私が登った百の名山&低山=甲信越編=「大浅間を仰ぎながら小浅間山へ登る」

 節目の山歩き里歩きが近づき、何処を歩こうかと思案したが、山歩き、否、山登りにしたい。高山は無理だが、低山ならなんとかなるだろう。以前から東信濃軽井沢の奥にある小浅間山(1655m)は目標にしていた。浅間山の山域ではある。タイミング良く、長野の家内姉からいとこ会の案内があった。問題は、当日の天候、特に寒さである。

 軽井沢で霧が晴れる 朝宿泊先を出たら霧、それも結構深い。しなの鉄道田中駅へ車で送って貰ったが霧の中慎重な運転であった。いつも車窓から見える浅間山は霧の陰の儘、中軽井沢駅に着いた。処が、バスを待っている間、霧が退き浅間山が見え出した。何とラッキーかと1人喜ぶ。
 バスを登山口峰の茶屋に降り、登山カードに記入しスタート。義姉に貰った重い土産は、繁みの陰に置いた。歩きやすい一本道で、雑木林は全て葉を落とし、初冬である。深い山中で、ハイカーもなく、単身では寂しい位だが、黙々と行く。少し傾斜が増し、左手樹林の間に浅間山が見え出し、カメラを出したが、シャッターチャンスが難しい。

 峰の茶屋から馬返しへ 右手に回り込み坂を上がると、浅間山への分岐、馬返しに着く。現在は浅間山への登山道は立ち入り禁止中。私は反対側の小浅間山への標識を確かめ、いよいよ登山道である。ガイド通り、火山灰に覆われたザレ場で、道も薄く、草木も下になった。いつものように一歩、一歩慎重に上がり続ける。右手に遠望する山並みは八ヶ岳と蓼科山か。振り向くと、大浅間山。活火山は黒色一色で、未だ雪は見えない。一息入れて、また歩き出す。先程来、靴跡があり、それも新しいように見える。トラバース状の道を進み、頂端を回り込むと頂上であった。僅か50分で、コースタイムより僅かに遅いだけで、私には大順調。
 高年夫婦が休んでいた。挨拶し、大浅間を背景に標柱を入れカメラに収めた。腰を下ろし休憩。群馬側の山々が目の前に広がる。浅間隠し山や鼻曲山(07.11.3) だろう。こちらも遠望にしてシャッターを切った。濃い朝霧だったがその影響はなく、山頂でも寒さを感じる程ではない。天候も味方してくれ、私は付いているのだろう。

 登頂し下山 下山開始。頂上ザレ場を直線的に下るが歩き難い。途中で選んだ道が、上りとは違ったらしく草木のある道へ入り、やや不安を感じながら下り続ける。広い道へ出て、上方を見上げると、先程の馬返しの地点で、少し下へ出たのであった。そのまま一本道を戻り、予定通り峰の茶屋口へ下りた。
 軽井沢行きバス迄1時間以上あり、義姉からの荷物をザックに入れ、峰の茶屋で昼食。義姉達に、御礼と、小浅間山から無事下山し1300回達成とメールした。(19/11/25 105)

追 記 小浅間山は思い出の山である。私の登山歴で最後の山歩きであった。喜寿前ではあったが体力的に山登りは無理と判断して、以降は里歩き中心とし、山らしい山はない。この後コロナ下となり、いとこ会の案内もなくなった。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「高原に咲く花々を眺めた美ヶ原」

 美ヶ原は百名山である。完登者Hさんは、最後の山を美ヶ原にしたと聞いた。私は、昨秋、1000回達成時頃美ヶ原行きを計画したが、松本からのバス路線が廃止され断念した。それでも、美ヶ原への想いは消えず、ネットで検索し今夏はバスがあると知った。山の日制定記念らしい。早速、新宿駅からあずさ1号に乗車した。日帰りである。

 高原は花盛り 松本市内から美ヶ原温泉を過ぎ山へ入った。途中から頭上に高原が見えたが高く、2,000mの高地である。バスは山岳道路を左右に振れながら走り、高原へ上がって終点高原美術館に着いた。
 人出もある中、展望台へ立ったが、北ア方向は雲が低く遠望はない。登山道を探し、美しの塔、王ヶ頭ルートへ入る。半袖では涼しい位。高原へ上がると緩やかな草原歩きとなり、両側にはピンクの花ハクサンフウロが咲き続き、ノアザミ、ウスユキソウもある。これにマツムシソウが加わった。シャッターを切るのに忙しい。牛伏山(1,990m)から山本小屋を見下ろし、柵沿いに下る。花々は途切れなく続いている。

 美しの塔から花の展望コースへ 小屋で昼食。以前霧ヶ峰からバスで当地へ来て、ここで休憩したと思う(03.7.19)。その時、美ヶ原は何時でも来れるとそのままバスで上田へ下ったが、もう一昔前のことになった。放牧地になり柵の間は車も通る広い道。高原に群れるホルスタインを見て、音更の孫達を思い出した。美しの塔も二度目。家内と一緒になった頃、義弟に案内されたと思う。
 次は牛馬への塩くれ場。今は大石が残るだけ。右が王ヶ塔だが、山歩きをしようと百曲り分岐から高原南端のアルプス展望コースへ回る。これが正解だった。アップダウンもある狭い山道は、途中から崖トラバース状の道となり、歩く人は見当たらない。南アの高峰がぼんやり見えるだけだが、足下には様々な花々が咲き揃っている。知っているのはキリンソウやカワラナデシコ、シシウド、ウメバチソウ、ウツボクサ、クサレダマ位。土手上に黒牛の放牧地を覗き、烏帽子岩から王ヶ塔ホテルの下となり、ようやくハイカーと交差し始めた。

 王ヶ塔、王ヶ鼻 花一面の土手を上がると最高点王ヶ塔頂上(2,034m)。百名山目指す者はここが目標なのだろう。休憩し、眼下に次の王ヶ鼻を見当を付け、悪路を下る。黄色の花マルバタケブキ群に出会い栽培しているのかなと見紛う程。ヤナギランも久しぶりに見た。王ヶ鼻へ着き、松本市内を眺めUターン。板状節理という岩盤を知った。牧場用の道路を下り、バス停のある自然保護センターへ。バス待ち時間に、センター内で花の名を調べた。美ヶ原の花々、高原ハイキングに満たされた気分で、バス、特急、そして新幹線車中の人となった。                              (16/8/8  104)

追 記 美ヶ原は百名山ではあるが、広い高原で咲く花々に充たされた記憶である。その一方で北アの展望も良く、高山なのだ。私はハイキング気分で巡り歩いた。松本駅からのアクセスが夏の一時期に限られて、再訪は叶っていない。

初詣に台東上野界隈に三社を巡る

 2026年を迎え干支午に纏わる神社をネット検索したら、台東区の矢先稲荷神社がヒットした。午を祀ったのではなく、馬の絵の天井画が有名という。近くに秋葉神社もあり、初詣先とした。我が家からは、地下鉄乗換えで1時間程度だろう。

 初詣は秋葉神社から 初詣先の神社は上野の先にあり、地下鉄銀座線が最寄り駅と思うが、三田線、大江戸線、そして上野広小路駅で銀座線に乗り換えた。稲荷町駅で降り地上の浅草通りへ出て、秋葉神社へと歩いた。下町の住宅街でその中に寺院も目立つ。初めての地で住所を頼りに行くと、右手に鳥居から参道があり、意外に近かった。都内下町の神社としては、広めの境内で、本殿前で参拝。当社は、明治の初期明治天皇の意を受け現秋葉原の地に火除けの社として創建され、その後当地に遷座されたとある。秋葉原の駅名の由来と知る。孫達の成長と自分の健康をお願いした。高齢になり自ずと願い事になった。酒量も減り、規則的な日々とは思うが、神様はどう見てくれるか。

 矢先稲荷神社 次の矢先稲荷神社へと向かう。こちらも住所を見ながら山勘で左折、そして右折した先に玉垣があり、目指す神社であった。一回り大きな神社で、石段を上がり、手を合わせた。こちらは参拝客が多い。処が現在祈祷中で馬の天井絵画の見物は不可とあり、残念。先日のテレビで、阿川佐和子の番組でタレント達が当社の天井画を眺めている様子が放映されたのを観た(テレ朝26.1.4)。

 三社目は下谷神社 歩きながら三社目は何処にしようかなと浅草通りへ出て、足は自然と下谷(シタヤ)神社へと向かった。再訪で稲荷町駅を過ぎ大通りから少し入った先が下谷神社。未だ人出があり、私もまた本殿前へ進み頭を垂れた。落語の寄席発祥の地で、“寄席はねて 上野の鐘の 夜長哉”との正岡子規の句碑があり、カメラに収めた。浅草通りへ戻り、帰途コースを考えていたら、目の前にバスが止まって御徒町行きとあり、飛び乗るとバスは上野駅前から左折した。今回は初詣に首尾よく三社を巡ることが出来た。(2026/2/4 K.K 1631)

◇日時 2026/1/6  ◇天候 晴 ◇資料 昭文社「東京都市図・入谷、浅草」(04.4版)◇交通費 180円 ◇歩行距離等 8000歩 6㎞                                       「通過時間等」自宅8;40-大江戸線春日駅9:20-銀座線上野広小路駅9:27-同稲荷町駅9:35=秋葉神社9:50=矢先稲荷神社10:10=下谷神社10:34-大江戸線上野御徒町駅10:54-三田線春日駅11:04-自宅11:40

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「20年振りの上高地から徳本峠へ」

 大正池から河童橋、明神池へ 丁度12時に大正池前でバスを降りた。目の前の大正池は水が溢れんばかり。梅雨明けで梓川の流れが豊富なのだろう。川縁の自然研究路を辿る。やはり梓川は流れが多量で激しい。穂高橋を渡り、ウェストン碑でレリーフを見て、カメラに収めた。近いと思った河童橋は距離があり、12時に多くの人に混じり橋上から穂高連峰を眺めるも、岳沢の雪渓は見えるが頂上は雲の中。それでも上高地定番の北ア風景を携帯にも写した。橋を渡り返し、明神へ。
 梓川を右に見ながら森の中の道を行く。午後となり下るハイカー達の中には軽装の外人も見える。意外に遠く、ようやく明神池付近に着き、手前に嘉門次小屋があった。穂高神社奥宮は小さな祠で安全を祈願し、峠の上り備え休憩。14時を過ぎ、峠上迄は3時間がコースタイムのようだ。

 徳本峠(トクゴウ)に取り付く 明神橋を渡り明神館を左折すると、ぱったりと人出がなくなり、山中1人となる。峠口が見付かり右折。直進すれば徳沢から横尾で、20年前通った槍や穂高への登山コース(94.8.6)。進むに従い沢音が近付き白沢だろう。小さな沢を二度渡った先で、同年配のハイカーに追い付き、沢沿いの山坂をゆっくりと進む。道が小刻みにジグザグを繰り返し、白沢を反対側へ出ると崩落の跡。そして、峠へ0.8km地点で小憩。峠道も胸付八丁のようで、長い葛籠折れをこなす外はない。霞沢岳へのコース標識があり、峠は近い。カラフルなテントが見えて、右折すると徳本峠(2150m)であった。3.7km、標高差600mを2時間で上り切った。思ったより小さな峠で、山小屋は古い小屋の隣に新しい建物があった。

徳本峠から難路の南沢長丁場を下る

 徳本峠小屋泊まり 1923(大正12)年開設の本小屋は、島々から上高地への徳本越え(2150m)の要所にあり、バス路線が出来た昭和初期迄は、北ア登山者の多くが利用した小屋で、現在も、古い平屋の建物が隣に残り本日も使われている。今では、霞沢山や蝶ケ岳、常念岳を目指す者達の基地で、私以外は皆フル装備の登山者。ザックや靴から明らかで、朝、隣の支度の音で目を覚まし、また深夜には鼾に悩まされ、山小屋泊まりを実感した。

 穂高連峰を眺めスタート 朝、峠上に立ち、穂高連峰を眺めた。右側の尖りは前穂らしい。そして奥穂やジャンダルムが連なり、ロバの耳は初めて知った。6時20分島々へ向け出発。山腹を覆う笹藪の中の狭い坂道だが順調に進む。水場・力水で顔を洗い一息入れる。傾斜が緩み、谷左端の直線的な下りから、右側へ渡り下り続ける。沢音が高くなり大沢に突き当たり左折、南沢本流だろう。木製の外、鉄板もあり、丸太橋も渡る。直ぐ下に木橋の残骸があった。沢縁の道も肩幅並みの狭さの上荒れて、所々には崩落の跡が残る。深い深い山中を懸命に歩き続け、草花を愛でる余裕はない。次の岩魚留小屋迄1.4km地点となりホッとするも、橋が老朽化して通行禁止に、徒渉。

