柳瀬川沿いに歩き埼玉志木へ

 今回は、板橋区から出ようと歩く先を巡らし、東武東上沿線にある志木を探し出したが、新河岸川付近の史跡等は、既に訪ねたのではと疑い手元のガイド誌で調べると、上流の富士見市の新河岸川付近で、志木は未訪と分かった。東上線柳瀬川駅から歩き、柳瀬川と新河岸川合流地いろは橋から志木駅へのコースにしようと思う。

 柳瀬川を下る 東上線柳瀬川駅に降りた。我が家からは近く、成増駅へ出て1時間以内にスタート出来た。直ぐ左手が柳瀬川で、右岸の堤上を行く。ここの風景は、先日狭山智光山公園を往復した時、東上線車窓からも眺めた。意外に広い河川で、この下流で新河岸川に注ぐ。少しでも風を避けようと河川敷内に下りて歩いた。富士見橋を過ぎると、向う岸に大きめの白い鳥が休んでいる。三羽目の鳥は灰色で、どうもアオサギらしい。ズームにしてシャッターを切った。流れの中に、石像らしき物があり、近づくとかっぱ像。流れ着いたのかなと思ったが、供え物がある(写真上)。後に志木にはかっぱ伝説があり、そのシンボル像の一つらしいと知った。高橋で左岸へ移って下り続け、合流地の栄橋へ着く。左手の志木市役所は工事中。

 いろは樋 合流地の新河岸川にはいろは橋が架かり、三角州は親水公園。いろは48には、歴史的意味があった。玉川上水を分水した野火止用水は、志木で新河岸川へ流れ落としていたが、対岸の地区でも灌漑用水が必要と樋を掛け、それが川越からの舟運を妨げず通すため高架とし、大小の樋48を繋ぎ通したという。空気抜き付きである。その模型が展示されていた(写真中)。その創意工夫は見事という外はないが、思ったより小さ目のもの。
 当地は、引又河岸が出来て発展し宿場となり、現在も街道沿いに古い屋敷や商店も遺る。親水公園には、村山快哉堂という薬屋店舗が移築され、1877(明治10)年築とある。公園にはかっぱの像モニュメントがあり、志木のかっぱ伝説を表していた。市内には24ものかっぱ像があるという。

 富士塚に出会う 志木駅へ出る途中の旧引又宿の中で、敷島神社と富士塚の案内を見付け、惹き込まれてしまった。少し住宅街へ入り私立高校の先の正面が神社。参拝し、隣の田子山富士塚に驚く。大きい(写真下)、小山である。最近訪ねた塚では最大級のもの。国指定民族文化財とある。しかし、本日は閉められ上がれない。カメラに収め、大通りへ戻り、駅へと向かう。水車跡があり、現在の志木市内の中心に、である。
 志木駅前は一変していた。若い頃、荒川河川敷ゴルフ場に来ては駅前居酒屋で反省会をしていた。ホテルや大型スーパーのビルが建ち、その中に駅舎は埋もれていて、なんとか辿り着いた。(2021/1/5K.K,1367/1400)

◇日時 2020/12/14 ◇天候 晴れ ◇交通費 400円 ◇歩行距離等 8km 11,000歩 ◇資料 東武鉄道「東武沿線さんぽ154志木」平成18年6月、154頁 「通過時間等」自宅9:20-東上線成増駅9:55-同柳瀬駅10:15=丸橋10:35=栄橋10:55=いろは親水公園11:00=いろは橋11:10=敷島神社11:20=東上線志木駅11:52-同成増駅12:12-自宅12:40