山形行きの最後の日仙台へ出て、大崎八幡宮、塩竃神社、そして榴岡天満宮を巡り参拝しようと故郷東根を後にした。前日、読者で歌人のS先生にお会いし、先日戴いた1200号のお祝いの短歌”ふるさとに兄あり友あり読者あり 1300回への首途ことほぐ”に御礼を申し上げた処、先生も気に入っていると話された。夕方からは同級生6人と小宴を楽しんだ。
大崎八幡を再訪 山形駅から乗車した仙山線を東北福祉大前駅に降り、目指すは大崎八幡宮である。高校卒業した年案内して貰い、杉並木の参道が記憶にあり、再訪を考えていた。駅前案内板でルートを確かめ、市街地を行き右折し進むと北参道へ着いた。直ぐ社殿。処が工事中で中へ入れず、長床から参拝。 当社は、坂上田村麻呂が宇佐八幡宮から勧請したのが始まりで、大崎氏の遷宮を経て、慶長時代政宗により、当地に社殿が造営され鎮座したとある。市内も西部で仙台空襲を免れ、桃山様式の社殿は遺り国宝という。表参道を往復する。確かに両側に杉並木が揃うが(写真上)、記憶よりは規模が小さいよう。50年以上の前のことで仕方ない。
芭蕉足跡遺る塩竃 仙台駅へ出て、仙石線に乗り本塩釜駅に下車。こちらは芭蕉の足取りを追う。駅構内観光案内所で資料を入手し、塩竃神社へ。大通りへ出ると、芭蕉、松島へ向け船出地の案内を見る。往時は湾が入り込んでいたとある。”おくのほそ道”石碑に出会う。ほそ道300年を記念したらしい。神社正面下に着き、紅葉が残る中、長い石段を昇る。参拝すると、本殿右に、”文治の神燈”があった(写真中)。奥州藤原氏の奉納で、芭蕉も見たとある。裏坂を下るとモミジ赤の紅葉が美しい。途中に、芭蕉止宿の案内が立っていた。当時芭蕉と曽良が泊まった宿治兵衛があった跡地。当地には、芭蕉の句碑はないようだ。一句も詠まなかったらしい。先程の案内所の薦めで、通り反対側の御釜神社へ詣でる。地名塩竃のルーツになった神釜が安置され、芭蕉も寄ったらしい。駅へ戻る途中に老舗酒造会社があり、浦霞酒造。宮城産銘酒で、時には私も戴くが、塩竃産とは初めて知る。昼も過ぎ、駅前で昼食を取り、塩竃では、やはり海鮮丼である。
句碑がある榴岡天満宮 仙石線で戻り、仙台駅手前の榴ヶ岡駅に着く。地下駅を出ると方向を失い尋ねて、近くの天満宮を探した。坂道参道を上がり、鳥居下から先ず参拝。広くはない境内を見渡すとぐるりと石碑が林立し、芭蕉句碑が分からない。思い切って社務所へ問うと、境内図を渡してくれた。それで探し当て、”あかあかと 日はつれなくも 秋の風”と刻んである碑をカメラに収めた(写真下)。予定した仙台在同級生は都合悪く、東北新幹線で帰京した。(2018/12/29 K.K. 1228/1300)
□日時 2018/12/4 □天候 晴 □交通費 15,000円 □歩行数等 17,000歩 12km □資料 「参拝のしおり大崎八幡宮」、塩竃観光物産協会「芭蕉が歩いた塩竃」、「榴岡天満宮縁起」
「通過時間等」実家8:25-JRさくらんぼ東根駅8:55-同山形駅9:45-同東北福祉大前駅11:00=大崎八幡宮11:20/11:35=JR東北福祉大前駅11:58-同仙台駅12:37-同本塩釜駅13:00=塩竃神社13:25=御釜神社13:50=JR本塩釜駅14:30-同榴ヶ岡駅15:00=榴岡天満宮15:10=JR榴ヶ岡駅15:27-同仙台駅15:43-同上野駅17:55-三田線巣鴨駅18:13-自宅18:40