宮崎に青島、佐土原城跡、宮崎神宮を訪ねる

 九州宮崎滞在2日目、本日の用事は16時開始で、時間的には余裕があるが、電車やバス、徒歩では動ける範囲が限られる。市内メインの通りと宮崎神宮位かなと考えていたが、昨日の夕食時、今回アレンジしてくれたTさんが、午前中車で案内してくれると言ってくれ、ご厚意に甘えることにした。宮崎は3度目で、いずれも仕事であるが、その中でも、そこそこ名所等は訪ねている。

 青島一周 宮崎は南国で、駅前大通は椰子の木並木である。本日、それ程暖かいわけではなく、東京と変わりはない。Tさんの車で、青島へ向かう途中、左手に宮崎野球場が見えた。現在ジャイアンツ三軍がキャンプ中だが、本日練習休みと知った。青島手前の植物園に駐車し、園内には、既にポピー類が咲き揃い温暖地を誇示しているよう。橋を渡って島内へ。本日好天で、海は穏やかで展望も良い。青島神社に参拝。Tさん、奉納絵馬へ案内してくれた。ジャイアンツのメンバーが揃って祈願してありサイン入り。前回訪問時、ファンのOさんが持ち帰りたいと言ったのを思い出した。亜熱帯植物林中から海岸縁へ出て島を一周。鬼の洗濯岩は見覚えがあり、見事なもの(写真上) 帰りに、植物園大温室で、皇后様の名が付いた洋ランの花を鑑賞した。

佐土原城跡は山の中 Tさん午後一番の仕事で郊外の佐土原へ行くので、城跡はどうかと誘われ、二つ返事でお願いした。処が、到着すると本日再建御殿は閉館日とある。横に本丸跡への案内を見付け、山城跡へ進入。大手口の筈だが溝のような崖の間の坂道を上がる。山道を行き堀切を過ぎると本丸跡であったが、小さな削平台のみ。
佐土原城は、戦国前期は伊東義祐が城主であった。彼は曽我兄弟に討たれた工藤祐経の末裔。一時は日向国一帯に勢力を張ったが島津氏に敗れ、薩摩島津氏の支配が当地まで及び明治に至ったという。1625(寛永2)年に、麓に御殿を設け山城を下りている。最近の調査で、南九州には珍しい天守閣があったことが分かったとある。
 道を挟んだ向かいの道の駅で資料を貰い、市内へ戻る交通を教えて貰うも、JR佐土原駅は遠く、駅へのバス停も一本先の通りだと知った。ウロウロしたが1時間30分後のバスしかなく、待っていたら、携帯が振動しTさんからで、仕事を終え寄ってくれるという。渡りに船で、遠慮なくまた乗せて貰った。

宮崎神宮に参拝 宮崎神宮に寄ってとお願いする。この神社の存在は知っていて、多分ジャイアンツのキャンプの際、優勝祈願をする選手達をテレビで観ていたからだと思う。実は二度目の筈だが、初めての風景のよう。広い境内は林に覆われ、直線の参道は長く続くが、参拝者はなく我々だけ(写真下)。静かな中、私はいつもの喫緊のお願いをした。ご祭神が神武天皇とあり、意外であった。
ホテルへ戻り、休憩しながら仕事に備えた。(2018/03/15 K.K. 1168/1200)

□日時 2018/2/23 □天候 晴 □資料 宮崎市教育委員会「佐土原城ガイド」2017、宮崎神宮社務所「略記宮崎神宮」 □歩行距離 13km 18,000歩
「通過時間等」ホテル8:25-植物園8:50=青島9:10=植物園9:50-佐土原城跡11:15=本丸跡11:30=同城跡前13:10=宮崎神宮13:50/14:05-ホテル14:20