。
 坂を下って大通りへ出ると、Wさんが土地勘を取り戻し、彼女の案内で、トンネルを抜け市役所横へ出て、鎌倉駅であった。駅内レストランで昼食し、麦酒でコース踏破に乾杯した。Wさんいろいろお世話様でした。お陰様で、次に1500回を迎えることになり、感謝です。(2023/3/11 K.K. 1499/1500)

◇日時 2023/2/18 ◇天候 晴れ ◇資料 「鎌倉観光案内図」令和3年7月、㈱ウオレック「鎌倉遠足」5版 ◇交通費 1280円 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞
「通過時間等」自宅7:55-京急三田駅8:54-横須賀線横浜駅9:33-同北鎌倉駅10:00=亀ヶ谷坂10:20=化粧坂下10:35=源氏山公園10:45=銭洗弁財天11:05=佐助稲荷神社11:20=鎌倉駅(昼食)12:38=京急横浜駅13:11-三田線三田駅13:45-自宅14:40

杉並大宮八幡宮から代々木八幡宮、春の小川歌碑を巡る

 昨年井草八幡宮を久しぶりに訪ねて(22.4.27)、杉並大宮八幡宮を思い出し再訪を考えていたが、この度参拝しようと思う。大宮八幡宮は井の頭線西永福駅が最寄り駅と分かり、帰途には、前回探し損ねた代々木の“春の小川歌碑”をリベンジしたい。代々木八幡宮があり、井の頭線を下北沢駅で小田急に乗り換えれば、丁度良いだろう。

 井の頭線で西永福駅へ 三田線神保町駅で新宿線に乗り換え、そのまま京王線で明大前駅に着き、井の頭線に乗り継いだ。西永福駅は二つ目と知る。井の頭線は縁が薄く最近乗った記憶はない。西永福駅に降りると案内があり、10分弱という。駅前から方南通りへ出て少し歩くと、南参道であった。

 古社大宮八幡宮 長めの参道が表参道に突き当った左手が山門、八幡宮境内であった。広い境内、そして社叢に囲まれ、都内も杉並区とは思えない自然の中である(写真上、中)。社殿も質素なもので古社らしい。1063(康平6)年源頼義創建とある。結婚式場や幼稚園も併設された大社である。
 先ずはご挨拶に参拝。二度目(11.7.31)だが思い当たる風景はない。隣に天満宮があり、今春も受験生の孫一人いて、少し念入りに合格祈願をした。北参道を出ると善福寺川の筈との記憶は当たり、湿地帯。川縁を歩いて思い出した。和田堀公園野球場があり、グランド申し込みに来たことがあったのだ。若かりし頃草野球に嵌っていた。表参道へ出て、この風景も僅かに浮かんだ。
 歩き足りない分永福町駅へ歩くことにし、住宅街を山勘で通り抜け、駅前通りへ出たようで、永福町駅から井の頭線渋谷行きに乗った。下北沢駅で小田急に乗り換え、代々木八幡駅に下車。高台下の道を代々木八幡宮へ。左折し坂を上がると裏参道へ出て、八幡宮に手を合わせ、隣の稲荷神社にも詣でた。

 春の小川歌碑へ 坂を下り直進すると小田急線踏切で、線路沿いに左折し、今回は右側を注視して往くとそれらしき碑が公園端にあり、表へ回って歌碑と確かめ(写真下)カメラに写した。国文学者高野辰之は、明治期当地に住まい近くを河骨川が流れスミレやレンゲが咲き、“春の小川”を作詞したようだ。彼は唱歌“故郷”も作詞している。前回は線路側だけ見てウロウロしてしまっていた。ネットで念入り調べたのが功を奏した。ここからは前回同様バスで新宿へ出て、大江戸線で帰宅した。(2023/3/5 K.K. 1498/1500)

◇日時 2023/2/7 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図44下北沢」 ◇交通費 400円 ◇歩行距離等 10,000歩 8㎞
「通過時間等」 自宅8:50-三田線神保町駅9:35-井の頭線明大前駅10:04-同西永福駅10:10=大宮八幡宮10:25/10:40=井の頭線永福町駅11:05-小田急線下北沢駅11:18-同代々木八幡駅11:25=代々木八幡宮11:35=春の小川歌碑11:45=代々木バス停11:50-大江戸線都庁前駅12:12-三田線春日駅12:30-自宅13:05

都内世田谷下北沢を初めて歩く

 購読紙から世田谷下北沢の街ガイド(「我がまち再発見」22.12.15、23.1.5讀賣夕刊)を見付けていた。下北沢は小田急沿線の高級住宅街との印象があった。そんなことからか下北沢は縁がなく、訪ねたことがない。演劇の街とマスコミから知る程度。ガイドを参考に歩いてみることにした。新宿駅へ出て小田急線に乗れば近い。我が家から1時間程度だろう。

 下北沢本多劇場  小田急線下北沢駅は最近改造されて、線路、ホームは地下化されていた。下北沢駅で交差する井の頭線高架下のミカン下北を出て、駅から近い本多劇場へ。回り道してしまったが劇場の前へ出た(写真上)。劇場の街下北沢のシンボルで、1982年元演劇人が建てた個人経営の劇場としては立派なものだろう。カメラに収めた。反対側にも小さな劇場があった。飲食街を行く。中華店が多い。左手が小田急線路跡の広場でイベント会場らしい。先へ直線的に空き地が続いているが現在は公園か。

 富士見教会、森巌寺 戻って茶沢通りを下る。また左手に劇場があった。井の頭線高架下先から左折し、富士見教会を探す。高台で、富士見に相応しい地だろう。しかし教会は見付からない。諦め次の森巌寺へと分岐小路を進むと、それらしい掲示板があり見上げると十字架を掲げる教会。1936年建設の木造2階建て。住宅街の下り坂となり降りた地右側が寺院。家康次男の戦国大名結城秀康縁の古刹とある。幼稚園が併設されていた。反対側が北沢八幡神社。広い境内の石段を上がって参拝。僅かな賽銭でコロナの終息と孫達の成長をお願いした。

 坂口安吾文学碑 住宅街から北沢川緑道へ出て、代沢小学校の塀前に、坂口安吾の文学碑があった(写真下)。1925年文吾は当校が分教場時代代用教員を務めたという。茶沢通りから南口商店街を抜けて下北沢駅へ戻った。
 歩き足りないので、新宿駅途中の小田急代々木八幡駅に降りて、“春の小川歌碑”に寄る。駅から商店街を抜け線路沿いに歩くと“春の小川通り”へ入った。小田急線沿いと調べていたので,そのまま小路を進むが出会えない。諦めて、大通りにバス停があり、新宿駅行きのバスを待った。(2023.2.27 K.K. 1497/1500)

◇日時 2023/2/1 ◇天候 晴れ ◇資料 「我がまち再発見」22.12.15、23.1.5讀賣夕刊 ◇交通費 290円 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞
「通過時間等」自宅8:45-三田線神保町 9:25-小田急新宿駅9:45-同下北沢駅10:05=本多劇場10:15=線路跡公園10:25=富士見教会10:45=森巌寺10:55=北沢八幡神社11:05=坂口安吾文学碑11:15=小田急下北沢駅11:35-同代々木八幡11:50=春の小川通り12:00=代々木バス停12:15-大江戸線西新宿駅12:45-三田線春日駅13:00-自宅13:30

東海道本線で沼津御用邸記念公園、三嶋大社を巡る

 JR東日本大人の休日俱楽部パス利用最終日は、沼津、三島行きとした。JR東海内で、パス利用の圏外だが、熱海駅から近く別途の負担は少ない。沼津では、御用邸記念公園を訪ね、三嶋へ戻り大社へ参拝したい。伊豆の一之宮である。静岡は、都内よりは温暖の地にも期待した。

 熱海駅で静岡行きへ乗換え JR池袋駅から熱海行き特急に乗車。山手線を大崎駅から湘南ラインで、武蔵小杉駅そして横浜へ出て東海道本線を走った。初めての乗車で、スマホで調べると貨物線利用ラインとある。2時間程で熱海駅に着き、静岡行きに乗り換えた。丹那トンネルを抜け三つ目の駅が沼津駅で、下車。案内所で徒歩では遠くバスを教えて貰う。タイミングよくバスがあった。沼津は、沼津アルプス歩いた時(09.5.16)以来。バスは市街地から市役所前を通り、住宅街御用邸前バス停に降り、直ぐであった。

 黒松林の中の御用邸 御用邸は駿河湾に面した黒松林の中にあった(写真上)。明治26年造営という。先の大戦で本邸は全焼したが、周囲の附属邸宅が現存し、昭和45年から一般開放とある。早速入園し、黒松林の中の園内を歩く。日曜日なのに見学者は少ない。西附属邸前から広い中央部を巡る。案内はないが本邸跡だろう。沼津垣という防風・防砂用の独特のご当地垣根があった。そして、駿河湾へと東附属邸連絡口を抜け、海岸へ出た。目の前に海が広がり静かである。しかし、富士は雲の裏か。左手の山々は沼津アルプスだろう(写真中)。前半だけ歩いて、後半は残してあるがもう無理かもしれない。東附属邸を右に見て、塀沿いに中央部に戻る。途中、歴史民俗資料館に寄ると、漁具が目に付いた。大小様々な創意工夫を重ねた漁具があり大半は初めて見るもので、沼津は漁港の街と改めて知った。バス時間が迫りバス停へ。

 三嶋大社に参拝 沼津駅から三島駅は隣駅。三嶋大社は再訪で、凡その道順は頭にある。駅前大通りを行き、旧東海道との交差点を左折すると表参道であった。こちらは参拝者が多く、参道を往来している。正面の本社殿に参拝。社殿はやや大きめの社だが(写真下)、記憶よりは小さ目。いつもと同じようにコロナ退散と孫達の成長をお願いした。当社は源頼朝が再興を祈願した社と知っていたが、一時伊豆蛭が島に流されていたからか。境内に政子と二人の腰掛石があった。三島駅へ戻って、熱海駅から特急で帰京した。(2023/2/20 K.K. 1496/1500)

