長野東御市在保養所宿泊の翌日、帰京の途中に歩く先を思案した。昨日しなの鉄道車窓から眺めた浅間山をもう一度見たいが、義姉に重い土産を戴き、背負って歩くには限られる。駅に預けても同じ駅に戻らなければならない。信濃追分駅から、浅間山の麓の追分宿を歩くことを思い付いた。寒さは、厚着と貼付けカイロで凌ぎたい。
しなの鉄道追分駅へ 朝、玄関から外へ出てみたが、天気は良く、烏帽子岳の頂は白くなっているが、思った程寒くはない。朝食後、弟夫妻にしなの鉄道田中駅へ送って貰い、信濃追分駅へ向かった。浅間山に目をやると、こちら南側からの山容は爆裂跡の複雑な形で、昨日の風景とは違う。追分駅無人の待合室に荷物を置かせて貰い、出発。線路沿いから林の中の別荘地帯へ入り、1人直線の道を行く。この時期別荘には人気はない。寒さは慣れたのかそう感じない。昨日の横川と軽井沢の気温差は、標高約500mの差に起因していると気付いた。
追分宿を上下する 国道18号を地下道で潜り、旧中山道である。途中、木々が邪魔し、浅間山は望めなかった。北国街道との追分地点を目指し、左折すると追分宿。堀辰雄文学記念館は二度見学したので、スルーする。右手に浅間への登山道口を見た。高札場跡や古い木造商家や家屋が往時の宿場を示しているが、開店中の店はない。前回(05.11.3)は開いていたと思うが。追分の地点に至り(写真下)、分かされの碑がありカメラに収める。現在は、現中山道の国道18号が貫き車が往来し、右に分かれる北国街道はその半分もなく、時々車が通るだけ。私は、浅間山を探しに、林を抜けようと北国街道へ入るが林は奥へと続き、その可能性はなく、諦めUターン。
芭蕉句碑に出会う また追分宿内を戻る。左手に油屋旅館を見て、敷地内へ。嘗て堀辰雄や文士達の常宿だったというが、現在旅館は止め、見学可能の案内もオフシーズンとある。先程中山道へ入った地点を越し、左手が追分公園。入園すると芭蕉句碑、”吹き飛ばす石も浅間の野分け哉”があり、更級紀行の帰途だろう。最近芭蕉を追い始め、偶然の出会いにニンマリとする。隣の追分節発祥の地の碑を見て、ここも二度目とはっきり思い出した。当地の馬子唄が芸者衆等を通じ越後から日本海沿いに北上し、最後は江差追分へと繋がったとある。浅間神社は室町様式を伝える古社で、手を合わせた。
大浅間を撮る 国道18号へ出て、直ぐ両側に一里塚跡。記憶にある史跡で、下からカメラを向けた。電車時間に合わせ、次の信号で歩道橋を渡り別荘地帯へ。戻って橋上から浅間はどうかなと思ったが、多分ダメだろうとそのまま駅へ向かう。別荘地を過ぎ坂を下り、駅が見え始めた地点で、左を向くと見えた、あった大浅間が。晴天下、大きな美しい山容が姿を見せている(写真上)。林越しだが昨日感動した浅間の山姿。ベストアングルに満足し、駅で軽井沢行き電車を待った。 (2018/12/12 K.K. 1225/1300)
□日時 2018/11/23□天候 晴 □交通費 2,870円 □歩行数等 14,000歩 10km
「通過時間等」宿泊先9:40-しなの鉄道田中駅10:09-同信濃追分駅10:40=旧中山道11:05=分かされの碑11:15=油屋旅館11:40=追分公園11:45=一里塚11:55=しなの鉄道追分駅12:37-軽井沢駅前12:55-JR横川駅14:10-同高崎駅14:52-同赤羽駅16:35-三田線新板橋駅16:52-自宅17:20