仙台へ行き多賀城遺跡の一端を巡る

仙台の先にある多賀城跡は、以前から知っていたが、私の好む戦国期の城跡とは違う位の知識はあった。手許の資料は、「多賀城 蝦夷地開拓の前進基地」(鈴木亨・日本の古城・名城100話)のみで、地図はなく詳しい遺跡等は分からない。ネットで現地の観光情報を打ち出し、帰りに会おうと、仙台在住の高校同級生に連絡した。

 多賀城駅、国府多賀城駅 仙台駅に着き、仙石線乗り換え時案内所で多賀城関係パンフを貰い、多賀城駅へ向かった。車中、パンフの略図を眺めていたら、遺跡起点は東北線国府多賀城駅とあり、ビックリ。多賀城駅が二つあると初めて知るも、時間的に仙台駅へ戻る訳にもいかない。そのまま乗車して多賀城駅に下車し、駅で、国府多賀城駅へは徒歩30分位と聞いた。私の想定と合い、タクシーもなく徒歩で、1番近い遺跡多賀城廃寺跡を目指す。歩きながら同級生に携帯を入れ、約束時間を1時間遅らして貰った。
多賀城廃寺跡へ 東北学院大学があり、キャンパスの塀に沿い北上する。同大学は古く、進学した山形の友人知人もいる。遺跡案内はしっかりあり、廃寺跡へはすんなりと辿り着いた。その名の通り、大きな寺院跡のような松林に囲まれた広い平地で、カメラに収めた。案内板があり、次の行き先多賀城碑や政庁跡は直ぐのような案内図。これはラッキーと歩き出し、直ぐ前が多賀神社だが黙礼し通過。大きな建物は東北歴史博物館。何故当地にと思ったが多賀城遺跡の影響だろう。案内図とは違い東北線踏切までも結構距離があり、右手先に国府多賀城駅を確かめ、中央公園へ。
壺碑、政庁跡 公園先に南門跡はあったが、多賀城碑、壺碑(ツボノイシブミ)を探しウロウロ。案内板では、直ぐ近くの筈だが探せない。正面上方は政庁跡、そして、目の前が土手で、土手を越した下にあり見えなかったのだ。現在では、石碑は堂で覆われた重文(写真上)、歌枕ともされる。762(天平宝字6)年に建立された碑には、陸奥出羽按察使大野朝臣東人により724(神亀元)年築城等と刻まれ、往時は西行や芭蕉も訪ね、芭蕉は感激し奥の細道にも記したという。東征した坂上田村麻呂が弓のはずで、”日本中央”と刻んだとの話しもある。文字は風化し薄く、格子の間からシャッターを切った。
丘上の政庁跡へ。正面南大路階段は工事中で、脇の臨時通路を上がる。やはり地方の豪族や有力者の館跡ではなく、私にも、当時の陸奥・蝦夷地方支配の拠点としての政庁跡に見える(写真下)。周囲には、更に遺跡や関係社寺が点在するが、時間がなく、政庁跡を下り、南門跡の痕跡遺構に出会いながら、冬のあやめ園を過ぎると畦道の先が東北線国府多賀城駅であった。
仙台駅で夕食 仙台駅構内で、同級生と夕食。色々話しが弾んだが、多賀城跡は広大で、多くの遺跡があり、東京から午後出て来て巡ろうというのは無理も甚だしいと言われてしまった。仰る通りで再訪したいと頷き、グラスを干した。(2017/02/09 K.K. 1086/1100)

◇日時 2017/1/29 ◇天候 晴 ◇JR東日本大人の休日パス利用 ◇資料 多賀城市「多賀城悠歩 多賀城まるごとマップ」 ◇歩行距離 11km 15,000歩
「通過時間等」自宅11:05-同上野駅12:06-同仙台駅14:22-同多賀城駅14:50=多賀城廃寺跡15:10=東北線踏切15:30=多賀城碑15:45=同政庁跡16:00=JR国府多賀城駅16:49-同仙台駅(夕食)17:05/18:31-同上野駅20:10-三田線巣鴨駅20:25-自宅20:55