 続く険路、難路 岩魚留小屋前のベンチで休憩。平坦な道は直ぐ崖端の険路となる。虎ロープや桟敷橋もある。南沢の谷は深くなり、これまで以上に慎重に成らざるを得ない。崖崩れの跡は深く、箇所も多い。
 登山道は、戦国時代から通じていたらしい。1893(明治26)年には日本アルプスとネーミングしたウェストン卿も、嘉門次に案内されて越えたのであろう。芥川龍之介の“槍ヶ岳紀行”を思い出した。龍之介も、大正9年前案内人と一緒で、“路は次第に険しくなった。が、馬が通ると見えて、馬糞が所々に落ちてゐた。・・・これが徳本の峠です。案内者は私を顧みて云った。”(筑摩書房芥川龍之介全集6 118頁)と書いている。三箇所連続の大きな土砂崩れ跡に仮に切られた道を越すと少し楽になったが、二俣迄は距離が残り、炭焼窯跡、戻り橋、行く橋を過ぎても気は抜けず、三木秀綱(戦国期の飛騨松倉城主)奥方受難の碑を見て、ようやく南沢終わりの二俣の地へ飛び出した。峠から疾うに4時間を超え、島々の宿迄は更に1時間30分を要した。(15/7/24,25 103)

追 記 徳本峠は、上高地へバスが通る前の古道で、ウェストン卿や龍之介達も通った峠である。私は上高地から上がって、島々へ下ったが、長い、長い下りの沢や渓谷沿いの難路であった。よく踏破できたと思う。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「花に釣られ花を追いかけて登った白馬八方尾根」

 八方尾根は霧の中 リフトに乗り、八方山麓駅から兎平、黒菱平を経て八方池山荘前へと上がった。しかし、天候が良くなく、霧が立ち込め展望どころか、視界が数メートル先しかない。白馬滞在二日目の本日は、単身八方尾根を歩こうとアルペンラインのリフトに乗ったが、予定変更は止む得ない状況。多くのハイカー達が次々とリフトで到着し、霧の中をスタートして行く。私は、無理せず、山荘前の案内にある近くの散策コースで済ませようと、登山道を上がる。岩ゴロゴロの道で、昨夜の雨で濡れ、歩きにくい。直ぐ上の展望台を目指したが、良く分からず、次の高台へと進む。

 花々を追い第二ケルンへ 高山植物が次々と現れて、可憐な花を開いている。カメラに収め手帳にメモし、ゆっくりと上がり続ける。カライトソウ、ワレモコウ、ノコンギク、ウツボグサ、タムラソウ、クガイソウ、マツムシソウ、シモツケソウなどで、昨日の栂池自然園とは異なる花も多い(写真上)。タムラソウはアザミと似ているが別種の花。歩きやすい木道となり、花々を追いもう少しもう少し歩こうと先へ進み 肩の休憩所迄上がることにした。  
 僅かだか、霧が後退し視界が広がった。マップで確かめると、直ぐ第二ケルン(2,005m)のよう。近付くと人造の石塔で、登山道の目印だろう。シャッターを切った。前方の坂上にも、次の八方ケルンが見える。ここまで来たら、当初予定の八方池へ足を延ばそうと決断。雨の心配はなさそうだ。

 八方池を往復 岩だらけ道だが緩やかな上りで、順調に進み、坂の途中に建つ八方ケルン(2,035m)を見る。尾根道は広く、白い花ウメバチソウが目一杯開花中。そして、第三ケルン(2,060m)を通過すると、下りに入った。白馬三山の展望地の筈だが、本日はとても望めず天候は変わらない。右手下からもハイカーの声が聞こえ始めた。霧の中だが八方池がその方向と分かった。私も坂を下り、唐松岳への分岐を分けると直ぐ池だったが、霧で半分しか見えない。池端のベンチでザックを下ろして休憩し、水を飲んだ。直ぐ傍にワレモコウの集団を見付け、今度は携帯に写した。

 下山し白馬駅へ 下山は、同じルートを下る。人気のコースのようで、尾根道から登山道を上下する家族連れやグループと次々と交差する。狭い道で上りのハイカーを待っていると、後から急かされる程。ストックを使いながら、慎重なのはいつもと同じ。岩は乾き滑る程ではなくなった。八方池山荘前に到着し、第一ケルンを探す。池の先にあったが何故か通行禁止。離れた地からカメラを向けて、またリフトで帰途に就いた。山麓駅から白馬駅迄歩き、駅前バス停で、小谷からの同行者の到着を待った。(2014/8/31 102)

追 記 八方尾根は、北ア白馬山系唐松岳手前の2000m超の長い尾根であった。夏山の人気のコースで、リフトを乗り継いで尾根へ上がった。当時白馬村である夏季集会がありオブザーバで参加していた。その合間に、白馬山麓の栂池高原や塩の道を歩いた。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「黒斑山に登り活火山浅間山を眺める」

 2013年の夏山に黒斑山へ登った。浅間山外輪山の一つで、浅間山登山禁止のため、深田百名山ではその代わりの山ともされていた。事前に調べると、登山口高峰高原から2時間のコースとあり私には適度で、アクセスも長野新幹線佐久平駅からJRバスで約1時間である。山友Kさんに同行をお願いした。

 高峰高原車坂峠を出発 高峰高原車坂峠にバスを降りて、表コースをスタート。本日は8月最初の土曜日とあり、天候も良く少なくない登山者が見受けられ、我々の前も、男性リーダーに引率された山ガール3名が元気に歩いている。林の中の緩やかな上りの道から一旦鞍部へ下って、再度上りとなると登山道らしく岩石の転がる中を行く。久しぶりの山登りに息が切れかけたが直ぐ戻り、上り続ける。展望の地へ出て、休憩中の山ガール一行を追い越す。チラッと覗いた前方の山々は篭ノ塔山や水ノ塔山のようだ。一度登ったことがある(2000.7.10)。我々も坂の途中で休憩。高齢者夫婦が追い付いて来た。

 避難小屋前を通過 直ぐ上が槍ケ鞘のシェルターのある地点。火山爆発時の避難小屋であるが、外形的には金属製の山小屋。林を脱すると前方に高峰が立ちはだかり、噴火のためか右側は深く切れ落ちている。目指す山は目の前の岩峰か、それともその左の頂か。既にガレ場の登山道には多くの男女が取り付いている。我々も、気を引き締めてガレ場へ踏み出した。花が紫色の高山植物に出会う。後にヒメシャジンと知った。岩石を避けながら一歩一歩上がる。トップに上がったが前方には雲が立ちこめて展望はない。

 浅間山を仰ぐ 反対側へ出ると雲が流れて、黒い高峰が姿を現した。Kさんにも知らせ浅間本山を眺める。いかにも火山らしく草木のない岩山というか瓦礫の山のような異様な山肌である。シャッター切っていると、雲が覆い始めてしまい、一瞬のことであった。当地はトーミの頭で山頂は左手先にあり、また上がり続ける。丁度2時間弱で登頂、標高2,404m。スタート地点が約2,000m弱で、1時間で上るのが300m見当というからほぼ計算通り。狭い山頂で、他の登山者に混じって昼食を取った。

 中コースを下る 現在では、奥の前掛山まで登山が許されているらしい。そちらへ向かう若者が散見されるが、我々はここから下山。直ぐ下で、また雲が切れて浅間山全容を眺めることが出来、裾には一筋の登山道も見えた。ザレ場の途中から中コースを下る。アカマツの深い森の中を、時々花々を眺めながら、予定通り車坂峠へ下山。ホテル温泉で汗を流した後、食堂で冷えた麦酒で喉を潤しながら、バスを待った。
 今回は、念願の黒斑山に登り、往復時にはコオニユリやウスユキソウ、シモツケソウ、ノギラン、アサマフウロ、ヤナギラン、キスゲなどにも出会い、楽しい夏山となった。紅葉の時期には再訪もとの想いを抱きながら帰途に就いた。Kさん有り難うございました。(13.8.3 101)

追 記 この頃浅間山は登山禁止で、黒斑山は、深田百名山ではその代わりの山とされていた。浅間山を間近に眺めることが出来た。その後登山可能になったが、裏の鬼押し出しから噴煙を眺めたのが精々であった(21.8.30)。

2025 歩き納めに大宮氷川神社から大栄橋を歩く

 速いもので2025年も年末を迎えた。久しぶりに大宮の氷川神社を訪ねることにした。折よく手許に、我がまち再発見の案内先に埼玉大宮編があった(25.1.16,23讀賣夕刊)。武蔵一之宮氷川神社には数回参拝していて、長い参道歩きが好きである。それに我が家から交通の便も良く、安近楽で、歩き納めには丁度良い。

 大宮駅から参道へ 大宮へはJR埼京線を利用しようとバスで浮間舟渡駅へ出て、一本で大宮駅である。武蔵浦和駅を過ぎて、30分足らずで、大宮駅東口をスタート。駅前通りを直進して参道を目指す。両側は大都市らしくそれなりのビルや商店街が続く。初めて見る風景で、私が大宮に住んでいたのは若かりし頃であれ以来半世紀も経つ。記憶通りに参道へ至り、本殿へと左折。多分、長い参道の中間点であろう。大社のケヤキが並ぶ参道は、2kmほどあり当社の案内には日本一とあり、直線である。

 参拝 本日は平日で、参道を歩く人は少ない。二の鳥居を過ぎて、左手にはテントや屋台が準備中で、初詣用であろう。三の鳥居を潜ると境内で、左手に戦艦武蔵の碑があった。戦艦には武蔵神社が祀られて当社から分祀されたと、前掲新聞情報で知った。神池を渡り楼門から本殿前へ進み手を合わせる。孫たちの成長に併せて自分の健康もお願いした。

 道を誤る 裏参道から中山道、北大宮駅方面へ歩こうと境内を出たが、土地勘あるつもりが、仇になり、住宅街を進むが中々見覚えのある通りに出ない。先ほどの参道に並行して歩いている筈で、中山道へだが違っていた。大通り二本目で右折すると、大栄橋交差点で、本日の最終ポイントでラッキー。右先が大栄橋で橋上へ立った。

 陸橋大栄橋 大宮は嘗て国鉄の町と言われ、東北本線、信越本線、上越本線、川越線のターミナル駅で、これに三本の新幹線も加わった。これらの高架橋で、長さ64mという。大宮駅の構内で、左手先に駅舎が見えた。新幹線をカメラに写そうとしたが失敗。側道階段を降りて、橋桁から駅へ右折。途中の飲み屋街には先輩に案内して貰ったことがあった。時には夜学の授業を終えての帰路でもあった。大宮駅からは、京浜線で赤羽駅へと戻った。(2026/1/27 K.K 1630)

◇日時 2025/12/26 ◇天候 晴 ◇資料 「我がまち再発見・大宮編」(25.1.16,23讀賣夕刊)◇交通費 550円 ◇歩行距離等 11000歩 8㎞
「通過時間等」自宅8;30-JR浮間舟渡駅9:15-同大宮駅9:45=参道9:52=氷川神社10:20=大栄橋10:55=JR大宮駅11;09-同赤羽駅11:38-三田線志村坂上駅12:00-自宅12:20

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「厳しかった信越県境の名峰雨飾山」

 小生もメンバーとなっている秘湯の会例会序の山歩きで、雨飾山(1,963m)登山を果たしてしまった。一昨年の燕岳以来の高山である。何故か余り高い山を意識しないで登山口小谷温泉へ着き、淡々と上れば良い程度で歩き出した。そのたおやかなそうな山の名に惑わされていたのかもしれない。しかし、実際は厳しい連続する上りや雪渓、ガレ場、梯子、最後の急登と流石百名山は簡単には寄せ付けなかった。

 雪渓を越す 一行5人は、荒菅沢までは山毛欅林中の上りを順調に進んだ。沢に至り雪渓越しに鋭鋒を見上げると、雨飾山は遙か先の高峰に見えた。雪渓が沢を覆っているが未だ堅い雪で難なく対岸へと渡ることができた。誰かが、ここから急登が始まるよ!と言った。林の中を黙々と進むも、急坂が続きしんどい。ゆっくり一歩一歩リズミカルを心がけて、Hさんの後に付くが遅れがちになる。またもうすぐ尾根に出るはず!の声に、期待するが、長く続くガレ場であった。左手にはフトンビシと呼ばれる白い岩場が見える。

 難所が連続 Sさん、Iさんが遅れて姿が見えなくなってしまった。二人を待ちながら、足を止めては上がるのを繰り返す。登山道の両側には高山植物が咲き、シモツケソウやクガイソウのようだが、眺めている余裕は出ない。それでもデジカメに収めた。ロープから梯子もある難所が続き、両手も使い懸命に先行者を追うがピークを越してもまたピークが現れ、尾根は遠い。燕岳合戦尾根よりは厳しく、小生には谷川岳厳剛新道や前穂重太郎新道に次ぐ感じである。交差する登山者も多くなり、夏山の時期に入っている。

