江東二神社に芭蕉句碑を訪ねる

 ネット情報に芭蕉句碑リストの搭載があり、都道府県別である。先人に感謝しながら時々覗いている。最近の都内歩きの大半で蕉句碑を追っているのは、同リストに依存している。江東の大島稲荷や富賀岡八幡にもあることが分かったが、2004年に一度訪ねている。その頃の感心先に芭蕉はなかった。再訪し芭蕉句碑を確かめようと思う。調べると前回の時のマップがあった。

 句碑女木塚 大島稲荷神社の最寄り駅は、都営新宿線大島駅。我が家からはアクセス良く、神保町駅乗換で、1時間弱で歩き出す。丸八通りを東進すると5分程で神社であった。小名木川手前にあり、通りから境内へ入ると地元の方が作業中。茅の輪を造っているようだ。
 参拝し句碑を探すと、作業中の方が教えてくれ、入口左に芭蕉像と句碑女木塚があった(写真上)。案内には、元禄5年(1692年)、深川から小名木川を下って門弟の桐奚宅を訪ねる途中で当社に参拝し、“秋に添て行はや末は小松川”の句を詠んだとある。芭蕉庵は小名木川、隅田川合流付近にあったのだ。新しい碑も建ち、五月雨を集めて…の句で、奥の細道300年記念という。カメラに収め、小名木川沿いに歩く。久しぶり眺める川は記憶より広い。江戸も家康時代開削された旧中川と隅田川を繋いだ運河である。

 大石家住宅 次の仙台堀川公園へは、川を歩道橋で越した。古民家大石家住宅がある筈だが、意外に距離がある。残る紅葉を見上げながら、細長い公園を行く。そして見覚えのある茅葺古民家(写真中)に着いた。江戸後期築の家で、半農半漁暮らしであったとある。

 富賀岡八幡 葛西橋通りを渡り、少し先の交差点を右折。そろそろ八幡様があるとの山勘が当たらない。右奥に神社の屋根が見え、正面へ回り込むと静かな住宅の間に富賀岡八幡は鎮座していた。こちらも氏子の方々が作業中。神殿に挨拶し句碑を探すと、建設中の仮設通路脇に見付かった(写真下)が、カメラを向けにくい。“目にかかる雪やしはしの渡り鳥”とあるようだ(目を日、雪を雲とする句集もある)が、上手く写ったかは運に任せ。裏の富士塚を見上げだが、初めてのようだ。再訪の自信があったのだが、記憶にあったのは別の富士塚だろう。
 都営新宿線東大島駅迄戻るつもりであったが、永代通りにバス停を探す。大分歩いて錦糸町駅行きバスに乗れ、途中下車し都営新宿線住吉駅から帰宅した。
 先ほど仙台堀川公園付近で北砂の地名に出会い、叔父宅があった地で数回訪問していたが、思い出せたのは砂町銀座だけで、位置も分からなかった。叔父家族が引っ越したのは大分昔になってしまった。(2022/1/7 K.K.1427/1500)

◇日時 2021/12/12 ◇天候 晴れ ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 昭文社「東京都市図41亀戸、53砂町」2004.4版 ◇歩行距離等 11,000歩 8㎞ 「通過時間等」自宅9:15-新宿線神保町駅9:57-同大島駅10:15=大島稲荷神社10:20=仙台堀川公園10:30=大石家住宅11:00=富賀岡八幡11:35=南砂バス停11:55-都営新宿線住吉駅12:20-三田線神保町駅12:40-自宅13:20