山形最上川沿いに芭蕉史跡を辿る

 山形鳥海山麓へ行くからどうかと、Sさんに誘われた。最近奥の細道を辿り始め、山形では新庄と本合海が未訪で、今年の候補先にしている。車のSさんに、新庄付近で降ろして貰らえればと、同行をお願いした。Sさんは翌日新庄の予定という。山形の読者が送ってくれた地元紙の細道情報も持参。今回の自粛も、都府県境を越すお出掛けが、前日解禁された。

 予定変更し清川へ 深夜、車は埼玉、栃木と東北自動車道を北上し、福島から山形道へ入った。山形市内だが7時前で、庄内道へ左折し月山山麓を過ぎ庄内が近づくも、鳥海山は雲の中。肝心の展望は望めそうもない状況。私は、明日の天気予報を見て本日の予定を変更し、清川から新庄へはどうかと提案。Sさんが了承してくれた。羽黒山門前町から最上川沿いの清川へ。車は速く、小さな集落清川には8時過ぎに着いた。芭蕉上陸地は小学校跡の隣にあり、江戸期清川関所があった地で、堤防の下(写真上)。新庄本合海から乗船した芭蕉達は、1689(元禄2年)6月3日(陽暦7月19日)、関所でトラブルがあったが上陸出来、出羽三山へ向かった。句碑と芭蕉像があり、“五月雨を 集めて早し 最上川”で、大石田では、“涼し”であったが、“早し”へ改めたのは乗船後である。カメラに収めた。清川は、帰郷の折羽黒山三山神社参拝へ家族で来た時以来で、当時の写真から34年前と分かった。
 芭蕉、曾良の像のある本合海 最上川沿いに、本合海へ向かって貰う。左手に大河を眺め、右側には陸羽西線が狭い山裾に続く。昨年鳥海山麓を訪ねたSさんは、山中の林道を走り真室川から新庄へ出たという。カーナビの指示で、最上川には出合わなかったと話してくれた。大河は山形盆地を北上し、西の庄内平野、海へと方向転換する辺りが本合海。左手に白い崖が見え始め八向の楯の地で、持参資料にある(19.6.17山形新聞)。
 大橋を渡り集落内の最上川縁に、乗船の地は見付かった。新庄に2泊した芭蕉は、地元の俳人達に見送られたという。曾良との2人像があり(写真下)、ご当地東山焼製。歌碑・句碑が多く、子規や茂吉、金子兜太達も来訪し、詠んだようだ。最後に新庄市内へ向かって貰う。

 新庄市内に句碑二つ 地図を眺めているとバイパスを走っているようで、句碑のある柳の清水は近い。JR線高架下から市内外れに見付かった。“水のおく 氷室尋る 柳かな”だが読めないのは良くあること。近くに羽州街道鳥越の一里塚があった。市内中心の市民プラザの庭にも、“風の香も 南に近し 最上川”の句碑があった。二句とも新庄で詠んだもの。これで、本日の私の予定、否今回の山形訪問は充たされた。Sさんに大感謝である。
 車での移動は順調で未だ午前中。昼飯は、清川へ戻り、先程見付けた食堂で蕎麦と地元食麦切りを戴いた。太い素麺のようだが、腰があり旨かった。私は、羽黒山麓に泊まるSさんに別れ、清川駅からジーゼル車で、酒田へ。時間があり、最上川河口付近にある日和山公園を往復し、芭蕉像をデジカメに写した。前回眺めた(15.4.27)が、写真はない。明日の好天を期待し、駅前ホテルに投宿した。(2020/07/11 K.K. 1334/1400)

◇日時 2020/6/20 ◇天候 曇り ◇現地交通費 910円 ◇資料「おくのほそ道の風景地 本合海」19.6.17山形新聞 ◇歩数等 12,000歩 9km 「通過時間等」自宅高島平3:00-月山湖付近7:30-羽黒山門前町8:00-清川8:30-本合海9:20-新庄柳の清水9:45-同市民プラザ10:15-清川(昼食)11:00/11:35-JR清川駅11:48-同酒田駅12:30-日和山公園13:50-駅前ホテル15:10