私が登った百の名山&低山=四国編=「四国に旅行して祖谷渓かずら橋を渡る」

 土讃線乗車 四国へ行く機会を得た。ちょうどかずら橋の情報に接し、道後温泉に宿泊した翌朝朝風呂を戴いて、迷わず祖谷渓入り口大歩危駅へ向かった。10年前頃、高知から阿波池田を経由して徳島に出たことがあり(94.2.19)、土讃線は2度目で、谷川が走る深い峡谷を車窓から眺めた記憶がある。その時の印象で、四国は狭く特急利用すれば2時間程度でほぼ横断できると思っていた。さにあらずで、坊ちゃん電車で松山駅を出て、同駅から特急を多度津駅乗り換え大歩危駅まで約3時間以上要してしまった。

 吉野川渓谷 大歩危は既に四国山中であった。目の前の深い谷を四国三郎吉野川が流れ、後ろは山が迫る無人駅で、かずら橋へのバスを待った。バスは、山奥の秘境に向けて、くねった山坂をゆっくりと上がり、長いトンネルを抜けて西祖谷村に入った。山の中に集落が点在する中、山腹の急斜面にも家々がへばりつくように建ち、バスの窓からは頭上に見えた。自宅への上下だけでも大変だろうと思ってしまった。平家の落人が住み着いたと言われる。バスはさらに奥深く山峡の地を進み、かずら橋手前に到着。早速橋を渡ることにした。料金が必要だが、片道一回のみ可能という。

 かずら橋を渡る 橋の袂に下りると、かずら蔓で出来た橋は思ったより短く、かつ幅が広い。しかも、底まで10mもない平凡な谷川。微々って足が進まないのではと心配していたがその必要はなかった。
 吊り橋故に揺れる上に、橋板の間隔が開いているため歩き難い。欄干の太い蔓に捕まりながら少しずつ先へ行く。やはり皆、蔓製手すり伝いに歩いている。途中、揺れる中カメラを取り出して、記念に橋や祖谷渓を写した。ようやく慣れた頃には、ほんの50m程度の橋は渡り切ってしまった。

 祖谷そばの思い出 橋側の食堂に入り昼食に‘祖谷そば’を注文。これには思い出があり、登録を巡って争いがあった。大分昔のことだが、登録を有効とした。産地表示じゃないという理由であったと思う。当時ほんの駆け出しではあったが疑問であった。先程来祖谷そばの看板が目に付いている。現在、これだけ多数の店が使用しているのだから、商標問題は既に解決したのだろう。そばはあっさりして空腹には旨かった。

 大歩危渓谷を巡る バスで大歩危に戻り、僅かながら歩いて渓谷を眺めようとした。大歩危峡船下り乗船場にバスを降りた途端待っていたように暗雲が立ち込め、雨が降り出し雷まで鳴ってしまった。駅へ急ぐ外はなかった。傘は差したがびしょ濡れになって、誰もいない駅舎で着替えることができた。(05/5/29 131)

追 記 四国は、かずら橋、大歩危である。唯一の山歩きだろう。大歩危行きの際、土讃線も乗り切ったことが分かった。この帰途阿波池田駅から徳島線で徳島へ出たが、一時甲子園を沸かせた池田高校を思い出した。
四国は数回巡ったが、高松城や宇和島城などの城址巡りと乗り鉄が殆どである。それに四万十川を眺めながら予土線に乗った。