 笹平 何個目かのピークを上がると、笹平の入口に着き、先行の二人が待っていてくれた。初めての平らな地だろう。その先に山頂が聳えている。携帯で、後のメンバーに連絡するが通じない。Sさんの脚を心配しながらも、腰を上げて頂上を目指す。先程後を歩いていた筈の女性がもう下って行った。笹平も溝のような山道でそれなりに起伏がある。山頂下に達して、最後の急登。ギザギザに刻まれた道では、先行者の位置が常に頭上あり、互いに落石を心配しながらである。

 登頂 お花畑の出迎えを受けると山頂(1,963m)であった。付近には、ウツボ草、シシウド、ヒメシャジン、ハクサンフウロ、アザミ、カラマツソウ、ミヤマナデシコ、ギボウシなどが咲き乱れている。午前5時45分に歩き始めて9時50分に登頂できた。休憩を多く取り、途中ガレ場では時間を喰ったと思ったが、ほぼ予定時間通りであった。雲が出ていて、長野側北アの展望はないが、新潟方面には雲の下に島が見える。佐渡島かなと思ったが長い陸地が続き、能登半島らしい。狭い山頂には次々と登頂者が到達。遅れていた二人も無事山頂を踏んだ。

 登山口に下山 10時30分に、隣の北峰を踏んで下山開始。往路を下る。眼前の登山道は急降下のルートで、慎重に、慎重に岩角や枝に手を掛けて足場を探す。荒菅沢では雪渓の沢へと降りて、顔を洗い、水を補給して生き返った。ブナ林も未だ気を抜けない程結構な下り坂。それでも、14時30分に登山口にゴール。缶麦酒を飲んだが、疲れのせいかいつもの味ではなかった。(10/7/24,25  100/100)

追記 雨飾山は険しい高山であった。上下に計約8時間、片道4時間である。雪渓先は急登の連続で難渋した。新潟県境の山で、山頂からは能登半島が見え、JR大糸線北小谷駅が最寄り駅であったと思う。下山後雨飾温泉、翌日蓮華温泉と秘湯を巡った。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「北アルプス燕岳で大展望を楽しむ」

 16時05分燕岳頂上(2,763m)に立った。晴天無風の中に、アルプスの山並みは360度に展開している。先程来槍ヶ岳が天を突き、反対側の先に霞む高峰は剣岳や立山、針木岳という。その間には3,000mに近い日本アルプスの山々が連なっている。狭い山頂で大展望に感激しながら、互いに譲り合って記念撮影をした。

 中房温泉から合戦尾根へ 長野県中房温泉に泊まり燕岳に登った。このコースに取り付かれて10回前後経験のあるYさんの登山に同行させて貰った。温泉登山口から第1ベンチ、第2ベンチ、第3ベンチと順調に上った。アルプスでも名うての急登の連続と知りびびっていたが、先ずはマイペース。訓練として30kgを超すザックを背負うYさんに先行し、各ポイントで互いのペースを確かめた。第3ベンチからは登山道の傾斜が増したが、踏まれていて悪路ではない。登山者は多く、家族連れやグループ行のよう。

 合戦小屋でスイカを食べる 合戦小屋手前では、左手に大天井岳と小屋が見えた。合戦小屋へ数分とある地点より倍以上の時間を要したと思ったがどうにか到着し休憩。Yさんを待って名物のスイカを食べる。
 また急登が再開。前を歩く中年男性が、槍!0槍!と叫んでカメラを構えた。左方雲の先に槍ヶ岳が聳え、その傍には小槍も見える。穂高岳からの眺めとは形が違い鋭鋒だ。合戦の頭に上がると燕山荘の先に燕岳が見え出した。白味に緑色を帯びた花崗岩の山肌は異様で、西方浄土を思わせる。山荘までも簡単ではない。小さな岩場を越し長いトラバース道を経て、ようやく山荘下へ。ハクサンフウロやミヤマキンバイ、ウスユキソウ、トリカブトなどの花が咲き揃っての出迎えには、辛い上りも何とか耐え切った。

 山荘から山頂へ 山荘前の椅子に休憩し、北アルプスの大連山を眺めているとYさんも上がって来た。受付を済ませ今夜の寝床を確かめた後、燕岳登頂へ。往復約1時間の至近距離で、緩やかだが少しザレたルート。一面コマクサが咲く地点を通過すると岩にへばり付いて咲くイワキキョウを見付けた。山頂で三角点を踏み、アルプスの眺望を目に焼き付けて、山荘へ引き返した。山小屋は満員だが一人半畳程度は確保できた。

 雨模様で下山 翌日は一転して早朝から雨模様。周辺散策は中止し7時前に直接下山開始。いつもながらこんなに急だったかと昨日の上りの道に驚きながらも、まずまずのペースで下り続ける。重荷を背負うYさんを追う形で、下りは苦手で遅いことを再確認したが、急ぐ必要はなく後陣を努める。約4時間弱を要して登山口に下山し、温泉へ飛び込んだ。
 Yさんのお陰で、北アルプスの高山に登り、槍から剱までの大展望を眺め、高山植物にも巡り会え、無事帰途に就くことができた。有り難うございました。(08/8/2,3,4 99/100)

追 記 燕岳は北アルプスの高山で、急登でも有名であるが、深田百名山には選ばれていない。最近北アルプスの女王と呼ばれていると知った。長丁場で急登もあったがゆっくりゆっくりとマイペースで歩き、登頂し下山した。裏から眺めた槍等北アの展望も忘れられない。誘って頂いたYさんのお陰である。帰途に、JR大糸線穂高駅前の穂高神社に参拝した。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「300号達成記念に雨の中北アルプス乗鞍岳に登る」

 夜行バスで畳平へ 膝に寒さを感じて目が覚めた。畳平駐車場バスの中である。ザックからレインコートを出して下半身に掛けようとしたら、ライトが点いた。丁度朝5時だった。M社主催乗鞍岳登山ツアーに参加し、昨夜遅く雨の中新宿をバスで出発した。台風15号が北上しているが取りあえず出発した。

 雨中の登山 朝が明けても相変わらず雨が降り続いている。添乗員の指示で、30人程の中高年が一斉に雨具を着けて登山準備を始めた。小生も、レインコートにスパッツを履いた。頂上下の駐車場から乗鞍山頂に向けて歩き出す。何故か息苦しい、2,700mの高地だからであろう。多くの同行者は意外に速い歩きで、殿をゆっくりと付いて行く。周囲は岩肌むきだしの殺風景な山々が連なり、緑は這い松のみで、3,000m級の山の雰囲気十分である。10年前安達太良山でも雨に降られ似たような風景であった(94.6.19)。雨で落石を心配しながら広い登山道を進む。下方には沼(不消ケ池)が見え、雪渓が残っている。この時期では万年雪だろう。肩の小屋で休憩。シーズン過ぎの小屋は未だ眠っているようだ。

 本格的な登山道、そして山頂へ 肩の小屋を過ぎると本格的な登山道になる。岩ゴロゴロガレ場の急坂が続いている。乗鞍はハイヒールでも登れると聞いていたが、大違い。鎖場や梯子がないという意味だろうか。傘をさしながらも順調に上がる。先程来、目前の高峰が主峰剣ケ峰と思ったがいずれも外れて、先へ先へと入る。今度こそと思った目の前に現れた峰は蚕玉岳であった。一行は立ち止まることなく、小さな頂(2,979m)を越した。添乗員の声に、頂上小屋で最後の休憩を取る。雨は止まないが風がないのが幸いだ。最後の岩場をよじ登ると山頂・乗鞍神社であった。いつものように家族や飼い猫の健康をお願いする。先日、北海道の孫が来春には兄ちゃんになると連絡があり、その分お賽銭を奮発した。雨が強くなり、風も出て寒い。3,000mを超える地に立っているのだから当然だろう。三角点(3,026m)を踏み記念撮影をして下山開始。下りが苦手な上に岩が濡れている。傘を閉じて、滑らないように時には手も使い一歩、一歩慎重に足下を確保する。ヒョイヒョイ下るおばさん達に抜かれながらも、ペースを維持する。上り時に感じた程には急降下ではない。遅い方ではあったが肩の小屋に着き、乗鞍登山記念に雷鳥の人形を求めてお土産にした。

 無事下山 小屋からは楽な道で、雨も小降りとなり、途中お花畑を回って畳平に戻った。高山植物は殆ど枯れてしまい、花は僅かにイワキキョウやリンドウ、チングルマが残っているだけだった。バスの中から携帯で自宅に無事下山を伝えると、家内は、予想外に早い連絡だったらしく驚いた。先程来の胸苦しさは消え去っていた。
 乗鞍岳を我が山歩き里歩きリストに加えることができ、300号達成記念になった。安房トンネルの開通もあって東京から近くなり、簡単な名山ということで登山機会を窺っていた。数年前、飛騨高山旅行の際計画したが、天候が悪く当日朝になって断念したことがあった(99.6.20)。今回も台風接近でどうなることかと思ったが、雨の中無事登頂し下山することができてホットし、展望や花畑は次回の楽しみとなった。最近購入したGORE-TEX製レインコートがまた役に立った。(03/9/20,21 98/100)

追記 乗鞍岳は3000mの高峰である。アクセスが悪く、夜行登山バスで畳平から登った。周囲は荒涼としたガレ場だったと思う。雨中だったがそう難渋せずに山頂に立った。後日岐阜県境野麦峠から眺めた乗鞍も印象的であった(07.5.20)。その後 、乗鞍高原へと検討したが、バスの乗り継ぎが悪く実行できない儘、今日に至った。

京王よみうりランド駅からジャイアンツタウン・スタジアムへ

 弟とハイキングすることになった。何処を歩こうかと思案し、ジャイアンツタウン・スタジアムが浮かんだ。最近完成して話題になったが、そろそろ熱もさめた頃だろう。子供の頃から兄の影響で、遊びでも軟式野球をやって、巨人軍を応援していた。購読紙は讀賣であった。場所的にも、神奈川平塚在の弟と中間位だろう。

 登戸駅から 弟とは登戸駅で待ち合わせた。私は、新宿駅へ出て小田急で登戸駅に着き、JR南武線へ回ると改札口で弟は待っていた。南武線で京王相模原線稲田堤駅へ向う。JR稲田駅からは少し距離があり、初めてではないが久しぶりで戸惑いながら商店街を歩いた。                                  最寄り駅京王よみうりランド駅に降り、バス停を探したが見当たらず、歩く。15分程度と思う。大通りへ出て、多摩丘陵への坂道を上がる。右手の高い土手に階段があり、近道のようだ。弟は上り始め、私も従う。長い階段だが、踊り場が多く休みながらも、上り続ける。なんとか上り切って500段位かなと思ったが、約300段程らしい。スタジアムは目の前だが、大回りし横断歩道を経由して、サブグランド前。                      

 ジャイアンツタウン球場 そして隣の本グランド、ジャイアンツタウン入口を探し入場。本日試合はなく見学自由。目の前にプロ用の野球場が広がった。芝は人工芝らしいが緑が美しい。観客用スタンドの観客席は多くはない。二軍イースタンリーグの公式戦も行われ、今期巨人軍は断トツで優勝した。バックネット裏の記者席で、コーヒーを飲んだ。コンコースにミスターの写真が展示されていた。彼の活躍は言うまでもないが、彼は見せる野球、私には興行のようで、プレーヤーではなく超えていたのだろう。

 駅を誤る バスに乗り駅へ戻る。弟を駅から近い穴澤天神社へ案内する。2度程参拝したことがあり、丘を上るが見当たらない儘最奥へ至ったが、女子大学の校門であった。道を誤ったかなと弟に言い訳して、駅へ戻り、中華店で昼食を取った。駅が違うと思い、確かめたら小田急読売ランド前駅という。てっきり京王よみうりランド駅と思っていた。大チョンボで弟に誤ったが、彼の帰途の路線で喜ばれた。(2026/1/20 K.K 1629)

◇日時 2025/12/17  ◇天候 晴 ◇交通費 1070円 ◇歩行距離等 10000歩 7㎞                                       「通過時間等」自宅8;30-神保町駅9:07-小田急新宿駅9:37-JR登戸駅10:01-京王よみうりランド駅10:20=ジャイアンツタウン球場11;00/11:41-小田急読売ランド前駅(昼食)12:41-三田線巣鴨日比谷駅13:40-自宅14:25

