朝霞に重文古民家を見学し、和光の代官屋敷へ

 埼玉朝霞に古民家高橋家住宅の情報を得ていた。朝霞は近く、東武東上線で板橋成増駅から二つめである。その間の和光を最寄り駅とする代官屋敷柳下家の存在を先日知った。これらを結びつけ、訪ねることにした。双方とも駅から徒歩の距離で、グッドである。
今、自粛期間中だが高橋家の公開を確かめた。

 朝霞駅から高橋家へ 朝8時過ぎ、バスで成増駅へ出て、鈍行に乗車。いつものハイキングは急行だが、朝霞駅には停まらない。10分弱で着き、北口から歩き出す。
 朝霞は久し振りで、一時長男一家が住んでいて、昨年成人した2番目の孫はここで誕生したから約20年前か。見覚えのある駅前通りを北上するが、略図のみで、住所の地番が頼り。いつもの山勘で、左折し住宅街へ入るが、目指す地番は見当たらない。コンビニからバス停をチェックし二度尋ねて、迂回したが古民家高橋家住宅前へ出た。
 江戸中期享保年間建築の農家で、復元を経て重文指定という。茅葺き、土壁の平屋で(写真上)、荒川に近い武蔵野台地の端に建つ。内部は広い土間と4部屋造り。母屋の回りに、納屋や倉、室、井戸小屋も遺っているが、母屋よりは新しいようだ。はっきりした建築時期は棟札があれば分かるのだが、見付からないのだろう。家内の実家もそうであった。
 屋敷は広く、裏は沢で、屋敷森も遺されている。立派な母屋や屋敷の広さから高橋家は小作ではないだろうと思ったら、資料に本百姓とあった。一回りし、数回カメラのシャッターを切った。
朝霞駅南口にある本田美奈子記念碑へ立ち寄った。一時活躍したアイドル歌手だと思うが難病で早世されたようだ。名前を知るのみだが、板橋生まれで、工藤の姓に身近さを感じた。

 御当主奥様に案内して貰う 和光市駅南口に降り、下新倉の代官屋敷柳下家へ向かう。最近川越街道白子宿を歩いた時調べ偶然知った。旗本酒井忠吉の陣屋である。こちらもまた山勘で、現川越街道手前の旧道へと直進、左折を二度繰り返し出会った町内地図で確認すると下新倉で、直ぐ代官屋敷前であった。
 お屋敷を眺めると、屋根がトタン葺きに改築されているが面影が遺り、デジカメに収めた。念のため、近くにおられたご婦人に確かめると、柳下家の奥様で、屋敷門を開け正面からどうぞと言われた(写真下)。恐縮しながら伺うと、ご先祖は甲斐武田家の重臣の出で、当地に約600年お住まいという。ご婦人にもそのような気品が感じられた。
 お礼を申し上げ、旧川越街道をくらやみ坂から現笹目通りを渡って大坂を下り、前回訪ねた白子宿へ。本陣富澤家の前を過ぎ右折し、埼玉から東京の成増へ入り、バス停を探しバスを待った。(2020/06/25 K.K. 1331/1400)

◇日時 2020/6/7 ◇天候 晴 ◇交通費 300円 ◇資料 「江戸期の農家の客間に質素な竹すのこ床」しんぶん赤旗20.3.29 ◇歩数等 13,000歩 9km 「通過時間等」自宅8:30-東武成増駅9:12-同朝霞駅9:20=本田美奈子記念碑9:25=高橋家住宅9:50/10:05=東武朝霞駅10:34-同和光駅10:40=代官屋敷柳下家10:55=成増2丁目バス停11:20-成増駅バス停11:35-自宅11:55