◇日時 2023/1/22 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス+1470円 ◇資料「沼津御用邸記念公園」、三島商工会議所「みしまっぷ」 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞ 「通過時間等」自宅8:15-JR巣鴨駅9:00-同池袋駅9:14-同熱海駅11:14-同沼津駅11:50-沼津御用邸記念公園12:05/12:47-JR沼津駅13:08-同三島駅13:15=三嶋大社13:30=JR三島駅14:09-同熱海駅15:08-同東京駅16:36-三田線巣鴨駅17:00-自宅17:30

岩峰を眺めながら妙義神社から松井田へ下る

 大人の休日俱楽部パス利用先として、上野駅から新幹線に乗車し高崎駅経由で、信越線横川駅往復を予定した。メインは松井田駅から妙義神社参拝である。関東ふれあいの道群馬県コースが設定されて、2度歩いているが25年も前のこと(96.11.23,98.12.5)で、再訪がチラついていた。そして、横川駅では釜めし弁当である。

 信越線乗車 本日も天気予報通り、二桁の気温で天気も良い。出掛ける前確認した。高崎駅で時間があり、松井田駅にはタクシーはなく呼び出しと教えて貰い、横川行き信越線に乗った。長野新幹線開通以来、信越線は寸断されて、昔の面影は失ってしまった。家内の長野の実家へは信越線で碓氷峠を上下していたが、今、碓氷峠越しはバスとなってしまった。松井田駅に着き、タクシー会社へ電話。無人駅で誰も居ない中タクシーを待つ。快晴無風で復路は歩く予定で、丁度良い。タクシー内で、一本道だと思うがポイントは覚えるようにした。街中から田舎風景を過ぎ山中へ入り、林を抜けると妙義神社参道口であった。早速参道へ入り社へと歩き出すが境内は広く総門までも距離がある。頭上には妙義の白雲山の岩峰が聳える(写真上)。当社は、波己曽大神として537(宣化天皇2)年創建されて、後に妙義神社と改称されたとある。

 妙義神社に参拝? 石段は古く風雪に耐えたような凹凸があり歩き難い上に、手すりもない。急な石段を繰り返し、社殿前へ至り、参拝。いつものようにコロナ退散と家族の健康をお願いした。再訪の筈だが何ら記憶にない神社風景。唯一の思い出は、背後の白雲山岩峰の眺めと途中の大の字岩峰に同行のМさんのリードで鎖を伝い上がった記憶。途中から女坂としたら案内板があり、妙義神社本殿はもっと上の奥とあり、びっくり。現波己曽社と誤認したらしい。今更石段を再度往復する元気はない。そちらへ向け頭を垂れ、参道を下った。

 松井田駅へ 松井田へと舗道下りを開始。土産店やホテル前から林の中の道となり、喫茶店やレストランの看板があるが閉店中のお知らせが見える。里山風景の中を下り、往きに確認した美術館を右に見て、駅へと左折した。振り向くと岩峰の全貌が見え美しい(写真下)。確かめたいが逢う人はなくそのまま下ると碓井川河川敷へ出てしまった。偶々出合った方に確かめると方向が違い、距離もあるという。仕方なく、またタクシーを呼んだ。予定した横川行きの電車には遅れてしまい、高崎行きに乗り、駅構内で遅い昼食を取り草津からの特急で帰京した。妙義神社から松井田駅迄は5㎞程度と思うが、スマホでは10㎞となっていた。(2023/2/13 K.K. 1495/1500)

◇日時 2023/1/20 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス、タクシー3500円 ◇資料「JR全路線図関東・甲信越地方」 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞
「通過時間等」自宅8:00-JR上野駅9:10-同高崎駅10:22-同松井田駅11:00=妙義神社11:10/11:30-JR松井田駅13:23-同高崎駅14:05-三田線新板橋駅15:34-自宅16:00

内房線から外房線へ乗り鉄を楽しむ

 1月後半利用のJR東日本大人の休日俱楽部パスが発売された。ここ数年毎回利用しているが、こんな厳冬期は初めてと思う。東北や信越地方は避け、首都圏内外で乗り鉄に徹すれば楽しめるだろう。その第一候補が房総半島一周。列車内は暖房が効いているし、館山周辺は温暖の地だろう。週間天気予報で寒暖をチェックし、現地が気温10℃以上の日とした。

 急遽内房線へ 東京駅発安房鴨川行き特急に乗車。館山駅往復の内房線特急はないと知り、安房鴨川駅から館山駅経由で内房を戻る予定とした。京葉線車中、スマホで路線検索し、先に内房線から館山駅経由で安房鴨川駅へ行き、特急で外房線に乗れば効率的と気付いた。京葉線蘇我駅に着き、急遽ここから内房線乗車を決意。鈍行だが一度の乗換えで安房鴨川駅へ行ける。姉ヶ崎駅、木更津駅を通過し君津駅で乗り換えた。これらの沿線は若い頃はゴルフをやりに来た。佐貫町駅、浜金谷駅、保田駅を通り過ぎる。左手に鋸山が見え、ロープウエイがあり、2,3度登った。次の岩井駅からの海浜は子供達が小さい頃海水浴の地であった。本日も東京湾は静かである。山側には富山や伊予ヶ岳があり登った。

 館山駅、安房鴨川駅 館山駅に着いたが小さな駅で、停車時間も短い。駅前も繁華街ではない。館山城跡を往復したことがあるが、大分昔である。館山駅から安房鴨川駅間は多分二度目で、記憶にない。海とは離れ、山間の風景が続く。和田浦駅周辺は菜の花が咲く時期との情報があって、車窓から注視したが、畑の一画に咲くだけ。終点安房鴨川駅に下車。駅前へ出て、旧友の出身地が隣町太海で、最後の別れに来たこと思い出した。定年前に難病を得てしまった。あれから10年にもなろうか。

 外房線特急乗車 案内所に寄ると菜の花は咲いているが、バスはなく徒歩で20分以上という。列車時間を優先し、売店で、昼食と呑み鉄用サワーを求め特急に乗り込んだ(写真下)。
 勝浦駅、御宿駅、上総一ノ宮駅、大網駅を通過。この辺りは、関東ふれあいの道千葉県コースが設定されていて、外房の海を眺めながら歩いている。御宿海岸には、月の沙漠がありラクダの像があった。微睡んでしまい、目が覚めたら京葉線を走っていた。東京駅から三田線日比谷駅へ歩き、17時過ぎには帰宅出来た。(2023/2/8 K.K. 1494/1500)

◇日時 2023/1/19 ◇天候 曇 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料「JR全路線図関東・甲信越地方」 「通過時間等」自宅8:50-三田線大手町駅9:40-JR東京駅10:00-同蘇我駅10:57-同君津駅11:37-同安房鴨川駅13:27/14:06=新-同東京駅16:03-三田線日比谷駅16:22-自宅17:10

大宮公園、氷川神社から浦和別所沼公園へ

 久しぶりにハイク友Kさんと歩いた。年末に予定していたが、私の踵故障で延期して貰っていた。大宮氷川神社周辺を歩こうと提案し、初詣には遅いが小正月内である。私の山歩きに、彼にはそっちこっち付き合って貰った。礼文島以来(17.8.21)であろうか。メール交換をしているからか、そんなご無沙汰感はない。

 大宮公園から 大宮駅東武線改札口に待ち合せ、アーバンパークラインに乗車。大宮公園駅に下車し、大宮公園から氷川神社へ歩こうと思う。意外に近く、公園の池は渇水期で池端は底が見えている。私が近くに住んでいた頃は、ボートが浮かび家内や友人と乗ったことがあった。桜木がある地は花見に散策したことがあり、Kさんも旧職場の仲間達と大宴会をしたと笑った。青木昆陽の碑を探すと端に見付かった。甘藷先生は当地と直接関係はないが甘藷普及への貢献を産地として称えたもののよう。隣は県営野球場の近代的なスタジアム。私が知る昭和40年代は木造のオンボロ球場であった。あのミスター長嶋が高校時代、昭和28年の南関東大会で、バックスクリーンに特大ホームランを放ち全国的に注目されその後の活躍に繋がったという有名な話があり、球場の案内にも、昭和9年来日してプレーしホームランを打ったベーブルースと並んで紹介され(写真上)、私がKさんに話すまでもなかった。

 武蔵一宮氷川神社 氷川神社に参拝。参拝者は多いが並ぶほどではない。拝殿裏の本殿を覗くと大きく立派な社が連なり、流石武蔵一宮。神池に架かる橋を渡り、表参道へ。大宮市在住のKさんは当社の氏子だそうだが、参道歩きは初めてという。私はさいたま新都心駅から歩いたことがある。真っ直ぐなケヤキ並木の参道は三の鳥居、二の鳥居と続く。それぞれ大通りと交差し信号がある。喫茶店やレストランもあり(写真中)、前回“アカシア並木の 黄昏は淡い灯がつく 喫茶店”と松島詩子が唄う懐メロ“喫茶店の片隅で”の雰囲気を感じたが、本日様子が少し変わったよう。最近テレビで観た“街中華でやろうぜ”の店らしき中華店が右手に見え、我が故郷出身の方の店であった。ようやく表参道一の鳥居へ至り旧中山道へ出た。2㎞程はあったであろう長い参道であった。

 別所沼会館 さいたま新都心駅から浦和駅まで乗車し、別所沼公園へ案内したが、距離があり、埼玉県庁構内を通り抜け、別所沼公園へ出た。さいたま市内中心とは思えない沼とメタセコイアの樹々が聳える地(写真下)。池端の別所沼会館で昼食し、麦酒で新年と再開に乾杯。昨年、メールでやりとりした時、当館を案内すると約束し、年を越したが実現した。Kさんお付き合いありがとうございました。またよろしくお願いします。(2023/2/3 K.K. 1493/1500)