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「咲き広がるニッコウキスゲに満足した霧ヶ峰高原」

 雨の予報も決行 霧ヶ峰の主峰車山への途中尾根に出てニッコウキスゲに出会った時、無理して来て良かったとしみじみ思った。野尻湖畔で開催の研究会合宿に参加することになり、その前に車山から八島湿原を歩こうと企てた。丁度霧ヶ峰はキスゲの花が咲く時期である。それなら是非ともと勇んだが雨の天気予報が続き諦め掛けていた。前日諏訪地方降雨なしの情報を得て決行した。しかし、車山高原バス停に降りたら、霧が立ち込め風が強い上に、今にも降らんかの天候だ。

 高原はニッコウキスゲの花盛り 車山は2,000m近い高山だが、草原に覆われたなだらかな峰で、難しい山ではない。天候は良くないが雨が落ちていないので、車山を越し八島湿原へ向けて歩き始める。山頂までは1時間程度の見込み。尾根に上がると早速、幸先良くニッコウキスゲの黄色い花が目に飛び込んできた。進むに連れて咲き揃ってグループとなり、さらに集団になって、黄色のキスゲが草原一帯に咲き広がっている。これまで見たことのない群生をなし、開花状態も見頃のグッドタイミングだ。雨の予報にめげずに出掛けて正解で、その後もラッキーにも下山まで雨が降ることはなかった。

 続く満開キスゲの大群落 乗越しから山頂(1,925m)に上がり休憩した後、反対側霧ヶ峰に下り始めて目を見張った。キスゲの黄花が山腹から草原を覆っている。こちら側の花が良く開いているのは南側に当たるからだろう。他のハイカー達も歓声を上げながら花咲く高原をバックにカメラに収まり、老カメラマンは三脚を立てて慎重にカメラアングルを調整している。肩の山小屋コロボックル周辺ではキスゲの大群落が一斉に花を開いて、見渡す限り花一面といってもオーバーではない。見物客も次第に多くなり、皆、キスゲパノラマに見入り、自然の美を満喫しているようだ。下るに従いさらにキスゲ花は満開となり広い草原を黄色に染めて待っていた。キスゲ、キスゲのオンパレードは沢渡手前まで続き、次々とシャッターポイントが出現してカメラの手を休める暇がなく、デジカメと交互にシャッターを切りながら下る外はなかった。

 憧れのニッコウキスゲ 数年前、都営地下鉄のポスターでニッコウキスゲを見て、咲き誇るあの花の群を見てみたいと興味を抱き、尾瀬や奥日光、榛名山などを歩いた。尾瀬(96.7.27)はまあまあであったがその他では時期外れなどで出会うことはなかった。それが今年、偶々無理に訪ねた霧ヶ峰で実現し、ニッコウキスゲが大群で歓迎してくれた。
 他にもハナショウブ、シシウド、ハクサンフウロ、シモツケソウ、ウツボグサ、クガイソウ、ノアザミ、ヒメシャジン、ウスユキソウ、ミヤマキンポウゲなども眺めながら霧ヶ峰から八島湿原に下りて、バスで美ヶ原山本小屋に出た。最高峰王ケ頭往復も予定したが風と寒さに疲れも加わり今回は断念し、バスを乗り継ぎ迎えに出て貰った車で上田駅前から長野県東部町在家内の実家にお世話になった。早速デジカメを再現して、山野の植物に詳しい実家のYさんに、花の名前を教えて貰った。翌日、Yさんの案内で、湯の丸高原臼窪湿原を訪ねた。小さな湿地にはアヤメ、ニッコウキスゲの外、テガタチドリ、ハクサンチドリ、ワレモコウなどが咲いていた。 (03/7/19 97/100)

追 記 霧ヶ峰は標高1,925mの百名山であるが、私には高原であった。山頂下迄バスが入り、簡単に山頂であったからだ。記録を読み返したら、ニッコウキスゲの群落に出会い感激したとあるが、記憶に薄い。古いアルバムにあった。車山から八島ヶ原湿原は再度歩いた(17.8.7)。花友を案内しようと思っているが未だ実現していない。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「晩秋に中央アルプス千畳敷カールを歩く」

 登山バスでしらび平へ 駒ヶ根市外れのホテル前から乗ったバスは、山中に入り曲がりくねった急坂を、すれ違うバスを待ちながらゆっくりと上がった。麓では山の木々は色づき始めたばかりであったが奥に入り高度を増すに従い紅葉が広がった。黄色の広葉樹が中心だ。途中、バスが止まり、何事かと思ったら、‘林の中にカモシカがいる’と運転手がアナウンス。カモシカは悠然と草を食んでいた。先日友人Yさんから、‘八ヶ岳山中の下山時に黒い獣に出会いカモシカだった’とメールを貰ったが、小生の経験ではカモシカは茶色であり若しかしたら熊じゃなかったかと思った。しかし、この時期のカモシカはやはり黒色だった。しらび平まではマイカー乗り入れ禁止でバスのみの運行。自然保護や交通混雑の回避には良い策である。

 ロープウェイ利用 しらび平駅からロープウェイに乗る。紅葉シーズンに当たり観光客で混んでいる。寒さを感じてザックからセーターを出した。高度はもう1,662mという。やや早目だが針葉樹の中に映えた紅葉が美しい。眼下には滝が白糸の如く落ちている。沢には数日前に降ったという雪が残り、風雪に耐え崖に這えつくばるダケカンバの木が痛々しい。
 
 千畳敷カールを歩く 千畳敷駅は2,612mにある駅で、裏側には残雪があった。見上げると宝剣岳を中心に鋭峰が取り囲み、その懐に平坦地が広がっている。千畳敷カールである。北アルプス涸沢と似ていると思ったが、青白い岩峰は花崗岩系だからであろうし、沢ではない。早速カール内に設けられた遊歩道を巡る。ハイカーが多く下りの者と交差する。大半が高年婦人グループであることは何処の山も違わない。

 ナナカマドに出合う 真っ赤な実の付けた木が目の前に現れた。ナナカマドだろう。身近で見るのは初めてで、カメラに収めた。同じく茶色のものは不明だ。周囲の植物は立ち枯れている。草紅葉の時期はとうに過ぎたのだろう。既に冠雪したのだ。そんな中でもハイマツは元気だ。尾根に続くルートにも多くの登山者が見える。肩の乗越しから左は宝剣岳、右奥は駒ヶ岳に通じている。膝が良ければ途中までは可能であるが、現在では千畳敷一周が精々だ。剣ケ池を経てロープウェイ駅のあるホテルに戻った。
 中央アルプスの千畳敷は夏のお花畑で有名だ。この時期にこれだけの混雑だから夏山シーズンは想像以上だろう。夏の高山植物を一度訪ねたいと思っていたが、少なくともピーク時は避けなければならない。

 飯田線で帰京 飯田線駒ヶ根駅に戻り、家内と下諏訪駅で落ち合った。信玄の隠し湯とも言われる毒沢温泉は赤錆状色の湯で、飲むと渋味と酸味があり、いかにも病気には効き目がありそう。翌日、ボトルに汲んだお湯を土産にし、諏訪下社春宮と秋宮に参拝して帰京した。 (02/10/18 96/100)

追 記 長野駒ケ根市の研修会に参加し、翌日千畳敷カールを歩いた。氷河期の痕跡で、自然の力には畏れ入るほかはない。晩秋の紅葉の外、見上げた宝剣岳の岩峰は記憶に残る。昨年の夏飯田線に乗り駒ケ根駅を通り、思い出した。

芦ノ湖を渡り箱根神社から駅伝コースをバスで下る

 久しぶりに箱根を巡った。仙石原から桃源台へ出て、遊覧船に乗って芦ノ湖を渡り、箱根神社に参拝し、バスで湯本か小田原へと予定した。宿泊先で、仙石原からバスでは大回りで、遊覧船経由がベストコースと教えて貰った。天候も良い。

 芦ノ湖遊覧 仙石原からバスに乗り、桃源台の湖尻で遊覧船に乗った。もう少し元気なら箱根神社まで歩くことも可能だが、無理と船にした。この船には、北海道の孫達と乗った(17.7.29)。中学の修学旅行でも同級生達と乗船したと思う。左手東岸に小さな鳥居が見えた。九頭龍神社本宮だろう。アクセスは徒歩だけのようだ。遊覧船は箱根関所跡港を経て、元箱根港に着き下船。歩いて箱根神社へ向かう。          

 箱根神社に参拝 本日は日曜日で人出が多い。大通りから上り坂となり結構きつい。両側に大杉が並んで杉並木のよう。正面の長い石段を避けて、裏参道を探す。急な坂道を上り切り、山門で並んで本殿前で手を合わせた。隣が先ほど船上から眺めた九頭龍神社の新宮で、また頭を垂れた。下りは手すりに捕まりながら、石段を利用。正面にご神木矢立杉があったようであるが、大木が多く特に気が付かなかった。正面先は芦ノ湖で、鳥居は湖上の中にある。

 駅伝6区コースを下る 元町からバスに乗車。バスは旧東海道を走り、箱根の山を下る駅伝コース6区である。直ぐ左右に大きく振れて坂を上り、左手に池を見ると最高地点を過ぎ、芦之湯から下りとなった。6区はここから勝負である。ほどなく小涌園前だが、バスはホテルにも停車し、そして、バスは下り続け、兄夫婦や弟と駅伝を応援した地点に至った。兄も高齢になり上京は困難になってしまった。今年の母校はどうだろう。五強の一つで優勝候補にも挙げられているが、それは期待過ぎだろう。箱根駅伝は、戦時下の1943(昭和18)年は学徒鍛錬縦走大会として、靖国神社、箱根神社間往復であったという。                         

 小田急海老名から 宮ノ下から大平台のヘアピンカーブを過ぎて、崖下の早川の流れに沿い山道を下っている。函嶺洞門バイパスから箱根湯本駅に着いた。約1時間弱であった。小田原駅で急行に乗り海老名駅で、ここから西高島平直通の電車があり、試しにと乗り換える。途中の東横線は急行であったが、約2時間を要した。(2026/1/4 K.K 1628)

◇日時 2025/12/7  ◇天候 晴 ◇交通費 4950円 ◇歩行距離等 8000歩 6㎞                                       「通過時間等」宿泊先8;45-桃源台湖尻港10:00-箱根元町港10:40=箱根神社11:00=箱根元町バス停12:02-箱根湯本駅13:01-小田原駅13:20-海老名駅14:33-自宅16:35

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「ヤナギランなど花々を堪能した入笠山」

 夏のこの時期到来を待っていた。昨夏飯盛山(2000/8/16,メシモリヤマ)でお花畑に遭遇し感動して以来、次年の再訪を待ち望み、今年の花の様子を窺っていた。山の花は一年置きじゃないか、毎年飯盛山では能がないと思い始め、中央線を挟んで反対側にある入笠山(ニュウガサヤマ)に登ることにした。

 車窓から花を眺める バスが山中に入ると道路端に咲く花が目に付き出し、前席のご婦人達が花の名前を呼び始めた。「ヤナギラン」「クガイソウ」「ウスユキソウ」など・・・。終点御所平峠近くになって、ピンクの花畑が目に飛び込んできた。バスを降りて草原に分け入るとこれが「ヤナギラン」で一帯に咲き誇り花畑を形成し、丁度満開の見頃。思わず歓声を上げたくなる程であった。

 直ぐ山頂 入笠山は頂上下までバスが入り、僅か30分という行程だ。大勢のハイカーに連なってあっと言う間に山頂(1,955m)に立った。周囲には知っているものだけでも、「マツムシソウ」「ハクサンフウロ」「ヤナギラン」が咲き乱れ、シャッターを切り続けた。昨年の飯盛山程ではないが、十分に満足できた。唯、「マツムシソウ」の花が青みを帯び、飯盛山で見たものと違う感じがした。入笠山は南アルプスの前哨の山として360度の展望ともあるが、雲が遮り遠望はない。蓼科山(7/29)といい、今年は山頂展望にはついていないようだ。

 大河原湿原へ 入笠山の花はこれで終わりではなかった。花々を眺めながら首切清水から大阿原湿原に下り、一周した。子連れ熊が出没しているとの掲示があり、びくびくしながら歩いたが湿原には花はなく期待外れ。道端に咲く様々な花、「クガイソウ」「シシウド」「ソバナ」「コオニユリ」「ヤマホタルフクロ」「アキノキリンソウ」などにカメラを向けながら、再び御所平峠下に出て右折し5分ほどの入笠湿原を見下ろして驚いた。

