赤坂氷川坂から豊川稲荷へ歩く

 港区赤坂の氷川神社の近くに勝海舟と坂本龍馬の師弟像があると知った。少し前品川立会川駅前で龍馬像を眺めて(21.10.16)、土佐以外にもあると初めて知った。確か海舟邸跡も氷川神社傍の氷川坂にあったと思う。青山通りの豊川稲荷へも寄ろうと調べていたら、鈴降稲荷神社があり、家康の伊賀越えに由来するらしい。これで都心歩きも興味が増した。

 海舟、龍馬師弟像 三田線内幸町駅からバスで六本木通りへ出ることにした。これが正解でハプニングが生じた。アークヒルズ前バス停に降り、六本木通りを渡って赤坂へ向け、商店街の坂を上がると正面に銅像らしき物が見え始め、2人の師弟像であった。探す苦労無しに出会い、想定外。海舟は座り、龍馬は隣に立ち、太平洋を向く像とある(写真上)。龍馬は、開国派の海舟斬りに訪問したが先進的な思想に惹かれ弟子入りしたとの逸話があるらしい。2016年完成し除幕式には二人の子孫も出席されたという。当地は、現在は港区の施設だが、明治期の海舟邸跡の氷川坂らしい。カメラに収めた。
 左手先が赤坂氷川神社で、高い樹々が頭を出している。石段から境内へ入ると四稲荷合祀の際、海舟がネーミングした四合(シアワセ)稲荷神社があった。銀杏の大木を眺めて、氷川神社に参拝。境内を横へ出ると本氷川坂で、幕末迄海舟邸があった地で、現在も静かな住宅街。

 鈴降稲荷と由緒 坂を下り三叉路を左折して方向が不明となってしまった。TBS社前へ出るつもりであったが、交差点を渡って坂を上がり地図で確かめると同社の裏側と分かり、隣のビルは10年数年前少し仕事を手伝った会社があったビル。息を吹き返して坂を下り、一ツ木児童遊園地隣の小路奥に、鈴降稲荷神社は見付かった(写真下)。
 手を合わせ、由緒書きを読むと、本能寺の変で、家康が堺から伊賀越えの山中で難渋していた時、鈴の音を聞いて導かれ伊賀衆の助けを得て、無事三河に帰還。恩義に感じた家康は服部半蔵外の伊賀衆を江戸へ招き四谷に住まわせ、本稲荷を祀ったという(大震災後当地に遷座)。小さな社だが、朱色も鮮明で、管理が行き届いているようである。

 豊川稲荷、是清公園 豊川稲荷へと坂を上がると、山脇学園であるが武家屋敷門があった。東京駅前付近にあった老中屋敷の門で重文とある。何故ここにと思いながら通過し、青山通りへ出て、豊川稲荷神社に詣でる。こちらは参拝者が多い。隣は赤坂御所で、反対側のとらや、草月会館前から少し歩いて、高橋是清公園に寄る。奥に鎮座する是清公像に挨拶。総理大臣を務めたが若い頃、私の旧勤務先の初代所長でもあった。地下鉄青山一丁目駅迄は距離があった。(2022/6/3 K.K. 1453/1500)

◇日時 2022/05/18 ◇天候 晴れ ◇資料 昭文社「東京都市図46赤坂見附」20004.4版 ◇歩行距離等 9,000歩 7㎞ 
「通過時間等」自宅10:10-三田線内幸町駅11:02-アークヒルズ前バス停11:13=海舟、龍馬師弟像11:20=赤坂氷川神社11:30=鈴降稲荷神社11:50=山脇学園武家屋敷門12:05=豊川稲荷神社12:10=高橋是清公園12:20=大江戸線青山一丁目駅12:34-三田線春日駅13:06-自宅13:45