会津若松からJR只見線を乗り切る

 会津若松駅6時8分発小出行き列車に乗車(写真上)。駅前宿泊先から30分前に停車中の列車に乗り込むと既に満席に近い状態。私と同じような高年者が殆どで、通勤や通学の地元の方は見当たらない。只見線は、豪雨で寸断されていたが、昨秋11年ぶりに復旧し、人気路線なのであろう。新潟の小出行きが朝、昼、夕方の三本しかないのが混雑に拍車を掛けている。列車は満席に立ち客を加えて、定刻通りに発車した。

 会津坂下駅から秘境線 本日は、只見線の乗り切りとした。3度目の乗車だが、最初は小出駅から只見駅、そして会津川口駅から同若松駅で(18.8.18)、2度目は只見駅から会津川口駅(22.10.12)であった。今回は上り列車で完全乗車である。
 若松市郊外へ出て、水田地帯。黄色に染まった稲穂群が見える。振り返ったが磐梯山は見えない。雲の裏のようだ。会津坂下駅を過ぎ、列車は坂を上がり始め、山中となった。山間の小さな無人駅に停車を繰り返しながら、奥へ奥へと進んだ。奥会津も秘境の地で、乗客の乗降はなく、7時を過ぎた頃高校生らしき若者の乗車があった。

 ダム湖と鉄橋 右手にダム湖が見え始め、鉄橋ではスピードを落とし、ゆっくり走った。霧が見え私もカメラを向けた(写真中)。そして会津川口駅に着いた。停車時間が長く降車すると、駅舎は見覚えがあった。
 鉄橋を渡る度、落ちたのはここであったかと眺めるが車窓からでは不明。鉄橋鉄材の新旧を見ると新品らしき鉄材使用の橋を通った。本名付近の第六橋梁か。川から離れ、また山中を走り、駅舎の反対側は山林で崩れそうな高い土手が線路に覆いかぶさるよう。
 会津塩沢駅手前で、河井継之助記念館の案内が見えた。幕末の長岡藩家老で、北越戊辰戦争に巻き込まれて敗れ、会津へ逃れる時八十里峠を越したが、戦傷がもとで、当地で終焉を迎えた歴史上有名な人物である(写真下は只見駅で写す)。只見駅で30分停車。観光列車並みで、駅前広場へ出て休憩し、3度目の只見駅付近は記憶にあった。

 只見駅そして新潟側へ 只見駅から長いトンネルを通過し、新潟県へ下った。渓谷沿いを過ぎ山麓の地ではススキやそば畑が見えて、魚野川を渡り小出駅。135.2km 36駅、4時間を越す長い乗り鉄も終わった。
 今春から新潟に住む孫と会う予定で、上越線を待っていると雨で大幅遅延の案内。信越線や越後線は不通で、線状降雨らしい。一応新潟へ向かうがメールして断わり、諦めた。孫から返信あり、私は、新幹線で帰京した。小出駅前で地酒緑川を求めた。(2023/9/28 K.K.1525)

◇日時 2023/09/06 ◇天候 晴 ◇交通費 JR東日本大人の休日俱楽部パス ◇資料 「JR只見駅MAP」 ◇歩行距離等 6,000歩 5Km
「通過時間等」 宿泊先5:30-JR会津若松駅6:08-同会津坂下駅6:42-同会津川口駅8:05-同只見駅9:07-同小出駅10:41-同新潟駅12:09-上野駅14:30-三田線巣鴨駅14:49-自宅15:15