◇日時 2023/1/13 ◇天候 晴れ ◇資料 「武蔵一宮氷川神社境内案内図」◇交通費 690円 ◇歩行距離等 18,000歩 13㎞ 「通過時間等」自宅8:55-JR浮間舟渡駅9:30-東武大宮駅10:00-同大宮公園駅10:10=大宮公園10:20=大宮県営野球場10:35=氷川神社10:45=一の鳥居11:25=JRさいたま新都心駅11:41-同浦和駅11:50=別所沼公園(昼食)12:25/13:10=JR中浦和駅13:28-同浮間舟渡駅13:52-自宅14:20

2023年初詣に小江戸川越の神社を巡る

 新年を迎え初詣先は小江戸川越にした。三が日は駅伝テレビ観戦で、遅くなってしまった。箱根駅伝では、我が母校予想以上に走り、応援に力が入った。シード落ちからの復活は想定内であったが、青学の前で、最後まで駒大に喰らいついた。そして久しぶりに美酒を味わい、初詣は遅くなってしまった。

 川越八幡宮から 川越では、ガイドマップを得て川越駅からスタート。最初の川越八幡宮は初めての参拝で、人出の中、社殿前で手を合わせ、コロナの終息と孫達の成長をお願いした。創建1,000年の古社で、雌雄の立派な銀杏の大木が聳え、縁結びの樹とある。案内図片手に市内を進み、仙波東照宮を目指した。

 喜多院、仙波東照宮 濠に係るどろぼう橋を渡って着いた先は、喜多院。再訪の筈だが記憶が蘇らない。本堂前で手を合わせた。川越成田別院と間違えていたようだ。
 仙波東照宮は隣の林の中。権現様家康が祀られ、亡くなって久能山から日光へ改葬される時、当地喜多院でも法要が営まれたとある。正面参道から境内に入ったが門扉が開いていない(写真上)。関係者らしい方が来て、開けて貰い詣でた。狭い境内には川越藩主等寄進の石灯篭が並ぶ。彼が言うには、土日のみ開けていたが、新年からは大河ドラマが家康で参拝者が増えるだろうという。
 喜多院前の日枝神社に寄る。本殿は重文の案内があるが塀が回り見えない。都内赤坂の日枝神社は大田道灌による分祀社という。また案内図を出し、三芳野神社へと方向を採る。途中に浮島稲荷神社があった。住宅街を行くと、川越城富士見櫓跡の案内があり、下から見上げた。

 三芳野神社から蔵の街へ 三芳野神社は意外に近く、長い参道から社殿前で手を合わせた。境内の童歌“とおりゃんせ”の発祥の地碑は、隣が川越城跡でその見学時(11.3.31)に知った。川越城跡は本丸御殿大広間が遺る稀有な城跡だが、今回は前を素通り。歩き疲れもっと先の川越氷川神社は省略し、市内中心へ。
 途中川越城中の門濠跡を覗き行くと、市役所前には道灌像が建っていた(写真中)。彼は川越城築城者でもあったのだ。
 川越蔵の街通りへ出て、小江戸の中心街。観光客には外国人も多い。時の鐘櫓(写真下)をカメラに収め、最後に熊野神社に参拝。こちらも参拝者で賑わっている。先日、当社も映った徳光アナの寄り道バス旅テレビ放送を観て、川越神社巡りにした。東武川越駅迄は距離があった。(2023/1/27 K.K. 1492/1500)

◇日時 2023/1/6 ◇天候 晴れ ◇資料 小江戸川越観光協会「川越散策マップ」 ◇交通費 740円 ◇歩行距離等 16,000歩 11㎞ 「通過時間等」自宅8:20-東武東上線成増駅8:48-同川越駅9:25=川越八幡宮9:35=喜多院10:05=仙波東照宮10:15=日枝神社10:25=浮島稲荷神社10:35=三芳野神社10:45=中の御門濠跡11:05=市役所前道灌像11:10=時の鐘11:15=川越熊野神社11:25=東武東上線川越駅12:05-同成増駅12:36-自宅13:00

大晦日に装束稲荷から王子稲荷神社を巡る

 本年の歩き納めは大晦日になってしまった。足のかかとを痛め、前日予定のハイク友との里歩きをドタキャンした。急遽軟膏を求め塗り込んだら和らいで、支障はないようだ。安近短のコースを思い巡らし、王子の装束稲荷を思い付いた。大晦日に、関東一円から狐が集まり、装束を整え王子稲荷に初参りをするという伝説があり、本日は祭日である。

 装束稲荷は祭り準備中 王子の装束稲荷は都電荒川線利用で近く、三田線西巣鴨駅から地上へ出て、荒川線新庚申塚駅へ歩いた。いつも思うことだが300mとの案内だが、私にはもっと遠い。都電に乗り、飛鳥山駅の次の王子駅に降りスタート。駅前北本通の交差点を渡って、駅前公園から商店街を北上し、稲荷神社への左地点を探すが一本通り越し、戻って装束稲荷神社。狭い境内では祭りの準備が始まっている中(写真上)、参拝。
 当神社は、大晦日狐達が集合した装束榎があった地という。歌川広重の名所江戸百景“王子装束ゑの木大晦日の狐火”に描かれている。境内を出ようとしたら、巫女さんに、ありがとうございますと、ご餞米を手渡された。袋には、王子狐の行列30周年記念とある。売店も出ている。

 王子稲荷神社参拝 北本通を渡り、王子稲荷神社を目指す。本日除夜の鐘と共に、面や裃で装束を整え狐に扮した氏子達が王子稲荷神社参拝のため、行列をするのが恒例の行事とある。
 私はJR京浜東北線等を地下で越し、中央工学校前で右折して、台地上にある王子稲荷神社へと石段を上がった(写真中)。
 本殿前で手を合わせ、本年の無事を感謝し、新年のご加護もお願いした。狐達より半日前である。境内奥に狐穴跡があった筈と狭く急な石段を上がると祠内にそれらしき跡があった(写真下)。

 御成街道から十条へ 稲荷神社隣の坂を上がり御成街道へ出る。先に十条富士神社と富士塚がある通りと思うが、初めての地で周囲を眺めながら歩く。埼京線十条駅付近に至ったと知り、左手の古刹地福寺に立ち寄ると“太閤千代しだれ桜”の案内があった。醍醐の花見で有名な桜の系統らしい。
 富士塚前に着いたが、未だ工事中。富士神社も見当たらない。前回も工事中で、一年前に終えていると思っていたが、来年の3月末完成とある。十条銀座へ出ようと御成街道から左折し、埼京線踏切を渡る。好物の漬物鉄砲漬けを売っている店を思い出し、訪ねたが無いといわれ、今晩の肴には出来ない。十条駅へと歩いた。(2023/1/23 K.K. 1491/1500)

◇日時 2022/12/31 ◇天候 晴れ ◇資料 「北区観光ガイドマップ王子・十条エリア」 ◇交通費 170円 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅10:15-都電荒川線新庚申塚駅10:45-同王子駅10:55=装束稲荷神社11:10=王子稲荷神社11:25=富士塚11:50=十条銀座12:00=JR十条駅12:15-三田線新板橋駅12:27-自宅12:55

小田急自然ふれあい歩道町田駅境川コースを歩く

 小田急自然ふれあい歩道は、これまで度々歩いているコースだ。この度ネット検索したら閉鎖されていた。弟と歩くとき、2人の中間の小田急沿線は好都合であった。私の収集資料の神奈川ファイルに、町田駅境川コースがあり、以前駅で貰ったと思う。弟と相談し小田急町田駅集合とした。

 境川を下り鹿島神社へ 今回は、私が町田駅に着き改札へ向かう途中、弟から声を掛けられた。いつもとは違いほぼ同時に着いたようだ。
 駅から境川を目指すが、小田急高架下は飲食店が続き複雑で、川へ出られず、大回りしてしまい団地の先の幸延寺橋を渡り、右岸を下った。相模原市と知る。境川は、1594(文禄3)年の検知で相模国と武蔵国の境と定められたとある。現在も東京と神奈川の境界である。
 普通の河川で中央部が流れで、白い鳥、鷺だろうが浮いている。近くのビルの屋根には沢山の鷺が休んでいた。川には、鴨たちも遊泳している(写真上)。弟は早速カメラを向けている。
 弟を待ちながら、小田急高架下を過ぎ、右を向くと神社らしき建物が見え近づくと、鹿島神社で参道へ回り、石段を上がって参拝。参道を戻り直進し小学校裏で、また境川右岸を行く。先ほどとは違い川は狭く水路のよう。

 金山ふるさとの森、町田天満宮 上鶴間橋に至り、住宅街に金山ふるさとの森を探し、裏手に小さな公園があった。コナラやクヌギの林。ベンチがあり休憩し、弟は久しぶりのハイキングでしんどいと言い、ザックから荷物を出し私へ。私の好物で、有難く背負った。
 コースのショートカットを提案し、先の祥雲寺は諦め、最後のポイント町田天満宮へ向かうことにする。地図を睨め、途中で尋ね天満宮前へ出て、境内から茅の輪をくぐる。掲示された作法に従い二人で出入りを繰り返して参拝。来春も受験生の孫が一人いてお願いした。立派な臥牛像があり(写真中)、思わず撫でた。

 宗保院へ寄る 神社前で歩道橋から駅方向を確かめ大通りを進むと、弟、宗保院へ寄ろうという。コースポイントではないが近くで、地蔵さん像(写真下)を眺め山門から境内へ入り手を合わせた。古刹のようだが本堂の建物は新しい。
 大通りへ戻ると交差点へ出て、左手は境川で境橋。駅方向へと右折した。丁度昼となり、ガード下の食堂に入り、二人で昼食を取る。メールは時々交換しているが、食事は春の多摩川台公園ハイキング(22.6.10)以来。お互いの家族に変わりはないようだ。いつものように小田急町田駅で別れた。(2023/1/17 K.K. 1490/1500)

