山中城跡を再訪し広い城跡を巡る

私のハイキング候補リストに山中城跡がある。同城跡は一度訪ねて(93.2.27)、現在でも少しは記憶にある。何故リストアップしたかは不明だが、記録に残していないことは確か。特に最近は、箱根へ泊まった時は是非脚を伸ばそうと思っていた。お城好き落語家春風亭昇太が書いた山中城レポート(JR東日本「大人の休日倶楽部」掲載)を見て拍車が掛かった。そのチャンスが来た。

箱根から山中城跡へ 宿泊先からバスを二度乗り継いで三島行きに乗り、国道1号にある山中城バス停に降りた。雨は落ちていないが風がある。前回のように箱根峠から旧東海道を歩くことも考えたが、雨の予報にバスにした。反対側に城跡標柱を見付け荒れ野の道へ。一度道が途切れ畦を通らせて貰い、城跡へと入った。西櫓跡付近のようで、時計回りに進む。左手には富士ある筈だが本日はお姿はない。右下は本城特有の畝壕跡が美しい(写真上)。畝がくっきりと見え、最近整備されたようだ。敵を壕中で討ち取る防御施設で、畝壕や障子壕は北條独自の形態といわれる。今年私が訪ねた松戸小金城や山北河村城も採用し、北條系を示していた。石垣はなく土塁と壕のみである。カメラに収め前進。一度階段を上がると広い西の丸跡だが低い土塁に囲まれているに過ぎない。見学者もチラホラ。戻って林の中を行き北の丸跡。木橋を渡って天守台跡、そして本丸跡。その右手に木橋が架かり二の丸跡。また畝壕で仕切られている。本丸傍には矢立の杉が聳えるが近付けない。先程来風はなく寒さは緩んでいる。
本城の歴史 山中城は、戦国末期1560(永禄3)年小田原北條氏が西の最前線防衛拠点として箱根の先に築城した。その後秀吉の小田原征伐が現実となり、氏政は本城を整備強化し、岱崎出丸を増設していたが未完成の儘、1590(天正18)年秀吉軍を迎えてしまった。秀次を総大将とする4万の大軍に4千で抗したが、僅か半日で落ちてしまったという。緒戦を失い、北條氏滅亡への第一歩となったことは有名だ。激戦で、城将松田康長、副城将間宮康俊、そして秀吉方武将一柳直末が命を落とした。
岱崎出丸見学 本丸下の駒形諏訪神社に詣でた後、城跡内を貫通する国道へ出て、宗閑寺に寄る。浄土宗の本寺は戦死者を弔うため建立され、左手に敵味方双方の古いお墓が並んでいた。国道を渡って、岱崎出丸へ。前回は見逃したと思う。西方へ細長い出丸の先はすり鉢曲輪跡で(写真左)、戦闘は当曲輪から始まったとある。現在では芝生で覆われた窪地には、そのような痕跡は一切見当たらない。馬場曲輪跡を通って戻り、途中三島へ下る旧東海道を覗いて、バス停で箱根元町行きバス時刻を確かめた。 (2016/11/22 K.K. 1067/1100)

○日時 2016/10/30 ○天候 曇り ○交通費 4,560円 ○資料 小学館「城郭と城下町3 東海」173頁、昭和62年9月 ○徒歩距離 9km 12,000歩
「通過時間等」箱根宿泊先8:30-仙石原8:36-宮の下8:55-箱根町9:28-山中城跡バス停9:45=西櫓跡9:55=北の丸跡10:10=宗閑寺10:25=岱崎出丸すり鉢曲輪跡10:50=山中城跡バス停11:20-元箱根港バス停11:50-小田急湯本駅12:26-都営新宿線新宿駅14:29-三田線神保町駅14:45-自宅15:20