甲府に行き武田神社、甲府城跡を再訪する

同業者の会合が甲府で開催された。私の出番は午後15時で終わり、夕方のパーティまで時間が空いた。折角だからと武田神社参拝を思い付いた。数年前奥の積翠寺から要害山城跡を歩いた時寄ったことがある(10.4.3)。その時の経験では甲府駅から徒歩30分位だったと思う。時間的には十分間に合う。ホテルに資料等を預けた。

 甲府市街から武田神社へ ホテルを出ると小雨がぱらついている。本日春一番が吹き気温16℃の予報のようで、寒さはない。傘を指すほどではなく、甲府市役所前を過ぎ、左が県庁、右が甲府城跡。JR線路を高架橋で渡り、市内が見渡せる。甲府は、私にはきれいな住みやすい街のように感じる。高層ビルは少なく、乱雑さやけばけばしさがない。それは、碁盤目のようにきっちりと市内を縦横する道路の所為かもしれない。そんなことを想いながら、駅北口から武田神社へ直進する道へ入った。次第に傾斜が現れ緩やかな坂道を上がり続け、山梨大キャンパスの間となる。バス停名に”梨大前”を見付け、嘗て友人と交わした話しを思い出した。前職場時代ことだが共通の知人が辞め、”山大”へ行くという。私は、山形大と思ったが、山口大であった。その時、当山梨大も、”山大”かななどと思い巡らしたことがあったのだが、違っていた。
武田三代の城跡 住宅街を過ぎ、正面にようやく神社が見え出した。濠に架かる橋から境内へ入り、本丸跡の社殿で参拝。そしてほぼ四方形の城跡躑躅ヶ崎館を巡る。東方の大手口先には丸馬出のある郭が最近発掘したような土むき出しの儘の状態。反対の二の丸へ回り、内枡形を見る(写真上)。3度目の来訪と思うが初めて見る遺構で、カメラに収めた。当館は、戦国期に活躍した信虎、信玄、勝頼三代の居城であるが、信虎時代駿河今川氏に攻め込まれ、一時は詰城の要害山城へ後退し、その後なんとか今川勢を追い返したようだ。信玄はその時誕生したがその地が当城ではなく、要害山山麓の積翠寺であったのはそんな事情があったからと知った。
近世の甲府城跡 信玄の墓がある近くの寺を目指したが探せないままバス時間が迫り、バスで市内へ戻って県庁前に下車。バス停直ぐの鍛冶曲輪門(写真下)から、戦国末期築城の甲府城跡へ登城。当城も再訪で(12.7.27)、その時は改修工事中であった。現在は出来上がっているようだが、工事中の箇所もある。整備、改修された石垣や門、土塁を眺めながら、石段を上がり鉄門を通って天守台下へ。天守閣はなかったというのが通説らしい。天守台へ上がったが曇り空では周囲の山々は見えない。南アルプスの展望もあるのだろうが。ホテルへ戻りパーティに参加し、翌日身延山へ回る予定と話したら、当地の方が、身延線は車窓の景色が良いと推薦したくれた。(2017/03/05 K.K. 1090/1100)

◇日時 2017/2/17 ◇天候 小雨後曇り晴 ◇交通費 3,650円 ◇資料 有峰書店新社「戦国武田の城」昭和63年4月、17頁 ◇歩行距離 5km 7,000歩
「通過時間等」ホテル15:10=甲府駅北口先15:20=山梨大前15:40=武田神社15:55/16:15=護国神社前バス停16:30-県庁前バス停16:45=甲府城天守台跡16:55=鍛冶曲輪門17:05=ホテル17:15