週末に、木曽御嶽山麓へ出掛けることになった。Sさんの車便乗である。6月鳥海から蔵王を巡った時、車中でSさんから話があり、同行をお願いしていた。それが実現し、宿泊先も確保したと連絡があった。最近朝が弱く、私の希望で5時出発にして貰った。
中央高速から中山道へ 木曽へは中央高速である。車は速く、都内から高尾山を過ぎ、相模湖を見たと思ったら、次の休憩は諏訪湖畔であった。伊那高遠経由の予定であったが、ナビの指示で塩尻から中山道へ入った。奈良井宿に寄って、木曽福島先から右折し木曽谷を渡り、広く深い山麓を上がり続け、ロープウェイ下駅に着いた時は9時30分であった。
御嶽山7合目飯森高原 先程来、御嶽山を見上げているが、残念ながら、本日雲の中。剣ヶ峰,摩利支天山、継子岳の内見えるのは手前の継子岳のみ。八ヶ岳付近から遠望する御嶽山は平らに見えるが三峰が並んでいるからのよう。ロープウェイはゴンドラ型リフトで、上駅飯森高原まで15分も要した。2,150mの7合目は、本日も登山者は多く、山中森林へと消えていく。我々は、飯森高原散策。紅葉色の灌木もあるが、高山植物も残る。アカモノか。御嶽社に参拝。反対側の展望はあり(写真上)、高山、低山が連り伊奈境の木曽駒もあろうが、地理不案内で分からない。
開田高原へ回ってくれた。高原の開拓地とはいえ、広い山麓に牧場や集落が散らばり、見える馬はご当地木曽馬であろう。木曽福島迄下るのに一走りで、約20km位か。駅前に食堂を見付けるのに一苦労し、昼飯は、私は五平餅付きにした。
寝覚の床の思い出 隣の上松宿の寝覚めの床へ回って貰う。上松に着き、臨泉寺境内から木曽川を覗く。中央線の先に、白い岩崖や大岩が重なる渓谷景観である(写真下)。竜宮城から戻った浦島太郎が当地に辿り着き、ここで玉手箱を開け老人になったとの伝説の地という。私は、古い思い出がある。大阪から長野行き特急に乗り車窓から眺めた微かな記憶があるが、本日眺めなおし、50年前の風景を戻した。境内には、芭蕉句碑“ひる顔に ひる寝せふもの 床の山”があり、更科紀行の折りの句か。
また木曽福島手前から山麓へ戻り、宿泊先を通り越し、田の原の王滝登山口へ上がってくれた。こちらも、御嶽山は雲に覆われ見えないが、大きな裾野が見え隠れし、雄大さが窺える。明日の天候に期待する。
早朝の奈良井宿 朝木曽福島の前に、奈良井宿を歩いた。2度目の私は(17.11.28)、Sさんを案内。未だ8時で、目覚めたばかりの宿場は静寂、新鮮で、誰もいない旧中山道奈良井宿を往復した。木造町家や旅籠がびっしり並んでいるが、木工細工や塗り物細工等の土産店は未だ開店前。私は、再感激したが彼はどうだろう。本日スマホ歩数計には10kmと出たが、そんなに歩いたのであろうか。宿泊先では、入浴後の夕食で、私は馬肉と岩魚を肴に地酒七笑を戴く。岩魚は当然天然ものであった。下戸のSさん御免なさいである。(2020/10/18 K.K. 1353/1400)
◇日時 2020/9/27 ◇天候 晴れ ◇交通費 ロープウェイ2,600円 ◇歩行距離等 10km 13,000歩 ◇資料 成美堂出版「日本百名山 御嶽山」136頁「通過時間等」高島平4:55-奈良井宿8:05/8:35-御嶽ロープウェイ下駅9:45-同上駅10:05/10:25-同下駅10:45-木曽福島(昼食)11:35/12:20-寝覚の床12:45/13:15-御嶽田の原14:30-宿泊先15:00 |