 そして入笠湿原 ピンク、黄色それに紫の花がそれぞれ整然と群をなして咲き競っているではないか。えっ、栽培した花畑、花壇と思ったが近づくと自然のもの。一瞬見間違う程湿原一面に三色の花が咲き揃っていた。先程来の「ヤナギラン」は桃色、黄色は月見草の色ではあったが知らない花(「クサレダマ」か)、ラベンダーのような紫花(「サワギキョウ」らしい)も見たことがなく、側のハイカーに尋ねたが首を横に振った。郊外の植物園を観賞するような気分で、湿原を巡り次々とシャッターを押し回り、出来上がる写真が待ち遠しい。
 昨年の飯盛山に続き入笠山の花に満足し、南アルプスや八ヶ岳展望は次回の楽しみにして、中央線富士見駅に戻り、諏訪の地酒御渡・氷湖の滴を傾けながら車中の人となった。
 なお、これまで標高1,000m以上の山登りには「登山記録」として来たが僅か30分弱の登りでは「ハイキング記録」とせざるを得なかった。(01/8/15 95/100)

追記  笠山は長野県も山梨県境の山であるが、最寄り駅は中央本線富士見駅で、アクセスがくない。そのため再訪は20年後になり、初夏にスズラン鑑賞に車で訪ねた(23.6.10)。

新潟直江津から信越線、羽越本線に乗る

 大人の休日俱楽部パス最終日は、北陸新幹線で上越妙高駅へ行き直江津駅へ出て、信越線で長岡駅を経由し、新津駅で羽越本線に乗り、新発田駅から新潟駅へ、である。この間の信越線は未乗車路線で、また新発田駅、新津駅区間も乗っていない。今回で、JR東日本の路線はほぼ乗り回ったことになろう。

 直江津から信越線へ 上野発10時29分の北陸新幹線に乗った。高崎より先は久しぶりで、上田、長野、飯山を経て上越妙高駅に降り、ローカル線えちごトキめき鉄道(旧信越線)に乗り換え直江津へ向かった。高田駅の次が春日山駅で、謙信の春日山城跡へと往復した地で、その方向を眺めたがどの山であったろうか。直江津駅で時間があり、駅の売店でおにぎりを求め昼食。そして“能鷹”をゲット。今回の目的の一つで好みの地酒である。

 日本海を眺める 直江津発13時25分新潟行き特急に乗車。柏崎迄は日本海沿いに北上する。柿崎駅を通過し、友人Sさんの故郷。駅前の住宅街を眺めながら、Sさんへメールしたら、もう実家はないと返信があった。海の先に佐渡を探したが見えない。佐渡おけさに、“雪の新潟吹雪に暮れて 佐渡は寝たかよ灯が見えぬ”を思い出した。車中、村上駅から直江津駅へ特急に乗った記憶が蘇り、信越線は初めてではなかった。約20年も前だが高田に就職した娘を訪ねたときである(00.4.30)。能鷹は娘の土産であった。                     

 新津駅から羽越本線 特急は速く長岡駅を経て、越後平野を走り新津駅着。この駅は磐越西線の起点でもあり、初めてではない。越後水原での白鳥見物の際も乗り換えた(19.12.7)。私は、羽越本線は秋田、新潟間と思っていたが、それが新津と知ったのは最近のこと。15時17発の列車に乗った。なんと酒田行きとある。直ぐの長い鉄橋は阿賀野川。越後水原、月岡等を過ぎて新発田駅に到着。これで羽越本線も乗り切ったことになった。隣のホームで待っていた新潟行きに乗り換えた。そういえばこの線は日新線で、羽越本線ではなかった。新潟駅から上越新幹線で帰京。地酒を出した。(2026/1/4 K.K 1627)

◇日時 2025/12/1  ◇天候 晴 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 6000歩 4㎞                                       「通過時間等」自宅9;30-JR上野駅10:39-えちごトキめき鉄道上越妙高駅12:41-JR直江津駅13:25-同新津駅15:17-同新発田駅15:49-同新潟駅16:22-同上野駅19:03-三田線巣鴨駅19:30-自宅20:00

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「家内の故郷・信濃小県の名峰烏帽子岳に登る」

 郷土の名峰烏帽子山 家内の故郷長野県小県郡に烏帽子岳がある。2,000mを越える高山で、地元では小学生時の登山遠足の対象となっているという。家内も5年生の時に登り、旧鹿沢温泉に泊まったとの話は何回も聞いた。隣の湯ノ丸山に登った時(96.6.29)、その名の通りの烏帽子岳を間近に見て、チャンスがあったらと窺っていた。
 今回、職場の別所温泉旅行の帰りに、烏帽子岳に登りたいと家内の実家に相談したら、家内の義弟夫妻も一緒に登ることになった。小学生以来の登山という。したがって、東部町田沢からの登り口やコース、所要時間も記憶が朧気で、一番最近登った甥の現大学生に聞き、小学生で約3時間であったというから、我々はおよそ2時間30分と見当を付ける。

 荒れた登山道 林道途中まで車で入り、少し歩いたアンテナ塔の先に登山口が見付かる。途中から家内達の母校が立てた「和(カノウ)小」の標識があるコースと合流し、標識を頼りに上る。コースは緩やかな上りの道。しかし、専ら夏季に小学生だけが利用するコースらしく踏まれた道ではない。樹林の中の道も林道を三度目に横断すると、白樺が目立つ地帯に入り、笹薮の道となる。登山道手入れの際に刈った笹が道に放置され歩き難い。間もなく石の多い草原状の中の道に変わり、頂上に近づきつつあることを感じる。突然左手奥に三角状の山が見え、初めて烏帽子岳が姿を現したと思ったら、後に手前の小烏帽子と分かる。右手から来る地蔵峠からの道と合わせる地点付近からは、2,000mの高山らしく笹薮が続き高山植物等が生い茂る草原となる。登山者が多くなり、地蔵峠や湯ノ丸山経由の者だろう。頂上に立ったら、その先に更に高い山頂が見え、小烏帽子だと知る。最後に軽い岩場を上って烏帽子岳山頂[2,065.6M]に到着。結局、登山口から3時間10分を要した。

 ゆっくり頂上へ 上記コースを約20分毎に休憩を取り、水を補給しながら、三人でゆっくりと上った。道端に落ちた栗を拾い、落ち葉の間に覗く茸を採った。今年は夏に雨が多かったので茸は豊富のようで、歩きながらも次々と見付かり、山形でアワモダシという種類の茸が多いようだ。山に咲く花も綺麗だ。可憐な白い花はウメバチソウで、笹薮の中で気品のある紫の花はオヤマリンドウ。ヤナギランは既に枯れているが、これが集団だとまた見事だ。山頂では、マツムシソウやイワインチン、ハクサンフウロを花に詳しいYさんに教えて貰う。途中でYさん、蜂に刺され心配したが大丈夫で一安心。
 山頂で、展望を楽しみながら昼食を取る。期待した八ヶ岳やアルプスまでの遠望は利かないが、近い浅間山や湯ノ丸山はすぐ先。山麓に広がる景色の中に実家の近辺が良く見え、望遠鏡を借りて、ため池などを確認する。

 地蔵峠へ下山 下山は、地蔵峠へのコースを採る。上りと違い良く踏まれた道で、1時間15分で峠着。迎えの車で家内の実家に戻り、汗を流しに町営温泉・遊楽里館に行き、早速湯に浸かって疲れを癒し、地麦酒で喉を潤す。同館庭で烏帽子岳を仰ぎ見ながら、あそこまで良く登ったと三人で感心した。(98/9/13 94/100)

追記 烏帽子岳は、隣の湯ノ丸山と並んで、家内の故郷東信の名峰で、小学生の夏山登山先のようである。麓から眺めると三角上の尖った山頂で烏帽子岳と直ぐわかる。最近家内の故郷はご無沙汰である。

群馬高崎から栃木小山へ両毛線に乗る

 JR両毛線は私には縁が薄い路線である。栃木から群馬へ北関東を横断する路線で、ハイキング以外では利用はないと思う。それでも一度は、友人と小山から高崎迄乗り切ったことがあった(18.12.30)。今回は逆方向から完乗しようと思う。調べると84.4km19駅とあり、2時間弱の乗り鉄である。栃木、群馬に重なる両毛という広域地名があるという。

 利根川渡り前橋駅 新幹線で高崎駅に着いたら、在来線ホームに小山行き列車が停車していた。早速、席を確保した。高崎駅から利根川を渡った前橋駅迄の間に、小さな駅が三つあり、その中の新前橋駅が両毛線の起点と知った。前橋駅手前から左手先に高いビルが見え群馬県庁で、私には元旦のニューイヤー駅伝のスタート、ゴールの地である。赤城の山々は前橋駅前からバスであった。      伊勢崎駅、そして国定駅を通過。社寺巡りに歩いたことがあり忠次の墓があったと思う。その帰途に小山行きに乗ろうとしたが列車時間が合わず、高崎へ戻った(20.10.3)。今回はそのリベンジでもある。桐生駅を通る。わたらせ渓谷鉄道はここから乗り換えたと思う。渓谷を染めた紅葉の時期の乗り鉄は記憶に残る(18.11.17)。

 群馬から栃木へ 栃木に入り、足利は歴史の街で数回巡ったことがある。再訪を考えているが中々である。車窓からの晩秋の風景は今一。あしかがフラワーパークは特に藤の花が有名で、二度に見物に来園した。当時は臨時駅であったと思うが、現在は2018年開業の常設駅。一度は花友を案内したことがある。
佐野駅を過ぎ、右手に聳える山は三毳山で、岩舟駅から歩いた(11.5.8)。関東平野北端の孤峰である。左手の山裾に寺を探したが見当たらない。上田秋成雨月物語の七不思議で知られた大中寺である(04.9.7)。栃木駅は東武鬼怒川線と交差したターミナル駅。大勢の高校生が乗り込み、下校時間と重なったようで車内は一変した。そして両毛線終点小山駅に着いた。

 大宮から埼京線 両毛線ホームから新幹線乗り場は近く、自由席に乗車。一昨日水戸線からと同じルートでは面白くないと大宮駅で埼京線に乗り換え、浮間舟渡駅からバスで帰宅した。(2025/12/24 K.K 1626)

◇日時 2025/12/1  ◇天候 晴 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 5000歩 4㎞                                       「通過時間等」自宅9;30-JR上野駅10:39-同高崎駅11:37-同小山駅13:33-同大宮駅13:59-同浮間舟渡駅14:25-自宅15:00

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「れんげつつじ咲く湯ノ丸山麓を歩く」

 360度の大パノラマに歓声 湯ノ丸山頂上(2101m)に立ち、360度のパノラマに歓声をあげる。近くは蓼科山、その左に八が岳、富士山、右に南アルプス、奥には御嶽山、そして、北アルプスは未だ雪で覆われた山が連なり、その中でも槍が岳が目立つ。振り向くと、山越しに地肌を出した浅間山が白煙を上げているのが見える。更に反対側には、その名の通りの烏帽子岳が指呼の距離だ。流石に2,000mを超えると展望がすばらしい。梅雨時に天候に恵まれたのがラッキーだ。

 レンゲツツジ満開 湯ノ丸山麓鞍部中程の鐘の塔付近から柵の中に入り、少し下ったら、れんげつつじの群落に出会う。それまで見たれんげつつじはいずれも花が疎らで、物足りない思いであったが、それが一変に飛んでしまった。赤でもない橙でもないつつじ特有の色の花が一面に咲き誇っている。早速、カメラを向ける。評判通りのれんげつつじに、今回の目的が適い、一同満足。
 今回は、近所の友人Hさんに誘われて、長野県と群馬県境にある湯ノ丸山麓につつじ狩りを楽しむ。メンバーは総勢7人。Hさんのワゴン車で新高島平を出発。心配した天候は良く、妙義山がいつもよりはっきりと見えるとHさんは言う。

 当地は家内の故郷 11時半頃に山麓の地蔵峠に着く。ここは小生にとっては確か四度目。家内の故郷の町だからだ。1968年8月に家内の実家に最初に訪れた時に一緒に登った。当時は山麓の寂しい峠であったと思うが、現在はリフトを備えたスキー場に変わり、売店や食堂、ペンション等が立ち並び、ハイカー、観光客で賑わっている。れんげつつじの名所としても知られているようだ。
 早速登り始める。スキー場を上るが結構急坂で、N先生すぐ休憩を提案。坂を上り切ると鞍部となり、つつじは咲いているが、ちらほらでいまひとつと言ったところ。途中、休憩を多めに取りながらゆっくりと上がる。山頂が見え始め、登頂して休んでいるハイカーが下から見える。小生は二度目の筈だが全然記憶にない。狭い山道で、下りのハイカーと交錯しながらも、約1時間強で山頂に到着。風があり寒いのでジャンパーを羽織る。昼食代わりのおやつを食べながら、他の大勢のハイカーと展望を楽しむ。

