美しい石垣が遺る津山城跡

今年の同業者の会合が岡山県児島開催と連絡があった。未訪の地であり、前後に訪ねる先を思い巡らした。津山城跡は直ぐ決まり、調べると岡山駅からJR津山線で1時間強のようだ。夕方の開会時間迄に岡山駅から往復しよう。翌日は、フリーコースを選択し、しまなみ海道や更には四万十川へ足を伸ばすには、もう一泊が必要のようだ。

 岡山から津山へ 新幹線で岡山駅に着き津山線乗り換えた。直ぐ郊外へ出て、山間を走ったが山は深くはなく、高くもない。初めての乗車で、知る駅名もない。津山駅に降りると盆地ではあるが背後の中国山脈はそう高峰ではなく、山々に囲まれた風景ではない。駅前案内所で資料を収集し、城跡へ向かう。直ぐ吉井川を渡り中心の市街地で古い商家があり、歴史の街を感じさせる。道を間違え横から鶴山公園に遺る城跡へ上がった。入城料が必要で、珍しい。

石垣が美しい津山城 資料から石垣が大規模に遺ると知り、期待した。最初はこの程度ならそちこちにある城跡と同じと思いながら、三の丸から二の丸へ進むと両側に高く、整然と積まれた石垣は美しい。その間の通路も広い(写真上)。

津山城は、1603(慶長3年)年から13年を要し初代藩主森忠政が築城した平山城。やはり忠政は、あの森蘭丸の弟であった。森家が四代で終わり、その後九代続いた松平家で明治を迎えた。石垣をカメラに収めながら二の丸から本丸、そして天守台へと上がった。五層の天守閣は明治になって壊されたとある。石高18万石としては、城跡遺構は大きい。私がこれまで見聞きした城跡から疑問に思い、帰宅後調べたが間違いはないようだ。本丸の一画に備中櫓が木造で復元されているが、興味が湧かず、専ら石垣を眺めながらその間を巡る。粟積櫓跡に上がると、北方に見える山の向こうは山陰地方だろうが、山陽との分岐嶺中国山脈は低く静かに連なるだけ。三層からなる石垣、その石の多さに驚き採取地は近くにあったのかと余計なことを考えてしまった。

 未だに城下町の面影十分 本丸から石垣裏側を歩き三の丸へ下り、城跡を出た。宮川大橋を渡り、鍵型に歩いて出雲街道沿いに遺る城下の街へ回る。広くはない道の両側に町屋が並び、古い商家や民家が混じる(写真下)。多分昭和初期頃の街通りの風景だろう。奥へ入るに連れ江戸期への色彩が濃くなり、立ち止まってはシャッター切るが、電柱が相応しくない。古商家の城東観光案内所に入ると展示資料の中に、寅さんやリリーの写真がある。寅さんシリーズの最終作が当地ロケの作品と教えて貰うが、観た覚えはない。

藩医箕作阮甫の旧宅があった。彼は、幕末に京都や江戸で医学、蘭学を学びペリー来航等の際には幕府に請われ翻訳職を務めたという。岡山行きの電車時間が迫り駅へUターン。吉井川沿いに歩き、津山城跡を眺めながら、駅へ戻った。 (2017/06/10 K.K. 1113/1200)

◇日時 2017/5/27  ◇天候 晴 ◇資料 小学館「城郭と城下町7山陰 津山城」昭和58年,138頁◇歩行距離 12km 16,000歩
「通過時間等」自宅5:50-JR東京駅7:03-同岡山駅11:39-同津山駅13:20=津山城跡入口13:45=本丸跡14:05=津山城跡入口14:30=宮川大橋14:35=出雲街道14:45=箕作阮甫旧宅15:00=吉井川橋15:25=JR津山駅15:54-同岡山駅17:12-同児島駅17:35-宿泊先17:50