歴史の街佐原を歩く

本棚から旅の本を引っ張り出し眺めていたら、歴史の街として、千葉の佐原が挙げられている(旅行読売「ひとり旅」26頁)。我が家から近くはないが遠いと言う程でもない。私愛用の”駅からハイキング誌”にも、小江戸佐原があったことを思い出した。直ぐ連想しない処が、年齢を感じざるを得ない。今回は、千葉の番とし、佐原へ出掛けた。

 忠敬像は? 日暮里駅で京成特急に乗り換え、成田駅でJR成田線へ乗り継いだ。佐原駅に着き、手許のマップに従い、諏訪神社手前の伊能忠敬像へ向かう。佐原と言えば忠敬で、先ずはご挨拶。駅から真っ直ぐに進み鳥居を潜り、そろそろ像かなと広場へ出ると、像はシートで囲われ修理中、残念。
隣の諏訪神社へと坂道を上がり、境内へ。石段を昇って本殿へ参拝。大分歴史のある古社のようだ。また石段を下り長い参道を出て、佐原の街へ入る。マップでは寺や山車庫がある通りだが、寺はあるが山車庫は見当たらない。法界寺の門前に庫はあった。夏と秋の佐原の大祭は有名で、豪壮な山車が繰り出されるとある。

 歴史の街の象徴商店街 街中心へと左折すると、酒造会社が二軒。その一つが東薫酒造。エッここが東薫さんとビックリ。古い商標事件があり(東京高裁S28.10.20判決)、商標「東薫」の読み方が「トウクン」か、「アヅマカオル」かで争われ、私が修業時代の研修題材であった。店舗をカメラに収め、中心街へ。古い木造2階建ての商家が両側に連なり営業中で(写真上)、また驚く。江戸時代へ戻ったような商店街。実は、約20年前、飯岡開催のかぼちゃ会参加途中、家内と訪ねた(96.4.6)が、記憶から消え去っていた。資料では、江戸期ではなく明治期の建築とある。直ぐ、小野川に架かる忠敬橋。ここで、少し記憶が蘇った。川の両側にも、古い商家が並び、右岸の大きな建物が旧忠敬邸である。川には舟が係留され(写真中)、水郷であったことも窺われる。カメラを構えながら、岸を往復し、忠敬邸見学。二度目だがうっすらと思い出す程度。忠敬は、現在では測量や地図で知られているが、それは隠居後のことで、その前は、当地で醸造業や舟運業を営んでいた旧家の10代目当主であったという。裏には小さな像が建ち(写真下)、シャッターを切った。邸前で、水を噴出している樋橋に出会った。

 三菱館から再び小野川沿い 忠敬橋へ戻り右折し、中心街を進むと、三菱館という大正3年築レンガ造りの元銀行。佐原の商都としての発展を示している。遠足の小学生一行に付いて、八坂神社から山車会館。会館は省略し、また中橋から開運橋へ柳並木の小野川沿いを下る。そして、佐原駅であった。途中、家内とうなぎ屋へ入った筈と、見渡したが見付からなかった。帰途の車内から、佐原出身のかぼちゃ会メンバーに、佐原訪問をメールしたら、歴史の街は一画のみと返信があった。(2018/11/11 K.K. 1219/1300)

□日時 2018/10/25□天候 晴 □交通費 2,520円 □歩行数等 12,000歩 9km □資料 山と渓谷社「駅からハイキング 小江戸・佐原の歴史散策」2003年114頁
「通過時間等」自宅8:35-JR巣鴨駅9:00-京成日暮里駅9:18-JR成田駅10:41-同佐原駅11:15=諏訪神社11:30=忠敬橋11:50=旧伊能邸12:05=八坂神社12:15-JR佐原駅12:54-京成成田駅13:39-都営新宿線本八幡駅14:32-同三田線神保町駅15:05-自宅15:40