◇日時 2022/12/15 ◇天候 晴れ ◇資料 「小田急自然ふれあい歩道町田駅境川コース」 ◇交通費 760円 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞ 
「通過時間等」自宅8:00―新宿線神保町駅8:50―小田急新宿駅9:05-同町田駅9:50=幸延寺橋10:10=鹿島神社10:30=上鶴間橋11:00=金山ふるさとの森11:05=町田天満宮11:30=宗保院11:45=小田急町田駅12:36-新宿線新宿駅13:41-三田線神保町駅13:59-自宅14:40

船橋大神宮から谷津干潟へ歩く

 ラジオからだったと思うが、船橋の神宮に本社の外に境内に10数社の小社がある大神宮があると知った。どんな神社かなと気になった。調べると京成本線大神宮下駅があり、最寄り駅と知る。地図を眺めて、近くに船橋港があり、谷津干潟へも歩ける距離と分かった。
 神保町駅から都営新宿線、そして京成八幡駅から京成本線に乗れば安近短のコースである。最近千葉は歩いていないので丁度良い。

 意富比神社、燈明台 都営新宿線神保町駅から千葉方面行きは久しぶり。終点地下鉄本八幡駅から階段を上がり京成八幡駅で京成本線に乗った。船橋駅の次の次が船橋大神宮下駅、高架ホームから左手先にそれらしき社が見えた。
 駅前から坂道を上がった先が意富比(オオヒ)神社が船橋大神宮の本社で、日本武尊や天照大御神を祀った古社とある。鳥居下から参道を進み、拝殿前で参拝。いつもながらコロナ退散をお願いしたが、僅かな賽銭ではご利益が薄いのだろうか。
 祠が並ぶ小社を眺めながら境内をうろついていたら、右側高台に燈明台があった(写真上)。ここから海、江戸湾を照らしたのだろうが、埋め立てで海岸線が遠のいたのであろう。幕末の戊辰戦争の際、焼失したが直ぐ再建されたとある。

 船橋漁港 境内を出て、坂道を下り京成本線高架下を過ぎ、大通りを避けて直進する。そうしたら運河らしき河口があり、船も係留され船橋漁港(写真中)と知る。先程の燈明台の存在も納得である。
 京葉高速道路下を進み、次の交差点で右折して高架を出た先が船橋競馬場前。更に行き大通りを越すと団地となり、習志野市内に入っていた。

 巨人軍発祥の地碑 団地の前が谷津干潟だろうと山勘を働かせると当たった。同干潟は二度目だ(13.6.2)が、この時期渇水期で水面が後退しススキ原が目立つ。干潟沿いの遊歩道には散策する方、ジョガーも見える。公園広場へ至り、讀賣巨人軍発祥の地碑があったのではと思い出した。間違えたかなと谷津バラ園前へ回ると、巨人軍発祥の地碑があった(写真下)。
 1934(昭和9)年大リーグオールスターチームが来日し、当地の球場で六大学選抜チームと練習試合をし、その後選抜チームが日本初のプロチームから讀賣巨人軍となり、水原や沢村も選ばれていたという。当時の正力オーナーの外、ジャイアンツの有力選手の手形がある(写真下)。カメラに収めた。
 バラ園は季節外れだろうと入園は省略し、京成本線谷津駅を探し歩いて、電車を待った。(2023/1/11 K.K. 1489/1500)

◇日時 2022/12/11 ◇天候 晴れ ◇資料 東京地図出版「関東甲信越大都市圏道路市街地図帖・市川・船橋」2001 ◇交通費 360円 ◇歩行距離等 12,000歩 9㎞ 
「通過時間等」自宅8:55-新宿線神保町駅9:32-京成本線本八幡駅10:10-同大神宮下駅10:35=意富比神社10:40/11:00=船橋漁11:10=谷津干潟11:30=巨人軍発祥の地碑11:45=京成本線谷津駅12:08-新宿線本八幡駅12:34-三田線神保町駅13:08-自宅13:45

都内阿佐ヶ谷から高円寺へ

 購読紙に阿佐ヶ谷散策のガイド(「我がまち再発見阿佐ヶ谷編」22.11.10,17讀賣夕刊)を見付け、直ぐ実行に移した。前三回で遠出が続き丁度良い。しかし、阿佐ヶ谷付近は訪ねたことがなく、手許の地図でトレースしたが、神社の掲載がなく、住所の地番から想定した。アクセスは新聞ガイドがJR阿佐ヶ谷駅からだが、私は地下鉄丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅からとした。

 ケヤキ並木、商店街、神社 三田線春日駅から大江戸線へ乗り換え、中野坂上駅で丸ノ内線荻窪駅行きとした。初めてではないと思うが、それに近い乗車。南阿佐ヶ谷駅に着き、地上へ。古い地下鉄は、今の大江戸線ほど深くはなく、階段を上がると杉並区役所前へ出て中杉通りで、両側はケヤキ並木が続く(写真上)。初めて眺める風景だが、杉並区の中心街としては風情がある。正面に見える高架はJR中央線のようで、意外に近い。
 最初のポイントは馬橋稲荷神社だが、駅付近には案内地図なく、事前に調べた方向の小路へ入る。下町風の商店街から住宅街となり、この辺りからはいつもの山勘。高い樹々が見え近づくと、境内横から馬橋稲荷神社であった。

 鎌倉期創建の古社のよう。本日日曜日で参拝者があり、七五三参りの家族も見える。参拝し、コロナ退散と孫達の成長をお願いして、正面の参道を戻る。大きな石の鳥居があり、龍が巻き付いた彫刻で珍しいとある(写真中)。カメラに収めた。
駅付近へ出て、往きに探し損ねた青面金剛像を探す。阿佐ヶ谷パールセンター商店街中ほどに見付かった。江戸期に建てられたもので、前の通りは鎌倉古道であったらしい。
 阿佐ヶ谷駅を高架下で越し、阿佐ヶ谷神明宮へ。右先に神明宮はあった。能楽堂もあり立派な神殿。日本武尊東征に纏わる社という。こちらも七五三参りで賑わっている。本殿の前に庭を挟んで拝殿があり、ここで手を合わせた。社務所前の椅子で暫く休憩を取った。

 天気の神様へ 阿佐ヶ谷駅から高円寺駅へ一駅中央線に乗り、高円寺駅前の氷川神社へ向かう。同社境内に日本唯一の天気の神様、気象神社が在り、興味を惹いた。氷川神社の隣に鎮座する小さ目の普通の社が気象神社であった(写真下)。旧陸軍気象部の構内にあったが、戦後当地に遷座されたという。私は、テレビの天気予報の中で知ったと思う。
 両社に手を合わせて、駅へ戻る途中に、長孫が勤める金融機関の支店があり、創業70年と知って、帰途の車中からメールすると“そうだよ”と返信があった。(2023/1/5 K.K. 1488/1500)

◇日時 2022/12/4 ◇天候 晴れ ◇資料 「我がまち再発見阿佐ヶ谷編」22.11.10,17讀賣夕刊 ◇交通費 550円 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅8:45-大江戸線春日駅9:15-丸ノ内線中野坂上駅9:58-同南阿佐ヶ谷駅10:10=馬橋稲荷神社10:30=青面金剛像10:50=阿佐ヶ谷神明宮11:05=JR阿佐ヶ谷駅11:20-同高円寺駅11:25=気象神社11:30=JR高円寺駅11:40-三田線水道橋駅12:11-自宅12:45

奥羽本線峠駅から福島城跡へ

 大失敗 JR今泉駅から山形鉄道長井フラワー線に乗車し、終点荒砥駅を目指した。長井駅の先で、初めての乗車。処が列車は進むが長井駅は出て来ない。おかしいなと思ったら次は宮内駅とあり、えっ!である。逆方向、赤湯駅行きに乗ったと気付いた。
 今回は、大人の休日俱楽部パス最終日で、荒砥駅往復が最初のポイントで、出鼻をくじかれた。今泉駅停車中の列車(写真上)は当然荒砥駅行きと思い込み、いつもの早とちりが出てしまった。

 米沢駅経由行き先のポイントは三つあり、山形県内鉄道で唯一未乗車の荒砥駅往復、奥羽本線鈍行で峠駅へ、そして福島城跡である。そのまま赤湯駅迄乗車し、奥羽本線で米沢駅へ出た。峠駅を通る福島駅行き鈍行は日に5往復程度で、簡単ではない。待合室で、時間を潰し昼食とした。

 峠駅力餅は健在 奥羽本線上りに乗車。変則的で手前の庭坂駅から福島駅はバスという。関根駅、大沢駅と吾妻山連峰山中の坂を上がり続ける。車窓の風景はそう変わりはないが、過疎が進んでいるように見える。ここの路線は思い出がある。50年前の秋、福島へ行くため夕方一人で乗車した。暗い山中の峠越しは寂しく、スノーシェルターで覆われた駅やスイッチバックは初めての経験であった。
 峠駅に停車し、ホームを覗くと売り子さんが力餅を販売している(写真中)。山形新幹線が出来て停車列車が少なくなり、名物だが疾うに止めたと思っていた。次の板谷駅も峠駅と同じような構造。乗降者はない。福島県側の赤岩駅は廃止になっていた。庭坂駅からはバスに乗り福島に着いた。

