楽しみにしている購読紙の“我がまち再発見”の欄に、都心の人形町が紹介された(23.12.4、21讀賣夕刊)。一、二度歩いたことがあるが、歩き残しているポイントや新たなポイントもある。手許にあるお江戸下町神社案内もあり、未訪の社も多い。暮も押し迫ったが、近いので出掛けることにした。
弁慶像に出会う 都営新宿線浜町駅からとし、神保町駅で乗り換えた。前回も浜町駅スタートで(20.8.31)、目の前が浜町公園であり、右手が明治座だ。最初のポイント弁慶のブロンズ像へ。略図を手に、清洲橋通りを渡り、半分山勘で通りを直進すると浜町川緑道に見付かった。勧進帳で見えを切る弁慶で(写真上)、江戸期から当地に歌舞伎小屋二軒あり、歌舞伎発祥の地としての縁らしい。
浜町川緑道を江戸通りへ出た先に、笠間稲荷神社があり、参拝。笠間藩主が笠間稲荷から分霊したとあり、家族の健康をお願いした。地下鉄人形町駅方向へ戻り、住宅街へ入って末広神社を探し当て、詣でる。社殿修復の際扇が見付かり、末広神社となったとある。次の松島神社はビル内にあり再訪と分かった。新大橋通りの反対側は水天宮様で、二度お参りしているので次の機会にする。
人形町は暮の市 人形町通りを上下する。年末商戦で通りには、提灯が吊り下げられ、露店が出て、正月飾りや年賀用品が並べられている(写真中)。未だ江戸からの風習が伝わり、名残が遺っているよう。我が故郷では幼年期頃、毎年中央通りに暮の市が開かれて多くの露店が出て、近郷近在からの買い物客で賑わったのを思い出したが、旧暦の大晦日のことであった。
そんな中、人形町のシンボルからくり櫓があった(写真下)。高さ7mの櫓で、時間になると天秤棒を担いだ魚売りの人形が動き出すという。時間が合わずそんな動きは見えない。当町名は芝居小屋での人形使いの住む町からのネーミングと知る。
椙森神社、宝田恵比寿神社 地下鉄人形町駅を越し、堀留町から伝馬町へ歩く。越した大通りが金座通りで、あの銀座、金座で江戸時代金座があった地からの通りという。椙森神社までは少し距離があった。珍しい漢字で二度目の筈だが見覚えがない。孫達の成長をお願いした。通りにある案内に惹かれてマンション一階に入り、小社出世稲荷に簡単に頭を垂れ、さらに先へ歩き、横丁を入ると宝田恵比寿神社があった。資料によると毎年10月べったら市が開かれるとあり、聞いたことはあった。歩き疲れ、通りのバス停で秋葉原駅行きのバスを待つ。折よく来て、友人との昼食会へ向かった。(2024/1/31 K.K.1542)
◇日時 2023/12/29 ◇天候 晴 ◇交通費 320円 ◇資料 「我がまち再発見 人形町編」讀賣夕刊23.12.4、21 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」 自宅9:05-新宿線神保町駅9:45-同浜町駅9:55=浜川緑道10:05=笠間稲荷神社10:15=末広神社10:20=人形町通り10:40=椙森神社11:15=宝田恵比寿神社11:30-JR秋葉原駅11:49・・・自宅13:40 |