最近芭蕉句碑を追っている。上野駅近辺にもあると知り、山手線鶯谷駅をスタートし、上野公園から弁天堂、そして上野駅前の商店街を訪ねようと思う。弁天堂と上野駅前商店街に句碑があるという。私は、芭蕉句碑は案内板等があって当然と思っていたが、むしろ何の案内や説明もなく、寺社境内外れに放置されている例も多い。
上野公園から弁天堂へ JR鶯谷駅から上野公園へ歩く。右手の坂の先が公園と思っていたが、寺と墓苑で最初から見通しが甘い。左折だろうと進むと、ようやく見覚えのある風景や建物が見え出し、公園の北端のようだ。久しぶりの園内で、樹木が覆い上野の森である。
本日は土曜日で人出がある。博物館前、科学館前を行くと公園案内所があり、マップを貰う。庭園を公開している国立博物館は方向が違い戻るのは、諦めた。小さな野球場があり、正岡子規記念球場。確かベースボールを野球と訳したのは子規だったと思う。
清水観音堂を左手に見て、不忍池側へと石段を降りる。弁天堂参道に芭蕉句碑を探すと、芭蕉翁と刻んだ石碑があった。参拝し、石碑建立の趣旨を社務所の方に尋ねると、調べてくれ不明と書いた文書を示してくれた。
駅伝記念碑 不忍池畔に、駅伝記念碑があった(写真上)。1917(大正6)年奠都50年記念に三条大橋から上野不忍池迄、我が国最初の駅伝競走が行われその記念碑という。私は駅伝観戦が好きで、母校を応援している。先月箱根駅伝予選を通過し、伊勢路を走る全日本大学駅伝でも来年のシードを確保した。正月が楽しみである。
不忍池から下町風俗資料館前を通り、上野公園正面へ出た。当公園は思い出が多い。中学修学旅行で叔父家族と面会した。現在でも、何故か中学同級生との待ち合わせは西郷さん前が定番だが、最近はご無沙汰である。上野駅口で、“ああ上野駅”の歌碑を眺める。集団就職時代のシンボルで、私の中学卒業時にも3月末に故郷から臨時列車が走って、少なくない同級生が上京した。あれから60年である
花の雲句碑 芭蕉句碑を探し、右手の商店街へ進入する。大小の店舗が連なり、キョロキョロしながら行くが見当たらない。隣の通りかなとJR高架下へ出て、上野駅方向へ戻ると左手に石碑が二つあり、1985(昭和60)年東北新幹線上野駅開業記念碑と、芭蕉句碑(写真下)。加藤楸邨揮毫の“花の雲 鐘は上野か 浅草か”が自然石に刻んであった。地元商店街建立とある。それが芭蕉句碑とは少し渋いのではなかろうか。カメラに収め、人通りの多いアメ横を避け大通りを御徒町駅へ向かった。(2021/11/24 K.K. 1420/1500)
◇日時 2021/10/30 ◇天候 晴れ ◇資料 「都立上野恩賜公園案内図」令和3年1月 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 「通過時間等」自宅11:15-JR西日暮里駅12:35-同鶯谷駅12:45=上野公園12:55=弁天堂13:15=上野駅前13:30=上野商店街芭蕉句碑13:40=大江戸線上野御徒町駅13:58-三田線春日駅14:06-自宅14:40 |