埼玉南部に難波田城跡、岡城跡を再訪する

 外出自粛から大分経過したが収まる様子は見えず、ハイキングもままならない。電車やバスは三密ではないが避けたく、在宅が続き、晩酌が唯一の楽しみである。そんな私の想いがSさんが察してくれ、近郊を車で案内してくれるとメールがあった。持つべきは友と感謝しながら、近郊に行く先を探した。

 我が家からも、Sさん宅からも近い、埼玉富士見の難波田城跡と朝霞の岡城跡見学とし、帰路に川越街道白子宿を通って貰うことにした。
 10時に高島平コンビニ前に待ち合わせ、スタート。荒川沿いで羽根倉橋を渡ってと伝えた。笹目橋を渡り大宮バイパスを走って左折し、埼玉大前から羽根倉橋を渡り志木市へ入った。右折し田畑地帯を行くと富士見市内で、難波田城公園の案内があり、到着。公園も、駐車場も開放中で、既に見学者がいる。

 富士見市難波田城跡 当城跡は、武蔵七党の村山党支族難波田氏の居館という中世城跡を復元したもので、私は見学している(00.9.21)が記憶は薄く、初めてのよう。我々は東門から登城し、復元木橋を渡り曲輪から、本城門を見る。黒色木製の冠木門。左手が濠で、水を湛えている〈写真上〉。右手端には古代蓮池があり、行田から来たとある。資料館は本日閉館中で、古民家ゾーンへ。こちらも内部へは入れず、外から眺めるだけ。いずれも明治期建築の長屋門、平屋の民家で、子供の頃には我が田舎の奥にも遺っていたと、Sさんに紹介した。棚に藤の花も吊り下がり、美しい。
 立教大野球場 城跡公園を出ると立教大学グランドは直ぐ。往路に確かめていた。野球場の外、馬術場もある。中へ入り眺めると、以前は土のグランドであったと思うが、近代的に球場に整備されていた〈写真下〉。あの長嶋父子も練習したグランド。SさんはG党で詳しく、息子は高校時代から活躍したと教えてくれた。記念にカメラに収め、後にした。

 朝霞市岡城跡 志木市へ戻り秋ヶ瀬橋手前を右折し、朝霞市に向かって貰う。黒目川を渡り城山公園下に着いた。この時期新緑というよりは、もう緑一色に城山が覆われている。人出があり端に駐車し、城跡へ上がった。戦国期太田道灌築城との史料もあるらしいが詳細は不明のようだ。二度目の筈だ〈93.6.13〉が未記録であった。中心の二つの平らな部分が曲輪跡で、その間が空壕跡という痕跡程度。Sさんへと説明板を探したがない。物見櫓跡の案内が唯一のもので、デジカメを向けた。もしかしたら三度目では思い始めた。新座市から黒目川沿いに下ったが道に迷い、夕方当城跡下を通り掛かったことがあった(13.01.18)。
 川越街道へ出て成増手前で左折し、白子宿を通って貰う。我が家から近く、脱巣ごもりウォーク先候補。宿場街雰囲気はあるようだ。本日は車で巡ったが、歩行距離も4㎞になり、1人晩酌もいつもより良い気分で楽しめた。久し振りに外の空気を思い切り吸えたからだと思う。改めてSさんにお礼を申し上げたい。(2020/05/04 K.K. 1323/1400)

◇日時 2020/4/26 ◇天候 晴 ◇資料 富士見市立難波田城資料館「難波田城公園」平成20年8月 ◇歩数等 5,000歩 4km 
「通過時間等」自宅9:50-難波田城公園10:35/10:55-立教大学グランド11:05-岡城山公園11:35/11:55-白子宿12:10-自宅12:20