石神井川から川越街道五本欅を眺める

 この記録を綴っているクリアファイルが満杯になった。40ポケットに、A4一枚の記録と歩いた前後に収集したマップやパンフ類も保存し(写真上)、およそ27回記録で1ファイルの検討。約20年前からのことで、現在では50冊程になっている。都心へ勤めていた時は何時でも求められたが、巣ごもりでは簡単ではない。昨年茂呂遺跡からの帰途上板橋で文房具店を覗いたら、偶々目的に適したファイルがあった(20.10.20)。里歩きを兼ね上板橋へ歩くことにした。

 石神井川を歩く 三田線板橋本町駅から歩き出す。現中山道を遡り石神井川を渡った先の氷川神社へ寄る。最近富士塚があると知ったが、これまでの参拝では気付いていなかった。本殿に挨拶し、境内を見回すとそれらしい場所はあったが、塚らしくはない。一応カメラに収めた。石神井川に沿って歩く。この辺りはコンクリートの高い水路で、現在は底部30㎝位の流れであろうか。水はきれいである。橋を利用し右岸から左岸へ、それを繰り返しながら上流へ進む。左岸に高齢者達が屯し、皆カメラを構えている。カワセミだなと、川底に探したが、私には見えない。端の方に伺ったら、頷いてくれた。我が弟も相模の川や池で追っているらしい。
 旧川越街道を上板橋へ 右岸の中板橋商店街入口から東上線高架下となり、下頭橋六蔵詞様があり、軽く挨拶する。下頭橋は、川越藩主江戸往来の際を家臣達がこの橋で出迎えたからとの説もあるとあった。橋を渡って、旧川越街道を下る。これまでは反対側へ歩き、初めての地。環七通りを渡って商店街からときわ台駅前を行くと、見覚えのある風景で、森内の天祖神社。昨秋訪ねているが、あの時スルーした平安地蔵を探す。住宅街をウロウロして地元の方に教えて貰い、手を合わせる。終戦時の板橋空襲で犠牲になった269人を慰霊した小さなお堂。繰り返してはならないと祈った。

 五本欅、そして文房具店 旧川越街道へ戻り、上板橋へ。そろそろかなと現川越街道へ目をやると、欅が見え左折して大通りへ出たが、大分手前。流石中山道、車の往来が激しい。五本欅が見え始め、上板橋地区。川越街道拡張工事で屋敷を提供した地主が、欅の保存を条件としたお陰で、今も街道の真ん中に聳えている(写真下)。新緑時の欅は久しぶりでシャッターを切った。
 首尾よく、目指した文房具店でファイル2冊求め帰途だが、上板橋から高島平へはバス経路はなく、三田線志村三丁目駅経由であった。(2021/6/4 K.K.1395/1400)

◇日時 2021/05/20 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料「観光いたばしガイドマップ」(板橋区くらしと観光課)「通過時間等」自宅8:50-三田線板橋本町駅9:10=氷川神社9:20=石神井川9:25=下頭橋9:55=天祖神社10:10=平安地蔵10:30=川越街道五本欅10:55=文房具店11:00=平和公園バス停11:27-三田線志村三丁目駅11:50-自宅12:10