雨が上がり出発 東吾妻山に登った。宿泊した吾妻小舎から頂上まで3時間であった。前日からの雨は止んでいたが、雨後の登山道は最悪の状態。沢となって水が流れ、ダムを造っている。最初は慎重に水溜まりを避けて進んだが、それでも靴に染みこんできた。途中からは半ば諦めて水も厭わず上がり続けた。急坂では滑るのも防がなければならない。一歩一歩上がる外はなく、一層時間を喰ってしまった。
更なる敵は樹林帯の通過。コースの途中で、木々の葉から付着する水で上着のシャツがビショビショになってしまい、着替えざるを得なかった。
湿原へ 地獄のような樹林内の沢登りから救ってくれたのが、湿原。約1時間歩いて森林地帯の中の沢を抜けると鳥子平の小さな湿原であった。長いトンネルから脱出しホットした。次は、岩と泥沢と急登が重なった鳥子平からの取り付きをどうにか上がり切った先が景場平湿原。
池塘が点在し、コバイケイソウが咲き、前方には東吾妻山(1974m)が広がった。僅かであったが快調な木道歩きを楽しんだ。頂上手前の展望台湿原へは急坂と水との悪戦苦闘の末ようやく辿り着き、ワタスゲが出迎えてくれた。高地の湿原でも沢が音を立てて池塘へと流れ込んでいた。
山頂到達 山頂下まで続いた沢とも別れトドマツ林を出ると山頂へ飛び出した。小屋で同宿であった女性二人と同時登頂。我々より1時間後に、反対側の姥ガ原から上って来たという。期待した展望はない。隣の一切経山が見えるだけ。記念写真を撮って下山。こちら側の登山道も同様の状態。少し広く傾斜が緩いだけだ。
いつものように遅れ気味になりながらKさんの後を追う。姥ガ原に下り鎌沼を半周して、酸ガ平は11時ジャスト。浄土平まで約2kmとあって約30分と想定し、バスには間に合う筈。休憩も取らずに下り続ける。昨日、足慣らしに上がった道だ。足下に咲く花や鳥の声も後ろにしながら予定通り、浄土平に到着した。
前日吾妻小富士一周 前日浄土平は雨。夏に入った土曜日だが人出は少ない。吾妻小富士から酸ガ平、鎌沼、姥ガ原を一周した。小富士は傘を指しながら火口を一回り。目の前を小動物がウロチョロ。貂だろうか。この休火口を眺めたのは二度目と思うが、昭和36年の高校の修学旅行であったろうか。
浄土平に戻り、鎌沼から姥ガ原では、花を愛でた。雨で滝となっている沢沿いには遅めのシャクナゲが咲き、沼の畔ではコバイケイソウ、原にはチングルマやイワカガミ、ゴゼンタチバナなどを見付けた。吾妻小舎に宿泊。最近求めた岩崎元郎著「ぼくの新日本百名山」(朝日新聞社刊)で推薦の小屋。前出の女性達の外一グループだけ。食事は、山小屋らしくはなかった。
目指した一切経山には登れなかった。雨後はガレ山で水はけの良いこちらの山を選んだ方がベターではなかったかと少し悔いたが、もう一度チャンスを貰ったと思い直すことにした。Kさん有り難うございました。これに懲りずにまた同行をお願いします。(07/7/21,22 26/100)
追記 雨後、悪路、そして登頂したが、途中の高山植物の花々は半端ではなかった。何故か花の百名山には選ばれていないようである。吾妻小富士は、多分高校の修学旅行時であったと思う。古いアルバムに写真があった。磐梯吾妻スカイラインは少し前に開通して、山形からバスを連ね旅行したのであった。九十九曲がりのカーブで、同じクラブの後輩が前車の窓から手を振ってくれた。その彼女が数年後亡くなったと知った。淡い思い出となった。