広く回り切れなかった再訪の弘前城跡

私の城跡巡りは、ハイキングより先で、その原点は弘前城にある。87年の夏休み青森を%e5%bc%98%e5%89%8d%e5%9f%8e%ef%bc%91訪ね十和田湖から弘前へ出て、弘前に帰省中の友人に案内して貰った(87.8.16)。その時城跡見学もし、広く緑豊かな城跡に濠や追手門、櫓、天守閣を観て回り、津軽藩の成り立ちを知った。本格的な城跡を初めて見学し、城跡は歴史の証人と思い次の城跡へと私を駆り立てる切っ掛けになった。今回は弘前城跡再訪を前提にスケジュールを調整した。

広い弘前城跡 五能線から弘前駅に降り、城跡を目指す。約2時間あり見学に約1時間を当てる予定。駅から近くはなく追手門迄30分を要した。重文の門(写真上)をカメラに収め城内へ。桜の木が多い。花見の名所とは夙に知られている。中濠に至り濠越しに櫓が見えるが樹木が遮り全体は見えない。杉の大橋を渡り二の丸南内門。前回の記憶にあるのは向きからこの門のよう。左手の未申櫓は正面をアングルに出来た。内濠に架かる下乗橋を通り、入園料を支払い本丸へ。中央正面に小振りな天守があった(写真下)。最近移動して改装されたとテレビで知っていた。前回は濠を背に石垣の上にあったと思う。当初の五層天守は落雷で焼失し、再建は幕末に実現したが幕府に遠慮し三層閣にしたという。

陸奥の太守津軽家の居城 弘前城は、津軽を統一した津軽為信、二代信枚によって1610(慶長15)年に完成した。為信は秀吉の小田原征伐に馳せ参じて本領が安堵され、南部藩から独立が認められ、その後明治迄260年続いた。関係団体名誉総裁常陸宮殿下のお妃が津軽家出身で、毎年表彰式に臨席され、年に一度は私も拝顔する機会がある。

%e5%bc%98%e5%89%8d%e5%9f%8e%ef%bc%92 天守閣内部を駆け足で見学し、表へ出ると正面に岩木山の津軽富士。雲が山頂覆っているが左右に長く引く裾野は美しい。北の郭、四の丸、北門と先に続くが時間が忙しい。西口から蓮池を覗いた後、丑寅櫓を見る。ここで追手門へUターン。途中東内門があり、出入りして見上げる。弘前城は広く大規模で、石高は相当なものと思い調べたら約5万石(後に10万石)。私の見学歴からはその数倍規模の城郭遺構と思う。

追手門前でバスを待った。先程桜木の下を歩きながら我が父は終戦直前召集され弘前連隊に入営したと聞いている。亡父は城跡や桜を観たのであろうか。

五能線を完全乗車 今朝7時、十二湖駅から五能線で弘前へ向かった。前日に続き日本海海岸線を走り、十畳敷駅を経て深浦近くになると人家が多くなり、深浦は車窓からも北前舟風待ち良港に見えた。鰺ヶ沢駅で長く停車し売店で犬ワサオクッキーをゲット。当地で思い浮かぶのは舞の海とワサオ位。列車は田んぼの中となり、稲穂は黄色を増している。五所川原からはリンゴ畑の間を走って川部駅を通過し、東能代駅から五能線を乗り切った。(2016/09/21 K.K. 1058/1100)

○日時 2016/9/3○天候 晴 ○費用 大人の休日パス利用 ○資料 「史跡弘前城」○徒歩距離 10km 14,000歩

「通過時間等」宿泊先6:45-JR十二湖駅7:01-同弘前駅10:45=追手門11:15=天守閣11:35=北の郭11:50=追手門バス停12:10-JR弘前駅12:55-同新青森駅13:52-同仙台駅16:00-同山形駅17:54-同村山駅18:40-実家19:00