 福島城跡へ 福島市にも城跡があり、福島城である。JR福島駅から徒歩10分程度で県庁正面に至り、大手門跡の石柱があった。正門左手に大仏城跡や福島城跡の碑がある(写真下)。平安時代末豪族杉目氏が築城し杉目城や大仏城と呼ばれたが、その後伊達氏の支配下を経て、戦国末期城主木村吉清が福島城と改称し、德川期時代天領から1702(元禄15)年譜代大名板倉重寛が3万石で入封し、12代に渡り藩主を務め明治に至った。
 阿武隈川と県庁舎の間が二の丸外にあった紅葉山庭園跡で、板倉氏先祖を祀った板倉神社がある。参拝すると2011年の震災で被害を受け再建したという。直ぐ隣の阿武隈川が天然の要害であったことは歴然だが、震災時は氾濫したのだろうか。庭園に踏み入れたが、僅かな紅葉があるだけで、往時の面影は薄かった。(2022/12/31 K.K. 1487/1500)

◇日時 2022/11/27 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料「JR全路線図」◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 
「通過時間等」自宅7:10-JR上野駅8:14-同米沢駅10:29-山形鉄道今泉駅11:09-JR赤湯駅11:38-同米沢駅13:08-同福島駅14:20=福島城14:30=JR福島駅15:16-同上野駅16:58-三田線巣鴨駅17:12-自宅17:40

越後線で、弥彦神社から新潟市内へ

 新潟の弥彦山には登ったことがある(09.5.5)。その時弥彦神社に寄ったが、素通りに近かったと思う。復路の列車時刻に急かされて、頂上ピストン往復であった。大人の休日俱楽部パス二日目、弥彦神社参拝とした。帰途コースはやはり越後線で新潟市に出ようと思う。路線検索すると上野駅11時出発で、弥彦駅14時前着がベストである。

 越後一之宮に参拝 新潟新幹線を燕三条駅に降り、弥彦駅行きを待った。ローカル線は、越後平野のど真ん中と思うが住宅街を走る。水田地帯へ出て、右手に大鳥居が見えると弥彦駅。ホームから正面に弥彦山(634m)が見えた(写真上)。
 山裾に神社があり、弥彦神社へ歩く。前回の記憶では近いと思っていたが、距離があり、上り坂の道。途中観光案内所に寄りパンフを貰い、先の十字路で神社通りへ右折。一の鳥居下から参道となり、また直角に左折。両側は深い社叢か。随神門では駅から20分を過ぎていた。越後一之宮の古社で広い境内。寡って初詣で大事故があったと思う。

 拝殿前へ進み(写真中)、参拝しコロナ退散と孫達の成長を祈願。境内には、前日迄の菊祭り出品の菊の鉢が残る(写真下)。亡父晩年の趣味で思い出した。境内を横へ出ると、深い林の中に登山道が右奥へ続いている。先に茶屋があった筈と少し歩いてみたが見えない。境内へ戻り、参道を下る。門前の酒屋へ入り、地酒を求めるが、好みの上越産“能鷹”はなく、店推薦の“越乃白雪”にした。

 越後線乗車 弥彦駅から吉田駅で、越後線新発田駅行きに乗車。二度目の乗車だが、車窓景色は初めてのよう。新潟大学前駅辺りから高校生の乗降が多くなった。新潟駅一つ手前の白山駅に下車。
 今回の次のポイントは新潟市内古町通りから万代橋。美川憲一が唄うご当地ソング“新潟ブルース”に登場し、市内出身の大学院生であったYさんに聞いていた。

 古町通り 白山駅から大通りへ出て市役所付近に歩く。新潟市は100万都市かそれに近い市街地のよう。市の中心は新潟駅周辺ではなく、こちらなのだろう。白山神社前へ至り、古町通り口を探し、入口でカメラに写すが、17時前だが真っ暗で期待できない。思ったような繁華街でも、料亭が並ぶ通りでもない。通りが違ったのだろうか。古町は、江戸期の北前船寄港地として栄えたらしい。
 十字路で右折し新潟駅を目指すが、その前に信濃川万代橋の筈だがその雰囲気はない。足も疲れ、タクシーに乗車。運転手渡る橋は万代橋より上流の橋と言い、回り込んで新潟駅であった。始発の新幹線に呑み鉄用席を確保し、古町通り訪問をYさんへメールした。(2022/12/27 K.K. 1486/1500)

◇日時 2022/11/25 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス、タクシー代970円 ◇資料「彌彦神社境内めぐり」◇歩行距離等 17,000歩 12㎞ 
「通過時間等」自宅10:00-JR上野駅11:02-同燕三条駅13:17-同弥彦駅13:55=弥彦神社14:15/14:50=JR弥彦駅15:11-同吉田駅15:39-同白山駅16:35=新潟古町通り16:55-JR新潟駅17:44-同上野駅19:58-三田線巣鴨駅20:15-自宅20:45

富士急で富士山麓の浅間神社三社を巡る

 富士山麓に多くの浅間神社があり、これまで静岡富士市にある浅間大社や河口湖近くには御室浅間神社、北口本宮浅間神社を訪ねている。調べると河口湖畔に河口浅間神社の外、下吉田にも二社があると分かった。大人の休日俱楽部パスは富士急線も利用可能で、利用期間の初日に河口湖を目指した。新宿駅から直通特急が平日も走っているが、満席であった。

 杉並木から河口浅間神社 中央線大月駅から富士急線へ入ると、河口湖駅行きに席を得た。外国人客が多いのが目に付く。都留市駅を過ぎた辺りから紅葉に染まった山峡の地の左手に、富士がちらつき始め、青空に真っ白な富士である(写真上)。終点河口湖駅に着き、河口浅間神社への情報を得て、バスに乗る。バスも外国人客で満員。駅から湖畔迄は結構距離がある。私は対岸の美術館前に降り、左右の山の紅葉を眺めながら通りを北上する。手許のガイドでは次のバス停だが、バス停四つ程先が河口浅間神社参道であった。杉並木参道から杉の古大木等の社叢に囲まれた古社である(写真中)。864(貞観6)年富士山大噴火の鎮静祈願として創祀されたとあり、木花之佐久夜毘売が祭神。本殿で参拝し、コロナ退散と孫達の健康をお願いする。参拝者があり、富士と共に河口湖周辺は世界文化遺産に選ばれた観光地だからか。参道前からも富士の秀峰が見え、カメラを出した。バスで河口湖駅に戻り、駅中食堂で昼食を取る。

 神馬がいた小室浅間神社 富士急線下吉田駅から小室浅間神社へ。ほぼ直線的に歩いた右側に見付かった。当社はやや大きめの田舎神社風。手を合わせ、境内を巡ると馬小屋があり神馬がいた。白馬である。人形ではなく本物で、びっくり。毎日の世話が大変だろうと思ってしまった。こちらも参拝者がある。

 富士が正面の新倉山浅間神社 下吉田駅反対側にある新倉山浅間神社へ歩く。往路車窓から鳥居が見え、駅へ戻らないでその方向へ行くが、大分迂回し、踏切を越して高速道路下から参道石段になった。これが急で、難儀していると外国人夫妻が追い越して行った。彼らは半袖である。坂道参道で振り返ると、また富士の霊峰が正面であった(写真下)。先ほどの夫妻もスマホを翳している。山裾に鎮座する浅間神社に頭を垂れた。石段を避け、裏参道を下る。駅への野道の途中に喫茶店があり外の席にも客がいる。やはり、観光客相手のようだ。
 今回歩きながら、富士山頂にも浅間大社奥社があり、約50年前国と神社側が土地所有を争い、神社側のものとなった事件を思い出した。富士登山で参拝した(00.7.29)。下吉田駅から富士急線で大月駅へ出て、新宿駅行き特急を待った。(2022/12/20 K.K. 1485/1500)

◇日時 2022/11/24 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス、バス代640円 ◇資料「24回富士河口湖紅葉まつり」◇歩行距離等 14,000歩 10㎞ 「通過時間等」自宅7:30-JR巣鴨駅8:00-同新宿駅8:30-河口湖駅10:40-美術館前11:05=河口浅間神社11:30=同前バス停11:48-河口湖駅12:44-同下吉田駅13: 00=小室浅間神社13:05=新倉山浅間神社13:20=下吉田駅13:45-JR大月駅15:06-同新宿駅16:14-巣鴨駅16:39-自宅17:10

平林寺を巡り野火止用水へ歩く

 季節が進み晩秋で、紅葉が美しい地を歩こうと隣埼玉の平林寺が浮かんだ。未だ武蔵野に囲まれた古刹境内の紅葉に満たれされたことがあった。過去の記録を調べると、もう10年以上の前ことであった(11.12.11)が、12月で一か月早い。見頃には早いかなと思いながらも出掛けた。平林寺は直ぐで、安近短の気楽な里歩き先で、数回訪れている。

 朝霞台駅から 今回は、東上線朝霞台駅からバスにした。これまでは武蔵野線に乗り換えていた。バスは住宅街を回り何処を走っているか不明であったが、新座市役所前を過ぎ、次が平林寺と分かった。バス停前の総門から広い境内へ。
 ようやく色付き始めた樹々があるが、やはり少し早いようだ。私は、境内を右回りしようと思っていたが、そちらへは進入禁止となっている。楢等の落枝や倒木のためとある。そちらの紅葉に期待していたのだが。

 平林寺境内を巡る 山門を見上げ(写真上)、奥の本堂に軽く挨拶し、左の散策路コースを行く。少なくない方々が歩いている。熟年ペアが多いのは何処も同じ。深い林を抜けると左手に墓所があり、その中に島原の乱供養塔があった。老中松平信綱が、討ち死にした板倉重昌に代わり上使として島原の乱を平定した縁だろう。川越藩主で家光、家綱に仕え知恵伊豆呼ばれた。信綱は、岩槻にあった平林寺を当地に移したという。平林寺堀を渡った先に大河内松平家の廟所があり、その中心が信綱夫妻の墓であった。
 裏へ回ると雑草が繁る地で、野火止塚があった。野火を見張った塚山らしい。更に奥に業平塚があり、同じものだろう。一人になって雑木林の小径を行くと進入禁止の地となり、uターンし、くぬぎ林からもみじ山へ。
 紅葉が始まり(写真中)、人出もある。アングルを探しながら紅葉へ向けシャッターを切った。 13万坪(東京ドーム9個分)と広い境内だが開放中は半分ほどであろうか。

