勝沼に大善寺へ参拝し勝沼氏館跡を見学する

 最近近郊歩きが続き、遠出したい。三連休の最終日に新宿発ホリーデー山梨を利用し、勝沼ハイクを思い付いた。同列車は小渕沢行きの快速で、停まる駅は少なく速い上に普通料金で、塩山から恵林寺参拝(19.03.24)以来の乗車である。コースは、駅からハイキングの“勝沼ぶどう郷めぐり”で、ワインと展望の里を楽しむとある。コース外だが地図上に勝沼氏館跡を見付け、寄りたい。

 甲州盆地の眺め 早めに着き新宿駅で座席を確保した。思った程は込み合ってはいない。中央線を走り大月駅から笹子トンネルを抜け、勝沼ぶどう郷駅に到着。駅案内所で情報を得てスタート。本日天候良く寒くもなく、ハイキング日和。駅前通りを左折し、早速葡萄棚の間の農道を歩く。高台をトラバースする小径となり、眼下には、南アルプス連峰を背景に盆地が広がり(写真上)、甲府盆地と知る。大半の山々は雲を被っているが右端の鋭鋒は甲斐駒だろう。次のポイント大善寺への案内標識が途切れてしまった。持参のマップと見比べると、直ぐ下の葡萄園を貫いている舗道はなく、最近の道路か。小径をそのまま下るとまた大善寺の案内がありホッとする。
 古刹大善寺の歴史 ようやく旧甲州街道が見え始め、左折すると大善寺は近い。山門下へ回り、石段から山麓の本堂に参拝。古式ゆかしき木造で古刹に相応しく、国宝とある(写真下)。養老年間(717-724年)、行基創建と伝わるという。驚いたのは、戦国期、勝頼が新府城から岩殿城へ退避する時最初に宿泊したのが当寺で、尼であった理慶尼(信玄の従姉妹)が書いた記録が遺るとある。小山田の裏切りに遇い日川上流の天目山で自刃したが、日川が寺下を流れている。

 幕末には、新撰組近藤率いる甲陽鎮撫隊と板垣退助の新政府軍が当寺付近で交戦し近藤軍は惨敗したとある。いずれにも歴史に遺る事件だが、古刹自体は巻き込まれることはなかったのだ。境内に芭蕉句碑“勝沼や馬子はぶどうを喰ひながら”があったが、芭蕉を少し調べている私には疑問で、ネット情報では贋作ともある。
 勝沼氏館跡 寺前から旧甲州街道を歩き、勝沼氏館跡へ。街道裏と教わり進入すると、藁小屋が建ち、当時の家臣屋敷跡とある。中世の城跡で家屋の復元は珍しく、カメラに収めた。裏が鍛冶工房や木製品工房跡とある。その先に、濠と土塁に囲まれた立派な内郭が遺っていた。甲州市の資料によれば、15-16世紀の居館跡で、武田信虎の弟信友が拠点としていたようだ。内郭を巡り、土塁上を歩いた。隣を流れる日川が天然の要害であったろう。また旧甲州街道へ戻り本陣跡の案内を眺め、駅へと坂道を上がり続けるとシャトー勝沼前へ出た。ワイン工場で、ぶどうの丘は対面に見えるが近くはなく寄らないでそのまま駅へ歩いた。駅前には食事処はなく、ワインと菓子類を求め、ホームで上り電車を待った。(2019/11/23 K.K. 1296/1300)

◇日時 2019/11/04 ◇天候 晴 ◇交通費 2,760円 ◇資料 JR東日本「駅からハイキング勝沼ぶどう郷めぐり」2002年112頁 ◇歩数等 16,000歩 11km 
「通過時間等」自宅7:50-JR巣鴨駅8:25-同新宿駅9:02-同勝沼ぶどう郷駅10:45=大善寺11:25/11:40=勝沼氏館跡12:05/12:20=シャトー勝沼前12:35=JR勝沼ぶどう郷駅13:10-同高尾駅14:32-同新宿駅15:15-三田線巣鴨駅15:36-自宅16:05