また千葉の船橋を歩いた。購読紙の“我がまち再発見”に船橋が掲載された(23.11.9,16讀賣夕刊)。一度訪ねた船橋大神宮はないが、様々な見どころポイントとそのルートが紹介されている。太宰や川端の文学碑や東照宮が眼を惹いた。安近楽な街歩きである。
文学碑のある船橋 今回は、JR水道橋駅から総武線とした。船橋は近く35分程で着いてスタート。駅前の案内所でマップを貰った。大通りを下ると左手に、園芸店伊東屋があり、猫がいる店で、尋ねると店内の寝床を指さしてくれたが、留守でお散歩中だろう。お礼を言って下り続ける。
右側の空き地に太宰文学碑があった。1935(昭和10)年から1年程船橋に借家住まいし、作品にも残しているという。隣には、借家から移植された夾竹桃もあった。
市役所分庁舎先を右折して、川端文学碑を探す。下った地の小公園にあった。川端は当地の旅館に滞在して小説を執筆したとある。隣に三田浜塩田の記念碑があった。大通りへ戻ろうとしたが市役所構内へ迷い込み、庁舎内を通らせて貰い、なんとか大通りへ出た。
漁港へ 次の船橋港へ方向を採る。大通りを渡り、少し進んで右折して高架下を過ぎると港の風景を捉え、山勘通りであった。前回船橋市内にある港を知って驚いた(22.12.14)。現在では海岸が引いてしまったが、往時は当地迄海岸が迫っていたらしい。小さな港には漁船が係留してある(写真上)。奥の三番瀬みなとやへ。小さな直送の魚介類の売店で、今晩の肴にと干物を求めたら、あら煮汁を御馳走してくれた。漁が休みで魚は少ないという。
漁港に注ぐ海老川を船橋橋、八千代橋、海老川橋と遡る。戦国期前は、川に小型の舟を横に並べて上に板を渡し、人馬が通れるようにしたのが船橋であり、さらに橋の字は不要だろう。八千代橋には魚と波の像があった(写真中)。
東照宮参拝 海老川橋で市内へ入り、東照宮を目指す。人口60万の大都市の住宅街は複雑で、神社も多く右往左折を繰り返して、東照宮神社前へ出た。社に参拝。
案内によれば、家康が上総東金での鷹狩の際泊るため御殿を設けた地で、日本一小さな東照宮とある。家康の鷹狩好きは知られている。千葉城跡の清水に家康にもお茶を献じたとあった(08.7.28)が、東金への途中と理解した。東照宮は、日光の他にも、久能山、川越、芝公園、府中、群馬世良田等にもある。そんなことを思い巡らしながら、JR船橋駅へ歩いた。(2024/3/6 K.K.1547)
◇日時 2024/1/29 ◇天候 晴 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇資料 「我がまち再発見 船橋編」讀賣夕刊23.11.9、16 ◇歩行距離等 15,000歩 11㎞ 「通過時間等」 自宅9:15-JR水道橋駅10:01-同船橋駅10:40=太宰文学碑10:55=川端文学碑11:10=船橋漁港11:50=船橋橋12:05=海老川橋12:15=東照宮神社12:45=JR船橋駅13:07-三田線水道橋駅13:52-自宅14:25 |