 野火止用水 総門を出て、境内西側を大回りして伊豆殿橋へ至り、野火止用水が走っている。玉川用水から川越領に分水を実現したのも信綱で、橋にその名が遺る。
 右手の境内には雑木林が続き(写真下)、未だ武蔵野である。用水沿いに大分歩いた木製ベンチがある地点に至り、家内と逆方向から歩き、2人で休んだことを思い出した。帰宅後調べると私の500紀行に写真付きで登載してあった(213頁)。ようやく野火止用水から離れ、川越街道へ出たが、バスはなく、武蔵野線新座駅へ歩いた。(2022/12/13 K.K. 1484/1500)

◇日時 2022/11/18 ◇天候 晴れ ◇交通費 730円 ◇資料 「平林寺境内林散策マップ」22.11 ◇歩行距離等 16,000歩 12㎞ 
「通過時間等」自宅8:45-東武成増駅9:10-同朝霞台駅9:35-平林寺10:00=野火止塚10:10=業平塚10:20=もみじ山10:40=平林寺総門10:55=伊豆殿橋11:10=川越街道11:35=武蔵野線新座駅11:50-東武朝霞台駅12:02-同成増駅12:14-自宅12:40

旧友達と都内雑司ヶ谷、護国寺を巡る

 久しぶりに旧友達との会合があった際、都内雑司ヶ谷を歩こうとの話が出て、纏まり決まったとメールがあった。私のハイキング仲間で、高尾山や奥武蔵を一緒に歩き、下山後も反省会を楽しんだ。リーダーの一声で、5人が参加。未だ我が絆は残っていた。ガイド資料(「ぶらりぶらり雑司ヶ谷」22.10.4朝日)は、リーダーが用意してくれた。

 鬼子母神から 集合は10時地下鉄副都心線雑司ヶ谷駅と連絡があり、私は西巣鴨駅から歩き都電に乗って鬼子母神前駅に降り、集合駅を探し出口で、4人と出会った。
 都電踏切を渡り、鬼子母神の欅参道へ(写真上)。鬼子母神はキシモジンと読むとリーダー、私はキシボジンと覚えていた。境内には人出があり、七五三参りの家族連れも見える。本殿に参拝。コロナの退散と孫達の成長をお願いした。本殿等の建物は重文で、1664(寛文4)年築との案内板があった。売店は未だ準備中で、当社名産すすきみみずくは作り手の後継者無く、販売していないようだ。
 境内を横へ出てまっすぐ歩いた正面が法明寺。山門越しに眺めたら無人の古刹のよう。軽く頭を垂れて、uターン。都電へ方向を採り、大鳥神社へ参拝。境内には閉店の売店屋台が並んでいる。一の酉が終わり二の酉、三の酉を待っているのかと想像し、スマホで調べると、今年は11月4日、16日、28日とあり、外れではないようだ。

 雑司ヶ谷霊園、旧宣教師館 また都電踏切を越し、坂を上がって、雑司ヶ谷霊園へ。ここの霊園は思い出がある。同僚Oさんの一周忌は当霊園であった。リーダーも一緒に参列した。あれから約20年も経つ。
 広い霊園に夏目漱石と竹久夢二の墓を探し、漱石の墓は立派なものであった。霊園を出て、住宅街に旧宣教師館へ向かう。米人宣教師が1907(明治40)年に建てて34年間使用したとある(写真下)。館内に入り展示物を見学。同種の教会は弘前や鶴岡の外全国各地にも遺ると知った。

 護国寺へ 雑司ヶ谷地区から護国寺へ歩く。高速下の大通りへ出て、左手が護国寺。将軍綱吉が母堂桂昌院のために建立した江戸期からの古刹で、境内は広い。山門から進み、石段を上がり、本堂までは距離がある。
 手を合わせて石段を下り、“からすの赤ちゃん”歌碑と富士塚を案内。作曲家貝沼實や音羽ゆりかご会、童謡歌手川田正子三姉妹へと話が進み、皆さん思い出してくれた。リーダー先頭に富士塚に登る。下で見ていた私もお付き合いで上下した。皆私よりは大分年下で元気がある。
 門前蕎麦屋で昼食兼反省会。私は、Tさんと生ビールから日本酒を頂き、仕上げにお蕎麦。久しぶり御婦人方との食事会は話が弾んだ。また歩こうと約して、地下鉄駅前で別れた。(2022/12/06 K.K. 1483/1500)

◇日時 2022/11/13 ◇天候 曇 ◇資料 「ぶらりぶらり雑司ヶ谷」22.10.4朝日 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:55-都電新庚申塚駅9:30-副都心線雑司ヶ谷駅10:00=鬼子母神10:10=法明寺10:20=大鳥神社10:25=雑司ヶ谷霊園10:40=旧宣教師館11:00=護国寺11:10=門前蕎麦屋11:40/12:30-三田線千石駅12:52-自宅13:30

見頃な紅葉を眺めながら箱根大涌谷へ

 私の山歩き里歩きは最終章に入り、山歩きは困難となって、ロープウェイのある山へ上がり、山歩きの雰囲気を味わうのはどうだろうか。高尾山や御岳山の外、首都圏の山々にもロープウェイのある山はある。昨年の谷川岳天神峠では谷川岳を展望した。今回は、箱根の大涌谷から早雲山へロープウェイを利用し上がることにした。

 紅葉眺め空中散歩 ロープウェイ駅のある桃源台へバスで入った。ススキに囲まれた仙石原を通って、山坂を上下し芦ノ湖畔にある桃源台へ。遊覧船には乗ったことはあるがロープウェイは初めて。北海道の孫達と芦ノ湖遊覧したのはもう5年前か。周囲の紅葉は美しい時期を迎えているようだ。
 桃源台駅から乗ったのはゴンドラ型で、空中散歩である。山麓に散り広がる色付いた樹々を見下ろしながら上がる。左奥の山は台ヶ岳だろう(写真上)。紅葉に包まれている。車窓越しにシャッターを切った。姥子駅を経由し、大涌谷駅に着いた。

 大涌谷 大涌谷は、2016年の火山活動の激化で立ち入り禁止されていたが、現在は解除され、多くの観光客が出ている。私も柵へ近づいて谷を眺めるが、昔見た大涌谷風景と変わらない(写真下)。唯工事中で整備の跡が見える。早雲山は近くかなと思ったが違っていた。ロープウェイで更に一駅先と分かったのは、大分後のこと。ロープウェイチケットに掲載されていた。そそっかしさが出てしまった。子供頃からの性格がまたである。

 駅伝コースを下る バス停を教えて貰い、湯本駅行きに乗車。バスは山麓の紅葉の中を走った。上湯や下湯があり、箱根も未知のルートで、早雲山駅傍も通った。小涌谷へ降りて、ようやく土地勘を取り戻した。
 東海道だが、私には箱根駅伝5区、6区のコース。少し下ったカーブの地点は、兄夫婦達と駅伝応援をした地で、空き地にコンビニが出来ていた。正月の寒い中、3,4回は応援したと思う。数年来シード落ちが続いていたが、今年の母校は復活の兆しが見え始め、上位を期待している。山形の兄はもう年齢的に上京するのは無理だろう。お互いにテレビ観戦である。私は、小田原から5区を芦ノ湖畔迄歩き通したことがある(15.4.18・19)。
 バスは、宮ノ下温泉街から大平台ヘアピンカーブを過ぎて、カーブの連続。急ブレーキの際席から飛び出さないように注意の案内があった。私はランナー目線で見てしまい、特に6区の下りはこんな急な下りの連続かと実感してしまった。塔ノ沢となり、函嶺洞門を右に見て、平地となって箱根湯本駅であった。
 今回は、早雲山へは辿り着けなかったが、紅葉を楽しみ、箱根駅伝山下りを実感して、小田急線で帰京した。(2022/11/29 K.K. 1482/1500) 

◇日時 2022/11/07 ◇天候 曇 ◇交通費 4,080円 ◇資料 「箱根GUIDE MAP」◇歩行距離等 6,000歩 5㎞ 「通過時間等」 宿泊先8:30-桃源台駅9:05-大涌谷駅9:35/10:02-箱根湯本駅10:50-小田急小田原駅11:15-都営新宿駅12:54-三田線神保町駅13:10-自宅13:45

足立区に九条の碑を訪ね、墨堤通りを歩く

 新聞報道で、都内足立区に九条の碑が建立されたと知った(22.6.22朝日)。憲法九条を堅持しようとする方々の意思表示であろう。非武装中立を唱えた党は消滅し、最近では、自衛隊を明記する改正案も出ているご時世である。そんな中、市民団体が寄付を募って建立したという。私は、学生時代仲間と勉強した統治行為の理論等憲法判例を思い出し、基本の判例集は取っておいたはずと探したがもうなかった。

 九条の碑 地図で調べると、京成本線京成関谷駅が最寄り駅と分かり、JR巣鴨駅から日暮里駅で京成本線に乗った。関谷駅は一度くらい利用したと思うが土地勘はなく、駅前案内図を頼りに駅前通りから10分前後歩き、柳原リハビリテーション病院を探し到達したが、前庭には見当たらない。
 受付で教えて貰い戻ると、九条の碑は住宅の間にあった。ステンレス製の球体で、九条の条文が刻まれている。カメラに収めたら自分も写っていた(写真上)。これも製作者の意図で、自分が生きているのは平和のお陰と自覚して欲しいとの事のようだ。

