関東ふれあいの道・千葉県18「荒磯のみち」を歩く

 関東ふれあいの道はご無沙汰している。一時積極的に歩いて、144コース中半数近くは踏破しているが、遠い群馬や栃木、茨城、千葉の各県コースは虫食い的になり、交通不便でアクセス困難なコースが残っている。昨年から大学院講師を辞し時間があり、タクシー利用も考えてみたいと思うに至った。そんな中、春休みの研究会が外房勝浦であり、翌日当地に設けられたふれあいの道を歩くことにした。

 鰹水揚げ中の勝浦漁港 朝、東京へ戻るメンバーに別れ、ふれあいの道案内板を確かめ、コース起点JR勝浦駅をスタート。市街地から直ぐ勝浦漁港で、岸壁へ近寄ると鰹の水揚げ中。漁船からベルトコンベアで運ばれている(写真上)。見るのは始めてでカメラに収め、邪魔にならぬよう直ぐ市場内を通り道路へ出た。
最初のポイントは勝浦城跡で、湾沿いから小さなトンネルを抜けた先の八幡岬に遺る城跡。一度かぼちゃ会旅行時訪ねたことがある(07.4.1)が、記憶とは少し違う。岬突端の高台が本丸跡で、海側は断崖絶壁が続く

勝浦城とお万の方 戦国期里見氏の家臣正木氏の居城であったが、1590(天正18)年小田原征伐の際徳川軍に攻められ落城したという。この折り、布を伝い断崖絶壁を降り小舟で伊豆へ逃れた姫お万が、後に家康の側室になり紀州公頼宣と水戸公頼房を生んだとある。城跡にはお万の方の銅像が建つ。一回りし断崖上から荒磯を覗き岬を離れた。
トンネル先で右方向へ進路を採ると断崖の上の道だが海岸から距離がありその感は薄いが、後方には八幡岬の絶壁が見える(写真下)。遅めの桜を眺めながら、緩やかなアップダウンのある道を行き、勝浦灯台。小振りな白い灯台を柵外から見上げる。

灯台から官軍塚へ また崖上の道を官軍塚を目指す。当地は温暖の地で桜は、既に散った樹もある。展望台のある小さな公園が官軍塚であった。1869(明治2)年函館戦争への援軍兵を乗せた熊本藩借り上げ船が難破し、遭難者130人を埋葬した慰霊塚という。小さな石碑があり手を合わせた。
坂を下り勝浦市内へ入ったようだが、十字路にあるふれあいの道標識の方向指示板が壊れていて、私は直進。違ったようで国道へ出たがコース案内は皆無。誤りと気付き、次の道を右折し海側へ。海辺の街になりコースを取り戻したようで、豊浜漁港と後に知る。海沿いから民宿やアパートのある通りで、右手先は御宿と睨む。コース終点のある部原地区に入り、国道三叉路へ着いたが、ふれあいの道案内は見当たらない。

 急遽バス乗車 交通の便から御宿駅迄歩き続け、2,3km先と読んでいた。そのまま国道筋を進むと前方が見え、小岬がせり出しトンネルがあり、駅がある風景ではない。距離があるなと思い始めた時バス停に出会い、直ぐ勝浦駅行きが来る時間で、バスも見えた。急遽予定を変更し、バスに乗車。部原地区で車窓からふれあいの道標識が見え、三叉路直前で左折を示していた。勝浦駅前で昼食を取り時間を調整し、千葉行き電車を待った。(2018/04/10 K.K. 1175/1200

□日時 2018/3/26□天候 晴 □交通費 5,380円 □資料 千葉県自然保護課「関東ふれあいの道千葉県18荒磯のみち」平成8年3月 □歩行距離 15km 21,000歩
「通過時間等」宿泊先8:25-JR勝浦駅8:40=勝浦漁港8:55=勝浦城跡9:15=勝浦灯台9:40=官軍塚10:00=国道10:25=豊浜漁港10:40=部原三叉路11:05=部原海岸バス停11:10-JR勝浦駅(昼食)11:30/12:27-同東京駅14:35-日比谷駅14:46-自宅15:25