活火山桜島 黒い岩肌の鋭い岩稜が目の前に迫り(写真上)、異様な光景に圧倒されて、えっ、桜島ってこんな島、火山だっけと、これまで見た桜島と違うではないか。真黒なのは溶岩に覆われているからであろう。草木は一本もない。先程、高速道の車窓から見え始めた時、私は開聞岳かと思ってしまった。小島との記憶があったからだ。Tさんに桜島だと否定された。鹿児島は3度目で、桜島は鹿児島のシンボルであり、錦江湾に浮かぶ火山の小島とインプットされていた。歌謡曲港町ブルース6番は、“女心の残り火は燃えて身をやく桜島 ここは鹿児島 旅路の果てか・・・“とロマンチックである。鹿児島大に赴任した友人のKさんは、市内の全銭湯温泉だが、時々灰が降るのは桜島の功罪と話してくれた。
仙巌園と桜島 桜島は、市内巡りにも付いて回った。カーフェリーからは正面になり次第に大きくなった。島へ上陸し、展望台へ走って貰った。集落を抜けると溶岩堆積原の中に切られた車道で、大きな火山岩がごろごろしている。展望台へ上がると、冒頭のシーンに出会いビックリ。海側は波静かな錦江湾で、展望台には薩英戦争時の艦船配置の案内がある。
薩摩藩別邸仙巌園から見た桜島は見事であった。錦江湾の向こうに聳える桜島は一幅の絵(写真下)。築山、池と見立てとあるが、殿様達の趣味や見識は流石なもの。琉球等からの賓客も楽しんだことだろう。450年後の私も、変わらぬ借景をカメラにも収めた。
最初の訪問時、桜島を一周した思い出があるが曖昧。多分観光バスだったと思う。その時は、開聞岳登山をした翌日、仙巌園を見学し、鶴丸城跡前を通り、指宿の砂風呂にも入った(95.3.18,19)。しかし短時間でそんなに回れたのかと、今になると疑問。
Tさんに市内を案内して貰う 鹿児島もTさんと一緒で、車で案内して貰った。朝宮崎から約2時間で着き、石橋記念公園から始まり、フェリーで桜島展望台を往復し、鹿児島中央駅前で若き薩摩の群像を見上げ、天文館通りを走って、仙巌園を巡り、そして鶴丸城跡であった。幕末、若者19人もが、国禁を破り英国へ留学したという。直前の戦争敵国へで、長崎のグラバーが斡旋し、帰国後の活躍も記してある。鶴丸城跡は城内にも入った。建物はないが、天璋院篤姫の像が建ち、大手門口の石垣には多数の弾痕があり、西南戦争時のもので、凄まじい。今年の大河は”西郷どん”だが、見ていない。
昼食は鹿児島黒豚カツを戴き、最後は空港まで送って貰った。Tさん三日間も有り難うございました。お陰様で、用事も無事済み、三県都巡りも出来、厚く御礼を申し上げます。(2018/03/19 K.K. 1169/1200)
□日時 2018/2/24 □天候 晴 □資料 鹿児島市「鹿児島市中心部マップ」2018 □歩行距離 10km 14,000歩
「通過時間等」ホテル8:25-石橋記念公園10:25-桜島フェリー10:50/11:10-桜島展望台11:25/11:40-桜島フェリー12:00/12;20-昼食12:50/13/10=若き薩摩の群像13:20-仙巌園14:00/14:50-鶴丸城跡15:00/15:25-鹿児島空港18:55-羽田空港京急駅20:40-三田線三田駅21:09-自宅22:00