私が登った百の名山&低山=東北編=「故郷の名峰甑岳にチャレンジする」

 甑岳(コシキタケ)は、宮城県境周辺の山以外では山形県北村山地方最高峰で、1,016mあり、子供の頃から、朝な夕なに仰ぎ眺めて来た山である。今回の登山は、夏休み帰省を機に計画した。地図等を探したが詳しいものはなく、5万分の1の地図だけである。北から見える山型が昔の聖篭・甑の形に似ているからの命名らしい。

 楯岡口から入山 前日は、東根(山形県東根市)側から登ろうと甑岳直下の登山口と思われるお不動様を探したが見付からず、周辺の沢等を一時間以上さまよって結局断念し、今日は、楯岡(山形県村山市)口から登った。登山口は、東沢公園へ行く手前の右側にすぐ見付かり、少し山に入った村山市の上水池の脇まで、車で送ってもらい、歩き始める。車も通行可能な林道をしばらく進む。既に下って来る車と会う、きのこ採りか。間もなく林道も終点となり、丸木橋を渡って登山道となる。三本の丸木からなる橋は二本が折れていて、一本のみ通行可能で慎重に渡る。緩やかな上りの杉林がしばらく続き、30分歩いて5分休憩を取る。

 登山口の案内図には頂上まで6kmとあって、2時間30分前後で頂上到達と読んだが、それ以上は見当がつかない。頂上まで一本道なので迷うことはないだろう。完全ではないが標識もある。清水、馬立沼を通過。新道旧道分岐点で、約1時間経過し、休憩。林の中からきのこ採りの人が出て来る。挨拶をして尋ねたら、頂上まではちょうど中間の地点だという。栗や楢の林の中を、倒れた大木を超えて進む。林の最後の地点が急坂で上ると尾根に出た。そこで、やっと東根側が見えた。標識があり、「左頂上、右東根ハチガ沢山荘」とある。山小屋があるとは聞いていなかったので、興味が沸く。緩やかな上りの尾根道を登り続ける。頂上はすぐかと思ったが未だ先のようだ。時々、東根側の山々が見え、下に見え隠れしている林道は昨日通った道のようで、すぐ下の沢も昨日ウロウロした所のようだ。あんなに近くまで来たのに登れなかったのは残念としか言いようがない。

 尾根から登頂 尾根道は緩やかな上りで岩場も無くて歩き易く、木々も低くなり、道のそばには桃色の花があるが名は分からない。これまでのオーバペースが崇ってか、ペースダウン、小憩を取りながら登る。頂上が近いので自然に足が急いでいるのであろう。意外に遠いなあと思った途端に、少し広いスペースに出て、そこが頂上。念願の甑岳山頂に立った。オーバーに言えば、30数年前に一度試みたが途中で引き返したので、それ以来の悲願達成である。所要時問1時間50分。速めだ、いや速すぎた感じ。

 展望を楽しむ 頂上は、360度とはいかないが、展望が良い。東は黒伏山系、西は葉山山系、その間に、東郷、神町、天童、最上川を挟んで谷地、大久保方面が見事に見える。東根本町や楯岡は、山の真下で見えない。村山平野は稲穂の黄金波を打っているが、街並みが広がり、大きな建物も多く黄金の絨毯とまでは言えない。
 頂上には、祠や最上徳内(楯岡出身で江戸末期の北方探検家)の顕彰碑、登山者の登頂記念の杭があった。尾根道を下る。上る時は気が付かなかったが、意外に急降下だ。拾った杉の枝を杖として使い、慎重に下る。途中、男女5人の中高年グループに出会う。甑岳も中高年登山者の恰好の山であろう。

 東根側へ下山 頂上・東根(ハチガ沢山荘)分岐点に着く。東根側に下りようと決心。ハチガ沢山荘への道は、最近歩いた形跡は無いようだが、急坂には階段やロープがあり一応整備されている。しばらく、防火線として設けられた土塁の上の道を進む。ハチガ沢の六の坂から一の坂を下り、ようやく山荘に到着。12時に近い。下り口に「甑岳登山口4km」と書かれた小さな木札があった。現在では、ここが東根側の登山口なのだろう。途中、右手に沼が見えた。大木沢沼だろうか。
 ハチガ沢の下り口は、多分こうだい橋のところだろうと予想。所要時間は10分か20分か。ところが、ハチガ沢は意外に深い。下れども、下れども沢は終わらない。結局、約40分を要してハチガ沢を抜け出し、こうだい橋を通過。ここからは、ひたすら東根目指して歩く。13時30分に無事帰還。実家ではそんなには心配していないのでほっとした。 

追記 甑岳は子供頃から毎日眺め、高峰と思っていたが、最近帰郷すると高めの里山に見えてしまう。北ア始めそっちこっちの高山を経験し眺めたからであろうか。それでも、甑岳は、今も麓の我が故郷を見下ろし続け、懐かしい山、懐かしい風景である。5年後同級生Yさんと再登した(99.8.29)。