栃木に古峯神社から皆川城跡を巡る

 栃木の歩く先として、以前から皆川城跡を考えていたが、栃木市の郊外でアクセスが悪く後回しにしていたがそろそろとSさんに車をお願いし、オーケーを貰った。鹿沼の古峯神社も入れたい。少し距離があるが車なら回れると想定した。最近鹿沼市内に芭蕉の笠塚があると知り、そちらも寄って貰おうと思う。

 山奥の古社古峯神社 東北自動車道路を鹿沼へ降り市内を抜け、山奥向けへと走った。郊外へ出ると古峯神社の石門柱があったが、そこからも田園地帯から山裾を通って、大鳥居の下を経て山中の道になり、ようやく神社前であった。それでも車は速く、我が家から約2時間。
 門前土産店前から境内へ入り、橋を渡り石段を上がって社殿へ。参籠も出来る茅葺き社殿は広く(写真上)、800人宿泊可能とあり、殿内参拝のよう。現在も800の講もある古刹大社。既に本殿前大座敷には先客グルーブが居て、お祓いを受けている様子。終了を待ち中央へ進み、我々も参拝を済ます。記念に天狗が描かれたお札を求める。日本武尊が祭神でその使いが天狗という。二度目だ(99.7.20)が、殆ど記憶にはなく、前回は関東ふれあいの道“修験行者のみち”を歩く前に安全をお願いしたが、今回はその名や鹿沼山奥の古社に惹かれ再訪になった。土産店で、次の市内光太寺の情報を得て、鹿沼市内へ戻る。

 芭蕉笠塚へ 私の事前調査より、カーナビは正確で、鹿沼市内の東武日光線高架手前右手に、目指す光太寺はあった。当寺には芭蕉の笠塚があると前回北千住を歩いて知り、急遽、Sさんに立ち寄りをお願いした。芭蕉達は千住から日光への途中鹿沼にも泊まったがおくの細道への記述はないようだ。当地の口伝では、光太寺に泊まり笠を取り替えたという。その後芭蕉死去を伝え聞き、遺っていた古笠を祀ったとある。本堂入口にその石碑があり、カメラに収めた。芭蕉の木造像も建つ(写真中)。鹿沼は木工の町でチェーンソウ加工の像である。

 皆川城は小山だが 鹿沼を出て、栃木市内外れの道の駅で昼食後、城跡を探す。私の予想とは違い大分走って皆川地区へ至り、城山下に着いた。城跡は法螺貝城とも呼ばれる鋭鋒の小山全体からなり、七段構成の腰曲輪が山腹を巡っているのが下からも窺える。
 戦国期皆川広照支配で知られ、宇都宮氏との攻防を経て、後北條氏の傘下に入り、家康の勧めで秀吉に下った後家康に本領安堵されたという。山裾から竪堀があり(写真下)、途中まで上ったが急坂が続き、そこでシャッターを切り、山頂の本郭跡は諦めた。私の城跡巡りでは、初めてではあるが、無理は禁物とSさんと頷き合い、帰途へと栃木ICから高速に乗り、Sさんが指す右手方向を見ると、皆川城跡の本郭跡展望台が望まれた。(2020/02/28 K.K. 1314/1400)

◇日時 2020/2/11 ◇天候 晴 ◇資料 皆川地区街づくり協議会歴史文化部会「皆川の歴史と文化」平成27年3月 ◇歩数等 9,000歩 6km 
「通過時間等」高島平8:50-鹿沼古峯神社10:55/11:30-同光太寺12:05/12:15-西方道の駅・昼食12:40/13:10-皆川城跡13:35/13:55-自宅15:10