昨年久しぶりに深川に芭蕉庵跡等を訪ねた(18.9.9)。以前栃木に雲巌寺や遊行柳を歩いて(18.4.8)芭蕉のことも書いたら、読者から栃木にも芭蕉の足跡があるのかとメールが届き、改めて芭蕉を追っていると気付かされ、それ以来おくのほそ道を意識的に歩き、久富哲雄「奥の細道の旅」を求めた。深川からの旅立ち直前滞在した採茶庵(サイトアン)跡を前回見逃し確かめたい。
採茶庵跡の芭蕉像 地下鉄大江戸線清澄白河駅を地下から出て、駅前案内図で海辺橋の通りと確かめ、歩き出す。仙台堀川に架かる海辺橋を渡るとその袂に小さな旅装の芭蕉像があり(写真上)、採茶庵跡と解説板が立つ。芭蕉の高弟でスポンサーとも言われる杉山杉風(サンプウ)の別宅があり旅立ちに備え、芭蕉庵を処分し借宿していたのだ。カメラに収め、橋を渡り返した。
清澄公園へ向かう。芭蕉句碑があり、初めてではない。大通りから正門へ回り込み、珍しくパスモで入園可能。元大名屋敷から財閥岩崎家庭園を経た都立公園で、中心の池には鴨が浮いている。奥に大きな句碑、”古池や かわづ飛び込む 水の音”があり、近くの芭蕉庵跡から移設したとある。池を一回りしながら前回は花友と一緒だったと思うが、何の花か思い出せない。
臨川寺、長慶寺 持参した久富著の深川地図コピーを眺め、臨川寺を探す。寺町のようにお寺さんが多い中、地図上通りに見付かる。常陸国鹿島の根本寺住職仏頂が滞在し、芭蕉が参禅に通っていた庵があったという。その石碑があり、入口近くに建っていた。確かその後仏頂和尚は下野の雲巌寺へ移り、おくのほそ道の途中庵跡を訪ねている。
また大通りへ出て小名木川を渡る。芭蕉庵跡はこの下流だが、今回は寄らない。深川神明宮は、小路を覗いて見付け、隣の幼稚園のお迎え時間で込み合う中、参拝。
大通りへ戻って、地下鉄森下駅のある交差点を渡り、裏通りへ入った先の長慶寺は古く小さな寺で、狭い庭に芭蕉記念時雨塚外、石碑等があり、門人達が建てたという。
芭蕉翁俤塚 最後の予定の要津寺へ大通りを北上し、江東区深川を出て、隣の墨田区両国へ入ったようだ。目安の鮨屋から奥へ入ると右手に目指す寺院はあった。こちらは広い境内で本堂も新しく、山門右側に、芭蕉翁俤塚と古池の句碑があった(写真下)。江戸期後期に、信奉者や蕉門俳人達が百回忌に建立したらしい。区立芭蕉記念館の古池句碑はここのを写刻したという。カメラに収め、今回の深川芭蕉史跡巡りを終え、地下鉄森下駅へ向かった。
帰途に神保町駅で下車し山用品店石井に寄り、ストックを修理して貰った。昨年末奥多摩高水山の下りに使用して伸縮が不可になってしまったが、元へ戻った。(2019/02/03 K.K. 1237/1300)
◇日時 2019/1/23 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス ◇資料 久富哲雄「奥の細道の旅」10頁 ◇歩数等 14,000歩 10km
「通過時間等」自宅9:40-新宿線神保町駅10:25-大江戸線清澄白河駅10:50=採茶庵跡11:00=清澄公園11:10/11:25=臨川寺11:30=深川神明宮11:40=長慶寺11:50=要津寺12:00-新宿線森下駅12:15-三田線神保町駅12:52-自宅13:30 e