 向島百花園句碑 京成関谷駅隣の東武伊勢崎線牛田駅から東向島駅へ。久しぶりに向島百花園を訪ねたい。駅高架下よりほぼ真っすぐに歩いて園内へ入った。今回の目的は、芭蕉句碑だが、秋の紅葉はどうだろうか。句碑は二つあり、“春もやや けしきととのふ 月と梅”、“こにやくの さしみ少し 梅の花”前句は見覚えがあるが、後句は初めて知る。江戸後期に梅園として開かれた当園には相応しい句とある。
 広くはない園内は秋色を濃くし、ススキが目立っていた(写真中)。墨堤通りへ出ようと右へ出ると白髭神社前で、参拝しコロナ早期退散を願う。

 墨田区少年野球場 墨堤通りを遡上し、右手に墨田区少年野球場を探す。少し歩いてビール会社の先にあった。本日もグランドでは少年達が練習中。この球場は有名で、当地に住んでいた少年時代の王選手が練習に励んだ地で、ここで荒川コーチに見いだされ早実高校、ジャイアンツ、ホームラン王と歩んだが、その原点が当球場という。ゲートには一本足の王選手のレリーフがある(写真下)。今年、村上選手にホームラン記録は更新されたが、記録は破られるためにあるとも言われる。
 右手の隅田川土手を越し、桜橋で隅田川を渡って浅草地区へ入り、バス停を探したがウロウロしてしまい、都営線浅草駅迄は遠く、時間を喰ってしまった。(2022/11/23 K.K. 1481/1500)

◇日時 2022/11/03 ◇天候 晴れ ◇交通費 460円 ◇資料 昭文社「東京都市図30立石」20004.4版 ◇歩行距離等 13,000歩 9㎞ 
「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-京成日暮里駅9:19-同関谷駅9:35=九条の碑9:45=東武牛田駅10:03-同東向島駅10:10=向島百花園10:25=白髭神社10:45=墨田区少年野球場11:00=桜橋11:10-都営浅草駅11:42-同神保町駅12:03-自宅12:40

れきしの里石岡に歴史遺産を巡る

 茨城の石岡は、国府があった歴史の街と知った。ネット情報では、国府とは、奈良、平安時代令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市で、国府付近には国分寺、国分尼寺、総社も設けられたとある。その通りの史跡が手許のガイド(JR東日本駅からハイキング石岡市)にも掲載されている。我が家から近くはなく後回しになっていたが、常磐線石岡駅は、上野駅から鈍行で1時間30分位だろう。

 まちなか登録文化財 石岡駅に降り、構内の案内所でれきしの里情報を貰いスタート。ガイドに従い時計回りに巡り、最初は“府中誉”という1854(安政元)年創業の醸造所。ガイドの縮尺が分からず、想定より大分左奥に古手の造り酒屋があった。現在も操業中。戻って大通りへ出ると国府公園の隣が金刀比羅神社で、参拝すると奉納された清酒白鹿の酒樽があった(写真上)。今回の石岡訪問で、地酒“白鹿”の入手をも期待したが駅の案内所で、春に倒産し売れ残りがあればと言われた。境内には正岡子規の句碑があった。通り先が登録文化財丁子屋という歴史の街に相応しい江戸末期からの染物屋の店舗。左折した右手が、府中松平家墓所のある照光寺で、覗いたがそれらしい墓は見当たらなかった。

 国府跡、府中城跡 陣屋門に至り、案内はないが、府中松平家の移設門らしい。そして、石岡小学校の前が、府中城跡で、国府跡ともある。常陸大掾(国府の長)であった大掾氏が長く支配したが、戦国期以降佐竹氏、六郷氏・皆川氏を経て、水戸徳川家の分家府中松平氏が2万石で城主を務め明治を迎えたようだ。現在では、土手よりは長く大きめの土塁が遺るだけ(写真中)。カメラに収めた。城ではなくて陣屋であったようだ。

 常陸国総社宮 常陸国総社宮を探すと小学校グランド隣の杜の中にあり、長めの参道を直角に曲がって古くて木造の山門を潜ると社殿があった(写真下)。寡っては八百万の神々を合祀し、現在は当地の多くの神社の総社とある。そして常陸国茨城郡に存在して、現県名のルーツという。七五三参りらしき家族に続いて詣でる。

 国分尼寺跡、国分寺跡 次の国分尼寺跡は北上を続け、距離がある。探し当てたが、跡地の広場のみ。最後の国分寺跡へと中心部へ戻る。ガイドを睨めながらも一度は間違えたが辿り着き、今も現国分寺があり、門前に常陸国分寺跡の案内があった。駅への途中蕎麦屋に入り、遅めの昼食。
 今回歩きながら、当地の地酒白鹿を求めようと酒店に寄ったが、いずれでももうないとの返事であった。西宮の白鹿と合法的ダブル登録白鹿事件調査の際、手伝ってくれた友人と酒の肴、否飲もうとの目論見は外れた。上りの車窓から秀峰筑波山が見えた。(2022/11/16 K.K.1480/1500)

◇日時 2022/10/26 ◇天候 晴れ ◇交通費2,760円 ◇資料 小学館「城郭と城下町」昭和62年162頁外 ◇歩行距離等 18,000歩 13㎞「通過時間等」自宅8:30-JR巣鴨駅9:10-同日暮里駅9:28-同石岡駅11:00=府中誉醸造11:25=金刀比羅神社11:35=照光寺11:50=国府・府中城跡12:00=常陸国総社宮12:15=国分尼寺跡12:50=国分寺跡13:20=JR石岡駅14:17-同日暮里駅15;45-三田線巣鴨駅16:05-自宅16:35

埼玉羽生を訪ね利根川を眺めながら歩く

 埼玉県北東部を走る東武伊勢崎線に羽生駅があることは知っていたが、乗降したことはない。手前の加須駅や先の茂林寺前駅、館林駅は里歩きの際に乗降した。目立つような名所や史跡がないからだろう。ハイキング資料(東武鉄道「沿線さんぽ 羽生」54頁)もあり、それなりのポイントが紹介してある。利根川を挟んで群馬県境の町である。

 秩父線新郷駅スタート 我が家から羽生へは、JR宇都宮線久喜駅で東武伊勢崎線に乗り換えである。浮間舟渡駅から赤羽駅へ出て、久喜駅で東武線とした。久喜駅は見覚えがあり、秘湯の会の集合駅で数回利用したが、最近秘湯の会は休会中。加須駅の次の次が羽生駅であったが、車中地図を眺め、秩父線新郷駅をスタートとし、伊勢崎線羽生駅隣の秩父線羽生駅へ歩き、新郷駅に下車。

 日光街道脇往還 勘兵衛松や川俣関所跡を目指すが、駅には期待した地図や資料はない。スマホに写した資料を頼りに大通りへ出てスタート。手前の愛宕神社をポイントとするが、距離がある。途中から歴史を感じさせる街道筋のようで、日光街道脇往還と知る。八王子千人同心が火番に東照宮を往復したという。左手に本陣跡の案内があり立ち寄る。邸内にクスの大木があるようだが、見学は断れた。ようやく街道突き当りにある愛宕神社に至り、参拝。

 勘兵衛松の並木 直ぐ先が勘兵衛松の並木(写真上)。1628(寛永6)年家光の日光参りに、当時の関東郡代の部下勘兵衛が植えたという。日光街道杉並木も1625(寛永2)年植樹開始というから、同じ頃である。400年経ち現存は1本で、他は植え替え松とある。最後の松をカメラに収めた。

 大利根眺めながら歩く 水田地帯となり街道正面に利根川堤防が連なり、左手奥の高山は赤城山と気付いた。堤上に上がる。大河利根川の中流だが、河川敷は広く流れは大分先で、対岸の群馬県側は見えない。左手下流の昭和橋は長い(写真下)。
 関所跡を探し、堤上を上下するが見当たらない。橋袂近くに四方形の石囲いの跡があるが案内はない。諦めて羽生道の駅へ。昼飯と地酒を求め、羽生駅への徒歩時間を教えて貰う。
 利根川を眺めながら堤上を下る。本当に利根川は広い。坂東太郎もこの辺りは穏やかで暴れ川とは窺えない。故郷の最上川を知るが遥かに広い。利根川に別れ土手を下り、駅への方向と伊勢崎線路へ近づこうと里道を進むが中々見えて来ない。
 下川俣バス停があり、10分弱でバスが来ると分かり待つことにした。バスで先程の新郷駅に戻り、羽生駅から伊勢崎線に乗った。(2022/11/09 K.K.1479/1500)

◇日時 2022/10/19 ◇天候 曇 ◇交通費1,520円 ◇資料 東武鉄道「沿線さんぽ 羽生」平成18年54頁 ◇歩行距離等 14,000歩 10㎞
「通過時間等」自宅8:20-JR浮間舟渡駅8:53-同赤羽駅9:05-東武久喜駅9:53-秩父線羽生駅10:30-同新郷駅10:40=愛宕神社11:00=勘兵衛の松11:05=利根川堤11:20=道の駅11:55=下川俣バス停12:20-秩父線新郷駅12:55-東武羽生駅13:08-JR久喜駅13:37-同赤羽駅14;21-同浮間舟渡駅14:30-自宅15:00

会津西街道を走り、復興只見線に乗車する

 10月1日只見線が全線繋がり開通したとマスコミで知った。Sさんから行こうとメールが届いた。有難い話で、了解の返信をして12日となった。その頃なら押しかける乗り鉄マニアも落ち着くだろうという。紅葉には早いかもしれない。調べると日に朝昼晩の三往復で、昼の列車に合わせて、8時出発となった。只見線は2011夏の豪雨災害で、只見駅から会津川口駅は不通区間となり、前回はその前後の区間で乗った(18.8.18)。