 高山植物を観賞しながら下山 下りは特に注意すべきことを確認して下山開始。Hさんはすい、すいと前を歩いて行くが、小生はいつものように、ゆっくり、慎重に下る。途中、“みやまはんしょう”とか言う筒型の花を付けた珍しい高山植物を観賞し、カメラに収める。鐘の塔迄戻り、牧場の柵の中に入って少し下ると、見渡す限りれんげつつじ。つつじを楽しみながら、しばし薮を漕いでつつじの中を散策。牧場主の牛に追い出された格好で、本道に戻る。当時家内の実家でもこの辺の近くに牛を預けていたことを思い出す。スキー場の急坂を下って地蔵峠駐車場へ戻った。
 その後、東部町の湯楽里館で汗を流し、姫木平の平野山荘に泊った。(96/6/29  93/100)
                        
追 記 長野も東信の東御市にある湯ノ丸山は、家内の故郷の山で数回登った。麓の地蔵峠まで車で入れるので、気軽に登れる山である。その後地蔵峠から反対側へ歩き、池の平湿原から小諸の高峰高原へ歩いたこともあった(00/07/10)。

水戸線に乗り車窓から筑波山を眺める

 JR東日本大人の休日俱楽部パス利用の2日目。都内から常磐線で水戸へ行き、水戸線を乗り切り小山から新幹線で帰京コースとした。水戸線は5年程前小山からは完乗した(19.8.11)のは覚えているが、水戸、友部からは記憶にはない。初めてではないが大分前のことだろう。水戸線は栃木の東北本線小山駅と茨城の常磐線友部駅を結ぶ50km16駅の路線。常磐線特急ひたちは水戸迄ノンストップ、ときわは主要駅停車の違いがあると知った。

 水戸駅経由 上野発13時特急ひたちに乗った。常磐線を走り、ノンストップ約1時間強で水戸駅に着いた。途中土浦から石岡辺りで、車窓から筑波山を探したが雲で今一。石岡では酒蔵を巡って、関東の灘と呼ばれていると知った。水戸で時間があり、駅前で水戸黄門と助さん、格さん像を見て、カメラに収めた。私は夕方再放送を観ている。黄門様は、諸国を漫遊し相変わらず悪代官や悪徳商人達を懲らしめ、忍者役の由美かおるや野村将希が裏で支えている。

 水戸線から筑波山展望 友部駅迄戻り、少し待って小山行きに乗車。発車メロディーが坂本九の“見上げてごらん夜の星を”であった。確か幼少期の戦時中、母の実家隣の笠岡に疎開していた縁であろう。笠間駅を通過し筑波山を眺めようと左側の車窓を睨んだ。山は見えるが山容が違うと思う。岩瀬駅付近から双耳峰がはっきり捉えられ、カメラを出し望遠にしてシャッターを切った。筑波連山縦走を試みた時 (2000.4. 1)、スタートした駅だったと思う。

 下館駅、小山駅 下館駅に着き、真岡鉄道や関東鉄道への乗換駅で、乗り鉄先だが中々実現できない。いずれも私鉄だが是非乗りたい路線である。大きな川を渡り、鬼怒川だろう。そして、結城駅を経て小山駅へ滑り込んだ。                      
 新幹線に乗り自由席だが席を確保できた。暇に任せて、スマホで水戸線を検索したら、水戸線は1889(明治22)年に開業し、その後常磐線田端 – 水戸間が開通したとある。逆だろうと思っていた。小山駅からは近く、18時過ぎには帰宅できた。(2025/12/16 K.K 1625)

◇日時 2025/11/29  ◇天候 晴 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 5000歩 4㎞                                       「通過時間等」自宅・・・JR上野駅13:00-同水戸駅14:37-同友部駅15:20-同小山駅16:37-同上野駅17:16-三田線巣鴨駅17:37-自宅18:10

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「雪の蓼科山に登る」

 頂上は大パノラマ 快晴下、蓼科山頂上からの展望抜群で、八ケ岳から、木曾御岳山、槍ケ岳、浅間山までの360度の大パノラマを楽しみ、山登りの醍醐味を十分に味わう。しかし、前夜来の雪の外、残雪があり、春山の厳しさに加え、登山靴の選択と地図・資料を鵜呑みにしたコース採りの誤りなどを反省する。

 雪の諏訪富士登山 蓼科山は、長野県東信地方の名峰で、コニーデ型の複式火山のため、諏訪富士とも呼ばれる。連休の後半、午後の天候回復を期待して、小雨の中自宅を出発。JR新宿駅から同茅野駅へ出ると雨はなく曇り空。途中、車窓から見た八ケ岳、甲斐駒等は下方まで白く、どうも昨夜は雪が降ったようだ。茅野からバスを乗り継いで登山口着。見上げると蓼科山もうっすらと白くなっている。笹薮の中の道をしばらく進むと林の中の上りとなる。高度を上げるに従い、新雪の量が多くなり、その中に付けられた先の登山者の足跡を辿る。こう雪が深いと道がよく分からないところがあり足跡が頼りで、先の登山者に感謝しなければならない。

 天候回復 天気が次第に良くなり青空となる。右側の展望が開け、各峰がくっきり見え、八ケ岳が手に取るようだ。沢の中の石の道となり、ゆっくり登る。バスの中から見えた頂上から縦に走る割れ目のような沢の中なのだろう。振り返ると雪を抱いた山が見える。地図によればどうも木曾御岳のようだ。先の登山者に追い付く。
 12時に、北アルプス等を見ながら昼食を取る。霧氷の林を通過すると、大きな岩石がゴロゴロとした地帯に到着。頂上が近いことを知る。既に、靴に水が浸透し始めて足が冷たい。ズック製の軽登山靴にしたのが失敗。12時44分に、2,530mに登頂、意外に多くの登山者が休んでいた。頂上は広い岩石地帯の最高部で、三角点と祠以外はなにもない。休憩をして、頂上と、360度に広がる連山の中から確認した槍ケ岳等をカメラに収める。

 慎重に下山 靴下を履き替え、ヤッケを着て下山に備える。すぐ、避難小屋で、その北側は新雪以外にも残雪がごっそり残っている。まだ5月でしかも2,500mの高山なので、当然であろう。心配して一応調べたのだが。雪の中足跡を頼りに下り始める。北側の斜面は雪一色でlm以上はあろう。子供の頃にやったかかとに重心を置いてゆっくりと下るも勢いが付き、息が切れる。13時過ぎだが、まだ上りの登山者に会う。軽装の家族連れもいる。将軍平の蓼科山荘前に到着し小憩後、再度雪道を御泉水目指して出発、林の中を抜け出して雪がなくなる迄30分以上を要した。

 バス停を探す 分岐点に着き左が番小屋への道の標識。最初から番小屋に寄るつもりで、迷わず番小屋への道を採る。しかし、倒木が道をふさぎ、最近人が通った跡が見られない程の荒れよう。そのうちに、笹薮の中のわずかな跡を進むも目印の布等も失い一度はコースを外れる。薮漕ぎをして懸命に下ると目印に出会いほっとする。地図や資料には確かなルートとして紹介してあった筈だが。車道と交わる登山口に出ると、ここにも標識がある。番小屋への道が見付からず、またうろうろ。ようやく微かな道跡らしきを探して番小屋。さらに、箕輪平への道が分からず保養施設の間で30分以上を要す。施設で道を尋ねてようやく箕輪平に向かう。途中、からまつ平のバス停でバスを待ち、白樺湖に出て、西白樺湖からタクシーを利用。18時に宿泊先の平野山荘に着いた。(95/5/5 92/100)                                   

追記 想定外の雪で難渋した山である。ゴールデンウィークで、経験者からも雪はないだろうと言われていた。それが新雪であった。8合目辺りから雪に悩まされた。それでも何とか登り切り、下山した。登山経験もなく、若さだけであった。先輩には、引き返す勇気も必要だと言われた。6年の後の夏に再登した(01.7.28)。

JR上越線で30年振りに土合駅でモグラ駅へ下る

 JR東日本大人の休日俱楽部パスの期間が来て、今回も乗り鉄を楽しもうと思う。長年の利用で、JR東日本路線内はほぼ乗ってしまい、行く先は少なくなってしまった。そんな中で、上越線土合駅のモグラ駅を思い出し、土合駅のモグラ駅へ下って上越線越後湯沢へ乗ってみたい。モグラ駅は二度目で約30年振りである(94.7.24)。

 上越線土合駅 新潟県境の群馬の土合駅は特殊な駅で、上越線の駅だが下りはモグラ駅であるが、上りは地上駅である。先に越後湯沢駅へ行き、上越線上りに乗車して土合駅に降り、地下のモグラ駅で上越線下りに乗ることにした。          
 越後湯沢駅は近く、上野駅から新幹線で1時間ちょっとであった。湯沢は未だ雪はない。土樽駅を通過し、谷川連峰蓬峠を越した際この駅から歩いた(12.8.4)。そして、清水トンネル(9,702m)へ入った。三国山脈を貫く日本一長いトンネルとして有名であったが、現在ではどうだろう。そう長いなーとは感じないでトンネル抜け、土合駅に着いた。小雨が降る中、駅舎出ると、山中ではあるが、車の停車もあり、人もいる。駅舎は近代的で積雪対策の建物のよう。寒さは感じない。

 モグラ駅へと下る 発車30分前にモグラ駅へと下り始める。乗り遅れたら次の電車迄は大分時間がある。駅舎からの連絡通路を過ぎて、下りの階段が始まった。約70m下で、486段とある。ここで30年前を思い出した。谷川岳登山後で、疲れた脚で長い階段を下った。その時、“ロープウェイ乗場を経由して土合駅着。下りのホーム迄は500段以上の階段を降り、膝がガクガクの小生はダメを押された。”と書いていた。急な階段ではないが、今回は慎重に下り続ける。段数が書いてあり、ホーム迄の位置を知ることができる。思ったより乗客は多く、若者達は追い越して行く。当地もインバウンドの影響らしい。15分弱で地下ホームに着き、待合室ベンチで休憩。

 越後湯沢駅に戻る 長岡行き電車は時間通りに到着し、乗車。また長いトンネルを走り、新潟県側へ出て、越後湯沢駅に降りた。少し待って上りの新幹線に乗り、清水トンネルへ入った。売店で、ワンカップと柿の種を求めた。現在清水トンネルは、新は上越線下り、旧は同上り、そして大は新幹線と三本あると分かった。(2025/12/10 K.K.1624)

◇日時 2025/11/28 ◇天候 曇り後小雨 ◇交通費 大人の休日俱楽部パス ◇歩行距離等 8000歩 6㎞                                       「通過時間等」自宅9:15-JR巣鴨駅9:52-同上野駅10:21-同越後湯沢駅12:16-同土合駅12:41=同モグラ駅13:41-同越後湯沢駅14:49-同上野駅16:00-三田線巣鴨駅16:14-自宅17:00

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「30年ぶりに槍ヶ岳や雷鳥に再会した奥穂登山」

 松本から上高地 第一日は、松本駅のホームのベンチで仮眠。列車等の騒音で眠れない。
 第二日は、松本電鉄、バスを乗り継いで上高地に入る。登山者、観光客でごった返している。梓川河童橋付近で朝食後、コーヒーを戴いて出発。天気は上々。メンバーの一人は9度目の奥穂登山で初めての天気と、しきりに強調。左手に明神岳が見事に見える。平らな広い道を明神、徳沢、横尾と進む。列をなした登山者等も進むに連れて、次第に少なくなる。横尾で昼食。

 横尾から涸沢へ 横尾大橋を渡って涸沢に向かう。左手に屏風岩の見える緩やかな上りの道を進む。本谷橋から本格的な上りになる。途中、休憩をとりつつ、回りの山々を眺め、高山植物に見とれながら進み、ようやく涸沢雪渓下の分岐点に到着。雪渓は意外と小さい。今夏の暑さの影響だろう。涸沢名物のテント村はカラフルで綺麗だが、数が少ないようだ。 高山植物に囲まれた道を上って涸沢小屋到着。前穂、奥穂、涸沢岳、北穂等からなる岩壁が涸沢を囲むようにそそり立っている。涸沢は正に絶景だが、高い岩壁が我々の行く手を阻んでいるようで、少々怖じけづく。涸沢小屋は満員。狭いのと人の息で暑くて、なかなか眠れない。

 奥穂高登頂 第三日、本日も良い天気。雲もなく紺碧の空だ。奥穂目指して涸沢小屋を出発。ザイテングラードも順調に上る。鎖場も一カ所のみ。涸沢岳や北穂が頭の上に見える感じで、登頂者の叫ぶ声が良く開こえる。その後まあまあのペースで穂高岳山荘到着。1リットル150円の水を補給し、紅茶を戴く。ここからは、前回登山の27,8年前に登ったコースと同じ。その中でも、山荘前の鎖場、はしごは微かな記憶。余程怖かったのだろう。途中、前にはジャンダルム、後ろには槍ガ岳が見事に見える。ジャンダルムは初めてで、垂直に切り立つ岩峰とでも言おうか、山ではない。登る人もいるというから驚きだ。振り返ると槍で、約30年振りの再会だ。奥穂の頂上に立つ。
 前穂に向けて出発。吊り尾根は尾根とは名ばかりで厳しくて長い。緊張の連続で最後は疲れた。昼食後、雷鳥親子に出会う。前回も出会い、殆ど同じ場所のような記憶だ。だいぶ遅れて、前穂下の紀美子平に着く。皆疲れて前穂は断念、前回同様だ。

