私が登った百の名山&低山=北海道編=「長丁場、岩場と厳しかった最果ての名峰羅臼岳」

 岩尾別口から登山開始 北の名峰羅臼岳は遠かった。俄登山家を簡単には寄せ付けなかった。夏休みに知床の羅臼岳を目指した。岩尾別口から入山し、大沢下まではまずまずに歩いた。
 深い原生林の中の山道を、鈴を鳴らしながら一人前進を続ける。オホーツク展望台を過ぎると羆出没地帯に入り、鈴の音を大きくした。蝦夷鹿二頭に出会う。近づいても逃げず、携帯を向けた。弥三吉水では休憩し、水を補給する。間もなく極楽平を通過。右手先に羅臼岳が姿を現した。仙人坂付近の林が切れた地で、振り返ると知床半島を覆う緑の樹海の先にオホーツク海が広がった。銀冷水でも休憩。青年二人組が追い付いて来た。この辺りまでは急坂はなく、コースタイムの範囲内で歩き、思ったよりは楽に進んだ。

 羽衣峠から羅臼平 羽衣峠を過ぎると大沢であった。前方の岩場に取り付く大勢の男女が見え、彼らが熊避けしてくれたとホットするも束の間、最初の難所。急登の地点とは事前に地図で予想していた。僅かに残る雪渓を見ながら、手も使って一歩、一歩上がる。岩の間には、赤や黄色、そして紫の高山植物が咲いている。チングルマやリンドウの類であろう。長くはない難所を抜けると羅臼平であった。
 這松絨毯の先に羅臼岳の岩峰が聳えている。異様な山姿は岩鎧と資料にはあった。背後には三ノ峰が立っている。三度目の休憩後、いよいよ頂上へ向けるとハイマツのトンネル。何故か頭がフラフラする。出発後3時間経ちそんなに疲れたのかなと思いながら歩を進めるもペースダウン。石清水でまた休憩。岩伝いに清水が落ちている下で、ツアー登山一行が昼食中。

 岩峰に登頂 花畑の先からは頂上下の岩場ゾーンへ突入。ペンキの目印を追って懸命に上がり続ける。可憐に咲く花々が唯一の慰めだ。足を止めては携帯で写す。途中、別のツアー登山者グループが下りて来て、待機。下りが心配になる程の急な岩登りが続く。見上げると最高部には崩れそうな大岩が迫り出している。どうにか登り切って山頂(1,660m)到達。スタートから4時間30分。羅臼平から50分のところ1時間20分も掛かってしまった。頭痛は消えていた。後で高山病を疑った。
 羅臼山頂は狭く、しかも垂直に切り落ち、ペンシルビルの屋上に立っている感じ。知床半島の先端には硫黄岳、左手オホーツク海手前には知床五湖も覗ける。雲から顔を出している右手の山は不明。後ろ手に見えるのは阿寒岳か、もっと奥の大雪山系だろうか。高所恐怖症の小生は、長居はできず、記念写真もそこそこに下山を開始した。

 慎重に下山 岩稜ルートを岩角に手を掛け、尻も使いながらゆっくりと確実に下る。最大難所を脱出して、下り坂に備えザックからストックを出した。腕時計がないことに気付く。戻って探す気力はなく諦めた。石清水で水を飲む。滴も貯まればペットボトルを満たしていて、分けて貰う。羅臼平に戻り一休みして、大沢の岩場を下る。両手も必要なため一度はストックを下へ放った。右足の太股が痙り始めたが、大したことはない。ここで年配者に追い越されるも、ペースを守る。銀冷水、極楽平、弥三吉水と下り続ける。往きは楽に上ったつもりであっが、結構急な下り坂が連なっている。後ろから鈴の音が近付いてきて、先程頂上下で擦れ違った若い女性。水場でも休まず先行した。滑りやすい下り坂にも気を遣いながら、羆危険域を脱し一息入れる。予定より30分程遅い。下山口で北海道音更に住む孫達と待ち合わせている。携帯が通じて遅れると伝えた。最後はヨタヨタと歩いているのは自分でも分かった。結局、目標より50分オーバーで、木下小屋前に下山。ホテル地の涯前で座り込んでいると、K君と孫達が車で到着した。
 羅臼岳は厳しかった。深田百名山ではあるが易しい部類に属し、皇族夫妻も登った山で、難しい山とは考えていなかった。計画では約7時間30分前後とみていたが、実際は8時間30分を要した。それでも、羆にも会わず無事登頂し長丁場を歩き通して、今後高山へも自信が付いたと思う。当日、翌日孫達と温泉や知床の自然を楽しんだ。(07/8/31)

追記 私の夏休みに気軽に出かけ、女満別空港から往復した。岩峰への上下と、長い登山道が大変で、下りは疲れ切ったことを覚えている。その中で、知床半島を覆う緑の樹海の先にオホーツク海が広がる風景が今でも目に浮かぶ。孫達との待ち合わせ時間に遅れたが、孫の一人が途中の昼食場所に帽子を忘れ戻ったため、私より遅かった。今でも知床の話になると帽子の件が出る。私が落とした時計はヒグマが拾い、子熊が遊んでいるだろうか。