県都大分に府内城跡から市内を巡る

 宮崎へ出掛ける用事が出来た。併せて九州に残る未訪県都を巡りたい。前日大分へ入り、用事を済ませた翌日は鹿児島へ出ようと考え、スケジュールを検討したら可能で、航空券やホテルを手配した。用事で使用する資料はデータで送り、法令集は薄く軽いものとし、大きめのザックで洋服等も持参した。

 駅前繁華街から城跡へ 大分空港から乗ったバスを大分駅前に降り、案内所で市内マップを入手。駅前に建つ大友宗麟(写真上)、フランシスコ・ザビエルの像を見て市内へ入った。駅前からのアーケード街は大きな繁華街で、シャッターを閉めた店舗はなく、平日なのに人通りもあり、県都である。右手に赤煉瓦が見え、近付くと大分銀行赤煉瓦館、東京駅を設計した辰野金吾作で重文とある。赤色が目立ち、最近改装したのだろうか。カメラに収め、県庁隣の府内城跡へ。大通りから右折左折を繰り返すと前方に寺らしき建物が見えたと思ったら、府内城跡の西之丸櫓であった。

再訪の府内城を一回り 濠端を行き正面へ回り、大手口から城内へ。本丸跡だが、現在天守閣建築工事中とある。廊下橋は渡れず、一旦城跡を出て、松栄神社前から濠外を回る。神社は家康の出身地上州縁の社とあった。当城は再訪だ(93.12.5)が、見覚えあるのは濠のみで、記憶よりは広い内濠である(写真下)。四方の櫓は復元だろう。
宗麟時代は館で、近世の城と城主は、手許の資料では、約400年前石田三成の妹婿福原直高12万石として築城が始まり、その後城主が目まぐるしく代わり、17世紀中頃松平忠明が城主となり明治まで続いたとある。大手門口へ戻ると左手が県庁であった。

 西洋文明伝来の地 県庁前遊歩公園からまちなかの彫刻群を巡る。伊東マンショ像や当地に伝来した西洋医術や同療養所、同演劇の発祥の地関係彫刻が続いた。キリシタン大名となった宗麟庇護の下、ザビエル後も多くの宣教師達が渡来し、西洋文明が伝わったらしい。最後に滝廉太郎像があった。明治期西洋に留学したが病気で帰国し、この近くが終焉の地とある。以前、竹田城跡で見た像を思い出させ、93年は豊肥本線で豊後竹田から大分であった。駅へ戻り、日豊本線特急に乗車した。

 途中下車し延岡城跡へ 県境を越え宮崎に入り、最初の停車駅延岡駅に途中下車し、延岡城跡を往復。駅前通りから五ヶ瀬川に掛かる橋を渡り右折した市役所先の小山が城跡であった。大回りしたが大手門から坂を上がると、有名な千人殺しという石垣。石垣の一部を外すと全体が崩れるというその仕掛けのネーミングらしい。高く立派な石垣にアングルを探した。坂を上がり続け、本丸跡、天守台跡へ。最後の藩主内藤政挙の像が建ち、鐘楼もあった。眼下に川が見え、先程渡った川と方向が違うと思ったら、当城は両側川に挟まれ、自然の要害としていたようだ。若山牧水の歌碑を見て、市役所前へ出るとバス停があり、折良く直ぐバスが来て駅へ戻り、宮崎空港行きに乗った。(2018/03/11 K.K. 1167/1200 

□日時 2018/2/22 □天候 晴 □資料 (株)ゼンリン「大分市センターマップ」2018 □歩行距離 12km 16,000歩
「通過時間等」自宅6:05-都営三田駅7:01-羽田空港8:00-大分空港10:00-JR大分駅前11:00=大分銀行赤煉瓦館11:15=府内城跡11:30=県庁前遊歩公園11:50=JR大分駅13:04=同延岡駅15:10=延岡城跡15:40/16:07=JR延岡駅16:31-同宮崎駅18:10-ホテル18:20