広さに驚いた港区芝公園、増上寺

 芝公園を歩いた。少し前東京タワー下の料理店での会合に出席した際、三田線御成門駅から歩いたら、途中に大木が繁る緑地帯があり芝公園の一部と知った。この辺りも芝公園かと驚きながらも、これから、特に薫風の時期には里歩き先の候補とインプットした。それを思い出し、実行に移したが、元増上寺境内の芝公園は広大で、回り切れなかった。

 開拓使仮学校記念碑 三田線御成門駅に降りた。本日は芝公園と増上寺を巡り、麻布十番へ足を延ばそうと思う。駅前案内板に、新橋寄りの公園も芝公園の一画と知り、足を踏み入れた。日比谷通りの直ぐ隣で、児童公園だが、明治初期の1872(明治5)年北海道開拓のため開拓使仮学校を設置した地で、その記念碑があった(写真上)。当時は増上寺の境内であったとある。札幌農学校の前身で、北大の原点であろう。北海道音更の孫は4月に入学したが、農学部ではない。
 メタセコイアの林、もみじ谷 公園を抜け、左に東京プリンスホテルを見て、愛宕下通りを渡り、土手下に続くメタセコイアの林を歩く。そう長くは続かないが、都心とは思えない一画。そして、東京タワー下へ近づき、もみじ谷へ入る。渓流らしき流れや谷が林に囲まれている。カメラに収め、谷を上がると、この前会合があった店の前へ出た。流石は都心の地で、人出はある。東京タワー辺りにも増上寺の墓地があったという。
 増上寺の鐘 ここで、増上寺へと大通りを渡り返す。少しウロウロし裏から本殿前へ至ったが、工事中のよう。鐘楼前で案内を読み納得した。増上寺と、芭蕉の句“花の雲…”との縁が気になっていたが、“今鳴るは 芝か上野か 浅草か”と江戸時代川柳に詠まれたとある。今でいうパロディである。その位江戸では、増上寺の鐘も知られたのであろう。三解脱門、黒門、惣門を眺める。御成門とは、これらかなと思っていたが、後に別もので東京プリンスの駐車場に遺っていると知った。是非訪ねたい。

 伊能忠敬顕彰碑 隣が港区立芝公園広場から芝東照宮、丸山古墳。東照宮に参拝したら、結婚式が行われたようで正装のお二人が狭い参道で記念撮影中。裏に、伊能忠敬顕彰碑を探したが見当たらず、公園管理事務所で、古墳の上と教えて貰い、塚上に確かめた(写真下)。隣がプリンスタワーホテルで、一昔前毎秋一週間ほど仕事でホテルへ通い、塚も巡ったことがあったが、忘れていた。地学協会が建てた立派な碑である。
 本日は午後スタート。暑さでか、疲れが出始め、麻布十番へは無理と判断し、リタイアを決断。タワーホテル前から芝公園の南西端の桜林を歩いた後、三田線芝公園駅へと考えていたが、バス停がありバスで新橋へと、東京タワー下のバス停ベンチに腰を下ろした。(2021/6/19 K.K.1397/1400)

◇日時 2021/05/30 ◇天候 晴れ ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 港区芝公園管理事務所「芝公園」「通過時間等」自宅11:30…三田線巣鴨駅12:50-同御成門駅13:15=開拓使仮学校記念碑13:20=メタセコイアの林13:30=もみじ谷13:40=増上寺13:55=芝東照宮14:05=丸山古墳14:25=バス停14:45-三田線内幸町15:02-自宅15:50