JR東日本大人の休日俱楽部パスの最終日は、長野の篠ノ井線に乗り上諏訪へ行き、高島城跡を訪ねることにした。篠ノ井線は乗ったことはあるが、今回は風景を楽しみながらゆっくり乗車したい。最近城跡探訪の記録を整理しているが、高島城跡(91.5.1)はメモも見当たらない。見学した記憶ははっきりしている。再訪することにした。
篠ノ井線乗車 北陸新幹線で長野駅を目指した。新幹線は速く長野は近くなった。上野から1時間ちょっとで着き、名古屋行き特急に乗り換える。鈍行が良かったのだが、過疎ダイヤではそうはいかない。それも松本駅迄ノンストップ。
篠ノ井駅から右手の山の方向へ走った。直ぐ姨捨で、ここまでは2度乗った。棚田風景が知られ、芭蕉も寄って句碑があり、私も追っ掛けた。風景を眺めることなく特急は通り過ぎた。列車は上り切ると高原の地で、左右に集落も見え山間ではない。聖高原や明科はそれなりの駅と思うが停まらない。降りて駅周辺を散策し次の列車でとも考えたのだが。山を下りて、松本駅に停車したが、私は塩尻駅迄乗ることにした。塩尻駅での乗換えの際、駅そばで昼食。嘗て中央本線で奈良井へ行った時当駅で乗り換えたこと(17.11.28)を思い出した。この時帰途は篠ノ井線だったが夕暮れの特急で記憶にはない。
復興天守の高島城 上諏訪駅は近く10分もしないで到着し、高島城城跡へ向けスタート。二度目でおおよそのルートは分かり、駅から近い。踏切を渡ってケヤキ並木通りを行き、左折して橋を渡ると三の丸跡で、古い味噌蔵丸高があった。
また橋を渡る住宅街だが二の丸跡という。そして内濠の先に三層の天守閣(写真上)があった。冠木橋を渡り、冠木門(写真下)から本丸跡へ入った。広くはない郭跡だが公園で、一回り。
当城は、1590(天正18)年から7年かけて秀吉家臣日野根高吉が築城したが、1601年戦国時領主であった諏訪頼水が帰り城主となった。その後3万石前後で諏訪氏が10代に続いて明治を迎えた。諏訪氏は、信玄に滅ぼされた諏訪氏の一族という。
現存の天守閣は、明治時代の写真から1970(昭和45)年復元されたとある。今では50年経過しそれなりに歴史を感じさせる。当時諏訪湖は大海で迫り、浮城と呼ばれたが、天正年間から天竜川へ釜口水門の治水工事をして湖面が後退し、現在では、諏訪湖迄は距離がある。初訪の時、吉良上野介の子義周が、赤穂浪士討ち入り事件後当城に幽閉されたとの案内があったと思うが見当たらない。そのような情報はネット上にはあった。
上諏訪駅に戻り、地酒麗人を求め、新宿行あずさ30号を待った。(2024/1/9 K.K.1539)
◇日時 2023/12/03 ◇天候 曇り ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 9,000歩 7㎞ 「通過時間等」 自宅8:10-JR上野駅9:26-同長野駅11:00-同塩尻駅12:18-同上諏訪駅12:35=高島城跡12:50/13:15=JR上諏訪駅13:34-同新宿駅15:48-三田線巣鴨駅16:11-自宅16:40 |