新聞都内版に、江東の運河にある汐風遊歩道に白木蓮が咲き始めたとの記事を見た(3.8読売)。数年前ハクモクレンの花を知り、浦和に訪ねて魅せられた。青空の下に咲く純白の花は映えて美しい。それ以来春になると目に付き、我が団地内にも咲き眺めている。汐浜運河の近くに、洲崎球場跡があり、プロ野球草創期の球場で確かめたい。
洲崎球場跡を探す 江東区東陽町での用務が終えた昼過ぎスタートし、新砂地区に、ネット検索した洲崎球場跡を探す。現在では碑があるだけらしい。大通りから運河方向へ右折し進んだが見当たらない。通り一本先かなと方向を修正し、運転免許試験場前へ出て行くと、道端にやや大きめの碑があった(写真上)。1936(昭和11)年、巨人対タイガースの優勝決定戦が行われた球場で、あの沢村と景浦が投げ合ったようだ。海傍で満潮時には海水が浸水した時もあるという。数年後には撤去されたとある。折しも3月23日が川上哲治生誕100年で、記念試合開催の記事を見た。彼は、少し年代が違うかなと思ったが、ネット情報では、1938年プロ入りし、デビュー戦が当球場とあった。
終わっていた白木蓮 先へ進み大通りへ出て、新砂橋袂から汐浜運河側道に降りる。狙いの汐風遊歩道だが、白い花は見えない。木には花弁一片も残っていない。遅そかったかなとは思ったが、今年は特に暖かく例年とは違うと思い知らされてしまった。有色モクレンを見上げ、遊歩道を歩く。運河風景は河川とは全く違う。幅は一定で、水は動いていない。両側には高いビルや建物がびっしりと並び続いている(写真下)。大きな水門で行き止まり。遊歩道は続くとの私の想定は誤り。戻って橋から木場地区へ降り、洲崎神社は、予定の地に見付かり参拝。参道右側に、津波警告の波除碑があった。1791(寛政3)年の大津波で被害があり、幕府は当地付近を買い上げ空き地にしたという。
鉄砲稲荷は南北宅跡 木場から牡丹へ歩き、先日訪ねた鉄砲稲荷神社へ脚を伸ばす。稲荷神社は鶴屋南北宅跡と知り確かめたい。少し距離があったが、途中から見覚えある街角になり、前回は随分戸惑ったが今回はすんなり鉄砲稲荷へ辿り着いた。手を合わせ、見回すと左手の壁に、南北宅跡の案内があり、カメラに収めた。見逃したのか、忘れたのか何れも加齢の所為と思う。
更に歩いて永代橋手前の、赤穂浪士休息の地碑までとも考えていたが、ギブアップ。脚に疲れを感じ始めている。最近感じることが多く、これも年齢の影響かな。これでは春から秋に掛けての山歩きは心許ない。週一出掛けるペースの変更だろうか。 (2020/04/13 K.K. 1320/1400)
◇日時 2020/3/25 ◇天候 晴 ◇交通費 シルバーパス利用 ◇資料 「青空の下純白 ハクモクレン」(2020.3.8読売) ◇歩数等 14,000歩 10km 「通過時間等」用務先12:15=洲崎球場跡碑12:35=新砂橋・汐風遊歩道12:45=洲崎神社13:25=牡丹町公園13:45=鉄砲稲荷神社13:50=大江戸線門前仲町駅14:04-三田線春日駅14:24-自宅15:05 |