3度目に見学出来た関口芭蕉庵

 最近、俳聖芭蕉翁のおくのほそ道を歩いている。先日も、故郷山形へ帰り、尾花沢から大石田を訪ね、句碑等を確かめて来た。芭蕉の江戸でのルーツは深川の芭蕉庵であるが、その前に神田川の側に住み、その跡が現在も遺されているとは知っていた。文京区にある関口芭蕉庵である。処が、昨年末から2度訪ねたが閉館中であった。新宿への用事の帰途にまた寄った。3度目の正直はなるかである。

 早稲田駅から歩く 今回は、いつもと同じアクセスルートでは面白くないと、東西線早稲田駅から歩いた。駅を出たが、現在地も不明な初めての地。いつもの山勘で、北西方向へ下れば、早稲田大学周辺だろうとスタート。込み合う住宅街の下り坂をジグザグを繰り返しながら行くと、校舎風の建物があり大学キャンパスの端のよう。そして間もなく、大学正門付近のバス停へ至り、ここまで来れば関口芭蕉庵へは数回歩いている。
 大学裏から目白通りへ出て、また住宅街を抜け神田川の橋を渡り、庵に到着(写真上)。さて本日は開館の筈と入口へ回ると、開いていた。前2回もネット上では開館の日であったが何故か閉めてあった。近くに住む友人に聞いたが、ボランティアの方が管理し、その方の都合であるらしい。
 古池や句碑 早速庵内を回る。他の客グループもおられて、狭い庭で擦れ違う。様々な石碑があるが、芭蕉句碑を探すと、池の側にあった(写真下)。’古池や 蛙とび込む 水の音’ で、古池は、瓢箪池で、私は、前回訪ねた時(00.5.14)、ここで詠んだ句と理解していた。その後、深川芭蕉庵にあった池を詠んだというのが有力のようだ。
 俳句や句碑に疎い私は、ご当地俳句をその地に建てるものと思っていた。処が歩き回っていると、そんなことはなく、芭蕉句碑は、翁未訪の全国各地にあると知った。建立者の好みの句を選んでいるのだ。

 「史蹟関口芭蕉庵案内記」 広くはない庵の庭は、草木に覆われ、古池も回りは繁みに近い。前回回れた土手へは進入禁止とある。亜熱帯風の高い樹は芭蕉の樹だろうと、カメラを向けた。帰り際、現芭蕉庵建物内で、「史蹟関口芭蕉庵案内記」を求めた。それによれば、当時34歳の芭蕉は、郷里伊賀から江戸へ出て、1677(延宝5)年から深川へ移る迄の4年間、当地に住み神田上水の改修工事の監督をしたとある。芭蕉が江戸で名声を得る出発地と言えよう。当然句を詠み宗匠の立場であったようだ。3度目の正直にして見学叶い、庵を後にし、都電早稲田駅へ向かった。
 本日午前は、関西在住の友人Yさん宿泊のホテルを訪問し、懇談した。そして、先日完成した1200紀行本を贈呈した。(2019/07/27 K.K. 1271/1300)

◇日時 2019/7/6 ◇天候 小雨 ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 史蹟関口芭蕉庵保存会「史蹟関口芭蕉庵案内記」平成26年 ◇歩数等 13,000歩 9km
「通過時間等」自宅9:00-大江戸線都庁前駅9:50-ホテル10:00/10:40=JR 新宿駅11:00=新宿御苑11;30=線新宿三丁目駅11:44-東西線九段下駅11:57-同早稲田駅12:10=関口芭蕉庵12:25/12:40=都電早稲田駅12:50-三田線西巣鴨駅13:10-自宅13:35