最北の高層湿原へ 登山口に車を降り歩き出して少々ビビってしまった。先程山中に入って以来車一台、人っ子一人にも会わない。周囲は深い、深い森林地帯で、羆に注意の看板を見た。登山道には鳥につつかれた子鼠の死骸が転がっている。送ってくれたK君は2時間後に迎えに来てくれる約束だ。数年前やはり北海道野幌郊外の原始林を歩いて心細い思いをしたこと(99/7/9)を思い出したが、同じ蝦夷の地も遙か奥地の深山で、当地でも秘境と呼ばれているようだ。
松山湿原は山の上にある我が国最北の高層湿原。緩やかな上りの道が続き、兎に角頂上を目指す。ゴゼンタチバナの白い花の一群に出会う。北海道のノアザミはジャンボだ。まさかとは思いながらも、熊よけに鈴もラジオも持っていない。僅かな葛折りを繰り返すと木道になって、湿原に飛び出した。山頂には霧が流れていた。資料によれば、松山湿原は海抜797mにあり、約25haの広さを有する高層湿原とある。
風雪に耐えるアカエゾマツ 入口にある長寿の鐘を叩いて、入山したことを告げた。しかし、霧の中に人影や気配は窺われない。湿地帯に繁るアカエゾマツは成長が妨げられ一定方向に傾き、永年の風雪に耐えて生き抜いていることを示している。幹回り1cmの成長に約20年を要し、現在の樹齢は推定300年という。木道傍にはタチキボウシの薄紫の花が続き、白のワタスゲは風で千切れている感じ。濃紫の蕾はホロムクリンドウのようだ。木道も朽ちかけて小生の体重では心配な箇所もある。
えぞまつ沼に着きベンチに腰を下ろして小憩にした。沼越しにカメラを向けた。つつじ沼からはいまつ沼を巡った。沼とはいっても小さな池塘だ。はいまつ沼は、既に半分近く草に覆われていた。
湿原を一周して入口に戻るとカップルのハイカーが登って来た。フィルムをカメラに収め、湿原やそこに咲く花々を写し終えて下山した。途中、夫婦やグループの登山者と交差し挨拶を交わす。本日は土曜日でこれからが入山時間なのだ。私は1時間ほど早かったらしい。やはり蕗やイタドリも北の地のものは一回り大きい。ウドのような大柄な植物はエゾニューと後に家内に教えて貰った。上りに見付けたゴゼンタチバナは反対側にも群生していた。ヤナギランやシモツケソウも見付けた。
無事下山 登山口に下りると駐車場に数台車があった。登山者カードがあり下山したことを記録し、天竜沼へ下りて戻ると家内がいて、迎えに来てくれた娘夫婦達が到着したことを知った。何故か駐車場広場には某国会議員夫妻の記念碑が建っていた。
今度は長女夫婦に誕生した孫満1歳のお祝いに家内と渡道した。孫は既にトコトコと上手に歩き始めていた。松山湿原を歩いた後、K夫妻の案内で、雄武町日の出岬ホテルでオホーツク海を眺めながら温泉に浸かり汗を流した。翌日は一転して山の下川町五味温泉に出湯を楽しんだ。(2003/7/26 6/100)
追記 松山湿原は、我が国最北の自然のままの高層湿原であった。長女家族は、その後音更に移転し、美深との縁は切れてしまった。それにしても美深は遠かった。旭川空港から旭川駅へ出て、特急で1時間以上要した。国会議員の記念碑の件、偶々ご子息の大学教授と研究会で一緒になり、尋ねたら政府高官時代予算措置を講じたからと教えてくれた。
北海道編はおしまいである。函館山は、日本百低山に選ばれている(小林泰彦「日本百低山」文春文庫30頁)が、せめて下りは歩こうと思っていたが、ロープウェイを利用してしまった。