所内旅行2日目、私は幹事設定コースに参加した。尾道観光が入っていたからである。尾道の地名は子供の頃から知っていた。父が、祖父の姉・伯母を迎えに、東北の片田舎から尾道を往復したことがあり、確か私が小学1年生、昭和26年のことであったと思う。片道3泊4日程の大旅行で、その後数ヶ月は尾道の話が続き、私にもインプットされた。
父も眺めた尾道港 広島のホテルを朝8時にバスで出発し山陽自動車道を走り、約1時間30分で尾道に着いた。丁度尾道港駅前桟橋付近で、私はバスを降り、港へ出て埠頭に立ち海を眺めた(写真上)。意外に狭い港湾で、60数年前、父が眺めた風景と同じだろうか。携帯に収めた。当時の父の話では、埠頭で煙草を吸っていたら、先行していた本家の主人が、伯母と一緒に船で着いたという。私にとっての大伯母は瀬戸内の小島に住んでいたらしい。そんな話を思い出した。
因島まで自転車で走る所長以下10名程と別れ、我々はロープウェイで千光寺山(144m)へ上がった。
尾道の坂を下る 振り向くと瀬戸内海である。小島が多いが、目の前の向島は大きい。尾道の定番風景を眺め楽しみ、坂道を下る。文学のこみちと名付けられた岩の間を巡る下りの険しそうな小径。車中ガイドさんは林芙美子を紹介してくれ、彼女の記念の径かなと思ったが、文学者の碑が次々と現れる。芙美子以外で知っているのは蘇峰や子規、直哉位で、芭蕉碑もあるから当地に来た者だけではないようだ。千光寺本堂に着き参拝。また下り、三重塔へ至り、この辺りが猫のみちらしいが、塔の下に2,3匹いるだけ。バスに戻り、因島へ。因島のレストランで、自転車組を待って昼食。期待した海鮮料理ではなく洋食。洋食音痴の私にも美味であった。
能島城跡を眺める 大島の宮窪瀬戸で、能島水軍潮流体験船に乗る。屋根付きの客席と船外機だけの小さな船。客は皆救命ジャケットを着けた。意外にも波静かで、船に弱い私は一安心。芸予諸島の一部で、大小の島々が浮かぶ間を船は巡った。その一つの能島は、村上水軍の城跡という。小島だがいかにも城跡らしい地形(写真下)。海の豪族として栄え海賊として恐れられた伊予水軍村上氏の拠城があった島という(歴史と旅「日本城郭事典下」198頁)。私は海賊を文字通りに理解していたが、村上氏は、戦国期前から警固料を徴収し、潮流が激しい瀬戸内を通過する船の水路案内をし、安全を確保していたという。舟折り瀬戸はその名の通り、海水が大きく上下に蠢いていた。
バスはしまなみ海道を走り今治へ。来島海峡大橋の半分程は今春徒歩で渡った(17.5.28)。先程の多々羅大橋も、私は広島から歩いて愛媛へ入り、今年二度目のしまなみ海道となった。今治へ出て、今夜の宿泊先道後温泉へ向かった。 (2017/12/02 K.K. 1148/1200)
◇日時 2017/11/11 ◇天候 晴 ◇資料 「尾道市街地観光案内図」、「能島水軍潮流体験線」 ◇歩行距離 5km 6,000歩
「通過時間等」ホテル8:05-尾道港9:35-千光寺山ロープウェイ下駅9:55-同上駅10:05=千光寺10:20=三重塔10:30=ロープウェイ下駅11:10-因島(昼食)11:50/14:00-大島・乗船15:00/15:40-ホテル17:50