群馬高崎に古い石碑があることは以前から知っていた。それも三つもで、関東ふれあいの道や駅からハイキングコース内にあり、私の里歩きには好適である。高崎駅へは青春18切符利用にも適度な距離であるが、何故か実行に踏み切れない。それは、昨年だけても、3.5回も高崎線を往復し、片道2時間弱の長い乗車や車窓風景にも飽きていたからと気付いた。それでも、今回重い尻を上げることにした。
上野三碑は多古碑から JR赤羽駅から快速に乗車。1時間30分程で高崎駅に着き、上信電鉄線に乗り換え、多古碑の最寄り駅吉井駅を目指した。数年前、上野三碑がユネスコ「世界の記憶」に登録され、各碑間にはバス運行中で、駅前からバスに乗車。多古碑は集落内の公園にあり、お堂内に管理されていた。外からガラス越しに覗き、シャッターを切るが光が反射した。 多古碑は、711(和銅4)年古代上野国に多古郡という名の郡をつくった記念の碑とある。隣に記念館があり、三碑の実物大レプリカがあり、多古碑は笠のある長方形の石碑だ(写真上)が、他の二碑は長丸形の自然石利用のよう。カメラに収めた。
山上碑へ 次のバスの便を待ち、山上碑へ向かう。この間は距離があり、当初からバスを考えていた。バスは山里を巡り、駐車場に着くと、運転手は、左手先と教えてくれた。長い階段を上がり切り、こちらもお堂内保存中の石碑。自動音声で説明を聞くと、681(元号なし)年、長利という僧が母親供養に建てた碑で、隣に古墳があり(写真下)、母親を埋葬したと考えられているという。
山道入口に関東ふれあいの道道標が建ち、予定通り進入。踏まれた平地の道で歩きやすい。金井沢碑まで5kmの石碑の路とも呼ばれ、万葉集の中で上野国を詠んだ和歌の碑が29基も並んでいる。最初は解説を読み、当地から防人に派遣された若者が望郷や留守家族を詠んだもののようだが、途中からは一瞥し碑前を通り過ぎた。
山名城跡の案内があり立ち寄り、堀切跡から上がると山中に削平地があり、戦国前の本郭跡のようで石碑が建ち、建立者木部氏は子孫らしい。帰宅後調べたが不明。
最後は金井沢碑 万葉歌碑も途切れ、大きく右方向へ回り込み林が切れ、谷が見える地へ至りベンチで休憩し、ジャンパーをザックにしまった。下りに入って鎌倉七曲りを過ぎ、橋を渡り、そろそろ金井沢碑かなと思ったが、マップでは未だ先。大通りへ上がり少し下ると、小公園が碑の入口であった。
やはりこちらも屋内に保管され、ガラス越しに眺めるだけ。726(神亀3)年、三家(ミヤケ)という一族が先祖供養と子孫繁栄を願った碑とある。写真は諦め公園へ戻ると、根小屋駅へ10分との案内を見付け、バスを待たずに歩く。道端に咲き揃うハナダイコンに出会う。春の野草で紫の花は上品で好きな花。少し時期が早いのでは思いながらもカメラに収め、三碑を巡り終え、重い足で駅へ急いだ。(2019/04/01 K.K. 1246/1300)
◇日時 2019/3/20 ◇天候 晴 ◇交通費 青春18切符4+770円 ◇資料 高崎市「上野三碑」、JR東日本「駅からハイキング 高崎自然歩道・石碑の路」2003年90頁 ◇歩数等 17,000歩 12km
「通過時間等」自宅8:40-JR板橋駅9:12-同赤羽駅9:39-上信電鉄高崎駅11:23-同吉井駅12:00-多古碑12:10/12:55-山上碑13:20=山上城跡13:30=金井沢碑14:40=上信電鉄根小屋駅15:05-JR高崎駅15:30-同赤羽駅17:15-三田線新板橋駅17:37-自宅18:05