 紀美子平から岳沢へ下る 重太郎新道を下る。予想どおり、厳しい急降下の連続で、初っ端なから鎖場、はしご。今回は膝は笑わない。我々は、まあまあのペースで下る。それでも、休憩を多めにとったため、岳沢ヒュッテ迄、約3時間を要した。これで、今回の登山も無事帰還と言ったところ。中高年の健闘を称えて握手。下った道筋は見上げるばかりで前穂へ直登するように見え、よく下りたとIさんと二人でまた感心。麦酒を飲み、タ食後入浴をして、就寝。今夜は我々だけの個室だ。

 無事下山 第四日は、朝食後下山開始。札幌から来られた老夫婦と一緒に下る。我々とほぼ一緒のコースの登山とのこと、なかなか元気だ。若い時から鍛えられたのだろう。途中、河原を走るかもしかを発見。風穴(温度計で計ったら9度という。)を通過し、上高地到着。梓川で穂高連峰をバックにして記念撮影。
 新島島、松本、新宿を通って帰京。新島島からはうだるような暑さ。途中、韮崎駅で落雷のため約40分停車し、遅れて新宿着。新宿で反省会をして解散。お疲れ様でした。(94/8/5.6.7.8 91/100)

追伸 私の北ア奥穂登山記録である。二回目であるが、素人が良く踏破出来たものと思う。若かったからでもあろう。それでも前穂は敬遠してしまった。その後は徳本峠から眺めるだけになってしまった(15.7.25)。もう一度穂高連峰を上高地河童橋から見上げたい

江東の木場から深川仙台堀川へ歩く

 江東区の木場から深川周辺の散策情報を入手していた(「我がまち再発見木場編」25.6.12讀賣夕刊)。一度は歩いた地があり、後まわしにしていたが、この度その中からなるべく再訪の地を避け、歩くことにした。木場手前の門前仲町迄は、我が家から一度の乗り換えで済み、安近短である。木場は東西線で一駅だが、歩いても良く、バスもある。

 大横川から 大江戸線門前仲町駅で地上へ出て、バス停を探すと直ぐ来て乗車。木場駅前で降り、永代通り交差点を渡って、大横川を越し左折すると洲崎神社で、初訪ではない(20.3.25)がご挨拶にと境内に入り、手を合わせた。1700年創建の古社で、将軍綱吉の生母桂昌院縁の社とある。左手先に赤い橋が見え、大横川に架かる新田橋であった。橋上へ出てカメラに収めた。近所に住むお医者さんが夫人の供養に架けたとある。袂に船宿があり、海から離れているのにと思ったが、江戸の名残か。

 木場千年の森を探す 次は木場千年の森だが、初めての地で、まず高速下の三つ目通りを横断するのに苦労する。汐浜運河を渡って大回りし、運河右岸を行く。そうしたら千年の森の案内があり、大手スーパーの先に見付かった。庭園の中に樹林帯が広がり、地元の企業が2015年に造営し、関東在来の植物と、池には荒川に住む魚を放流したとある。私は一回りし、ビルに囲まれた大手町の森(24.10.13)を思い出した。紅へ色好き始め、癒しの緑地庭園だろう。園を出て永代通りへ戻る。

 平久川から清澄通りへ 汐見橋を渡り、平久川右岸を遡上する。木場公園の一本手前で、新地である。高速道下で左折し、富岡八幡宮の裏手から清澄通りへだが、距離があった。ようやく大通りへ出て、大きな交差点を渡ると、小津安二郎生誕の地の案内に出合う。有名な映画監督の巨匠であり、一本位は観たと思うが、遠い昔の話である。
仙台堀川へ着き、芭蕉の旅姿の像があった。芭蕉庵を処分し仮住まいした弟子杉山杉風の採荼庵から1689(元禄2)年3月27日(陽暦5月17日)千住へ下り、奥の細道へ旅立ったのであった。二度目で(19.1.23)またカメラに収めた。芭蕉庵跡へは寄らないで、大江戸線清澄白河駅へ歩いた。大横川、平久川、仙台堀川はいずれも運河である。(2025/12/5 K.K.1523)

◇日時 2025/11/24 ◇天候 晴 ◇資料「我がまち再発見 東京木場編」(25.6.127讀賣夕刊)◇歩行距離等 11000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅8:55-大江戸線春日駅9:36-同門前仲町駅9:59-木場駅前10:05=洲本神社10:10=新井橋10:15=木場千年の森10:45=汐見橋10:55=芭蕉像11:15=大江戸線清澄白河駅11:43-三田線春日駅12:00-自宅12:35

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「下りに難渋した茅ヶ岳、金ヶ岳登山」

 今夏の夏山は茅ヶ岳(1703m)とした。同山を最初に知ったのは、山里歩きを始めた頃求めた「中高年の山ベストコース」(山と渓谷社1993年118頁)からである。百名山を著した深田久弥の終焉の地であり、八ヶ岳手前で山容も似て、“ニセ八つ”とも呼ばれ山好きの間では有名な山。今年の4月武田の里を訪ねた時韮崎駅で、登山口迄一本のバスがあるとの情報を得た。Kさんに計画を話したら乗ってくれ、一緒の山行が決まった

 韮崎駅からバスで登山口へ 新宿駅7時発の特急あずさはほぼ満席で中央線を走り、韮崎駅前には深田公園行きバスが待っていた。3組の男女は終点で下車し、各々準備後スタート。直ぐ左手が深田公園。彼の急逝を忍んで設けられたという。深田の言、“百の頂に百の喜びあり”と刻んだ石碑をカメラに収めた(写真上)。次のポイント女岩付近までは、これが登山道かなと首を傾げる程の平坦な道が続く。却って先が思いやられると心配するとその通りとなった。沢になり狭くなった道が、女岩直前から山腹に絡み急登が始まった。私はKさんの後をゆっくりから次第に懸命になり付いて行く。次々若い人達が追い抜いて行くが追う必要もない。小さな肩に上がって休憩。夏山用に、本日水はボトル2本(1本は冷凍済み)を持ち、少しずつ飲んでいる。

 いきなり急登始まり、そして山頂へ 直ぐ深田が倒れた地で、小さな石碑があった。山頂は近い筈だが、岩場も露岩が出始め、時にはストックを前方へ放り、両手も使う。体重が重い上脚が短いのは不利だなと感じながら上がり続けると、頂へ飛び出した。狭い山頂では先行者グループが休憩中。曇り空で期待した展望はない。座る場所を確保し昼食とする。次々と登山者が登頂して来た。金ヶ岳へのルートを確かめ、急降下の山道を下る。何とか鞍部へ着くとまた上りで、自然の石門を潜り(写真下)、岩場上がりを続けて山頂らしき地点へ出たが、金ヶ岳(1,764m)は更に歩いた先であった。先程我々を追い抜いた一行が休憩中。バス時間もあり我々はノンストップで下山路へ入った。

 金ヶ岳下山路に難渋 狭く急な岩場の道が連続。慎重を通り越し必死に一歩一歩を確保しKさんを追う。痩せ尾根では、久しぶりに“滑落注意”の看板に出会った。途中で、先程の一行に道を譲り休憩。この時冨士や周囲の山々を眺めることが出来た。岩場は脱したが、下りの急坂は足掛かりがなく、樹の幹や枝に捕まり、凹みを探しては滑らないようストックを頼りに下り続ける。時間的には登山口だがそのような気配はない。先行者達の声も消えてしまった。
 深い山中を2時間下って、ようやく林道へと出た。ボトルは空になってしまっていた。思わず、“こんなしんどい山2度と登らない”と言ったら、Kさん、笑いながら昨年の至仏山でも聞いたセリフと。未だ下山先明野ふれあいの里は遠く、相談しタクシーを呼んだ。無事茅ヶ岳登山を果たしたが、金ヶ岳からの下りは想定外に手強く、しかも長かった。私の下りの苦手さが露呈してしまったが、それ以上に事前の調査に不十分と反省である。Kさん有り難うございました。(2014/8/3. 90/1000)
             
追記 茅ヶ岳は作家深田久弥終焉の山である。登山口や登山道の途中に碑があった。彼が著した日本百名山は登山ブームを引き起こした。登って私には、金ヶ岳経由の下山コースが記憶に残る。長い、険しいで山道あった。バス時間に間に合わず、タクシーを呼んでしまった。このような山歩きは私には極わずかな例であった。

都電早稲田駅から目白通り、音羽通りへ

 都電で早稲田駅へ行き、大名庭園肥後細川庭園、胸突き坂から目白通りへ出て、それから音羽通りへ歩き江戸川橋へが本日のコースである。殆どは再訪だが久しぶりで、懐かしいポイントも巡りたい。今回も、我がまち再発見・江戸川橋編(25.7.10,17讀賣夕刊)が参考で、都心を巡る安近短である。

 肥後細川庭園散策 三田線西巣鴨駅から歩き都電新庚申塚駅で都電とした。最近都電利用が多い。先日反対側の終点三ノ輪橋迄乗った。今回は逆方向終点の早稲田駅へ、である。JR大塚駅前を通り、池袋東側を走り学習院下から新目白通りへ出て早稲田駅に着いた。本日の最初のポイントは肥後細川庭園で、左折し神田川を渡ると前方に鳥居が見え豊川稲荷があり、先ずは挨拶。境内にケヤキの大木があり見上げた。戻って肥後細川庭園へ入園。細川家下屋敷の池泉回遊式庭園で、中心に池がある。周囲の樹々も色づき始めている。そんな中、池縁の遊歩道から土橋を渡り半周し、雪吊り風景にシャッターを切った。隣が水神社、そして胸突き坂。神社に参拝し、こちらは二本の大銀杏がご神木のよう。目白は台地で、石段坂道を上がり、上から見下ろすと急であった。

 目白グランドの思い出 目白通りへ出て、少し西へ進むと左手に高いネットが見え、運動公園。野球場2面の外テニスコート等がある。旧勤務先関係の施設で、思い出の地。上京時の約60年前職場対抗軟式野球大会があり、私も誘い込まれて出場した。その後パテント杯大会として発展し、江戸川グランドへ移り今年も62回大会が行われた。ここでの大会は4チームであったと思う。試合内容は覚えていないが、終了後の宴会で食事を御馳走になった記憶が残る。芝生となったグランドを外から眺めると文京区営とある。

 音羽通りを上下 目白通りを戻って椿山荘手前で左折し、音羽通りを目指すが住宅街で入り組み、簡単ではない。坂道を下り続け、左折すると大通りで、ここで左折したが間違っていた。鳩山会館への筈だが、逆方向へ歩いてしまい先は護国寺前のようで、慌ててUターン。両側は高台で、音羽通りは谷底のよう。講談社前を通り、大分下ったら左手に鳩山会館の進入口があった。実は二度目で(04.5.5)、御殿と呼ばれる大邸宅への長い坂道を上り館前へ着いたが、本日休館日とある。外から御殿の外観をカメラに収めた。坂道の下りで、脚がヨタヨタしてしまい歩くのが大変な状況。なんとか音羽通りを下り続け、江戸川橋のバス停を探した。本日の歩いた距離は9kmだが、下り坂の所為だろう。(2025/11/26 K.K.1621)

◇日時 2025/11/10 ◇天候 晴 ◇資料「我がまち再発見 東京江戸川橋編」(25.7.10,17讀賣夕刊)◇歩行距離等 13000歩 9㎞                        「通過時間等」自宅9:10-都電荒川線新庚申塚駅9:50-同早稲田駅10:10=豊川稲荷神社10:20=肥後細川庭園10:25=水神社・胸突き坂10:50=目白運動公園11:00=音羽通り11:25=鳩山会館11:45=江戸川橋バス停12:02-三田線春日駅12:10-自宅12:30

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「遂に登った本年目標の山・高川山」

 ここ数年目標の山の一つとして高川山を挙げていた。ゴールデンウィークを前にして、休暇中は先ず高川山を目指すことを第一目標とした。最近続いている丘陵程度の低山とは違い、本格的なハイキングコースとして覚悟した。

