大森貝塚跡からしながわ花海道へ歩く

 購読紙に品川の勝島運河沿いにあるしながわ花海道にコスモスなど秋の花が咲いたとの記事を見付けた(21.10.14朝日)。是非訪ねたいが、歩くには距離が足りない。地図を眺め、先に大森貝塚跡や鈴ヶ森があると知り、これらを含めコースを考えた。立会川駅付近には龍馬像があると分かり、興味を惹いた。

 大森貝塚跡へ 三田線三田駅から歩きJR田町駅で京浜東北線に乗り換え大森駅に降りた。多分同駅乗降は初めてと思う。ホームにわが国考古学発祥地の碑があった。北口を出て少し歩いた先に貝塚跡入口の案内があり、ビルの間の狭い階段を降りると線路際に古い石碑大森貝墟が建っていた(写真上)。1877(明治10)年東大に赴任する途中列車車窓から、米国人エドワード・S・モース博士が大森貝塚を発見したことは有名な話で、中学の頃社会科で習った。私も先ほど大森駅手前で、車窓から石碑を捉えた。
 鈴ヶ森 駅前通りへ戻り、鈴ヶ森への右折先を探すが地図上の通りがなく、右手に渡線橋を見付け強引に右折し広い線路帯を渡り、東海道側へ出た。これが正解だったようで、京浜急行線高架下から大森海岸駅を右奥に見て、東海道第一京浜を横断すると品川水族館前。北海道の孫達と魚やイルカを眺めたことがあった。10年以上も前のことであったろうか。旧東海道との三叉路が鈴ヶ森刑場跡。油井正雪の乱首謀者丸橋忠弥や八百屋お七の刑執行の跡が遺っていた。確か二度目だが記憶にない。

 龍馬像 旧東海道を上がる。そろそろ立会川駅かなと左手の商店街へ入ると、小公園に坂本龍馬像があった(写真中)。何故当地にと思っていたが、土佐藩鮫洲抱屋敷があり、この屋敷内に浜川砲台が築かれ、若き坂本龍馬もこの地で守備についたとある。龍馬の人気の証しでもあろう。カメラに収めたがマスクした龍馬では様にならない。浜川砲台も遺ると知り、そちらも探し当てると、ペリー来航後土佐藩が屋敷内に設けた砲台で、江戸湾へ向けた当時の大砲が復元してあった。

 しながわ花海道 隣が勝島運河で、土手沿いに花壇があり花海道(写真下)。コスモスやサルビア、マリゴールドが咲いているがコスモスは終わりのようで、疎ら。花々を眺めながら土手を行く。運河には大小の漁船などが係留してある。品川も東京湾沿いなのだ。キバナコスモスがあり、土手下からカメラを向ける。数年前夏場に江東木場公園で満開のキバナコスモスに出会い、印象深い。それと比較してしまうので、量も咲く花も物足りない。一応シャッターを切り、また土手上を歩く。運河も端へ至り、土手を反対側に降りて、京急鮫洲駅へ向かうが、少し距離があった。(2021/11/10 K.K. 1418/1500)

◇日時 2021/10/16 ◇天候 曇り ◇交通費 330円 ◇資料 昭文社「東京都市図68馬込」2004.4版 ◇歩行距離等 10,000歩 7㎞ 「通過時間等」自宅8:35-JR田町駅9:37-同大森駅9:50=大森貝塚碑9:55=鈴ヶ森刑場跡10:15=龍馬像10:35=浜川砲台跡10:40=しながわ花海道10:50=京急鮫洲駅11:05-三田線三田駅11:21-自宅12:10