桜満開の越後高田城跡から蕾も堅い飯山城跡へ

 最近城跡巡り初期の頃のメモを整理している。1987年からあり、その中に、越後高田城跡(93.9.23)や飯山城跡(94.4.24)があった。メモを読み返しても簡単な内容で物足りない。山歩き里歩き記録に入れたのは1995年以降で、大人の休日俱楽部パス利用期間が来て、両城跡を再訪することにした。丁度花見の時期で、桜の名所高田城跡に期待した。

 広い濠、城跡、そして満開の桜 えちごトキめき鉄道高田駅に降り、城跡へ向け駅前商店街を歩く。上越地方中心都市らしく、通りの雁木も高く立派である。 橋上から見ると上流に満開の花があり右折し、川沿いに進む。濃いピンクの桜は美しい。市内を右往左折し大手口から城跡へ入った。左右の濠は広く、水も貯え沼である。その端には桜が咲き連なっている(写真上)。ソメイヨシノが3400本あり、日本三大夜桜という。右奥の高山は妙高山だろう。未だ雪が残っている。花見客は多く、二の丸跡には売店も出ている。本丸跡にある三重櫓下に着いた(写真中)が、込み合い櫓見学は止めた。再建とある。

 江戸初期の1614(慶長19)年、家康の六男松平忠輝のため、舅伊達政宗の監督の下外様大名達が普請し築城した60万石の平城で、土塁で石垣はない。外様加賀前田家への備えで、そのためか南西の濠が特に広い。忠輝改易後も親藩や譜代大名が入封した。そんな案内の中に明治初期、高田藩は会津藩の降伏兵約1700人を預かったとある。初めて知る史実である。その後下北の斗南藩へ移ったようだ。反対の東側へ出て、学校の間からまた濠跡沿いを歩く。友人に名門高田高校出の方がいるが校名が違っていた。それにしても、広い城跡、それを囲む広大な濠跡が遺り、江戸城跡や大坂城跡以外では私の見学先にはないだろう。

 雪が残る飯山城跡 高田駅から妙高上越駅へ戻り、JR飯山駅に下車。城跡へ30分弱と知り、駅前通りを歩く。JR飯山線踏切を渡ると矢鱈と寺が多く、愛宕町雁木通り両側も仏具店が並ぶ。
 右折し城跡下に着き、移築門を見てびっくり。雪が残っている(写真下)。本丸跡へ上がり葵神社に挨拶し、眺めると裏は千曲川。
 戦国期上杉謙信が、武田信玄との戦いの拠点とした平山城で、江戸期は、4万石前後で主に譜代大名の飯山藩が置かれた。桜は開花どころか蕾も堅く、高田との違いにまた驚く。長野も北信濃は豪雪地帯で内陸式気候だからか。再訪だが記憶が乏しく、二の丸跡は初めて見るよう。確か前回は花見時で、賑わっていたと思う。JR北飯山駅へ出て、飯山駅から北陸新幹線で帰京した。呑み鉄用に能鷹を高田で求めていた。(2022/04/29 K.K. 1445/1500)

◇日時 2022/04/11 ◇天候 晴れ ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 上越観光コンベンション協会「観桜会みどころマップ」◇歩行距離等 21,000歩 15㎞ 
「通過時間等」自宅7:45-JR上野駅8:40-越後鉄道妙高上越駅10:57-同高田駅11:10=大手口11:30=三重櫓11:45=越後鉄道高田駅13:42-JR妙高上越駅14:00-同飯山駅14:20=飯山城跡14:50=JR北飯山駅15:49-同飯山駅16:03-同上野駅17:58-三田線巣鴨駅18:20-自宅18:50