宮城北部に有壁宿、伊豆沼を訪ねる

故郷東根へ帰る用事が出来た。折良く、JR東日本大人の休日パス利用期間と重なった。時間はあり、前後に何処へ回ろうかと色々候補先を物色したが、以前から気になっていたJR東北線沿線にある宮城北部の有壁宿、そして白鳥到来の伊豆沼とした。仙台へ出て、同級生Aさんと夕食を期待しメールしたが、不都合と前日返信があった。  
奥州街道有壁宿本陣へ 東北新幹線を一関駅に降り、東北線上りを待ち、隣宮城の有壁宿情報を得ようとしたが、県が違い駅案内所にはなかった。有壁駅は無人駅で、案内図もない。駅前商店で本陣への経路を聞き、橋を渡り川沿いを行く。川面には氷が見え、当地は寒さが厳しい。直ぐ元本陣で、古いが立派な旅籠風木造建物が、道路に沿って建ち往時の儘(1744(延享元)年改築)遺っていた(写真上)。前は奥州街道。参勤交代で松前や八戸、盛岡藩主達が宿泊し、明治期には明治天皇が休息されたとある。御成門はその後開かずの門という。保存に感謝しながら、カメラに収めた。裏へ回ると大きなお屋敷で、現在もお住まいのよう。本陣以外は宿跡を示すものはなく、山裾の農村地帯。川向かいに酒屋があり荻野酒造で、今時赤煉瓦煙突が珍しい。清酒小瓶を求め、駅へ戻り列車を待った。
 白鳥達が遊ぶ伊豆沼 伊豆沼最寄り駅は新田駅。手前から右手に沼が見え始めた。当沼は渡り鳥白鳥の越冬の湖沼で、私が知る程有名。大分前に湿地保全のラムサール条約に登録されている。小さな田舎駅を出て、踏切を渡ると目の前が伊豆沼。先ずは展示館で情報を収集しようと入館する。写真が主で、2階から沼を眺めると、意外に大きな沼。鳥達も見えるが遠い。パンフの類はなく、沼へ。手前の土手下に小さな鳥達が集まり、餌を強請っている様子。本日は土曜日で、それなりの見物客がいる。鳥達は馴れていて土手まで這い上がって来た。鴨や雁のようだ。
奥へ進み、大沼の土手へ。いたいた白鳥達が。広い湖面の中央、左手、そして右手と三箇所に分かれ、浮いている。シベリア方面でもそれぞれ生存地が違い、仲間ではないのだろうか。私のデジカメでは届かない。1人、右へ土手道を進み、白鳥達へ知られないように近付く。幸いに未だ距離があり、湖面で遊び、飛翔し、独特の鳴き声を上げている(写真下)。シャッターを2,3度切り、携帯も取り出した。時計を見て新田駅へ。また一関駅へ戻ることにした。
晩秋のみちのく路の思い出 車窓から当地・現栗原市の田園風景を眺め、遠い小学5,6年の頃を思い出した。当時、毎年10月末から一週間掛け都道府県対抗の青森東京間駅伝があり、毎朝新聞で山形県チームの成績を楽しみにしていた。その4日目がみちのく路一関仙台間で、国道4号沿いに広がる晩秋の穀倉地帯を走る写真が掲載された。目の前の風景がそのよう。山形県の成績は芳しくなかった。青東駅伝が廃止されて久しい。遠戚の方が走ったようで、母の法事の時従兄弟に聞いたことがある。明日、母の7回忌だが、我々だけと兄から連絡があった。仙台、山形を経由しさくらんぼ東根駅に降りると兄が迎えに出てくれていた。(2016/12/19 K.K. 1074/1100)

○日時 2016/11/26 ○天候 晴 ○交通費 15,000円 ○徒歩距離 9km 13,000歩
「通過時間等」自宅7:50-JR上野駅8:54-同一関駅11:54-同有壁駅12:00=有壁宿12:10=JR有壁駅12:50-同新田駅13:11=伊豆沼13:20=JR新田駅14:05-同一関駅14:48-同仙台駅16:00-同山形駅17:54-さくらんぼ東根駅18:25-実家18:40