私が登った百の名山&低山=東北編=「故郷の霊峰月山は花の咲く山であった」

 遂に月山に登った。月山は子供の頃から思い出の中に在る山である。山形盆地の西方中央に位置し我々を見下ろして、登校時も下校時も、毎日同じ山姿で見守っているようであった。春遅くまでも真っ白な丸い山が印象的であった。しかし蔵王登山は盛んであったが、月山は、素人には無縁で遠い存在であった気がする。

 リフトから登山道へ 還暦三人組は、姥沢から往復リフトを利用した。牛首までは姥ケ岳をトラバースするルートで、花畑の中の木道を進み小さな沢を三本越し、左手には雪渓を見た。牛首分岐手前では緩やかな上りに傾斜が増した。多くの家族連れ登山者達と前後になりながら、30分毎に休憩を取り、人気の山を上り続ける。既に下山する者とも出会う。山頂小屋に泊まったらしい。雨の心配はなくなったが、雲が出て、展望はない。
 牛首を過ぎると本格的な山登りとなる。岩場の急登が続き始めた。しかし、登山道は階段状にしっかりと築かれて危険はない。霊山として信仰登山のために確保されたものであろう。本日の登山者にも白装束の姿が見受けられる。難所は一歩、一歩根気強く上り続ける外はない。鍛冶小屋跡で最後の休憩。頂上まではもう一息だ。S君の話では、最近まで小屋は営業していたという。

 頂上神社に参拝 山頂(1,979m)は、我が故郷から眺める山容と同じようになだらかであった。広いお花畑の中の一本道を進むと頂上神社。羽黒山の山伏達が管理に当たっていて、祈祷料を支払せられお払いを受けて最高地点エリアに入ったが、本殿では祈祷中で、三角点を踏むのを忘れてしまった。登頂記念にお札を求めた。山頂脇で昼食中に地震を感じた。結構強く、大山も揺れた。実家に電話すると被害はなく、震源地は宮城県沖という。今回は我が町の里山は見えなかった。十数回登ったS君は眺めたことがあるという。
 下山も上りと同じコース。眼下に広がる緑の絨毯の中に雪渓や花畑を見ながらマイペースで下り続ける。岩場の急降下では、二人に離されてしまった。やはり、2,000m級の登山は久し振りの上、下りは苦手で、慎重にならざるを得ない。それでもそう遅れないでリフト乗り場に着いた。

 花の咲く山月山の峰 月山は花の咲く山であった。先ずはニッコーキスゲの歓迎に驚いた。リフトから降りて歩き始めるとキスゲの黄色の花が目の前に広がっていた。今年は期待した霧降高原では会えなかったので、感激ひとしおといったところ。チングルマやキンコウカ、ヤナギランなどが花畑を占め、道端には濃紫のミヤマリンドウ、白のハクサンチドリ、シナノキンバイの鮮やかな黄花を見付けた。頂上草原にはハクサンフウロやアザミ、ウサギギクが咲き乱れ、食事したのはコバイケイソウの間であった。

 帰宅後調べると、月山はクロユリでは知られ、新・花の百名山(田中澄江著95頁)にも選ばれている。花々をカメラに収めたが、フィルムの巻き上げに失敗して一部が現像出来なかった。残念。 
 念願の月山登山を果たし、予想もしなかった花にも出会い満足して下山できた。年一度の夏山には、コースや時間、厳しさも丁度良い山であった。同行し案内してくれたS、Y両君に感謝する。次は鳥海山にチャレンジしましょう。(20005/8/16 16/100)

追記 月山は我が故郷の中心に聳える名山で、出羽三山の主峰である。なだらかで丸味を帯びた山容は月の山のようで、雪に包まれた季節はその感が強い。昭和23年制定の山形県スポーツ県民歌の冒頭に、“月山の雪紅染めて朗に明けゆく新生日本”とある。山麓は数回訪ねたが、登頂は僅かこの時一回だけ。蔵王山と比べれば、アクセスが良くないし、実家からも遠い。私には、眺める名峰であり続けている。故郷の同級生S、Y君には御所山も同行して貰った。約300年前、奥の細道を辿った芭蕉は、羽黒山滞在中、1689(元禄2)年6月6日(陽暦7月22日)強力に案内され、月山山頂に一泊し、湯殿山参拝したという。“雲の峰 幾つ崩れて 月の山”と詠んだ。