 車で奥会津へ 車は東北自動車道を走った。私は単純に、郡山、会津若松経由かなと考えていたが、西那須野インターで降りて、塩原温泉街を通り抜け、上三依から会津西街道を福島へ走った。山間ではあるが、鬼怒川からの鐵道野岩線と並行している筈だ。南会津田島から左折して桧枝岐へ向かい、直前で右折し只見町に入った。奥会津の地である。

 只見駅会津川口駅間乗車 駅には、“おかえり只見線”の横断幕もある(写真上)。JR只見駅発14時35分の会津若松行き気動車は、定刻に発車した。平日なのに満席で、私はロングシートに何とか座れた。熟年高齢者が多い、大半はマニアだろう。私もその一人。折しも鉄道開業150周年記念事業と重なり、旅行客が多いのは確かだ。
 今回は、会津川口駅迄乗車し前回のバス代行区間で、合わせて全線乗車を目論んだ。会津塩沢駅付近から只見川が車窓から見え始め、鉄橋がポッキンと折れていたのはこの辺りかなと眺めたが不明で、後にもっと下流と分かった。呑み鉄を始めた方もいて、対面座席である。少し羨ましいが、こちらはその環境ではない。樹木の繁る山間を走るが、紅葉には遠い。只見町や田子倉ダム周囲の山々も色付きは未だであった。

 二両列車は順調に走り、約1時間で会津川口駅に着いた。小出行き下り列車も到着した(写真下)。10分停車で、狭いホームには多くの乗客が乗降した。前回ここから会津若松行きに乗車した駅で見覚えがあり、これで、JR只見線も乗り切ったことになった。Sさんのお陰である。
 只見線乗車前に時間があり、田子倉ダムを往復。1960(昭和35)年ダム・発電所が完成した田子倉発電所の建設用鉄道がその後、1963(昭和38)年国鉄線として会津川口駅から只見駅迄開業したと知る。

 会津西街道 金山町から昭和村、下郷町付近を経て、また南会津町田島へ出て、会津西街道を戻った。会津西街道は思い出がある。西街道大内宿へは会津線湯野上温泉駅から歩いて往復した(07.12.1)。駅舎は茅葺屋根であった。また今市先の西街道杉並木を歩いた(15.8.25)。東武鉄道大桑駅から大谷向駅間で、杉並木内に大名行列が交差した時の待避の道もあった。尾瀬からの帰途、南会津隣の昭和村駒止湿原に寄って貰い満開のニッコーキスゲに出会ったこともあった(09.712)。先ほどその案内標柱を見た。会津田島からは往路を走り、20時前に帰宅出来た。Sさん感謝です。(2022/11/1 K.K. 1478/1500)

◇日時 2021/10/12 ◇天候 曇 ◇交通費 510円 ◇資料 JR只見線利用促進実行委員会「只見-会津川口復興ガイドマップ」平成30年12月 「通過時間等」自宅7:55-只見町12:10-田子倉ダム13:10/13:50-JR只見駅14:35-同会津川口駅15:40-会津田島道の駅17:00-自宅19:45

京急線沿いに横須賀ヴェルニー公園から歌碑を巡る

 夕方のテレビ放送から横須賀にあるヴェルニー公園を知った。地図で調べると、横須賀湾に面した幕末から明治期の史跡のようである。京急線駅からも近く、湾沿いで私の里歩きにはぴったり。これに伊勢佐木町と港町駅にある歌碑巡りを加えたい。いずれも京急線の駅が最寄り駅と思う。

 横須賀ヴェルニー公園 京急線は我が家からは至便で、三田駅で乗換れば京急線。私は、ヴェルニー公園は汐入駅が最寄り駅と知り、京急線で横浜駅を過ぎ汐入駅に降り、駅前の交差点を歩道橋で渡った先が目指す公園であった。

 ティボディエ邸、ヴェルニー記念館 公園は意外に広く、細長く湾沿いに続いていた。フランス人のティボディエ邸があり、洋館に入ってみた。横須賀製鉄所(造船所)の副首長として、明治初期にわが国で造船技術を指導した方とある。館内は資料展示館で、その頃の横須賀港を描いた絵が目に付いた。孫が勤め始めた会社らしき名称があったからだ。
 係留船を眺めながら湾沿いに歩く。正面の大船は戦艦だろう(写真上)。ヴェルニー記念館は、公園の端で横須賀駅の近くにあった。フランス人のヴェルニーは製鉄所の首長として、幕末から12年間滞在し活躍したとある。高等技術者教育機関を設けて、我が国の高等技術者も養成したという。館内には、当時輸入し使用した3トンスチームハンマー等が展示されていた。

 小栗上野介の貢献 園内には、ヴェルニーと小栗上野介の胸像(写真中)があった。小栗は、横須賀製鉄所建設を推進し貢献したとある。私は、幕末の勘定奉行で最後は幕府の軍資金を持って上野国に隠棲したとしか知らないが、遣米使節の1人として米国の工業化を目の当りにし、その重要性を説いて献策もしたという。偶々10月26日bs3の“英雄達の選択”で小栗のことが、幕末の先覚者、目指す徳川の近代国家として放映され、横須賀製鉄所建設もあり、幕末の偉人と知った。

 伊勢佐木町から港町へ 京急線黄金町駅に下車し、右手の橋を渡り、伊勢佐木モールへ向かった。歩行者天国を歩くとほぼ想定した地に、“伊勢佐木町ブルース”の歌碑が見付かった。公園ではなく道路端に、ピアノ型歌碑が建っていた。1967(昭和42)年発売し、あの青江三奈のため息交じりの歌唱でヒットした。カメラに収めて、日ノ出町駅へ歩いた。

 京急線川崎駅で、大師線へ乗り換え次の港町駅に下車。お目当ての“港町十三番地”の歌碑は南口改札先に、ひばりの写真とともにあった(写真下)。港町十三番地のご当地ではなく、レコード会社日本コロンビア社が近くにあるからの縁という。また十三番地は、実在ではなく曲調との語呂合わせからと知った。1952(昭和32)年からの大ヒット曲である。僅か5分程度の滞在で川崎駅行きの電車が来て、乗車した。(2022/10/.27 K.K. 1477/1500)

◇日時 2022/10/08 ◇天候 曇 ◇交通費1,630円 ◇資料「横須賀市自然・人文博物館アクセスMAP」 ◇歩行距離等 10,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:20-京急線三田駅9:25-同汐入駅10:25=ヴェルニー公園10:30/11:05==京急線汐入駅11:25-同黄金町駅12:10=伊勢佐木町ブルース歌碑12:20=京急線日ノ出町駅12:35-同川崎駅12:56-大師線港町駅13:00/13:05-京急線川崎駅13:18-三田線三田駅13:45-自宅14:35

都内目黒に自由が丘を訪ね歩く

 渋谷駅から横浜駅へ走る東横線に自由が丘駅があるが乗降したことはない。目黒の高級住宅街かな、程度の知識であったが、購読紙から情報を得た。昭和初期から芸術家や文化人達が移り住み自ら自由が丘と称して以来、東横線駅名も九品仏駅から自由が丘駅へ変更され、1932(昭和7)年には地名も衾村から自由が丘となったとある(「まちの記憶自由が丘」22.6.27朝日)。略図があり、歩いてみることにした。

 初めての自由が丘 我が家から自由が丘へのアクセスはわかり易い。三田線の目黒線直通の日吉行に乗り、大岡山駅で大井町線へ乗り換えれば自由が丘駅で東横線と交差し、1時間強だろう。順調に進み自由が丘駅に着き正面口へ出た。やっぱり見たことのない駅前風景。シンボルの自由の女神像を探すと、広場の端に大きくはない像が建っていた(写真上)。1961年ご当地の彫刻家澤田政廣作、舞踊家石井漠揮毫とある。
 旧トモエ学園跡へと略図に沿い商店街通りへ入るが見付からない。自由が丘学園を引き継いだのがトモエ学園で、“窓際のトットちゃん”で有名になったのは知っている。諦めて、熊野神社へ足を向ける。

 “ナボナ ナボナ”亀屋万年堂 大通りから右手の高い樹々を見付けて接近すると山勘通り、参道。本殿に参拝し戻ると胸像がある。衾村の大地主で昭和初期村長も務めた栗山翁で、駅名や地名の自由が丘に賛同し決断したとある。自由通りへ出て、亀屋万年堂本店へ。今度は山勘が外れ、持参地図から振り向くと本店ビルが見えた。
 同店の洋菓子“ナボナ ナボナはお菓子のホームラン王”と王選手がテレビCMに登場したのは何年前だろう。ジャイアンツ同僚国松彰選手の奥さんの実家のお菓子なのだ。私は、9連覇前半に活躍し、シュアなバッティングをする国松選手に注目していた。店内(写真中)に入りナボナを求め尋ねると、国松会長は最近店には見えないと教えてくれた。

 九品仏川緑道 自由通りを下り、目黒区から世田谷区へ入って奥澤神社に詣でる。こちらでもコロナの早期退散をお願いし、少し戻って九品仏川緑道へ左折する。
 緑道樹々の下にはテーブル、椅子があり少なくない男女がコーヒーを飲み、読書を楽しんでいる(写真下)。平日の10時過ぎで、ハイクラスな自由が丘らしいのだろうか。隣駅の寺院九品仏迄緑道は続くと思っていたが予想に反し、東横線高架先でお終まい。駅へ戻るほかはなく、駅前交番でトモエ学園跡を尋ねて、再度先程の商店街通りへ入ったが現在工事中の地らしい。また諦めて自由が丘駅へ戻った。(2022/10/17 K.K. 1476/1500)

◇日時 2022/09/28 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図106自由が丘」20004.4版 ◇歩行距離等 8,000歩 6㎞ 「通過時間等」自宅8:10-大井町線大岡山駅9:18-同自由が丘駅9:30=熊野神社9:45=亀屋万年堂9:55=奥澤神社10:10=九品仏川緑道10:15=大井町線自由が丘駅10:48=目黒線大岡山駅11:00-自宅12:10