 山頂から展望を楽しむ 登山口富士急田野倉駅を9時10分に出発し、11時40分に山頂(976m)に立った。予想通り360度の展望が可能である。北から滝子山、扇山、倉岳山、九鬼山、御正体山、三ツ峠山と西の山まで、多くの山々が取り巻いている。丹沢や道志の山が意外に近い。これまで登った山も見える。広くない頂上で、大勢のハイカーが昼食を取りながら眺望にも目を凝らしている。その中に混じってお握りを広げ、周囲に展開する山を確かめたが、肝心の富士はまた雲の先であった。

 松倉入りコースから 上りは松倉入りコースを採った。このルートが変化に富んで一層高川山を引き立てた。登山口を見逃して30分程ロスしたが直ぐ忘れてしまった。最初は樹林帯の中の溝のような山道であったが、緩やかな上りの路傍には様々な花が咲き、蛇が歓迎してくれた。山躑躅の花を見付け足を止めて携帯のシャッターを押した。
 馬頭観音前で休憩した後、鞍部の先から急登が始まった。滑りやすい坂を過ぎると岩の多い登山道に入った。他のグループと前後しながらも、マイペースで、時々小憩を繰り返しながら一歩、一歩と進んだ。大岩を越して頂上かと思ったら未だ先で、休憩中のご婦人と顔を合わせ、照れ笑いをしてしまった。結局小さなピーク3つ,4つ越し、禾生駅からのコースを合わせてようやく高川山であった。

 麓からは独立峰のように見えるが深い山は手前に複数の峰を従えていることが多い。これでもか、これでもかと小山を越してようやく目標の山となる。山頂到達には難渋するがその分征服感が増すことになる。高川山で久し振りにそんな経験をした。資料では、当地に高川山を貫いてリニア実験線が走っているとあるが、そんな風景には出会わなかった。

 急降下が続く 下山は中央線初狩駅に下りるコースにした。こちらは杉林の中の肩幅程度の登山道。複数のルートが錯綜しているが、右へ右へと最短距離を下る。しかし、男坂と女坂では迷わず後者を選んだ。急降下が続き膝に来てしまったが歩きには支障はない。膝をガクガクさせながらの下りは、最近では、昨夏の白馬鑓温泉で経験した。崩落した箇所はロープに掴まりながら慎重に通過。12時に山頂を下り始めて、初狩駅には13時10分に着いた。上りの半分程度のコースタイムである。タイミング良く上りの電車があった。
 本日のハイキングに満足感を覚えながら帰途に就き、16時前には帰宅できた。その後2,3日脚の筋肉痛が続いた。(05/4/30. 89/100)

追記 高川山は、日本百低名山である(63頁)。1000m弱の山であったが、本格的な山に近く、山頂付近、そして下山路は難渋した。登山口は富士急田野倉駅で、下山は中央本線初雁駅であった。

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「本物のお花畑を初めて見た飯盛山」

 一面満開のお花畑 八ヶ岳の麓、野辺山高原飯盛山(メシモリヤマ)に登った。お花畑に遭遇し、沢山の草花を堪能した。頂上手前、尾根から山頂に掛けて一面に山の花が咲き誇り、記憶できた花だけでも、「アザミ」「ウツボグサ」「ホタルブクロ」「フシグロセンノウ」「マツムシソウ」「アサマフウロ」「クルマユリ」「ウスユキソウ」「クガイソウ」「シモツケソウ」「コウリンカ」「ウメバチソウ」「月見草」「シシウド」など、殆どが帰宅後に調べて名前が分かった花だ。これらが山腹を占領し、赤や紫の花々が乱舞している様を見て、これがお花畑というものかと感動し、下山するのが惜しかった。これまでも夏山で花畑を通ったことは何回もあるが開花中の花は少なかった。中でも、ピンクや紫の「シモツケソウ」や薄紫の「マツムシソウ」は、山頂下から下山途中まで、大群をなして歓迎し見送ってくれた。このような時に限って修理中でカメラがない。「来年また来い。」ということであろうと考え直し、未知の花をスケッチし、メモした。オレンジ色の花「フシグロセンノウ」や濃いピンクの「アサマフウロ」など、初めて見た花が多かった。

 小海線で飯盛山へ 飯盛山は、先輩の推薦の山であった。小生が山歩きをしていると知って、数年前お会いした時、良い山だから是非にと薦めてくれた。理由は伺わなかった。そのことが頭にあり、夏休み中に出掛けることにした。前夜調べたが花が見られる山の中には飯盛山の名はなかった。八ヶ岳や南アルプスを眺めことができる360度展望の山のようである。
 新宿駅から小淵沢駅までは特急を利用し、小海線に入って清里駅で下車。夏休み中で混雑する駅前から平沢橋を渡り牧場を過ぎる。千ケ滝は次回にしカット。長野県南牧村平沢地区先から登山道に入る。林を抜けて沢のような道を上がって尾根の肩に出ると、飯盛山の頂が正面に見え、また、草原に咲く花々に出会う。肩から頂上までは様々な花を愛でながら道草したため30分も要してしまった。期待した山頂[1,643m]からの展望は雲で遮られ近くの街や麓の山野のみ。

 野辺山駅へ下山 心残りはしたがお花畑に別れて、野辺山駅に向けて下り始める。下山路も次々と野の花が現れては楽しませてくれる。平沢峠付近に下りて獅子岩を見物し、ゴルフ場から‘さかさ柏’の木に至る。戦国時、信玄が海ノ口城を攻めた際、陣を張り柏の杖を逆さに突き立てたところ根付いたという。その後は舗道歩きとなり、野辺山駅に出た。近所の少年野球を手伝っていた昭和50年頃、夏の合宿をした地である。駅舎始め駅前周辺は当時とは一変していた。小海線は初めての乗車となった。

 再訪を期待 先輩が飯盛山を薦めてくれた理由が分かった。資料に花の山として飯盛山が紹介されていないことはむしろラッキーであり、いつまでも花の宝庫のままでいて欲しいと思う。是非来夏も訪ねる。高峰高原で池の平を案内して貰った長野の義妹には早速飯盛山の話しを伝えた。(2000/8/16 88/100)

追記 飯盛山は花の山であった。花畑を巡り、眺め夏山を楽しんだ。これが忘れられなくて、二年後再訪し、またまた花々に囲まれ、カメラに収めながら山頂を上下した(02.08.10)。会津若松の史跡で有名な飯盛山はイイモリヤマだが、こちらはメシモリヤマである。飯盛山は、手許にあったJTB刊「首都圏からのハイキング」1998年124頁に登載されていたが、花の山とはない。

都内葛飾亀有にこち亀両さん像を巡る

 また購読紙の“我がまち再発見”からである。今回は、東京亀有・金町編(25.6.19讀賣夕刊)で、漫画こち亀主人公両津勘吉(秋本治作「こちら葛飾区亀有公園前派出所」週刊少年ジャンプ掲載)が活躍した常磐線亀有駅周辺である。10年前訪ねた(15.12.30)が、再訪で、我が家から安近短の地であり、念のため調べると地下鉄千代田線一本で、亀有駅である。

 亀有公園、香取神社 西日暮里駅から地下鉄千代田線に乗ると、15分で亀有駅であった。こちらは縁が薄く10年振りで、北口を出て亀有公園を探す。想定の地に小さな公園があり、ベンチで休憩している両さん像があった。Uターンし駅南口へと常磐線高架下を抜けて南口へ出て、左折し大通りを下る。環七通りで、少し先が神社の境内で亀有香取神社であった。本殿前で参拝し、家族の健康をお願いした。当社の狛犬はで、カメラに収めた。狛は浦和調神社、狛は南浦和氷川神社、狛はふじみ野水宮神社にあった。前回見逃した玄恵井という泉を探したが見当たらない。ネット検索したら現在は石碑のみらしい。

 商店街をウロウロ 環七を渡り返し駅前商店街小路ゆうロードを進み、伊勢屋商店前となる。両さんどら焼きの店とあるが、私は通り越し、両さん像を探す。手許の夕刊掲載の略図では見付からない。伊勢屋前を右折したらその先に両さん像はあったが、夕刊案内の像とは違っていたようだ。

 駅前両さん像に再会 こち亀記念館へと戻り、環七へ出ると先ほどの香取神社のはす向かいの地であったが、表からカメラに写して駅へと歩く。駅前広場で、ようやく10年前を思い出し、おおよその記憶の場所に建つ両さん像を巡った。ようこそ亀有へ像、祭り姿像、そして両さん、中川、麗子三人の像が駅前正面に建ち、カメラに収めた。
亀有駅で帰路を検討したが、柴又を通る京成線は隣の金町駅からで、結局千代田線で大手町経由の三田線とし、少し時間を要したが、乗り換えは一度で済んだ。帰宅して、本日木枯らし一番が吹いたと知った。歩きながら風を感じたが寒いほどではかったと思う。(2025/11/16 K.K.1621)

◇日時 2025/11/3 ◇天候 晴 ◇資料「我がまち再発見 東京亀有・金町編」(25.6.19讀賣夕刊)◇歩行距離等 8000歩 6㎞

私が登った百の名山&低山=甲信越編=「本沢温泉から天狗岳に登り360度の展望を楽しむ」

 大展望 快晴下、標高2600m八ケ岳連峰東天狗岳山頂からの展望は360 度に展開し、存分に高山の醍醐味を味わう。槍ケ岳や穂高連峰、御嶽、浅間山は特徴ある山容から展望図なしに確認。南西には最高峰の北岳、東北には燧岳を見る。両神山を裏側から見るのは初めて。近くでは先週登った烏帽子岳、美ケ原、蓼科山等の山々を展望図と照らし合わせる。直ぐ目の前には八ケ岳の主峰・赤岳、阿弥陀岳の黒い異様な山塊が聳え、赤岳は昨年登ったこと(97.7.6)が信じられない程峻険な高峰。その陰で富士が見られないのが残念だ。これまでも、奥穂(94.8.5)や蓼科山(95.5.5)、湯ノ丸山(96.6.29)で展望を楽しんだことがあるが、それ以上の大パノラマ眺望で飽くことが無く時間が経つのを忘れる程。天候が良くとも遠望が利かないことも多く、今回は正にラッキー。西天狗岳からは諏訪湖が眺められた。

 本沢温泉から 秘湯を巡るメンバーと昨年の湯俣温泉(97.7.11)に続き、八ケ岳山中の本沢温泉を訪ねる。Iさんの車で本沢温泉第二ゲート・天狗岳展望台まで入る。途中崖崩れした箇所があり少々肝を冷やす。車を降り本沢温泉まで白樺等の林の中の道を歩き、約1時間20分を要して同温泉に到着。本沢温泉は我が国第二の高地にある温泉宿(宿の案内では、野天風呂は日本一高地2150mとのこと)で、しかも最低でも1時間歩かなければならない温泉として知られているようだ。野天風呂は宿から5分程上り、谷底にあった。風呂は小さく4,5人で一杯。しかし、頭上に硫黄岳の爆裂火口壁を見上げながら入る温泉は格別。夕食後、明日に備えて早めに床に就く。2000mを超える高地の夜は寒く布団の中で毛布にくるまった。

 天狗岳に登る 二日目 20日は天候良く、体調もまずまず。衆議一決天狗岳に登ることにする。白砂新道を予定したが、誤って先行したSさんを追って夏沢峠を経由する。結局東天狗岳まで追い付けず、我々が同岳山頂に到達した時は、彼は西天狗岳往復を済ませていた。我々も所要時間2 時間30分のところ2時間であったのだから決して遅かったわけではない。根石岳から先は森林限界を超え砂礫と岩場となり北アルプスを思わせる風景。我々も急勾配の岩場を伝い、西天狗岳を往復する。天狗岳は双耳峰であり、西の方が主峰(2645m)のようで三角点は西天狗にあったが、展望は東が抜群。登山者も皆、東の山頂で休憩していた。
 下山は白砂新道を利用。これが新道の名に相応しく無理して開いたようで結構急な上に狭いルート。上りはSさんのお陰でメインルートを採ったがこれが緩い上りで正解と言えたようだ。Sさん、山頂直下の岩場から身軽にすいすいと先行し、下りが苦手な小生を待つこと屡々。それでも11時前に本沢温泉に下山する。歩きながら既に色付き始めた木々の葉を見て、流石に高山の秋は早いことを知る。再度野天風呂に浸かり汗を流した後、帰途に就く。途中で振り返ったら天狗岳には既に雲が掛かっていた。
 本沢温泉で秘湯を楽しむ予定が天狗岳登山も果たし、小生の記録に同岳を加えることができた。Iさん、Sさん感謝する。(98/09/19,20 87/100)

追 記 北八天狗岳に登った。天狗岳は東西に並ぶ双耳峰で、いずれも2600mの高峰である。天候良く展望が抜群であった。写真からも覗われる。還暦前のことで、そう頑張らなくとも上下した記憶である。山麓の本沢温泉は谷間の小さな野天風呂であった。