芭蕉句碑を探す 広くはない庭園を一回りしたが芭蕉句碑は見当たらず、焦った。三月前は探し損ねた(2.14)。最近、芭蕉の奥の細道に凝り追っ掛けを自称している自分としては、是非存在を確かめたいと再々訪したが、見付からない。ネット情報に池周りとあるが、写真には石碑の裏に金網柵が写っていた。最後にしようと、柵沿いへ板で閉め切られているような築山の外れに侵入したら、句碑らしき石碑があり、目指す芭蕉句碑であった(写真上)。
三度目の正直か 本日は、両国の安田庭園に、芭蕉句碑を是非確かめたいと出掛けた。三田線を春日駅で大江戸線に乗り換え両国駅に下車し、地上へ出た。すぐ前が横網公園、そして関東大震災と大空襲の復興記念館横を通り抜け、安田庭園へ入園。江戸時代の大名庭園だが現在は区立庭園。早速、句碑を見付けようと回遊式池の周りを一巡り。右奥の石碑を確かめたが違っていた。諦め掛けながらも最後に、園端柵沿いの閉め切られたような地へ入ったら、あった。“ミの虫の 音をききにこよ 草の庵”のミの・・・文字が何とか読め、勇んでカメラに二度収めた。1687(貞亨4)年秋、芭蕉44歳、深川芭蕉庵で詠まれた句と知った。
園を後にし、隅田川を蔵前橋で渡り、同通りを行き、途中で榊神社、楫取稲荷、蔵前神社、そして鳥越神社を巡り歩いた。鳥越神社以外は、初めての参拝。楫取稲荷はカジトリと読み、舟運の社らしい。蔵前と言えば、江戸幕府の米蔵があった地で有名だが、私が子供の頃は、大相撲興行は蔵前の国技館であった。
大相撲発祥の地 蔵前橋通りから江戸通りへ右折して入った住宅街に蔵前神社はあった。江戸時代の勧進相撲の発祥の地とある。その縁で寄進者の名前が力士でそれも東富士、千代の山、鏡里、そして吉葉山が並んでいる。大相撲に興味を持った頃の横綱勢揃い。昭和30年前後で、ラジオで聞いていた。中でも、私は東富士のファンになり、所属の高砂部屋勢を応援した。懐かしい。参拝後、玉垣に刻まれた四股名を入れ、シャッターを切った(写真下)。
また蔵前橋通りへ戻り、前進すると右手が鳥越神社。知名度に比べ広くはない境内。紫陽花が見ごろで、カメラを向けた。偶々先日、当社のお祭りの開催規模を決めかねているとのテレビ放映を観たばかり。本日も、その宮司さんがインタビューを受けているよう。
大江戸線新御徒町駅へ歩いたが暑く、途中自販機で飲料水を求め、のどを潤した。(2021/6/14K.K.1396/1400)
◇日時 2021/05/26 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 9km 13,000歩 ◇資料 昭文社「東京都市図浅草36」「通過時間等」自宅10:40-大江戸線春日駅11:10-同両国駅11:35=横網公園11:40=安田庭園11:45/12:05=蔵前橋12:20=榊神社12:30=楫取神社12:35=蔵前神社12:45=鳥越神社13:15=大江戸線新御徒町駅13:40-三田線春日駅13:48-自宅14:20 |