埼玉の奥武蔵嵐山町に遺る杉山城跡は、約20年前に訪ねていた(97.12.6)。これを知った同好の士Hさんから情報提供の依頼があり、記録を送付したことがあった。Hさんから、”素晴らしい城跡遺構”とのコメントと、最新の資料を戴いていた。それを思い出し、再訪することにし、展望塔のある近くの二ノ宮山も巡る予定にした。
秀峰富士を眺め杉山城跡へ 武蔵嵐山へは東武東上線である。この時期、車窓からの富士展望が楽しみで、川越を過ぎ左手南西方向に真っ白な富士の秀麗を遠望した。嵐山駅で情報を得て、スタート。20年前の記憶が朧気な中、線路沿いに北上する。思ったより時間を要し、前方に城跡のある丘陵を捉えた。目標の学校や寺への進入路を上がり、積善寺前へ。前回は荒寺風であったと思うが、周囲は整備されている。
墓地裏へ上がり、城跡大手口から見渡し、様変わりに驚いた。前回は、確かに土塁や空壕がはっきりと遺りそれなり感動したが、周囲は薮や灌木に覆われていた。それらが払われ、遺構の広がりも見える(写真上)。
最新の資料によれば、平成14-18年発掘調査をしたとあり、その所為である。案内もあり虎口、馬出、外郭、東二の郭(写真下)から本郭へ上がる。土塁や壕は郭を囲み、全城郭が整然と遺る。振り向くと奥武蔵の丘陵群であった。土橋を確かめ、北二の郭でUターン。井戸郭とその下部に井戸跡を見た。大石で蓋され、落城後の敵への対策らしい。
ファン垂涎の城跡遺構 城跡のファンの落語家春風亭昇太師匠も、当城も訪ねて絶賛し、 けっして大きな城ではないが、関東屈指の技巧的な縄張りを持つ城と書いている(「城あるきのススメ」小学館2017年151頁)。それも、現在もほぼ同じ形で遺る希有な城跡。発掘調査前は後北條氏築城だろうと思われていたが、15世紀後半に山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗するため、築いたと分かったとある。資料には、切岸(山や丘の斜面を急峻に削り敵の登坂を防ぐもの)や折れ(土塁を上がろうとする敵兵を横から攻撃出来るように土塁に折れをいれたもの)の用語が使われ不知であったが、昇太著書からその意味を理解した。
展望塔から眺めた浅間山 下城し学校前で小憩し、二ノ宮山へ向かう。城跡見学に予定時間の倍を費やしてしまった。集落を過ぎ田園地帯へ出て、市野川を渡り、左折し関越高速下を通過。二度目で、前回は二ノ宮山が先であった。そろそろかと、前方へ目をやるが低山が重なり、シンボルの展望塔は見えない。工事中道路を過ぎ小さな峠を越すと塔が見え始めた。塔下へ上がり、疲れた脚でどうにか展望塔最上階へ。期待した筑波山は見えない。処が、反対側の望遠鏡からなんと浅間山と谷川岳が覗けた。昨年追分宿から見上げた浅間の山容は真っ白であった。帰路は直接嵐山駅へ。三角形の底辺歩きだから、そう遠くはない筈と戻るが簡単ではなく、嵐山町住宅街へ入ってからも距離があり、それでも1時間強で駅東口であった。(2019/03/04 K.K. 1241/1300)
◇日時 2019/2/18 ◇天候 晴 ◇交通費 1300円 ◇資料 嵐山町教育委員会「杉山城跡」2004年 ◇歩数等 27,000歩 19km
「通過時間等」自宅9:25-東武成増駅9:55-同嵐山駅11:05=積善寺11:45=杉山城跡11:50/12:15=太田坊橋12:30=関越高速道路下12:40=二ノ宮山展望塔13:15/13:30=関越高速道路下13:50=川袋橋14:10=東武嵐山駅14:47-同成増駅15:50-自宅16:10